騒乱
結局、シュシュとアルテは小人を「木から降りられなくなった猫に引っかかれたようなもの」だと考えることにした。
「
「うん。貴重な体験だったのかも」
そう笑いあって忘れようとした三日後。
「……」
「……」
「何をぼさっとしてる! 見世物じゃないんだ、とっととどうにかせい!」
魚獲りに川へやってきた双子は、再び小人と遭遇した。しかも小人は、またしても髭が何かに絡まってもがいている。
「えぇ……」
二度目ともなれば、さすがに双子も呆れ顔になってしまい、それを見咎めた小人が逆上して怒鳴り散らし始めた。
あまりの罵詈雑言にアルテは顔をしかめ、両手で耳をふさぎながら妹を見て首を振る。
「ほっとこ」
「いいのかなぁ」
「いいのよ、前にあんな恩を仇で返されるようなことをしたんだから。痛い目を見ればいいんだわ」
「でも……」
ふん、と冷たくそっぱを向いたアルテと反対に、シュシュは困惑しながらちらりと小人を伺う。
相変わらず暴言を吐きながら暴れ回っている小人だが、だんだんと岸から川へと引きずられているように見える。
よくよく見ると、どうやら釣糸が髭に絡まっており、更に糸の先の釣針には魚が食いついているらしく、ピンと張った糸が右へ左へと縦横無尽に動き回っていた。小人は両足を踏ん張って耐えているが、川に落ちるのも時間の問題といった様子だ。
「や、やっぱりかわいそうだよ、お姉ちゃん」
シュシュがきゅっと腕を掴んだので、アルテも渋々両手を下ろして小人を見やる。
「もう……仕方ないなぁ」
シュシュの声音に負けたアルテは、しかめっ面をしつつ妹と手を繋いで小人に近付いた。
「遅いぞこのうすらトンカチ! 間抜け! とんま!!」
近付いてよりはっきり聞こえるようになった罵声に更に眉間の皺を深めながら、アルテは手を伸ばして小人の腰を掴んだ。姉が小人を落ちないように支えてる間に、シュシュは髭に手を伸ばして糸を外そうと試みる。
けれど、もじゃもじゃとした小人の髭に、糸は想像以上に複雑に絡み合っていて、ちょっとやそっとでは外せそうにない。
そうこうしてる内に、焦れてきた魚が大きく動いたので、「うわ」と叫ぶアルテごと小人が川へ引きずり込まれそうになった。
「お姉ちゃん!」
シュシュはとっさに前と同じようにポケットから鋏を取り出し、ばつんと小人の髭を切り落とした。
「ぐえっ」
魚から解放された反動で、アルテごと小人は後ろにどたーんと倒れ込んだ。慌ててシュシュがふたりを助け起こそうとし
「この……大馬鹿者が!!!」
勢いよく飛び起きた小人に危うく頭突きされる羽目になった。「ぎゅむぅ」と下敷きになっていたアルテが衝撃で呻くのにもかまわず、小人は更に声を荒げる。
「何故髭をばっさり切った!? 先だけで良かっただろう! いやそもそも髭ではなく糸を切るべきだった! お陰で儂は髭も魚も失ったわ! こんな惨めな有様にしおって! とんだ間抜けどもめ! もし仲間に嘲られでもしたら、お前らを叩き殺してやるからな!」
ぶんぶんと拳を振り回して暴れる小人を、アルテはえいと突き飛ばした。
「いい加減人の上で暴れるのはやめて! そもそもひとりじゃどうにもできなかったのになんなの!? 助けてもらったんだからお礼のひとつでも言いなさいよ!」
「ああ?! ぎゃんぎゃんぎゃんぎゃん騒ぐしか能の無い雌犬が! 引っ張り上げることもできない貧弱に言う礼など無いわ!」
「アンタね……!」
飛び掛からんばかりに怒りを顕わにするアルテを、反射的にシュシュが抑える。
「シュシュ!」
「お姉ちゃん落ち着いて! 危ないよ!」
「でも!」
