起:私を山まで連れてって!
そもそも今宵、どうして主君不在の邸が騒がしいかというと、盗賊が現れたからのようだった。
厩舎や鶏舎を放ち野犬まで連れ込んだのか、悲鳴や怒声のみならず馬の嘶きに甲高い鳴き声、表の騒ぎが間断なくこの丑寅の対屋にも伝わってくる。相当派手に荒らし回ってくれたんだろう。
不埒者、と思うと同時に、――――なんだか痛快だ。
我知らず含み笑い、ふと顔を上げる。板張りの上を駆けるダダダダダという足音。……間違いない、この棟に近づいてきている。
慌てて単衣袴の上に袿を二枚ほど羽織り、高坏灯台の火を吹き消す。妻戸の掛け金や蔀を下ろす余裕はなく、帳の上がった母屋の几帳の陰に下がって息をひそめた。足音は複数。そのひとつが渡殿から妻戸の間、更に襖障子の内へと飛び込んでくる。
――――その姿に目を瞠った。
後を追ってきた足音は、渡殿の手前で迷ったように立ち止まり、やがて遠ざかっていった。
追手を撒いた賊は、薄暗い
それを見て、わたしは咄嗟に――――腕を伸ばし、その括袴を遠慮なく引っ張った。
「ぅわっ!?」
相手は顔面から派手にすっ転ぶ。案外間抜けだ。
「……っ、何だいったい!」
「黙って!」
声量を抑えて、だけど語気だけは鋭く言い放ち、今度は水干の袖を引いた。朔の夜、御簾の外の釣灯籠の明かりだけを頼りに凝視する。――――炎に照り映えるその色。
烏帽子どころか髻すら結っていない、赤い不揃いの髪。……間違いない。
確認して確信し、賊の
人生これまでにないほどとても、とっても本気で言った。
「あなた、わたしを誘拐しなさい!」
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。
「……………………………………頭は大丈夫かおまえ」
時が止まる、という表現が相応しいほどの沈黙ののち、賊が紡いだ台詞はそれだった。眉間に厭味かというほど激しく皺を寄せている。
「そうね、人様の邸に押し入って乱暴狼藉を働く
だからこっちも少しばかり毒を含んで返したら、ますます対面の皺が増えた。
「おれのことを知っていて言ってるのか」
「勿論知っているわ。鬼の首領殿」
今度は対照的に、満面の笑みで応じる。相手の眉間は相変わらず険しい。
――――
だけど、その顔は思っていたよりも若い。どう見ても二十歳前。というよりも、全然人と変わらない。もっと凄まじいご面相かと思っていた。のみならず、そこそこ、いやかなり整った顔をしている。……成程、最近の鬼はその容貌で人を騙して襲うわけか。人にしか見えない、その上美形じゃ油断もするだろう。詐欺。狡猾。
中背で細身のその鬼は、やはり表情を変えず、円領を掴んだままだったわたしの手を引き剥がした。そして立ち上がって局から出て行こうとする。
「姫君の冗談に付き合っていられるほど暇じゃないんだ。じゃあな」
「待ちなさい!」
わたしは慌てて腰を浮かせ、先程引き剥がされた手で今度は赤い髪をひと房掴む。短くも醜い悲鳴があがった。賊は片手で髪の根元をおさえつつ、再び眉間にびっちり皺を寄せた形相で振り向く
。
「髪を掴むな髪を!」
「乙女の局に押し入ってきた非礼を見逃そうって言ってるのよ!? 礼としてわたしの言うことを聞きなさい!」
ちなみにお互い、声を張り上げているようでそれなりに憚っている。とはいえ、里下がり中の古株を除けば控えの女房どころか人の往来自体めったにない対屋だ。
「キツネだってねえ、助けられたらお礼に妻になって子を産んだりするのよ! あなたも鬼なら京の姫の一人や二人、立派に拐かしてごらんなさい!!」
「めちゃくちゃ言うな!」
「……仕方ないわねわかった、指の一本二本ならあげるから!」
「わかってない! 人間諦めが肝心だ、潔く身を引け!」
「嫌よ、諦めたら自分で終わらせることになるじゃないの!」
ぎッ、と睨みつける眼差しで赤髪の賊の目を見据える。もし視線が矢と化すのなら、相対する左目を射抜くほどの強さで。
「…………その狂言にはその目が関係あるのか」
御簾越しの明かりしかない局の中でもまず目につくだろう異相、頭から覆うように白布を巻きつけた左目のあたりを見返しながら賊は訊いてくる。
わたしは少し悪戯っぽく笑った。
「鬼に喰われた、って言ったらどうする?」
「……目だけで済んでよかったな」
読めない返事だ。自分だって人を襲う身の上のくせに。
「――――それで?」
一転して賊が冷ややかな口調になる。と思ったら片膝をついて視線の高さを合わせてきた。こちらが身構える間もなく、右のこめかみの髪を鷲掴まれる。
