元くまいわく

「……とりあえず、こんな感じでいい、かな?」

 裁縫道具を仕舞ったシュシュが、よいしょと立ち上がる。ふむ、と彼女の前に居た青年が自身を見下ろす。

 裾が足りない簡素なズボンを履き、先程まで彼自身だった熊の毛皮を簡単に縫い合わせた羽織が上半身にかけられている。とても上等とは言えないが、間違いなく何も身に着けていないよりは遥かにマシであった。

「ありがとう、シュシュ。きちんとした衣に袖を通したのは随分と久しぶりで、自分が人間に戻ったのを改めて実感するよ」

 青年の穏やかな笑みに、シュシュもふふふと微笑む。一方、アルテはというと。

「終わったぁ……?」

 まるで威嚇する一歩前の猫のようにひどく険しい顔で木の陰から様子を伺っていた。

「終わったよ〜」

 飼い主が猫を抱き上げるように、シュシュがほらと姉の手を引いて青年の前に連れて行く。大人しく連れてこられた彼女はおっかなびっくりと顔を上げ、青年がきちんと服を着ているのを確認し、ようやく安堵の溜息をついた。

「良かった……」

「ね。お父さんのズボンがなんとか入って良かったぁ」

「うん、まあ、本当に良かった……」

 曖昧に言いつつ視線を彷徨わせるアルテに、青年とシュシュは一緒に首を傾げた。

「そんなにルイの裸にビックリしたの?」

「うっ思い出させないで……」

 顔をしかめて頭の中に蘇った青年のありのままの姿を振り払うように首を振ると、シュシュがますます不思議そうな顔をしたので、アルテは呻くように妹に問いかける。

「逆になんでシュシュはそんなに平然としてるの……?」

「え……ルイ、だから……?」

「そんな『考えもしなかった』みたいな……」

「だって実際考えてなかったもん」

 幼子のようにキョトンとしている妹に、アルテは更に大きな溜息を吐き出した。きっと何を尋ねてもこの調子で返ってくるだろう。

 諦めて青年に視線を移す。いつの間にか切り株に座った青年は、ふたりの話が一段落するのを待っているのだろう。姉妹の方を向いたまま大人しく黙っていた。


 ――改めて見ると、不思議な人。


 姉妹のどちらともなくそう考えた。彼女たちにとって青年は見たことがない種類の人間だった。

 まず、とても体格が良い。流石に熊ほどではないが上背があり、座って長い足を折りたたんでいても、顔が姉妹のみぞおちに届きそうなほどだ。

 更に彼を大きく見せるのが、その逞しい体付きだ。毛皮を着てなお隠れきれない彼の体は、姉妹が見たこともないほどの張りがある。

 また、青年はとても凛々しく端正な顔付きをしていた。特に彫りの深い顔を更に際立たせるきりり・・・とした眉は、彼の精悍さを、意思の強さを伺わせる。

 瞳は深い青色をしていて、まるで彫像を飾る宝石のよう。

 全て、田畑を耕す近隣の村人には無いものだった。

 もし、青年を表す言葉があるとすれば。

「御伽噺に出てくる王子様みたい……」

 シュシュの口から無意識に零れた言葉に青年がぴくりと眉を動かしたので、姉妹は揃って首を傾げた。青年はすぐに答えず、目を伏せて逡巡している様子だった。

 もしかして本当にどこかの領主の息子なのかしら、と姉妹はちらりと視線を交わす。彼女たちは自分たちの村を含めたくにの統治者について、話は聞いても会ったことすらなかったので顔も知らなかった。ましてやその子供など、聞いたことすらない。

 この人がそうなのだろうかと、束の間視線だけで曖昧な会話をしていると、ややあって青年が顔を上げた。聞いてほしいことがあると改まって告げるその視線は強く真っすぐで、アルテは僅かにたじろぎ、シュシュは不思議そうな顔を返す。

