転:京洛よりの使者

 自分はここで洗濯をして暮らしている。


 同じように、高や朱雀は小さい子の面倒を見つつ鍛冶場の雑用や畑作の手伝いなんかもこなして、首領や朝倉たちは、まあ褒められたことではないけど盗賊稼業を働いている。誰もが何かしらの役割を担っている。


「というか、それが当たり前のことだろう?」


 そう言う呉葉は、ここでは裁縫を任されているらしい。何故敢えて盲人めしうどにそんなことを任せるのか甚だしく謎だが、実際はわたしより余程手際よくこなしている。…………っともかく、衣食住のうち、同じ「衣」担当のせいか、気付けば一緒に仕事をしていることが多かった。今も、物干し場に隣接する二間の雑舎、干し終えた小袖を畳んでいるわたしの横で、ほつれた直垂を繕っている。


「義務と権利は不可分のものだと、朝倉も言っていたからな」

「……あなた本当に、朝倉のこと信頼してるのね」


 わたしがしみじみ言うと、達者な口を利きながらも器用に動かしていた呉葉の手がふと止まる。


「…………前にも言っただろう。朝倉は、恩人だから……」


 何その今更恋する乙女な顔は!?


「勿論、それだけで盲信しているわけではないぞ。あたしはあたしの意思で、朝倉を選んだんだ」


 それでもきっぱりとそう言う呉葉に、わたしも珍しく同調する思いを感じた。


「ああ、それは解るかも。殿方のふみを待っておとないを待って、なんて完全な受身じゃ、つまらないもの」

「だろう? あんまり前に前に出すぎるのも男の面子を考えるとまずいのかもしれないが、女ももう少し我を通してもいいと思う」

「そう、そうよね。男の目や流行りだけでかさねの色目や薫物たきものを選ぶのはおかしいわよね」

「いや、それは多少気にかけたほうがいいと思うぞ。あたしも、朝倉が似合うと言ってくれるからあかをよく着るし」


 ……そう言う今日も確かに、呉葉は蘇芳の小袖を着ている。なんだか外が騒がしい。憐れむような眼差しで彼女は言った。


「……おまえは恋をしたこともないのか」

「ほっといてよっ」


 何しろ邸の奥隅におうなの女房と二人で暮らしていた身だ。出遇いはないし、麗しき噂が漏れ伝わり文を送ってくる者もなければ、こちらの耳に雅な公達のきらきらしい話が届くこともなかった。首領とはなかなか類を見ない出遇いをしたけど……いやいやいや、ない。それはない。


 ともあれ、呉葉とは何気に一緒にいる時間が長いし、今更お互い言葉を飾ることもない。噛み合わないことも間々あるけれどなんだかんだとよく話をする。京ではずっと御簾の中に籠もりきりで、他人との距離感がいまいち判らないけれど、これはかなり近しいのではないかと思う。


 けれど。


「あのさあ、わたしたちって、別に仲良くないよね……?」


 そう確認すると、呉葉は目に見えて嫌そうな顔になった。


「は? 何を気持ちの悪いことを言ってる」


 ……ああよかった。そうだよね、絶対この関係を「友伴ともがき」とは呼ばないよね。喧しい外うるさい!


 と、転がるような勢いで誰かが飛び込んできた。水葱だ。普段傀儡人形の如く鉄壁の無表情を敷いていた顔いっぱいに、困惑と恐怖を浮かべている。


「水葱?」

「……たす、たすけて!」

「!」


 自分も、呉葉でさえも驚愕した。水葱が喋った声を初めて聞いた。……その異変、切羽詰まった声に嫌なものを感じる。


「すざくが、朱雀が……!」

「っどうした!?」


 反応は呉葉のほうが早かった。杖を掴み、萎えた足で雑舎を飛び出す。自分もそのあとを追うと、板屋の並びの中、怯えた人々と、通りに影が転がっていた。……地面には不吉な血溜まり。


「朱雀! 朱雀!?」

「……ちょっと! どうしたの!?」


 駆け寄り、呉葉と共にその身体を抱え起こした。意識はあるようで、無事な右腕でわたしを追い払おうとする。……左腕は血に染まり、力なく投げ出されたままだ。


 濃厚な血の匂いに呉葉が血相を変える。


「誰かたつきのところへ! どうしたんだ、何があった!?」


 たつきはこの里の薬師くすしだ。これは放っておいていい傷ではない。


 朱雀よりは浅手だが血の滲んだ肩口を押さえて座り込んだ緋袴水干の少年が叫ぶ。


つわものが……京の武士が来た!」

「!」


 さっきから表が騒がしかったのは――――そのせい!?