「残った右の目も喰ってほしいわけか?」
目鼻立ちのはっきりした、整いすぎているほど整った顔だから、こういう無慈悲な表情がよく似合う。
……似合うんだけど。
「………………さっき打ちつけた鼻がまだ赤い」
「!」
ぱっと賊の手が離れた。鼻どころか頬まで赤くなっている。あの一瞬寒気さえ感じさせた威圧感はどこへやら、破れかぶれに彼は叫んだ。
「っ、おまえのせいだろうが!」
「いやまさか、あんな器用に顔から転ぶとは……」
あれはそう見られるものじゃなかった。
「うるさい! っだいたい、攫えと喚くなら理由くらい言ったらどうだ! 都合悪いところをごまかしたまま主張を通そうなんて、虫がよすぎるだろう!」
そっちこそばつの悪さをごまかそうとしてるんじゃ……と思うような声だった。だけど今回は黙っておくことにする。
代わりに、真摯さを伝えるよう、右目に力を込めて言う。
「ここにいたくないからよ。ここは嫌なの。疲れたの」
わたしが正直にそう明かすと、賊は冷たく目を細め、嘲笑う口調で言った。
「……なるほど? 御簾の奥に押し込められた暮らしは窮屈で息が詰まる、自由がない、退屈だ、と。そういうことか」
「………………」
「ふん。ところ変われば悩みも変わるもにょだな」
理解を示しているようで、皮肉がありありと滲んでいる。……しかしそれ以上に。
「………………『にょ』?」
……噛んだ?
謎の発音を思わず繰り返すと、賊は再び、目に見えて赤くなった。
「やっ、喧しい!」
一応、当人にも噛んだ自覚と気恥ずかしさはあったらしい。しかしさっきから、いまいち肝心なところで外しているというか……。
遠吠え、蹄の音が夜を踏み荒らす。それらを背景に、
そして。
「いいだろう、来い」
思わずわたしは瞬く。……今、なんて?
邸の奥深くに暮らす姫君を見下すように見下ろしたまま、赤い髪の鬼の首領は言葉を紡ぐ。
「御簾の内、華やかな平安の京しか知らないおまえに、
「……ええ、教えてちょうだい」
あからさまな上から目線は癇に障ったが、結果としては願ったり叶ったりだ。
薄く笑い、首領は少々演出過剰気味に御簾を絡げる。
そこに、巨大な何かが勢いよく突っ込んできた。
「うわッ!?」
「きゃあっ。……なッ、何っ!?」
落雷のような衝撃に対屋が揺れる。
咄嗟に顔を庇い、再び視線を上げると、そこはなかなかの惨状だった。
踏み抜かれた
「あぁ、悪い。誰か死んだか?」
あまり詫びているとは思えない口調で口を利いた馬上の人影に、ぎりぎりのところで暴れ馬との激突を回避した首領が屏風の下から起き上がって吼える。…………やっぱり、どうもこう、肝心なところが決まらない……。
「っ
「悪い悪い。停めるつもりが突進させちまった」
どこをどう間違えたらそうなる!? 死んではいないが局は半壊だ。
「つうか、
馬上の人影……三十路手前ほどの有髪僧は、首領のことをそう呼んだ。馬首を巡らせながら言う。
「もう四兄弟は引き上げたぞ。……ったく、落馬してどこ行ったかと思ったら、案外ちゃっかりしてるな」
首領に朝倉と呼ばれた精悍な面立ちの青年が、顔を隠すことも忘れたわたしにちらりと視線を向けてくる。しかしわたしは、それを見返すのではなく、思わず首領を見ていた。
「落馬……」
殿上人の大邸宅に威勢よく馬で乱入してきて、落馬。………………。
「っなんだその目は!」
「いや……あー、うん、いい。うん」
片目の視線の意味するところを察したらしい首領が再び声を荒げたけれど、もう多くは言わないでおく。
「……っ、行くぞ!」
腹立ち紛れのように首領が袿の袖ごとわたしの腕を引っ張る。破戒僧と言うか破壊僧が瞬いた。
「連れて行くのか。やっぱり若も先代の息子だな」
「ただの盗品だ! 衣桁くらいに思っておけ!!」
「その姫を
「連れていけとうるさい。……まあ、さすがは世間知らずの深窓の姫、今着てる
目利きの首領がにッと口端を歪める。……人質か。まあ父も伯父も応じないと思うけど。しかし改めて他人の口から聞くと、我ながらとんでもないことをしでかそうとしているのでは……。
――――それでもいい。こんなところに閉じ込められて一生を終えるなんて真っ平だ。
「……それはまた、豪胆な姫君だ」
「ただの阿呆だろう」
面白そうに凛々しい目許を和ませた青年と対照的に、色も情も薄い瞳で首領は酷評を下してくれた。
「まあ、だったら、その『衣桁』と先に行け」
青年は身軽に馬の背から下り、首領に手綱を渡す。……わたしのほうが衣の添えもの?