「私の正体について」

 彼のとても真剣な声色に、姉妹は無意識に姿勢を正した。揃ってこくりと頷き、青年に続きを促す。

 青年は、また一度目を閉じて深呼吸すると、嘘偽りのない真っ直ぐな目で姉妹を見て、こう告げた。


「私の本当の名前はルートヴィッヒ。現フィロウセン王国の第二王子だ」


 しぃん。

 沈黙が三人の間に落ちる。

 身分の高い人なのではないか、と考えていたけれど、まさか全ての邦を統治するほどの身分だとは露とも思ってなかった姉妹は、驚きのあまり言葉が見つからなかった。彼女らの表情といったら、アルテは聞き間違いを疑って怪訝な顔をし、シュシュは純粋に驚いたと目と口を丸くしている。

 青年はそんな彼女たちをじっと見つめ、言葉を待った。


「本当?」


 永遠に続きそうな沈黙を、最初に破ったのはシュシュだった。おそるおそる――というよりも実感の無いものを確かめるようにふわふわとした問いで、もしかしたらこれは本当に夢なのかもしれないとも頭のどこかでぼんやりと考えている。

 アルテは、今が現実であると実感するためか、無意識に体をシュシュに寄せた。妹の存在に安堵し、彼女ほどではないにしろ似たような眼差しを青年に向けて返事を待った。

 ふたりの疑問を受け止めた青年は、揺るぎない視線で言葉で「ああ」と頷き返した。

 姉妹はきゅっと互いの手を握り合う。

 ――本当に王子様なんだ、でもどうしてこんな田舎に居るんだろう、何があったのかな?

 など、聞きたいことが山ほどあって、戸惑い、話し出せない様子のふたりに、青年は「順に話すのでひとまず座ってくれ」と、落ち着いた声音で続ける。


「とはいえ、どこから話したものか……」

 目の前にちょこんと座ったふたりに、青年は言葉を探しながら話し始める。

「その、ふたりが父上……現フィロウセン国王のことをどれくらい知っているかわからないが、噂くらいは聞いたことがあるかもしれない。陛下は漁色家である、と」

 たどたどしく吐き出された言葉は、姉妹にとって予想だにしないものだった。思わず青年の顔をまじまじと見つめてしまう。

 彼は口調こそ静かであったが、眉間には深い皺が刻まれ、瞳に苦々しさを滲ませていた。身内の恥を晒すことへの葛藤を感じて、姉妹はかすかに頷くだけで肯定も否定もせず彼に話の続きを促す。

「根も葉もない噂であればよかったが、陛下は実際に多くの愛人や妾を囲っている。子も、認知しているだけで数人。私が把握すらしていないきょうだいもまだ沢山居るだろう」

 半ば吐き捨てるように言う青年とあまりに想像の埒外にある話に、姉妹は言葉もなくただただ聞いている。

「それだけ子が多いと、どうしても後継者問題や権力争いが発生する。特に我がフィロウセンでは血の正統性よりも実力を優先するせいか、少しでも良い地位を求める争いは激しくてな」

 皮肉げに言う青年の瞳に光は無く、どこか遠くを見ていた。その視線の先にこれまでの争いの影を感じて、シュシュは無言のまま彼の隣に座り直し、アル、テも続いた。青年は視線を彼女たちに戻すと、かすかに表情を緩めた。

「私が小人から熊になる呪いを受けたのも、私をそれらの争いから蹴落とそうとする誰かからの差し金だった。残念ながら黒幕が誰かまではわからなかったけどな」

 姉妹の脳裏に先程の小人が思い返される。彼は最期の最後まで自分本位で、ただただ保身の言葉しか叫んでいなかった。

「……あれ?」

 アルテが怪訝そうに首を傾げる。

「そういえば、アイツが何か告白するよりも先に殴り飛ばしてたわね? どうして? もしかしてあたし達が居合わせてしまったから……?」

 邪魔をしてしまったのだろうかと身を縮こませるアルテに、青年は眉を八の字にして苦笑した。

「いや、その。ヤツがふたりに対してあまりにも汚く無礼な言葉を使うから頭に血が上ってしまってな。気が付いたときには全力で殴り飛ばしてたんだ。人間だったら殺さずに済んだかもしれないが、なにせ熊だったからな。完全な致命傷になってしまった。結果的に呪いは解けたとは言え、私もまだまだだな」

