承:鬼と暮らせば

 それから十日ほど。


 今日も洗濯、昨日も洗濯、一昨日は雨、一昨昨日も洗濯、多分明日も明後日も以下同文。


 たすきで括った袖から腕を剥き出しに、苛立ちそのものの手つきで今日も今日とて洗濯する。ああもう誰よ血なんかつけたの! 落ちにくいのよ! 少しは洗う人の苦労考えなさいよ!!


 ……だけどこうして「洗う人」がいるから、少し汚してもまたきれいな衣を纏えるのだ。


 作物をつくる、或いは獲物を狩る人、かしきごとをする人がいるから朝餉夕餉が食べられるのだし、木工こだくみたちがいるから風雨を凌ぐ住居すまいに暮らすことができる。


 南北二町に渡る八条第の敷地程度の規模の砦の仕組みはなんとなく解ってきた。数人で起居する家はおのおの独立しているけれど、湯屋や井戸、厨などは砦全体で共有していて、それぞれ管理している者たちがいる。つまり自分は、三十人強の鬼全員分の洗濯を一手に担わされているのだった。


 浅縹あさはなだの小袖、素足に平足駄ひらあしだ。背丈に匹敵する長さの髪は、背中のあたりで大きく輪をつくり結って垂らしている。顔を隠す扇や袖どころか、素顔を隠す白粉に紅さえない。しっかしこれがまあ今までに比べれば随分身軽で、そう受け入れつつあった自分に愕然とし、一昨日は袿や袴を着込み化粧けわいを施して必死に頷いていたものだ。


「ひーめーさーまー」


 気分が腐りかけていたところに、屈託のない声が聞こえた。振り返ると、鬼の砦に来た日に会った女の子が満面の笑顔で手を振って近づいてくる。あの日も一緒にいた男の子もだ。但しこっちは決して明るい顔をしていない。


「……何?」


 鬼子相手とはいえ我ながら気のない声で応じる。女の子は動じなかったけれど、男の子は女の子の手を引いてもと来た道なき道を戻ろうとした。


「鈴、やっぱり帰るぞ」

「えー? やだ、ひめさまとお話したい」

「諦めろ、ほら行くぞ」

「やだ! やだやだやだ!」


 空いている片手を振り回し、女の子は身体いっぱいで駄々を捏ねる。男の子がやや強い口調で言った。


「鈴!」

「やだ!!」


 その一言と同時に、女の子が振り回した腕がすぐ脇の木を殴りつける。


 めりめりめりっ…………どさっ


 とかいう、予想外極まりない音を立てて、大人の胴回りくらいの太さはあるその木は倒れた。


 男の子は口を半端に開けたまま立ち尽くしている。


 そしてわたしは。


「えーと……どうぞ」


 引きつり笑いを浮かべて、素手の一撃で木を殴り倒した怪力無双の女の子を招く。


 ……軽く命の危機を感じた。



「…………言っとくけど、僕は来たくて来たわけじゃないから。鈴がどうしてもって毎日毎日うるさいから、仕方なく」


 わたしの横に座り込んだ男の子・高が、いかにも不満げにそう呟いた。女の子・鈴は、あれだけ騒いでいた割に、少し離れたところで一人水遊びに興じている。


「そう。子守もなかなか大変ね」


 勤労の苦労はここ数日で身に沁みたので、やや同情気味に応じる。


「慣れてるし、それが僕の役目だからそれはいいんだけど。……あんな露骨な態度とられて、それでもまだ会いに行きたいなんて言うの、何も知らない童だけだよ」

「…………」


 袴を洗う手が止まった。


 初めて会ったとき、高は鈴を強引に引きずっていった。……正直、京人みやこびとの自分と山賊の彼らを区別する意識があったことは事実だと思う。だってそれが現実だ。自分と彼らは違う。


「そりゃ殿上人連中からすれば僕たちみたいな孤児みなしごなんて小汚くて目障りなだけかもしれないけど。こっちだって、官人つかさびとばっかりいい暮らししてるから食べるものも住むところもなくなったんだ」


