第7話 こんな感じで誘拐され

「ユージン様。ユージン様がお連れになった〝隣国の御友人〟についてお話したいことがあるのです。人の目や耳がない場所で、お話したいことが」


 そうグレンヴィル公爵の娘・ヴィネットに言われてバルコニーに出たのは試したいことがいくつかあったからだ。貴族たちによる地獄の挨拶耐久ターンでヴィネットが多くの視線を集める令嬢だということはわかっていた。彼女と行動すれば誰かしらの目がある。だから安全だろう、と思ったのだけれど甘かったらしい。

 バルコニーに出た瞬間――。


「……っ」


 背後から首のあたりをトンとやられて意識が途切れた。次に目を覚ましたら見知らぬ部屋の見知らぬベッドに転がされ、手首足首に枷が装着されていた。金属製の鎖の先はベッドの足に繋がっているようだ。

 なんて言うか――。


「か、完全に……ゆ、ゆゆゆゆ誘拐監禁事件……!」


「目が覚めましたか、陛下」


 青ざめるユージンを見下ろしてそう言ったのはヴィネットだった。パーティ用の華やかなドレスではなくフリルやレースで装飾されたゆったりとしたデザインのナイトドレス姿だ。乳白色の柔らかな素材で作られたナイトドレスの胸元は大きく開いていて、愛らしい顔立ちに反して豊かな乳房が露わになっている。

 夜伽のときなんかに着る服だと察してユージンは慌てて目をそらした。顔を赤くしておろおろしているユージンにくすりと笑ってヴィネットはベッドの脇に腰を下ろした。


「陛下。わたくし、陛下とお話したいことがあるんです」


「ぼ、僕の……お、王としての立ち位置についてでしょうか? そ、そそそそそれともサーシャのことでしょうか!?」


 おろおろおどおどしながらも聞き返すユージンにヴィネットは砂糖菓子のような微笑みを浮かべて答えた。


「両方ともです」


 ***


「……ユージン?」


 ドレスを着替えて戻ってきたサーシャは空っぽのキンキラキンな王座を見てきょとんと目を丸くした。

 深呼吸を一つ。


「我が夫殿の姿が見えないがどこだ?」


 ズカズカと大股で壇上にあがると王座の左右に立つ近衛兵たちを見上げた。

 パーティ会場に戻ってきたサーシャの、傷痕なんて少しも気にならないほどの凛とした美しさに見惚れていた近衛兵たちは低く感情を押し殺した声にハッと目を見開いた。

 咳払いを一つ。


「話があると言ってグレンヴィル大臣とそのご息女ヴィネット様とバルコニーに出て行ったが?」


 すぐに表情を取り繕うとサーシャを睨み下ろした。

 彼らにとってサーシャは関係が良好とは言えない隣国オーリアの元王女であり、敗戦という苦汁をなめさせられた相手〝白狼姫〟なのだ。客人としても騎士道における〝貴婦人〟としても丁重に扱う気はさらさらない。

 サーシャの方もそんな風に扱われる気は元よりない。


「それで? こんなところに突っ立ってからの王座を守っているのか」


「バカにするな。バルコニーへは別の者がついていった。我らが空の王座を守っているのも陛下が戻ってきたときのためだ!」


 大柄で強面の近衛兵に睨まれれば怯えそうなものだがサーシャは臆することなく、なるほどと頷いた。確かに誰も見ていない空の王座に何か仕掛ける不届き者がいないとも限らない。


「そなたたちの仕事を疑ってすまない。我が夫殿の姿が見当たらなくて気が急いてしまったようだ」


「え、あ、いや。……って、どこに?」


 あまりにも素直に謝られて面食らっていた近衛兵たちだったが、くるりと背中を向けてすたすたと歩いて行くサーシャに目を丸くした。二人の近衛兵は慌てて目配せすると一人は王座のそばに残り、一人はサーシャの後を追いかけた。


「白狼姫殿、どうなさいましたか」


 バルコニーへと続く扉にかかった厚手のカーテンを背に立っていた近衛兵二人がじろりとサーシャを睨み付けた。


「バルコニーに我が夫殿がいると聞いてな。着替えたドレスを見せびらかしに来たのだ」


 言葉のわりにサーシャの目は少しも笑っていない。身構える近衛兵たちの肩をそっと押しやり、厚手のカーテンを勢いよく開いた。


「……」


「……陛下!?」


 押し黙るサーシャと目を見開く近衛兵たちが見た広いバルコニーにはユージンの姿も、グレンヴィル公爵と娘のヴィネットの姿も、誰の姿もなかった。ただ、点々と足元に置かれた燭台の灯かりがゆらゆらと揺れているだけ。


「……なぜ、バルコニーまで一緒についていかなかった」


「グレンヴィル大臣とご息女に内密の話があるから遠慮してほしいと言われ……」


「なるほど。それだけグレンヴィル大臣とヴィネット嬢は信頼に足る人物ということだな。余の勘もそう言っていた!」


「……か、勘?」


 失態にうつむいていた近衛兵たちだったがサーシャの豪快な笑い声に思わず顔をあげた。ニヤリと笑うサーシャと目が合うなりすぐさま表情を引き締めて背筋を伸ばした。


「しかし、これは由々しき事態であり、我らの失態だ。すぐに人を集めて捜索にあたらせる」


「うむ、よろしく頼む。余は先行して捜索に向かおう」


 カツン……とヒールを鳴らしてドレスをひるがえしたサーシャの手にはいつの間にか抜き身の剣が握られていた。よく磨かれた、見慣れた剣にぎょっとしたのはサーシャを追いかけて来た王座を守っていた近衛兵だ。自身の腰を確認すると空の鞘がぶら下がっている。


