結:鬼の目にも涙

 突然の襲撃から十日あまり。


 わたしはやっぱり、川で洗濯をしていた。


 以前であれば、まとわりつく鈴と、それに渋々付き合う高がいたけれど、もうずっと一人だ。あの日、高は一命はとりとめたもののとてもまだ出歩ける状態ではなく、鈴はずっと彼に付き添っている。


 京から見れば、ここは略奪者の砦だろう。では先日の暴力的な彼らは断罪者と呼べるのか。家や倉だけでなく、鍛冶場も荒らされていたという。


 と、背後に人の気配を感じた。座ったまま振り返ると、いたのは朱雀一人。いつもは水葱の口を借りて物陰から喋るのに、心身の傷の癒えないその姿を堂々と晒している。


 そして――――少なくともわたしの前では初めて、自らの口を開いた。


「……レンと――――安達あだちも死んだ」

「……!」


 唐土もろこしの出身らしく都合の悪いときだけ言葉が通じないふりでごまかす二十歳過ぎの青年と、生きているのに死霊しにだまのような風情の十三、四歳の少女。前者はあの日、正面から袈裟斬りにされ即死だった。後者は馬に蹴られ頭を強打し、昏睡が続いていたけれど……おそらく今しがた、息を引き取ったのだろう。


 正直言って、鈴たちや呉葉と違い、言葉を交わしたことがあるかないかの者たちだ。けれど同じ里で暮らしていた者が、あんまりにもあっけなく死んでしまった、それも殺されてしまったことに、衝撃と息苦しさを感じずにはいられなかった。


「水葱も怯えきって、里どころか家からも出られなくなっちまった」


 言いながら朱雀はぼろぼろと涙をこぼす。その双眸に鮮烈な怒りを灯し、血を吐くように叫んだ。


「――――おまえのせいだ! おまえがここに来たから! 朝廷に目をつけられた!! おまえのせいで!!」

「――――!」


 言いがかりだ――――とは、言えなかった。しかも自分は望んでここに来たのだ。


「おまえが、――――ッ」


 なおも言い募ろうとした朱雀が不意に顔をしかめ左腕をおさえる。粗い麻の袖に赤い色が染み出していた。


「――――傷口が、」

「! 触るなっ」

「!」


 腰を浮かせ手を伸ばしかけたけれど、激しく拒絶され振り払われる。踏みとどまれずに水際に腰を打った。


「っおまえなんか、」


 拳が振り上げられた。殴る気か、水に沈める気か。


 けれど――――どちらにもならなかった。


「……やめておけ」

「っ!」


 静かな声。思いつめた様子の朱雀を追ってきたのか、首領が木立の向こうから歩いてきた。朱雀の拳をそっと下ろさせ、諭すように言う。


「……おれたちが山賊で、京でも夜盗行為を働いていたのは事実なんだ。こいつだけを責めるのはお門違いだろう」

「でも! …………っ!?」

「……!」


 食い下がろうとした朱雀が、座り込んだままのわたしを再び見て目を瞠る。その視線を追った首領も同様に驚愕の表情を見せた。


 こちらもその理由に気付き青ざめる。……転んだはずみで結紐が解け、腰から下の髪が水に浸かり、流れに緩くたゆたっていた。


 長い髪の揺れる川面に墨の色が滲む。……流れてゆく。


 その下から現れたのは――――木漏れ日を受けて目にも鮮やかな金。



 思いきって川の水ですべて洗い流す。


 袿を一枚残し洗濯するだけはして、きつく絞って水気をきった髪が見えないよう袿をすっぽりとかずき、口を閉ざした朱雀と別れ首領と共に館へと戻る。洗いものを干すのは館に暮らす者たちに引き受けてもらった。


 そうして人払いされた主屋の南廂。


 端座して被衣かずきを脱いだわたしは、何も言わず、左目の眼帯もほどいた。


 鬼に喰われた左目。けれど眼球は今もきちんと眼窩に収まっている。――――瑠璃のような瞳が。


 金の髪、黒い右目と青い左目。


 向かい合って胡坐を掻いた赤い髪の首領を「鬼」と呼ぶのなら、間違いなくわたしも「鬼」だ。


 自身よりも強烈な異相を目の当たりにして、首領は小さく呟いた。


「……だから、おれに目をつけたのか」

「……そうね」


 くすり、と笑いがこぼれた。


 聞かれてもいないけれど、聞いてほしくて、自分の半生を語る。


「……八条の前中務卿宮さきのなかつかさきょうのみや邸は母様の生家なの。そこに父が通うようになって、露顕ところあらわしの儀も行って、……わたしを産んだ」


 そしてわたしがとおを数える前に亡くなった。時折、堪えきれない癇癪を起こし、ひどく責められ打ち据えられることもあったけれど、こんなわたしを確かに慈しんでくれた。……おそらくは、こんな容姿の娘が生まれてもおかしくない心当たりがあったのだろう。