 首領と似たようなことを言う。けれど、無思慮に批判するほど、朝廷みかどの何を知っているというのだ。


 ただ。


「……孤児?」

「……右京の端で餓死しそうだったのを四兄弟に拾われたんだ。赤ん坊だった鈴と一緒に」


 ……鬼、の心像にそぐわない。


 見た目もそうだ。特徴的な髪を持つ首領と違って、本当に、人の童と何も変わらないように見える。


「だから、自分が歓迎されてるとは思わないほうがいいよ」

「……別に初めからそんなふうに思ってないわよ」

「ていうか、お頭から聞いたけど、自分からここに来たいって言ったんだって? 物見遊山気分でいると痛い目見るよ。猪とか蛇とか、熊だって普通に出るんだから」

「……そんなもの、」


 怖がらせようとしているのだろうか。勿論、凶暴なそれらに恐怖を感じないわけがない。けれど。


「だってここには、それよりもっとずっと恐ろしいものがいるじゃない」


 ――――鬼が、天狗が。魑魅魍魎、異形の化け物たちが。或いは人の皮を被り、或いは夜闇に紛れ、人の世に仇なす忌むべき存在が。


 そう言うと、何故か鬼子は目に見えて身を強張らせた。


「……何言ってるんだよ、何がいるって言うんだ」

「何がいるも何も」


 今、ここに。


 砦を一歩出てしまうと周りを取り囲む森は深く、昼日中でさえそこかしこに闇がこごっている。


 その見通しの悪い暗がりの奥で、がさり、と何かが動く音がした。今していた話が話なものだから、肩が大きく跳ねる。


「!」

「!!」

「あ、うさぎー」


 鈴がはしゃいだ声をあげて川面から視線を上げる。茂みを掻き分け飛び出してきたのは、確かに、茶色い毛並みの野兎だった。


「うさぎ……」


 一気に気が抜けて細く息をつき、何気なく横に視線を滑らせる。……いない。


 いや、いた。後ろ。


「…………何をしているのおまえ」


 素早くわたしの陰に隠れ、その上袖の袂までしっかり握っている高を呆れた目で見る。逃げていった兎を追うのを諦めた鈴も、こちらを振り返って純粋無垢そのものの顔でこう言った。


「……どうしたの、高」

「っ、いやっ、この姫様前のめりになりすぎて川に落ちそうだったからさ、後ろから引っ張ってやったんだよ」

「…………ちょっと待ちなさい」


 あからさまな動揺を見せながらもしゃあしゃあと言った高を横目で睨む。額を突き合わせ、鈴には聞こえないよう小声でぼそぼそ言い合った。


「何勝手にひとを貶めてくれてるのよわたしより驚いてたくせに」

「うるさい別に驚いてなんかない」

「何一人前に見栄張ってるのよ。おまえがあの子の子守するよりあの子におまえが守ってもらったほうがいいんじゃないの」

「…………だからうるさい!」


 勝った。


 ところで洗濯というのは当然、洗っただけで終わりではなく、干して乾かさなければいけない。揉み洗い踏み洗いで洗い終わり、南の物干し場へ向かうため、鬼子たちを連れて砦へと戻る。


 すると、厩舎の前で、馬にまぐさを与えていた者と鉢合わせした。鈴が歓声をあげる。


「朝倉! おかえりーっ」

「よう、鈴、高。元気にしてたか。……衣桁の姫も、意外と奮闘してるみたいだな」


 転がるように駆け寄った鈴の頭を朝倉がくしゃくしゃと撫でる。京から砦に戻ってきた翌日にはまた出て行ったらしく、彼の姿を見るのはここに来た当日以来のことだった。


「……おかげさまでね」


 やや皮肉げな響きに、こちらも些かむすりとした声で返す。ええもう毎日毎日くそ真面目に、ああ品のない言葉遣いがうつった、洗濯に励んでおりますわよ。洗い晒しの衣も毎日の水仕事も不本意極まりないけれど、仕方がない。


「今度はどこに行ってたんだ?」


 高が土産話を期待する目で訊く。盗賊業とは別に、結構頻繁に朝倉は単身遠出しているようだ。


 しかし。


「ん? ちょっと陸奥みちのくまでな。久々に羽黒山に顔見せに」


 陸奥!? その名のとおり五畿七道の最果て、「ちょっと」という場所ではない。絶対に、十日程度ではここから往復などできない。……只人であれば。


 さすがは天狗、と思ったのだけれど。


「また冗談ばっかり。陸奥なんて、そう簡単に行けるわけないじゃん」

「やだー、もうー。あははは」


 …………!?