ふたりがバタバタしてるのを尻目に小人はひょいと袋を担ぐと、けっと唾を吐いてあっという間に走り去っていった。
残されたふたりはしばらく黙り込んだあと、どちらともなく黙々と魚を獲り始めた。
カラスが鳴き始め、用意した籠がそこそこ魚で満たされた頃、シュシュがひどく落ち込んだ声で「ごめんなさい」と謝った。
「何が?」
首を傾げる姉に、シュシュは俯いたまま続ける。
「わたしのせいで、お姉ちゃんが酷い目にあったのに、止めたりして……」
「別に、気にしてないよ」
籠を持ち上げながらアルテはなんてことないという調子で言う。でも、となお言い募ろうとする妹に、やれやれという顔をすると、アルテは片腕を彼女の背に回した。
「むしろ止めてくれてありがとう。あのまま喧嘩になっても、勝てるとは限らなかったし」
何か凶器とか持ち出されたかも、と冗談めかして笑う。
「まあ、さすがにシュシュも懲りたでしょ? もしあの小人がまた困ってても放っておく。怪我しそうだもの。いいわね?」
「うん」
「よし、じゃあ家に戻ろ!」
こくこくと頷くシュシュに、にこっと笑うと晴れやかな声で言った。そして、いててと腹部を押さえる。
「思ったより重かったなぁ、アイツ……」
「だ、大丈夫、お姉ちゃん? 籠持つよ」
「ん、ありがと」
そうして双子は夕焼けに照らされながら家路に着くのだった。
「……って、約束したのになぁ」
数日後、アルテは村に続く道の端でひとやすみしながら疲れた顔でため息をついた。頭上では木々がさわさわと風に揺られている。
その隣には困り顔のシュシュ、そして目の前にはまたもや怒鳴り散らす小人が居た。
「ごめん、お姉ちゃん……」
「気にしないで。今回はあたしも咄嗟に動いちゃったし」
苦笑するアルテに、シュシュは少し顔を明るくした。
ふたりともすっかり小人の暴言に慣れたのか、どこ吹く風とばかりに小人を無視しながら話を続けている。
「まさか今度は空に連れて行かれそうになってる、なんてねぇ」
「鋏持ってて良かったかも」
「危ないからポケットに入れっぱなしはやめなさいって注意してたけど、こんな形で役に立つとはねぇ」
「なんというか、怪我の功名?」
「ふふ、針と糸も持ってたら最高だったかもね」
「あはは、帰り道ならあったんだけどねぇ」
「何を!!笑って!!やがる!!!」
怒声に、ふたりは揃って冷めた目を小人に向けた。小人は、シュシュによって大胆に切られた上着――正確には上着だった布を振り回しながら怒り続ける。
「この! 儂の素敵な上着を! こんな!」
小人がべろりと広げたそれは、無残にもビリビリに破けていた。
「それについては申し訳ないけど……」
「でも鷲のご飯になるよりはマシかなって」
「ぐぬぬぅ……」
小人が悔しそうに地団駄を踏む。
双子は母親におつかいを頼まれて村に行く最中だった。珍しく鷲が低い位置を飛んでるね、と話していると話した次の瞬間、鷲はさっと降りてきたと思えば、甲高い悲鳴が上がった。
見れば、獲物を捕らえた鷲が飛び立つところだった。獲物は人の形をしており、一瞬子供が連れ去られると思ったシュシュとアルテは反射的にひっつかみ、それからそれがあの小人だと気が付いた。
どうするか迷ったものの、一度掴んでしまったものは仕方がないとふたりは鷲からなんとか取り返そうと引っ張ってみた。けれど、思いのほか鷲の力が強くて埒が明かなかったので、やむなくシュシュが鋏で上着に切り込みを入れた。鷲が掴んでいたのが小人の上着だけだったので、切り込みを起点に上着が裂けると、自然と小人は鷲から解放された。
鷲はしつこく辺りをウロウロしていたものの、やがて諦めがついたのか三人をひと睨みして飛び去って行った。
