歴史ってスケールのでかいタイムラインだよね

脳幹 まこと

歴史ってスケールのでかいタイムラインだよね


 夏目漱石先生。あなたは紛れもなく不動の地位にあり、日本人がいる限りはずっと存在を覚えられるのでしょうね。

 坊ちゃん、吾輩は猫である、こころ、明暗、三四郎、それから。


 ほら、実際読んでないのが過半数なのに、作品名だって言える。ちょっと前までお札にもなってたし。

 学校教育があるなら、国語があるはずで、そうなったら登場させないわけにもいかないし。そうやって時代を問わず日本国民の頭に「文豪」としてイメージが注入されていく。


 太宰治先生も、芥川龍之介先生もきっと不動でしょうね。そもそも賞の名前になってるし。同じ理由でアルフレッド・ノーベル先生もまた、ずっと残るでしょう。

 ノーベル賞の授賞者が覚えられなくても、ノーベル先生の名前は残るのです。


 先生方は、もう殿堂入りしているんだ。



 殿堂入り。

 現代の私はきっとかすりもしない。

 本が出ようが、アニメ化されようが、映画化されようが、おそらく残ることはない。

 カクヨム(別に投稿さえ出来ればどこでもいいんだけれど)に小説やレビューを投稿すると、それが新着に乗る。タイムラインに乗る。

 評価がつかないなら数分から十数分で消える。評価がついても三日くらいで消える。


 仮に入賞したところで、それはより大きな規模でのタイムラインに乗るだけだ。「期待の新人」としての期間。

 それが過ぎたら、パッと画面から消える。

 そうならないように、早く次の作品を書いて同じタイムラインに乗らなくちゃいけない。体育テストのシャトルランみたいだ。

 ずっと続ける。死ぬまで続ける。


 これは別に小説に限った話じゃない。

 その証拠にM-1の初代優勝者をもう忘れている。徳川初代将軍は言えるのに。


 世界は無尽蔵に情報を蓄えてくれるわけではない。必ず取捨選択が行われる。

 それがタイムラインと呼ばれるものだ。人気のある、代表的・・・なコンテンツだけが残される。戦国大名といえば織田信長、みたいな。


 そういった限られた存在だけが、殿堂入りを許される。



 殿堂入り、つまり後世に残るには、語り継がれるにふさわしい見所がなければならない。


 まずは何かの創始者パイオニアになること。何かを始めて為した、または決定的に広めた人になること。

 ソクラテス先生やニュートン先生は「ソクラテス以前の哲学は~」とか「ニュートン以後の科学は~」と語られるくらいの発見を為した。

 だから教科書にも載る。大昔の人が覚えられているのは、そういうことなのだ。


 手塚治虫先生は様々なジャンルの名作漫画を描き「漫画の神様」になった。

 星新一先生はショートショートという分野でほぼ独占的な王者になった。

 お二人は教科書には載らずとも「文化」の誕生の場に立ち会っている。それ故にその文化に接するのなら、必ずお二人の名前に触れることになる。


 概ねやり尽くしてしまったが、今歴史に残るのだったら、AIのシンギュラリティを引き起こした張本人になったら、ワンチャンあるかもしれない。



 それが難しければ、印象に残ること、ミームを残すことか。

 例えば、アルバート・アインシュタイン先生は実績自体もそれは凄いものだったが、凄いだけなら、エルンスト・マッハ先生もマックス・プランク先生も同じだった。

 何がアインシュタイン先生をあれだけ有名にしたか。それは「舌を出した写真」なのだ。

 あの仕草・・が、アインシュタイン先生をはっきりとポピュラーにしたのだ。


 違う例えを出そう。「シュレディンガーの猫」だ。

 もちろん「シュレディンガー」は物理学者、エルヴィン・シュレーディンガー先生であるが、実際何で有名な人かと言われると、疑問に思われる方もいるだろう。

 物理学者なら他にもいる。だが、猫を引き合いにだしたがゆえに、シュレーディンガー先生はきっとタイムラインの片隅に残ることになる。


 例はまだある。

 スタンリー・キューブリック監督は「シャイニング」という映画を出しているが、パッケージにもなっている「男が大穴を開けたドアから狂気丸出しで覗き込む」というシーンは仮に他のすべて忘れ去られても、残り続ける。

「叫び」というインパクト大の絵がある限り、エドヴァルド・ムンク先生もまた残るように。


 この手段には欠点もあって、下手をすると悪い意味・・・・で印象に残り、殿堂入りする羽目になる。

 つまり「事件」や「首謀者」として教科書に載るということだ。



 でも、そんなことを心配することもないか。

 まず、地方大会一回戦で負けてしまっている現状があるわけで、忘れるも何も、覚えてもらっていないのだ。

 認識していない人のことを、人は好きにも嫌いにもなれない。

 認識していない人の価値を、人は計算できない。

 

 自分よりもずっと優れた人も、ずっと名誉ある人も、すべてタイムラインの定めからは逃れられない。

 殿堂入りしない限りは。



 こういった話は不毛だ。

 だって、別に、上に挙げた先生方が、最初から「殿堂入り」したくて努力してきたわけではないことくらい、分かっているからだ。

 やってきたことが結果的に「殿堂入り」になっただけ。

 また、彼らはあくまで時代、文化の代表者・・・であり、最優秀者というわけではない。

 そんなことは分かっている。


 分かっているが、止められない。

 なりたい、なりたくない、勝つ、負けるの話ではないのだと思う。

 おそらく言葉通り「次元が違う」という感覚に対する、拭い難い気持ち悪さがあるのだ。


 きっとこれからも、随所でこの感覚はやってくるだろう。

 そして毎度のこと解消しないのだろう。


 ……


 ものは試しに舌を出してみたが、先生と違って全然サマにならなかった。

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