「間もなく父の訪れは絶えたそうよ。だからわたしは父の顔も知らない」


 母様の乳母でもあった女房だけがわたしたち母娘おやこに仕え続けてくれた。母様亡きあとは更に邸で立場がなく、完全に孤立していたものの、逆に「秘密」を守るには都合がよかった。


「……だけど当人たちはともかく、『家』としてはお互い完全に縁を切ってしまうことを躊躇したんでしょうね。おかげでわたしは生き延びたの」


 鬼門に幽閉され、殆ど存在しないものとして扱われながら、それでもわたしはあの京で生かされていた。最低限の調度品と、女房たちすらろくに寄り付かない薄暗い対屋で、たった一人。


「それで、あなたたちのことを知った。赤い髪の鬼の頭目」


 似ている、と。そう思った。だから邂逅の瞬間、あんな無茶を言った。


 けれど。


「だけどわたしは、『鬼』のあなたたちに迎え入れてほしくて連れて行けって言ったんじゃない。――――わたしは、あなたたちとは違うんだって、そう思いたかった。……ごめんなさい」


 気付いたら涙が溢れていた。


 髪と目の色が少し違うだけだ。わたしは鬼じゃない、化け物じゃない。人間だ。……それを、本物の鬼に会うことで、証明したかった。


 だけど無理だった。この里に住まう彼らもやはり、見た目や生まれ、思想がほんの少し、京人とは異なるだけの、ただの人間に過ぎなかった。


 人と獣、魚などに比べれば微々たる差異だ。……それなのにどうして、こうも拒絶され迫害されなければならないのか。


 笑ったり泣いたり、触れる手や通う心のぬくもりも、何ひとつ変わらないのに。


「……人間は我儘だ。自分は他人とは違う、特別だと思いたい一方で、自分たちと異なるものを嫌い排除しようとする」


 とうに「人間」に見切りをつけた首領の言葉に、頷きながら袖口で涙を拭う。


 そう見切ってしまえる強さ。或いは逆に、あの赤龍の息子のように自分を殺して「人間」であろうとする強さ。どちらも割り切った強さだ。……包括できる強さというのは、きっとそれら以上に難しい。


 忙しない足音が階を駆け上がってくる。衣を被く間もなくぼろぼろの簾が跳ね上げられた。


「大変だ若! 四兄弟から立文たてぶみが、――――っ!?」


 踏み込んできたのは温だった。勢い込んできて、見えない壁にぶつかったように立ち止まる。鬼面の奥の目はまっすぐわたしを凝視していた。


 金の髪も青い左目も晒したわたしも、もう何も言わず鬼の面を見返す。首領も何も言わない。


 奇妙な沈黙。


 やがて。


「………………稲穂?」

「ほかに言うことはないのあなた!!」


 予想の斜め上もいいところな第一声に思わず逆上する。すると。


「…………血の染みには大根すりおろしたのが効くらしいぞ?」

「誰がまったく違うことを言えと言った!? ばばあの知恵袋か!」

「え、本当? 今度試してみようかしら」

「おまえも流されてる場合か! …………で、四兄弟がなんだって?」


 首領がつい気を逸らしたわたしにまで食ってかかり、赤い髪をがしがし掻きながら苦りきった顔で仕切り直す。怒鳴られてもどこ吹く風、「息ぴったりだなあ」とか言っていた温も、改めて表情を険しくした。