 高も、鈴までもが「冗談」として笑って流している。


「いや本当だって」と続けられる嘘かまことかの陸奥話を聞き流し、どういうこと、と高の肩をこっそり叩く。


「…………ねえ。あのひとは『天狗』なんでしょ?」


 小声で訊くと、あっさり高は言った。


「『自称』ね。本当のわけないじゃん」


 何!?


 こちらの動揺も知らず、高は首を竦める。


「まあ僕や鈴も最初は信じてもいたけど。だって骨傷めたとかなんとか言って一回も羽広げて飛んでるところ見せてくれたことないし、たまに鴉見ると『ナントカ丸、久しぶりだな』とか言ってるけど例外なく逃げられたりつつかれたりしてるし。いくらなんでも気付くだろ」


 ……つまり、彼は別に天狗でもなんでもない、ただの法螺吹きな破戒僧に過ぎないと。


 そしてそれは畢竟、ここが鬼の砦ではなく、単なる山賊の巣窟に過ぎないということに繋がる。


 …………鬼では、ない?


 反応できずにいるわたしを見て、高が半笑いの表情になる。


「……何? まさか、信じてた?」

「………………」


 図星だけど、この半笑いに対してそれを認めるのは癪に障る。けれど高はその迷いの沈黙を肯定と受け止めたらしく、吹き出すのを堪えるように口を拳でおさえて笑った。


 はっきり言って、大変腹立たしい。


 だから、無表情にこう言ってやった。


「あ、蝮」

「!」


 過剰に反応した高は弾かれたようにその場から飛び退り、勢い余って尻餅をつく。


「なんてねー」

「!!」


 しれっと種明かしをすると、騙されたと知った高は思いきり睨みつけてきた。しかし今更怖くもなんともない。


「どうかしたの?」


 多分、前触れもなく身を引き足を縺れさせたとしか見えていなかっただろう鈴が、子守役の突然の行動に首を傾げている。だいたい察しがついているのか、その後ろで朝倉はにやにやと笑っていた。


 対する高の返しは。


「っ、陰陽道に禹歩うほとか反閇へんばいとかいうのがあって、独特の歩きかたして地面を踏み鳴らすんだ、邪気鎮めのために。だったら、足より身体全体のほうが威力あるんじゃないかと思って、ちょっと試しに」

「わあ、すごーい。高、そんなこともできるんだあ」

「……………………」


 なんと言うか、ただごまかすのではなくどうにか格好つけようとするその姿勢は、ある意味さすがである。それに、よくそんな小難しい語を知っていたものだ。誰か有識者が入れ知恵したんだろうか。そういえば盗品の中には巻子かんす冊子の類もあった。この山奥の砦、意外と知的水準は低くない。


 それはともかく、そんな早口の不自然な言い訳に無邪気に騙されるのは鈴くらいのもので、すべて見抜いている朝倉は含み笑いを浮かべてわたしと視線を合わせてくる。だからわたしもつい、小さく笑いをこぼしてしまった。座り込んだままの高が渋面でそんなわたしたちを見上げ、鈴は笑顔できょとんと目を丸くしている。


 この砦で、そんなふうに自然に笑えるとは思っていなかった。



 どうやらここは、思い描いていたような鬼の砦ではなく、単なる山人やまびとの里、山賊の巣窟でしかないのかもしれない。


 覚めた目で改めて見ると、なるほどそのとおりかも、と、今更ながらに思う。ここに暮らす老若男女誰一人として、角も牙も、羽も尾もみっつの顔も六本の腕も持っていない。赤い髪を持つ首領だけは際立って目立つけれど、それ以外は皆、普通の人のように見える。ただ、官人たちがつくりあげた社会秩序に属していないだけだ。


 ……ついでに、怪力童女とか自称天狗とか、社会秩序の枠からだけではなくどこか箍も外れている気がしないでもない。


 たとえば。


「ん?」


 洗いものを干し終え、鈴たちを家に送って歩いていると、小さな手に袖を引かれた。


 立ち止まって振り返ると、そこにいたのは鈴と高の間くらいの年頃の小柄な女の子。無言でじっと見上げてくる。


 少しの間そのままお互い見合っていると、不意に女の子が口を開いた。


「ばーか」

「!」


 いきなり何!?