「――――高!」


 すぐ近く、板屋の反対側でまた幼い悲鳴があがる。考えるより先に足が動いた。


 そりゃここは山賊の根城だし、京から武将たちが制圧にきてもおかしくはない。むしろ自業自得だ。荊が斬られたときもそう思っていた。


 そう、彼らは山賊だ。けれど旅人や京人ならともかく、相手が何人かは知らないけどきちんと心得のある武人相手では分が悪い。


 少数精鋭の勇敢な武士たちが、京を脅かす凶悪な悪鬼どもを退治する。誰がどう見ても勧善懲悪、これほど胸のすく話はないはずだ。


 けれど……けれど!


「ふん、まさか本当に鬼の砦があるとはな。噂も侮れないものだ」

「高、高!」


 足を斬られ蹲る男の子と、泣きながらそこに縋りつく女の子。それを黙らせるように太刀を振り上げる武士の姿は、そんな罪と罰の構図にはとても見えなかった。


「……鈴!」


 叫んだ高が身を翻し、文字どおり身体を盾にして凶刃から鈴を庇う。血飛沫が舞い、鈴が絶叫した。それでもなお、今一度太刀が振りかざされる。


 気付いたらわたしは履いていた足駄を投げつけていた。帯刀以外は特別武装もしていない隙だらけの胴に命中し、武士が短く呻く。


「……っ痛いな! 何をする!」


 草履じゃなくて木製の足駄だから、勿論痛いだろう。しかし自身が斬りつけた高のほうがずっと痛いはずだ。そんなことも解らず斬っているのか。


 血を流す。苦痛に顔を歪める。当たり前のことだ。人も鬼も同じだ。


 標的が高と鈴からわたしに変わった。咄嗟に逃げる。無防備にさらけ出した背中に刃が迫るのを感じた。一度は奇跡的に躱す。けれど片方だけ足駄を履いた不自然な状態で、足がもつれ無様に転倒した。


 もう駄目だ。きつく目を瞑る。


 と、強く腕を引かれ抱き起こされた。ガッ、と鋼同士がぶつかり合う音が弾ける。


 目を開けると、そこには墨染めの衣。


「……朝倉!」


 片膝をつき、右手の太刀で武士の一撃を受け止め、左腕でわたしを抱きかかえた有髪僧。眉間から鼻梁まで、斜めに大きく斬られてなお不敵に笑っている。


 ……どこから。いつの間に。疾風迅雷の早業に、しばし声を失う。


「弱い者いじめなんて格好悪いだろうが。俺が相手になってやるよ。姫、早く高をたつきのところに連れて行け」

「その太刀……まさかおまえ!」


 朝倉の持つ太刀に見覚えがあるのか、武士が狼狽と怒りの滲んだ声をあげる。ああ、と朝倉が笑いながら立ち上がった。彼らの遣りとりを横耳にわたしは慌てて高に駆け寄る。……大丈夫、生きてる!


「さすが四天王と称されるだけのことはある。この俺に一太刀浴びせるとはな。……だが!」

「ッ!」

「きゃあッ」


 圧倒的な朝倉の声に呼応するように突風が吹きつけた。大きく煽られ、鍛錬を重ねた武士ですらよろめいたというのに、その只中で破戒僧だけが微動だにせず傲然と言い放つ。


「二百年早いんだよ、小童どもが」


 ――――やっぱり、この天狗ひとだけは、本物なのかもしれない。


 薄ら寒い気持ちでそう思いながら、ぐったりとした高が気を失ってしまわないように怒鳴りつける。


「何こんなところでまで格好つけちゃってるのよ! 鈴なら大の男くらい殴り飛ばせるじゃない、どうしてそこまで」

「……それが僕の、男の役目だからだよ。男なんて女を守って、格好つけてなんぼだろうが」


 背中の痛みに顔をしかめながら、それでもはっきりと言った高に、わたしは力強く笑った。


「――――そうね、おまえ男よ。たいしたものだわ」


 駆けつけた女言葉の青年に高を担いでもらい、泣きじゃくる鈴を宥めながら、荊と樹の家へと走る。けれどその戸口の前で、首領と、先程とは別の若武者が対峙していた。ぎくりとしたものの、二人とも抜刀した得物を手にしているのに構えてもいない。


「早く入れ!」


 首領に促され、慌てて屋内へと駆け込む。入口脇に張りついた荊に奥へと追いやられると、そこには既に、朱雀や呉葉以外にも何人も怪我人が運び込まれていた。血は流しているけれど意識のはっきりしている者もいれば、目立った外傷はないのにぴくりとも動かない者もいる。――――ぞっとした。


 表の様子が気になり、荊の後ろからこそっと顔を出す。「ひいさんは下がってな」と言われたけど、首領が肝心なところで間が抜けていることはよく知っている。だから荊もここで万一に備えているのだろう。少々偏執的ではあるけれど、この里で医学の心得があるのは、たつきと、彼女に基礎を教えたという朝倉くらいだ。ここを突破されてしまっては、助かる者も危うくなる。