 だからふたりは悪くない、と言外に含ませながら青年は照れくさそうに頬を掻く。彼の気遣いに、アルテは小さく安堵のため息をついて、強張った体を緩めた。

「ふふ、一国の王子が一介の村娘であるあたし達の為に怒るなんて、ちょっと意外かも。冬の暮らしをよっぽど気に入ったのかしら」

 誤魔化すようにからかうアルテに、青年はしかし表情を引き締めて頷くので、彼女は虚を突かれてぽかんとしてしまった。姉の後を引き継いで、シュシュが「そうなの?」と問い返す。青年はそっと目を伏せた。

「……正直なところ、熊にされたとき私は安堵していたんだ。早く戻らねばと焦る一方で『これで権力争いから逃げられる』と。きっと私は、自分で考えていた以上に疲れていたんだろうな」


 王宮に居ることに。王子であることに。


 当時を思い出したのか、青年の顔に疲れた色が浮かんだ。心配したシュシュがそっと彼の手に自分の両手を添える。彼女の手の温もりに、青年はハッと顔を上げて「大丈夫だ」と穏やかな笑顔を浮かべる。

「戻ることもそのままで居ることも選べず、なく彷徨い歩くうちに冬が来てしまった。結局、慣れない寒さに凍えるあまり思わずふたりの家を訪ねてしまったというワケだ」

 情けないよなと笑う姿はどこか楽し気で、当時を思い返す瞳はキラキラと輝いてた。

「ロズレィ家での暮らしはあたたかく優しくて、決して不足が無いとは言えない代わりに家族の愛に満ちていて。何もかもが私の知らない世界で、新鮮で許されるのならずっと共に暮らしたいと願うほどに居心地が良かった」

 でも、と彼は続ける。

「シュシュとアルテ、君たちふたりがお互いを想い合う姿を見ているうちに、だんだん自分のきょうだいや境遇から目を背けてることができなくなった。あの時も言ったが羨ましく、情けなくなってしまったんだ。後悔ばかり浮かんだ。だから」

 青年の視線がはっきりとシュシュを捉える。

「あの時シュシュに『まだ間に合う』と言われて、とても嬉しかったんだ。暗かった目の前が急に開けたようで、私は家族に向き合うための勇気をもらったんだよ」

 青年の顔に、少年のように純朴な笑顔が広がった。太陽のように輝くその笑顔に、シュシュは眩しそうに目を細めてほほ笑んだ。

「それじゃあ、ルイはあの日言ってた通り、きょうだいと話し合ったんだね」

 きっと上手くいったんだねと自分のことのように喜ぶシュシュに、青年は気まずそうに首を振った。

「それはまだ」

「ええ!?」

「なんで!?」

 青年の告白に双子は同時に声を上げた。青年は呆れたように声を上げて笑う。

「なんでも何も熊のままだったんだ。流石に王宮どころか王都、いや、ただの人里さえ普通は駄目だろう? 行ったところで話を聞くどころか討たれるのが関の山だ。だからまずは呪いを解くことに専念したんだよ。なかなか聞き込みも難しくて想像以上に時間が掛かってしまったが、結果はこの通り」

 と、自分自身を指す青年の姿は紛れもなく人間だ。

 シュシュとアルテは思わず顔を見合わせて、それから改めて彼が元に戻れたことを喜んだ。

「うん、やったねルイ!」

「一歩前進!」

「はははっ! ふたりともありがとう。何度も言うようだが、とても感謝している」

 朗らかな笑顔に、アルテは悪戯っぽく返す。

「そうやって何度もお礼を言うところ、本当に熊のときから変わらないわね」

「ね、とってもルイらしい!」

 きゃっきゃとはしゃぐ姉妹を、ルイは目を細めて眺めた。そうしてしばらくふたりを見守った後、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「これから私は王都へ戻る。たとえ辛くても、私は私の家族に向き合うよ」

 その顔はとても晴れやかで、どんな苦しみも乗り越えられそうな笑顔だった。

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白雪姫と旅人の熊 牧瀬実那 @sorazono

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