 開口一発の暴言に目を剥いたこちらに構わず、女の子は無表情のまま淡々と唇を動かす。


京女みやこおんなが何しにこんなところに来たんだ、目障りなんだよ、さっさと消えろよ。だいたい、今の公卿連中なんておやの功績の上に胡坐掻いてるだけだろ、あんたら当人にどれほどのことができるって言うんだ。大したこと何もしてないくせに、偉そうにふんぞり返ってくれやがって」


 言いたい放題言ってくれる。


 けれど。


「……そこ!」

「ぎゃっ」


 足許の石を拾い、井戸の陰に狙いを定めて投げつける。鈍い音と短い悲鳴があがった。


 すぐ判ることだけど、目の前の女の子と暴言のぬしは別人だ。女の子はただ口をぱくぱく開閉させているだけで音と動きが合っていないし、低くはなかったけれど十歳程度の女の子の声質でもなかった。だいたい、声が聞こえてきた方向が全然違う。


 頭をおさえて姿を見せたのは、わたしよりもふたつみっつ年下の痩せぎすの男の子。目が合うと一度大きく肩を震わせ、束の間棒立ちしていたけれど、我に返ったように女の子の手をとり脱兎の如く走り出した。


「あ、ちょっと!」


 待ちなさい、という制止の声も聞かず、あっという間に家の中に逃げ込む。その素早さは大したものだ。


「まったく……」

「なかなかやるねえ、姫さん。片目なのにたいしたもんだ」


 ぱちぱちと呑気な拍手と共に二人が駆け込んだ家から現れた、筋骨逞しい長身の着流し姿には、見覚えがあった。


「…………ゆたか

「あれ、覚えていてくれたのか。嬉しいねえ」


 呑気な口調で、にっこりと口許が笑う。


「まあ勘弁してやってよ。何があったかはよく知らないけど、朱雀すざくは輪をかけて京や官人が嫌いみたいでねえ。水葱なぎも水葱で京でいろいろあったみたいで、口が利けないのは後天的なものらしいし」


 どうやら、文字通り陰口を叩いていた男の子が朱雀、無表情な女の子が水葱と言うらしい。怪力童女鈴と見栄っ張り高とは似て非なる関係である。……傀儡くぐつ回しの演者と人形、とか?


 人の上に立つ者にはどうしたって非難はつきもののようだ。……けれど、多少はそれを省みる必要もあるのかもしれない。


 しかし今はそれより。


「……そりゃあ覚えるわよ、それだけ目立てば」


 多分温は、赤髪の首領に次いでこの里で目立つ存在だろう。何しろ顔の上半分は鬼の面で覆われている。おかげで年齢不詳だけど、口許の様子や立ち居振る舞いから察するに三十代にはなっているはずだ。


「っていうか、なんで普段からそんなものかぶってるの」


 素顔を隠すため、或いは恐怖を煽るため、盗みを働く際に恐ろしげな面をつけるのであればまだ話は解る。けれど温は常日頃からずっとその面をつけていた。


 何かそれなりの理由あってのことか、と思ったのだが。


「ああ、いや、赤髪の若は言うに及ばず、さっきの朱雀といい水葱といいこの里は妙に灰汁あくの強いやつらが多くてねえ。新入りの姫さんも、京人らしい毒舌家だって言うし。その点俺はどこをどうとっても平々凡々だからなあ。だからまあ、せめて見た目だけでも」

「……………………」


 正直、聞いて後悔した。


 目立ちたいだけ!? いい歳して、そんなどうしようもない理由を理由にしているのか!


 言ってやりたい。その思考だけで充分悪目立ちしていると。


 あと、ここの住人とわたしを同じ視点で見ないでほしい。いろんな意味で。だいたい、わたしは本当のことを言っているだけだ。別に毒舌じゃない。


「だけどもう長いことつけっぱなしだし、若も俺の顔見たことないかもなあ」

「……首領より年長者はいるのに、それでもあのひとが『お頭』なのね」

「若は先代のご子息だからねえ」


 首領を「若」と呼ぶのは、その先代を知っている者たちだろう。しかし里人さとびとにすら素顔を晒していないとは徹底している。というか、間違った方向に心血を注ぎすぎだ。


 そんなこちらの心境も知らず、温は面の奥から視線を投げかけてくる。


「だから俺としては、姫さんのその片目、俺と被ってる気がしてちょっとなあ、っていう」

「…………!」


 一瞬、目眩がした。それを吹き飛ばす勢いで口を開く。


「っ莫迦じゃないの、何素直に言っちゃってるの。酷い火傷を負ってとか、額にもうひとつ目があってなんて朝倉みたいに思いきった嘘とか、いくらでも言えるじゃないの。そんな薄っぺらいことで個性主張してどうするのよ。だいたい、ぬるい! こんないかめしい鬼の面なんて、最後の最後で理性捨てきれてないわ、どうせやるんなら二の舞の腫面はれめんくらいまで開き直りなさい!」