 表の二人は、どういうわけか、剣先ではなく言葉を交わしていた。更に奇妙なことに、強張った表情の若武者よりも、薄笑いを浮かべた首領のほうが断然優位に見える。


「まさかおまえがここに攻め入ってくるとはな。皮肉なものだ」

「……おまえたちは京の秩序を乱した。当然の報いだ」

「残念だ。おまえとは、もう少し解り合えるかと思っていたんだが」

「……黙れ」

「京での暮らしはどうだ? 居心地はいいか?」

「黙れ」


 知り合い……なのだろうか。低く唸る若武者に、首領の怒気が一気に弾ける。


「――――京に尻尾を振って楽しいか!? 赤龍と山姥やまうばの息子!!」

「黙れ!!」

「!」


 ドッ、とすさまじい音がした。つい今まで首領が立っていたところに、怒りに任せた若武者の刃が振り下ろされている。片手での一撃だったというのに、その衝撃の度合いは土の抉れ具合が物語っていた。太刀が折れなかったのが不思議なくらいの、鈴以上の怪力だ。反応が遅れていたら、多分首領の左腕はなくなっていただろう。


 手負いの獣のような目が首領を射る。


「……俺はそんな生まれじゃない! 父も母もれっきとした人間だ!!」

「そうだろうな。だが京のやつらはそんなふうに蔑む。おまえはただ、坂東で生まれ育っただけなのに」


 坂東……畿内うちつくにの外、更に東方は、京から見れば正直、夷人いじんの暮らす鄙の土地だ。


「あいつらは自分たちと違う者、自分たちの理解の及ばない者を受け入れはしない。それでもおまえは京に服従するのか」

「……ああ」


 太刀を持ち直し肯定した若武者の目に、迷いはなかった。


「服従しなければ弾圧されるだけだ。――――おまえたちのように」

「……そうか」


 首領はただそう言って、小さく笑った。


 この二人は――――同じなのだ。同じでありながら、正反対の道を選んだ。


「おまえほどの男なら、この砦でも歓迎できたんだがっ、な」


 だからどうして! どうしてよりによってこの場面でしゃっくりが出る!?


 今はまだ荒削りな若武者も、なんとも言えない顔をしていた。


「おまえって……どうしてそう……」

「喧しっ、喧しいわ、京のいぬが!」


 荊も仰のいて目許を掌で覆いながら「あれがなければな……」とか言ってるし、逆に俯いて額を押さえたわたしも本気で頭痛がしてきた。ああもう、本当……。


「――――金太きんた!」


 声がした。馬に乗った、また別の武士が現れる。あずまの地に生を享けた若武者と、荊までもが反応した。


「……源次げんじ殿、」

「! あいつ……!!」

「っちょっと、駄目よ!」


 怒りをみなぎらせて飛び出した荊を、慌てて胴にしがみついて押さえ込む。危ない、というより、このひとが出て行くとややこしくなる、と思ったからだ。因縁ある相手なのだろうか。思い出してみれば、最初に会ったとき、片腕とも言うべき愛刀を奪われ手傷を負っていた。


「引き上げだ。……荒太郎あらたろう殿と六郎ろくろう殿が負傷した、京に戻るぞ」


 源次と呼ばれた壮年の武士は忌々しげに舌打ちする。


「どっちにしろ今回は噂の真相を確かめるための偵察だったんだ。とにかく摂津守せっつのかみ様にご報告を、」


 言いかけたその目が首領に、その後方の荊とわたしに向けられる。武士は大きく目を見開き、勝ち誇ったように笑った。


「……は! これはいい! 赤鬼に一つ目の鬼女に、夜叉に、天狗道に堕ちた破戒僧! ここはまこと鬼の砦だったか!!  ――――行くぞ」


 ひとしきり笑い、馬上の武士は一足先に駆けて行く。立ち止まり、振り返った赤龍の息子は、一瞬悼むような表情を見せ――――吹っ切るようにその後に続いていった。荊がわたしを振り切って彼らを追おうとする。


「――――待て!」

「深追いはやめておけ。里の状況を確認するのが先だ」


 一応発作が治まったらしい首領は素早く頭を切り替え、制止した荊と一緒に状況検分に向かった。わたしが立ち尽くしていると、杖を支えに呉葉まで外に向かおうとする。


「天狗がどうとか言っていなかったか? 朝倉は……?」


 心許ない声。そしてやはり気が動転しているせいか、表に踏み出したところで杖を滑らせ彼女は転倒した。杖を投げ出し倒れ伏したその姿に、わたしは半ば感心した呆れ顔で膝を折る。


「ああもう、何やってるの、…………、」


 言いかけてから自分の言動に気づいた。……それでも、ぎこちなく彼女の手をとる。


「……大丈夫?」


 呆然とした呉葉は、それでもわたしの手につかまって立ち上がり、少し俯きながら呟くように言った。


「…………ありがとう」


 ――――生まれがどうとか、見た目がどうとか。鬼だとか人だとか、なんだかもう、どうでもいい気がした。


 同じぬくもりが伝わってくる。手を差し伸べる理由なんか、それだけで充分だ。

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