今度は首領が瞬く番だった。
「『先に』って、おまえは」
「適当な馬を手懐ける。心配するなって、俺は天狗だぞ? いざとなれば自力で飛んで帰るさ」
天狗! 背中に羽はないけど……いざというときには生えるんだろうか。
余裕しゃくしゃくで笑う青年に小さく溜息をつき、首領は「盗品」を鞍のない馬の背に押し上げ、自らもわたしを抱え込む形で跨る。添えものを通り越し、完全に物扱いだ。失敬な。
とかなんとか考えている暇はなかった。予告もなく首領が馬を走らせるものだから、自分も慌てて横座りの半身を捻り首領の胴にしがみついた。でないと落ちる。落ちたら……下手したら死ぬ。片手で手綱を巧みに捌き、駆けつけた
「姫様!?」
馬上の袿姿に気付いて声を上げる者もいたけれど、何かを言い返す余裕はなかった。というか、口を開いたら舌を噛みそうだ。などと考えをまとめることすら困難だった。揺れが激しすぎる。
強引に東門を突破し、……正直、それ以降の記憶はないに等しい。ただ、ようやく馬が歩調を緩めて停まった頃には完全に目が回っていた。あ、頭が揺れる……。
「降りろ、ていうか、起きろ」
「……起きてるわよ一応、ていうか、降りられるわけないでしょ!?」
どこに馬上から自力で降りられる姫君がいるというのか。
「文句の多い……」
ぶつぶつこぼしながらも首領が手を貸してくれて、それでどうにかわたしは馬を降りた。ああ、足が地についてるって素晴らしい!
……素晴らしい、の、だが。
「…………か、身体が痛い……」
何しろ
独り言のつもりだったけれど、返事があった。
「おれは頭が痛い」
その理由は……まあ、言われなくても解る。
人里離れ、鬱蒼とした木々に紛れるように建つ
「おい、……って、おまえっ」
短く声をかけて屋内に踏み込んだ首領が、途端に仰け反った。自分もその脇から覗き込んでみて目を疑う。
「どうかしたの……って、えぇ!?」
「よう、遅かったな」
桁行き三間の奥のほうから首を出してそう応じたのは、絶対に自分たちよりも後に邸から逃げ出してきたはずの青年・朝倉だった。
「『遅かったな』って、なんでおれたちより先にここにいるんだ!?」
首領の言いたいこともよく解る。こっちだって全力疾走してきたはずだ。しかし紙燭を手にした朝倉は涼しい顔で返してくる。
「言っただろ、いざとなれば空飛んで帰るって」
「……そうよ、よく考えればあなただって、攫った姫を担いでひとっ飛び、くらい、簡単なことだったんじゃないの?」
言われてみれば朝倉の言うとおりだ。そうすれば、馬酔いの上に全身疲労、などということもなかっただろうに。
「おまえは黙っていろ。ほかのやつらはどうした」
当然の不満を口にするわたしを鬱陶しげに一言で片付け、首領は朝倉に向き直る。
「ああ、四兄弟なら荷物一旦置いて出てった。双子はまだ、」
荷物……要するに我が
「……
異常に気付き、朝倉から紙燭を取った首領が膝を折る。それに反応し、崩れた影が
緩慢に顔を上げた。
「…………斬られた。太刀を……
苦しげな呼吸の下から絞り出すような声。無残に大きく裂けた水干の右袖は真っ赤に重く染まっていた。