 多分、洒落の鬼面と自分の隻眼を同列に扱われたことと、日頃積もりに積もった鬱憤の八つ当たりだっただろう。一息にまくしたて、手と膝をついて解り易く落ち込んだ仮面の男をそのまま放置して荒い足取りで歩いていると、帯刀した水干姿の荊とすれ違った。随分深手に思われたけれど、もう腕のほうは完治したんだろうか。


 軽く振り返りながら思うとはなしに考え、再び歩き始める。すると今度は、小走りに駆ける小袖にしびらを巻いた荊とすれ違った。


 …………。………………!?


 二歩踏み出して勢いよく振り返る。今何かおかしくなかった!?


 振り返った視線の先には、確かに、荊が二人いた。言い争っていた。


「ちょっと! まだ安静にしてなきゃ駄目じゃないか、油断も隙もない!」

「うるさいな、怪我したおれが大丈夫だって言ってるんだから大丈夫なんだよ!」


 分身の術? 化かされてる!? それは鬼じゃなくて狐! いやしかし天狗もいるし、と頭の中でめまぐるしく言葉が飛び交う。


「とにかく! まだ駄目だよ、鍛冶場はあんたが行かなくてもレンたちがちゃんとやってるよ。襲撃かけるときはお頭がちゃんと声かけてくれるよ。だから今は帰るよ」


 褶を巻いたほうが、帯刀しているほうを言葉でねじ伏せて強引に連れ帰ろうとする。ばっちり目が合った。


「お。えーと、この間お頭が連れてきたお姫さまだよね。こんにちは」

「こ……んにちは」


 にっこり笑いかけられ、思わずつられて言葉を返す。


「ていうか、さすがお姫さま、たおやめって感じだねえ。肌きれーい」


 明るくそう言う褶の少女の、灼けた肌や荒れた指先に、彼女たちの境遇が見て取れた。


 けれど彼女たちは、こうして笑いながらしたたかに生きている。


 京の公達や姫君たちが人の手で整えられた庭先の花であれば、首領や彼女たちは自由に咲き誇る野山の花だ。咲く場所や美しさの種類が異なるだけで、花は花、美しさは美しさだ。


「あ、あたしは樹。こっちは荊」


 たつき。名前だけは聞き覚えがあった。邸を出て、里に来る前に一旦立ち寄った国境の荒屋。そう言えばあのとき、首領や朝倉は「双子」と口にしていた。……双子。タネが判れば狐でもなんでもない。少しばかり縁起が悪いだけだ。


「ホント荊は刀が好きでねー、鍛えるのも斬るのも。あれだけやられたのにちょっと目離すとすぐ鍛冶場か試し斬りに行きそうになるもんだから、面倒見てるこっちは大変だよまったく」


 愚痴に紛れてさらりと物騒なことを言ってくれる。が、そんな片割れとは違って、たつきのほうはここでは数少ない常識人に見えた。


「鍛冶場? そんなものもあるの」

「そう。もう少し奥のほうにね。だから川が赤みがかって見えるだろ?」


 丹や朱は土や鉱物から採れる色だと聞いたことがある。……こちらも、判ってしまえばなんということもない。


「さ、行くよ。傷口開いてたらどうするんだい、また薬塗らないとじゃないか」


 片割れの左腕を引いてそう言いながらも、たつきの声は心なし弾んでいる気がする。それが錯覚ではないことは次の荊の一言が証明してくれた。


「何うきうきしてんだ、おまえ自分が調合した薬試したいだけだろ!? 変なもの飲ませやがって、医療の名を借りた実験だあれは!」


 …………訂正。やっぱりこの子も、変なひと……?