「勅命が下された。……京を襲い、姫君を拐かして喰らう鬼を討伐せよ、と」

「…………!」


 息を呑んだ。


 勅命は主上おかみ直々の命令だ。先日里を襲った武士たちは「偵察」と言っていた。そして今度こそ、主上の威光を盾に「鬼」たちを討ちにやってくる。


 首領を振り返ると、彼はどういうわけか、ゆったりと笑った。


「…………どうやら、今生でおまえの素顔を見ることはできそうにないな」


 皮肉な眼差しが鬼の面を捉える。が。


「ん? 見たければ見せても構わないぞ」

「っおまえもうちょっと主義主張ってものを持て! 貫け!!」


 実に気安く鬼面を外そうとした温に首領が喚き散らす。話が進みそうにないのでわたしは口を挟んだ。


「……あなたどうするつもりなの」


 温に混ぜ返されかけたけれど、不吉な言い回しの言葉だった。硬い表情のわたしに首領はやはり笑う。


「討ちに来るというのなら、迎え撃つしかないだろう」

「無茶よ!」


 先日は「偵察」だった。だから死者は二人で済んだ。それでもあれだけの痛手をこうむった。勅命を、正義の御旗を掲げ討伐隊はやってくる。今度こそ、後には何も残らない。すべて踏み荒らされる。


「仕方がないだろう。おれたちは山賊なんだから。……生きるために仕方なく、なんて言い逃れようとは思わない。おれたちみたいな底辺で、それでも真っ当に生きているやつらもいるんだからな」

「そうよ山賊でしょ。然るべき処罰を受けるべきじゃない。『鬼』として問答無用で討たれるのはおかしいじゃないの!」


 彼らにまったく罪がないとは言えない。けれど、それでは臭いものに蓋をするだけだ。


「それじゃ意味がないんだろう。――――禍々しき『鬼』を討ってこそ、朝廷の威厳を示せる。まかねの採れるこの山を掌握する大義も成り立つ」

「そんなの……!」


 ただの山賊を「鬼」に仕立て上げ、利用する。……もう善悪の基準が判らない。


「だいたい迎え撃つって、今は怪我人ばっかりよ? そうでなくても女子供だって多いのよ!? それなのにどうやって、」

「ああ。――――温、里の皆を逃がせ。どっちにしてもここの場所は割れた。ここは捨てるしかない」

「『逃がせ』って、若は」

「だから言っただろう。おれはここで京のやつらを待ち受ける」

「なんでよ! あなただって一緒に逃げればいいじゃない!」

「それじゃ追われ続けるだけだ。……おれはここの頭目で、見た目もいちばん目立つからな」


 ふ、と穏やかとさえ言える表情で首領はわたしを見る。


「前におまえが言っただろう。下のやつらを見捨てて逃げる、それが頭のすることなのかと。……だからおれはここに残って、頭としての責務を全うする」

「! わたしは……そんなことのために言ったんじゃ……」


 語尾が掠れる。どうして今更、そんな前の話を。


 いや、と首領が緩くかぶりを振る。


「本当なら、どこそこへ逃げろ、と具体的な場所まで示せて初めて、安全に逃がしてやれたことになるんだろうな。……悪い、とてもそこまでの余裕はない」

「……若、」


「ところで、他人の心配ばかりしているが、おまえはどうするんだ。髪を黒く染め直して京に帰るか」

「………………」


 話の矛先を向けられ、わたしは一瞬押し黙った。けれどすぐに小さく笑う。


「……わたしも、話で聞くばっかりで、四兄弟とは会えずじまいのままになりそうだわ」


 しおらしく笑ってみせる。が。


「何言ってるんだ、あいつらならおまえが来た後も何度か里に出入りしてたぞ」

「え!?」


 思いがけないにも程がある首領の一言に目を剥く。


「だって誰も呼んでなかったじゃない!」

「全員一緒じゃなくてばらばらに顔見せてたからな。『四兄弟』と呼ぶのはおかしいだろう。と言うか、あの襲撃の日おまえが高を背負わせてたやつ、あれが次男」

「そうなの!?」


 じゃあ何か、ほかにもこの里で、知らないうちに声交わしてたりすれ違ったりしていた可能性があるのか。……頭が痛くなってきた。早めに思考を切り替えることにする。


「わたしは……そうね、賭けをするわ」

「賭け?」


 唐突過ぎる単語に首領が眉をひそめる。わたしは艶然と笑った。


「そう。わたしはこの髪のままここに残る。なんならいつもどおり洗濯しててもいいわよ。……それで討伐隊が来たら、自分こそが拐かされた八条第の中納言女だと訴えるの。それを信じてくれたら、わたしは彼らと一緒に京に戻るわ。信じてくれなかったら……まあ、鬼の眷属としてあなたたちと命運を共にするしかないわね」