「
「外にいる。馬を繋いで……、ッくそっ、あの
わたしとそう歳の変わらない綺麗な顔を歪ませて、心底憎々しげに手負いの彼は吐き捨てる。でも所詮は
「あれは自信作、片腕も同然だったのに!」
ってそっちか! 斬られたことより太刀を奪われたことのほうが悔しいらしい。まあ、匠気質と言えばそうか……。
「また鍛えればいいだろ。おまえはどっちかと言えばそっちが本職なんだし」
実に気楽にそう言った朝倉を、「いいわけがないだろう!」と重傷者とは思えないほど強い眼差しが睨みつける。さすが匠。
「あれはまだ一度も試し斬りすらしてないんだぞ!? このまま手放せるか!」
…………いや違う、匠気質とかとはなんか違う。
「まあどうするにしろ手当てが先だ。たつき、」
その一言で取り敢えず場を収めた首領が、朝倉に紙燭を返して外にたつきとやらを呼びに行った。朝倉も荊とかいう少年の腕を検分していて、こっちは完全に忘れ去られている。
することもないから、灯りも乏しい荒屋の奥、自分と同じく八条の邸第からの盗品に寄り添い瞼を伏せる。色鮮やかな反物、真新しい漆器、
……後悔はしていない。はずだ。
しかしこんな黴臭いところで寝られるだろうか…………
「…………おい。おい! 起きろ!」
「っ!?」
頭上からの怒声にがばりと身を起こす。朽ちかけた屋内に、窓からの曙光がやわらかく満ちていた。……朝!?
…………我ながら、なんて状況適応力。
「まったく、誰より先に寝たくせに誰より遅くまで寝ているとはな。行くぞ」
変な感心をしてしまったわたしに対し、首領は完全に呆れ顔だった。それと朝倉と、腕を手当てされた荊。結局この四人しか今この荒屋にはいない。
「? どこに」
軽く頭を振って眠気を飛ばす。ふと気付くと、添い寝していた盗品が幾らか減っている。
「決まっているだろう。山に帰る」
「え? ここじゃないの?」
「ここはただの見張り場だ」
……言われてみれば、彼らの本拠地と噂されているのは丹波と丹後の
「双子は残るとして……朝倉はどうする?」
首領が軽く振り返ると、朝倉は飄々と笑った。
「取り敢えず、四兄弟かたつきが戻ってくるまではここにいるさ。荊一人にしたら、すぐにでも京に太刀取り返しに行きそうだからな」
「………………」
おそらく図星の荊は、苦虫を噛み潰したような顔で押し黙る。
「なら先に行ってる。荊、無茶はするなよ」
念を押す首領の声を背に外に出ると、一頭の裸馬に昨夜の盗品が括りつけられていて、もう準備万端だ。ああ、また馬に乗るのか……。
いちばん嵩張って口喧しい「盗品」も馬の背に乗せられ、山城と丹波の国境、一晩の仮宿を後にした。そして丸二日かけて、今度こそ丹後山腹の鬼の砦に辿り着く。周囲を築地で取り囲み、籠もるようにして営まれている里。
「あ、お
「お帰りなさーい」
古びた門をくぐると、丈の短い小袖を着た鬼子たちが目ざとく「お頭」の帰還に気付いた。首領は馬上から飛び降り、軽く笑いながらその頭を撫でたり小突いたりしている。……ってちょっと、馬の上にひとりにしないでよ!