今度ばかりは死の恐怖を感じたのか、小人は青ざめた顔をしてしばらく茫然としていたが、だんだん落ち着いてくると同時に罵り始めたので、呆れ果てた双子は疲れたからとひとやすみすることにした、というのがここまでの経緯だった。
「とにかく! 二度と鋏を使うな!」
そう叫ぶと小人は袋を担いで森の方へ走り去っていった。
「じゃあ、あたしたちもそろそろ街に行こっか」
「うん、日暮れまでには帰らないとねぇ」
そう、双子が立ち上がったとき、森から「ぎゃーっ」とまたしても聞き覚えのある悲鳴が響き渡った。双子は顔を見合わせると、悲鳴がした方へ駆け出した。
果たして、森の中、洞窟のすぐ傍で小人は大きな熊に前足で押さえつけられていた。熊は気が立っているらしく、一頭分以上離れた位置に居るシュシュとアルテにも「ふしゅー、ふしゅー」という熊の荒い息遣いが聞こえる。
双子は身を固くし、互いに身を寄せ合った。太刀打ちできないのは明らかで、ふたりは息をひそめて見守ることしかできない。
「離してくれ」「儂が悪かった」「そうだ、宝石をやろう! それで手打ちにしてくれないか」「他にも金銀財宝を渡す」「だから助けてくれぇ」など、必死に小人が命乞いをするが熊は全く聞く耳を持たない。前脚に更に力を込めたのか、骨の軋む嫌な音と小人の悲鳴が双子の耳に響き、「ひっ」とどちらともなく悲鳴を上げてしまった。熊の視線が彼女たちの方に向く。
熊がふたりの姿に動揺して押さえる力が弱まったのか、小人がひぃひぃ言いながら熊の前脚から抜け出そうとした。すんでのところで小人に向き直った熊がもう一度押さえ直す。
「お、お前たち! 何をぼーっと見てる!」
双子に気付いた小人が叫び始める。ふたりはビクッと体を震わせたが、足が竦んでその場から動けずにいた。なおも小人は叫び続ける。
「さっさと儂を助けんか! くそ! いつもいつも役立たずな馬鹿共め! お前らこそこの獣に食われるべきだ! うすのろ! 愚図! とんま! 腐れ麦! この……」
叫び声は途中でかき消えた。熊が吠えたかと思うと、小人を掴んで上に放り投げたのだ。宙に浮いた小人を、立ち上がった熊が前足で正確に殴り飛ばす。小人はくしゃくしゃになって遠い繁みの向こうに落ちた。
熊はふーふーと息をすると、ぐるりと双子の方を向く。シュシュを庇うように、アルテはシュシュの前に立った。
「……シュシュ、熊から目を逸らさないでゆっくり後ろに下がって」
「お、お姉ちゃん、でも……」
「あたしが熊の気を引くから、その隙に逃げるのよ」
「待って、そうじゃなくて……」
「シュシュ、アルテ」
ふたりの間に、もうひとりの声が割り込む。彼女たちにとって、この冬一番聞き慣れた声。その声は目の前の熊から発せられたようで、我が目を疑うかのようにアルテは再度熊を見た。
と、熊は急にばさりと前倒しに倒れた。
正確には、背を割るように、するりと熊の
「……は?」
「ルイ!!」
突然の事態に開いた口が塞がらないアルテをよそに、シュシュはすぐさま駆け寄ると青年に抱き着いた。
「やっぱりルイだった! 気のせいじゃなかった!」
「シュシュ……」
「おかえりなさい!」
「……ああ、ただいま」
青年は柔らかな笑みを浮かべると、シュシュを抱きしめ返した。
一方。
熊に殴り飛ばされた小人。熊の中から突然現れた全裸の青年。しかも色々大きい。に、躊躇いなく抱き着く妹。
いっぺんに奇妙な状況を叩きこまれたアルテは、混乱してしばし呆然とし。
「服を着なさい!」
と叫ぶのだった。
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