「……無謀だろう、それは」


 殆ど結果は見えている。けれど考えを翻す気はなかった。


「そうでなければ京に戻ったってなんの意味もないもの」


 何も変わらない。また邸の片隅で一人、陰鬱な日々を送るだけだ。それではなんのために、この里を存亡の危機に晒してまでここに来たのか解らない。朱雀に突き飛ばされるくらいでは済まないだろう。


 首領はまだ何か言いたそうだったけれど、取り敢えずは「首領」として、おそらく最後になるだろう命令を下す。


「――――とにかく。動くなら早いほうがいい。持てるものを持たせて皆を逃がせ。どうせここに残しておいたって京のやつらに搾取されるだけだからな」

「…………」


 辛辣に笑う首領につかつかと歩み寄り、温は、いきなり赤髪の頭をぐしゃぐしゃと乱暴に掻き混ぜた。唐突な行動に、わたしも、当の首領も目を白黒させる。


「っな、なんっ、だ?」

「莫迦だねえ。若は確かに頭だけど、まだ若輩こどもじゃないか。一人でこの里の全部を背負うつもりか? ……もう少し、年長者おとなを頼ってみたらどうだ?」


 それになあ、と間延びした声で続ける。


「そもそもここは、ほかに行き場がないようなやつらの集まりだからさあ。確かに、ただ漠然と『逃げろ』って言われても、どうしようもないんだよなあ」

「……だから、それは、」

「若輩だけど若は頭だ。……若が『迎え撃て』と言えば、俺たちは従うぞ?」

「………………」


 笑いかける温に、首領は幼くさえ見える戸惑いの表情を晒す。やがて。


「――――命が惜しくないやつらはおれと残ってひと暴れしてやれ。そうでないやつは先に逃げろ。……おれは頭失格だ。どっちを選んでも安全の保障はしてやれない」

「……それでもあなたが頭なのよ。頭を失ったら、みんなどうすればいいのよ」

「勿論、易々と殺される気はない。何しろ『鬼』だからな」


 首領は痛烈な皮肉を口端に滲ませる。わたしは堪らず叫んだ。


「…………だってわたしは、まだあなたの名前も知らないのよ!?」


 場違いにも聞こえる台詞に、首領も温も、虚を衝かれたような表情になる。


「わたしだって、わたしの名前、あなたたちに言ってない……」

「…………」


 戸惑ったような沈黙が再び満ちた。さすがの温も、「なんだ知らなかったのか? 若の名前はなあ……」などと言い出さない。


「…………、」

「言わないで。聞かない」


 躊躇いがちに口を開きかけた首領をぴしゃりと押しとどめる。瞬いた男二人に、敢えて居丈高に言ってやった。


「今は聞かない。……みんなで無事に逃げ延びたあとで、聞かせて」


 絶望を押し殺して、できるだけ昂然と笑ってみせる。温が愉快そうに言った。


「案外姫さんも人の上に立つ素質があるかもなあ。……始まる前から負けたような顔するもんじゃないぞう、若」


 その一言に、名前も知らない首領も、不敵な笑みを浮かべた。


「――――わかった。そのとき、おまえの名前も聞こう」


 どこまで叶うかも判らない話を、努めて軽く明るく交わし合う。


 歴史は勝者が語るもの。だから鬼神たちはここで潰える。


 けれども――――奇人たちは、もしかして。もしかしたら。


 それでも今は、遠からず起こるだろう惨劇を里全体に報せるため、首領は館を出て行こうとする。途端に長押の段差で足首を捻り、転びかけて柱に縋りついた。一部始終見ていた温が大きく溜息をつく。わたしもつい、笑ってしまった。


「若ってさあ、なんて言うか、本っ当、こう……」

「……っ、ふふ、あは、あははははははっ」

「うるっさい! おまえも! 笑いすぎだ!!」


 それ二回目じゃない、と思ったら余計、笑いがとまらなかった。首領は顔から火が出そうな勢いで喚いたけれど、声をあげて笑うことは気持ちがよかった。……京でこんなふうに笑うことはなかった。


 あの夜、自分から拐かされてきたことを、いつか後悔するときが来るのかもしれない。けれどあのとき、自ら腕を伸ばさなければ、やっぱり今頃後悔していた。


 だから、――――これで、よかったのだ。

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