「お頭様、そのひとだれ?」
鬼子の片割れ、五、六歳くらいの
「……京の姫、じゃないか? いい衣着てるし」
「当たりだ、
その女の子の丁度倍くらいの年頃の
馬上に取り残されたせいで失念していたけれど、遅まきながら花菱紋の袿の袖で顔を隠す。いや、
けれどもやっぱり遅すぎた。女の子が再び口を開く。
「目怪我してるの? いたい?」
「…………」
いきなりまた無遠慮な問いかけだ。けれどどういうわけか答えを待とうとせず、「
その二人と入れ替わるように。
「よう。やっとお帰りか」
「だからなんでおまえが先にいるんだ!?」
門の脇の厩舎から顔を覗かせた天狗僧侶に首領が喚く。それはやはり、空を飛んできたからではと思うのだけど、首領には理解しがたいらしい。どうしてだろう。
「馬と積荷の配分はやっといてやるよ。おまえはその『新入り』を案内してやれ」
そう言って朝倉が手綱を預かった。改めて立ち姿を見ると思っていたより背が高い。わたしはその場で馬から下ろされ、粗末な家々が建ち並ぶ片隅、陽当たりのいい一角に立つ
「ちょっと待て」と言った首領は、雑舎から出てきたとき、薄汚れた衣が山ほど詰め込まれた盥を手にしていた。何がしたいんだろう、とわたしが思うよりも先に、一抱え以上はあるその盥を突きつけられる。思わず受け取ってしまった。重い。
「え? は? あの……」
押しつけられた盥と押しつけた首領を交互に見比べる。しかし相手はわたしの視線に気付かず……と言うより明確に無視して言った。
「洗濯して来い」
「……………………………………はァ?」
間抜けな話、そのたった一音を発するのにとても時間を要した。
な、何なのいったい。洗濯? ???
「門を出てすぐのところに川がある。そこで洗って来い。その間に、おまえが当面暮らすところは用意しておいてやる」
洗濯!? 仮にも公卿と親王の血を引く生まれ、そんなことしたことあるわけがない。それをいきなり「洗って来い」と言われても困る。
「じょ、冗談じゃないわよ、なんでわたしが」
反射的に口をついて出た台詞を、首領は腹立たしいほど冷静な眼差しで受ける。
「働かざる者食うべからず、だ。さっきの二人みたいな
「……あの二人が何してるっていうのよ」
「高は鈴のお
それを仕事と言うか! そう思ったことをそのまま口にすると、首領は当たり前だと言わんばかりに返してきた。
「当然だ。誰もが気になっていることを調べているんだ、立派な仕事だ」
「…………だったらそう言うあなたは何をしてるっていうの」
厭味半分でそう訊くと、首領は今度は心外だと言うように堂々と言う。
「ばかを言え、おれや朝倉はいちばんの稼ぎ頭だぞ。この前もおまえの邸でひと稼ぎしてきただろうが」
だからそれを仕事と言うか!
「まさかおまえ、ここでも傅かれて優雅に暮らせるとでも思っていたのか? ここは京じゃないんだ、遊び呆けて贅沢な暮らしができるほど甘くない。ここではおまえは『中納言女』じゃない。ただの世間知らずの小娘だ」
半分どころではなく、明確に厭味だった。自分も京は大嫌いだったけれど、その言いようには黙っていられなかった。そもそもおまえおまえと、失礼にも程がある。
「公卿たちだって、あなたたちが僻むほど遊んで贅沢なだけじゃないわ。人の上に立つってことは責任を負うってことよ。自分の目も手も届かないところで起きたことでもね。……あなたはあの夜、邸で朝倉とかいうひとをあっさり置き去りにした。それが『お頭』のすることなの?」
「…………」
「………………」
言いたいことを言い合い、お互い、無言のまま睨み合う。
……しかし。
「っはっくしょん!」
よりにもよってこの瞬間にどうして、なんの予兆もなくくしゃみするんだこのひとは……。
「……とにかく! 郷に入っては郷に従え、ここに来るのを望んだのはおまえだ。嫌なら帰れ」
「…………わかったわよ、行くわよ」
ここに残って働くことと、京に帰って閉じ込められることを秤にかけ、ぎりっぎりで前者に傾いた。袖も裾も無造作にたくし上げ、鬼の砦に紛れ込んだ人間に対する好奇の視線をいくつも浴びながら門を出ると、確かに木立の向こうに水の流れがあった。それほど深くはなく、川底の土のせいか妙に赤みがかって見える。
……ここまで来たからには、どうにかするしかない。
小石を踏みつけ川端に座り込み、仏頂面で一枚の小袖を水面に突っ込む。後悔はしていないはず、だったはずだ。
それでもほぼ怒り任せにがしがし麻布をこすりながら、ふと疑問を覚えた。わたしのように自分からついてきたのは例外としても、今まで連れて来られた者たちというのはいないのだろうか。……それとも、もういない?
人が獣を狩るのは食らうため。ならば鬼が人を攫うのも……。
そう考えると、この川の赤さは、…………まさか!?
不吉な連想に、それこそ、顔面から血の気がひいた。
……亡き母様。
やっぱりちょっと、早まったかもしれません……。
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