「誤解を招くようなこと言うんじゃないよ。……あ、なんならお姫さまの目も診る?」

「え? いやあのこれはっ。大丈夫、もう手遅れだからっ」


 たつきの目の輝き具合と、左目への指摘そのものに二重に慌てて丁重に断る。「手遅れ」なのに何が「大丈夫」なのか。


「そう?」

「もうどうせ役に立たないし。後は腐って落ちるのを待つだけ」

「何?」


 笑ってごまかそうとしたら、今度は荊の目が光った。……すごく嫌な予感。


「腐り落ちるのなんか待ってたら、その前にほかのところにまで障りが出かねないだろ。なんなら今くり抜いてやろうか?」


 冗談には聞こえなかった。たつきはと言えば、止めるどころか大いに賛同する。


「そうだねえ、そのほうがいいんじゃないかい? 勿論そのあとの手当てはあたしがちゃんとしてあげるから」

「いやあの…………」


 真顔と笑顔の同じ顔が恐ろしい提案を掲げながら迫ってくる。なんなんだこの双子は。なんなんだここの住人たちは!


「結構です! さよなら!」


 早口に言ってその場を逃げ出す。危なかった。あのまま押し切られていたら、本当に、どうなっていたか。


 ほっと一息つき、歩みを緩める。と、斜め前の頭が急に視界から消えた。石か何かに足をとられたのだろう。見れば、木の枝を杖代わりにしていたようだった。

 前のめりに転んだその影の横を通り抜けた途端、険しい声がかかる。


「……待て!」


 つい振り返ってしまうと、座り込んだ同年代の少女がきつい目つきで見上げてきた。……だけどその眼差しはどこか薄物がかかったかのよう。


「おまえ、目も足も不自由なか弱い少女が目の前で転んだというのに、そのまま素通りするつもりか!」


 ……まあ確かに見た目は華奢で清楚だけど、自らそうのたまう女のどこが「か弱い」のか教えてもらいたい。


 半ば呆気にとられていたところに。


「おい姫、あんまりひとの女いじめてくれるなよな」


 いや罵倒されてたのはこっちなんだけど、と視線を向けると、この鬼神きじんならぬ奇人の里で一、二を争う胡散臭い男が立っていた。


 少女がぱっと顔を輝かせる。


「朝倉!」

「立てるか、呉葉くれは


 支えてくれる大きな掌に助けられ、少女・呉葉は立ち上がり、朝倉から杖を受け取る。……転んだら手を差し伸べて、けれど立ち上がったら自らの力で歩くと杖を手にして。京は、果たしてどうだったか。


「気をつけろよ」

「ああ。……これがお頭が連れてきた姫君なのか、朝倉」


 朝倉を仰いでいた呉葉が、見えない目でわたしを見てそんなことを言う。


 これ!? 曲がりなりにも中納言女を「これ」!? いや確かにここでは「中納言女」じゃなくてただの「清女すましめ」かもしれないけど、でも「これ」!?


「ちょっと待ちなさいよあなた」

「だから、俺の女いじめてくれるなって」


 一言物申すべく言いかけると、朝倉が呉葉を庇うように後方から腕を回す。だから謂われない扱いを受けていたのはこっちなんだけど!?


 ……それとも、官人は理不尽に民人たみびとを虐げるものと思われているのか。


「……『俺の女』?」


 婉曲的且つ装飾過多な表現がもてはやされる京では有り得ない露骨な言葉に、思わずまじまじと二人を見る。朝倉は更に恥ずかしげもなく言った。


「散楽の一団から攫ってきたんだよ。別嬪だろ? 大概、孤児や乞食をここに連れてくるのは四兄弟なんだけどな。あいつら以外がここに連れてきたのは呉葉と姫だけだ」

「ふうん……」


 そう言えば高がそんなことを言っていた。しかし四兄弟、名前はよく聞くけど会ったことはない。話を総合すると、彼らは普段京近辺(多分あの荒屋)に潜伏していて、盗賊業に加え、京の見聞や行き場を失くした者たちを里に連れ帰ってくることが「仕事」のようだ。


「つまりおまえはお頭の女と言うことか」

「! なんでそうなるのっ」


 さらりととんでもないことを言った呉葉に反射的に反論する。けれど朝倉までもが追い打ちをかけるようにこう言った。


「それも悪くないだろ。先代と若の母御、花園前はなぞののまえの馴れ初めだって似たようなものだったぞ」

「……先代はどういうひとだったんだ?」


 呉葉が訊く。それはわたしも少し興味があった。あの首領の父親。やっぱりあんな髪をしていたんだろうか。


 朝倉はしばし昔に思いを馳せる眼差しになった。


「まあ……見た目はやっぱり若と似てたか。この里と鍛冶場の基礎を築いた御仁でな、俺の天狗火に惑わされなかった唯一の人間だ」


 ああ、また言ってるよこのひとは。


 生ぬるい表情を浮かべ、わたしは呉葉を見る。彼女はどう反応するだろう。可憐な見た目と裏腹に口は達者なようだ。


 円らな目が破戒僧をまっすぐ見る。さあどう出るか。


「すごいな、朝倉の妖術に惑わされなかった人間がいたのか!」


 何!?