「ちょ、ちょっと待て……!」


「なんだ。余は早くユージンを探しに行きたいのだが」


 抜き身の剣を持ったままバルコニーからパーティ会場へと戻ろうとするサーシャの肩を掴んで止めた近衛兵はハッとした。態度や物言いから落ち着いているように見えたが思っているよりも動揺しているらしい。金色の目は小刻みに、不安げに揺れていた。


「オーリア国の元王女で、先の戦で我が騎士団を破った〝白狼姫〟が武器なんて見せびらかして城内を歩き回ったら捜索どころじゃなくなるだろ」


 腰にぶら下がった空の鞘を外してサーシャに差し出した。

 そして――。


「鞘に納めてこれに包んでいけ。軽々しく抜くなよ? 斬るなよ? ……斬るなよ!?」


 マントを外しながら何度もサーシャに言い聞かせたのだった。


 ***


「サーシャ様、どちらへ?」


「ユージンを探しに行く」


「ユージン様を探しに?」


 パーティ会場から出て来たかと思うと大股で廊下を歩いて行くサーシャの後をメアリは困り顔で追いかけた。


「グレンヴィル公爵とヴィネット嬢とともにバルコニーに出たあと、忽然と姿を消したらしい」


「まさか……!」


「高いところから周囲の様子を確認したい。ちょうど良い建物はないか」


「高いところ……この城の最上階が見張り台になっていますよ。そちらに案内しましょう。悪ガキたちなら古い牢に登るんでしょうけど私とサーシャ様ではそうもいかないですしねぇ」


「古い牢?」


 オウム返しに尋ねるサーシャにメアリは苦笑いでうなずいた。


「ある高貴な身分の方を幽閉しておくために百年以上も前に作られた石造りの塔があるんですよ。城内の真ん中に立っていて、一番高い建物がその塔なんです」


 言いながらメアリが窓の外へと目を向けると、なるほど。他の建物や木々よりも頭一つ二つ飛び抜けて高い建物のシルエットが見えた。


「でも、あの塔は今は使われていなくて鍵がかかっていて入れないんです。悪ガキたちはね、塔に絡みついたツタや外壁のほんの少し出っ張っている石を頼りに度胸試しがてら登って行くんですよ。まぁ、半分くらいまで登ったところで下りられなくなって大泣きして大人に助けられたり、落っこちてケガをしたりするんですけどね」


「メアリ、その塔に案内しろ」


「はい、わかりました。今、ご案内を……って、塔にですか? 見張り台ではなく?」


「塔だ」


 きっぱりと言い切るサーシャにメアリは困り顔になった。

 でも――。


「わかりました。ご案内します。……さ、こちらですよ」


 サーシャに真っ直ぐに見つめられてメアリは深くうなずくと前に立って歩き始めた。


「ですが、王位継承の儀も女神様との契約の儀も無事に終わった今、ユージン様を害そうとする者なんているのでしょうか?」


「ふむ、余もそう思うのだがな。オーリアからウェスティアまでの道中、我が夫殿はこの国で自分の身に起こるかもしれない様々な可能性についてアレコレと話していたのだ」


 サーシャの言葉にメアリは愛用のボロボロ布団を頭から被って布団の小山と化したユージンの姿を思い浮かべた。


「ユージン以外にも王族が生き残っていてユージンを殺そうとする可能性。王位継承が済んだ今、これはないだろうな」


 その通りだとメアリは深くうなずく。


「あとは権力を手にしようと貴族たちがこぞって擦り寄って来る可能性。ユージンをお飾りの国王に仕立て上げようと冷遇したり軟禁状態に追い込む可能性。それから……今回の一件で懲りて王族も女神も排除してしまおうと考え、ユージンを殺そうとする可能性」


「まさか! 王族の方だけでなく女神様まで手にかけようだなんてそんな恐れ多いこと……!」


 サーシャが声を抑えろと手で示すのを見てメアリは慌てて両手で口を覆った。


「しかし、我が祖国オーリアの民たちは女神の加護を受けずに何百年と暮らしている。それに今回の内乱で王族に辟易した者がいないかと問われれば否定はできないだろうしな」


「それは、まぁ……でも、グレンヴィル大臣とヴィネット様がそうだと?」


 〝完全無比の淑女〟と呼ばれる令嬢の砂糖菓子のように愛らしい微笑みと凛とした後ろ姿を思い浮かべてサーシャは難しい顔になった。


「少なくとも私利私欲のために権力を得ようとするような人物には見えなかった。国のため民のために尽くす高潔さを持っているように感じる。余の勘だがな」


「でしたら……!」


「だが、高潔な者ほど鋭い牙や爪を隠しているものだ。雪オオカミがそうであるようにな」


 一度は安堵の表情を見せたメアリだったがオオカミのように鋭いサーシャの目に息を呑んだ。


「ヴィネット嬢にも彼女の侍女たちにも良くしてもらった。侍女かのじょたちから主を奪うのは余も心苦しい。ヴィネット嬢が牙や爪など隠し持っていないことを……例え、隠し持っていたとしてもその剣先がユージンに向けられないことを祈るよ」

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