 目を剥いた。聞き間違いではない。呉葉のあの表情は、間違いなく尊敬の色だ。


「………………ちょっと、」

「? なんだ」


 力なく声をかけると、訝しげな表情で呉葉が振り返る。初対面で浴びせられた言葉のせいもあり、口を開いたらきつい口調の台詞が飛び出してきた。


「何、なに、信じちゃってるの、あんな童でも騙されないような嘘を!? そこの破戒僧も破戒僧よ、ここまでまっすぐ自分を信じてくれる子を騙して良心は痛まないの!?」

「喧しい!」


 呉葉の返事は一言、怒号だった。瞽女ごぜとは思えない射殺すような目で睨みつけてくる。


「朝倉はあの地獄のような場所からあたしを救い出してくれた恩人だ、その恩人を信じずに、この世の何を信じればいいと言うんだ!」

「…………!」


 その迫力に思わず押し黙る。緋に小花紋様の衣の細い肩を抱き寄せて、朝倉は自慢げに笑った。


「いい女だろう? 俺が見初めただけのことはある」


 ……さっきも言った気がするけれど、改めて、そして声を大にして言いたい。


 本当に、なんなんだ、ここの住人たちは!



「うそつき」


 簡素な板屋や軒が地につきそうな伏屋が並ぶ里の中、首領はいちばん奥の二棟のやかたに住んでいて、ほか数人同様、わたしもそこの一角を間借りしている。賤屋しずがやではあるけれど、案外手入れは行き届いていて、居心地はよくはないけど悪くもない。


 鍛冶場の様子でも見に行っていたのか、首領は不在だった。主屋おもやに上がるきざはしの下段に腰を下ろして帰りを待ち、浅く漂う黄昏の中を歩いてくる姿を認めて、立ち上がるよりも先に口を開く。さすがに首領も眉をひそめた。


「……いきなり随分なもの言いだな」

「ここに鬼なんかいないじゃない」


 いるのは鬼神じゃなくてただの奇人だ。わたしが言うと、首領はふっと笑った。


「残念だったな、思い描いていた鬼の里と違って」


 座り込んだわたしの横をすり抜けて階を上がる際、少々目測を誤ったか、首領は最後に足首を捻って大きく体勢を崩す。そのへんに関しては、こちらも今更言葉もなかった。代わりに立ち上がり、なんとか無様に転ぶことは踏みとどまった背中に声をかける。


「どうして、言いたいように言わせておくの。あなたたちは化け物なんかじゃないでしょう」


 赤い髪が振り返る。


「京人のおまえがそんなことを言うとは意外だな。だが京人にとっては似たようなものだろう。どっちにしたって、自分たちとは違う、疎ましい存在だ」

「………………」

「そっちが勝手に鬼だ化け物だと怯えているんだ、おかげで『仕事』もやりやすいし、わざわざ訂正する必要もない」


 逆境を逆手にとって生きている。それだけではない。彼らは生きたいように生きている。だから力強く、四角四面の枠の中で生きている京人からすれば箍が外れているようにも見えて、それが異端視される一因なのかもしれない。


「鬼の面をつけてたり、自分を天狗だって嘯いてたりするのも演出のひとつってこと?」

「朝倉のあれを信じてるのは呉葉くらいだけどな。父上の右腕だったとか、昔は鞍馬山の魔王に仕えてたとか突拍子もないこと素面で言うし」


 …………最初はうっかり信じてた、とはもう、口が裂けても言えない。


「……ただ、なあ」


 そう短く言葉を切って、首領は何故か疲れたような表情になる。


「…………確かにあいつ、おれが物心ついた頃から、まったく歳とってる気がしないんだよな……」

「……!?」


 ……とにかく、この奇人の里でも飛び抜けて胡散臭いことだけは、間違いなかった。

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