第24話
迷宮内は時間の感覚がない。どこまで歩いても白い壁だけの世界。たまに壁に赤や泥の染みが付いている。だから休息のタイミングが難しいが、僕達だってお腹も減れば眠気も出る。疲れが限界に来たとき、誰からともなく野宿の準備を始めた。
干し肉をパンに乗せて食べた。固くて、歯が痛くなった。
火を使うような食料は持ってきていないようだ。噛み切れない肉を水で流し込む。味は美味しかった。適度に塩がかかっていた。
テラとユストゥスの力で迷宮探索は進んでいた。この二人は付き合いが長いらしい。阿吽の呼吸とでもいうのだろうか、魔物退治の際にも、息の合った討伐を見せてくれる。
女子勢と少し離れてロルフの近くで眠る。寝物語に、ぽつりぽつりと他愛もない話をする。ロルフは無口な奴だけど、一度話してくれたことが僕の印象に残っている。テラについてだ。
「テラほど関わりやすい人間はいないよ」
その口調には絶対の信頼が滲み出ていた。
「察しが付いているかもしれないけれど、僕はテラに会うまでずっと一人だった。どこへ行っても一人で、でも誰かといる方が息が詰まった。だからといって一人が好きなわけでもない。テラの側では、呼吸が出来た。漠然とした感想だけど、呼吸が出来たんだよ」
ロルフは、死ぬ順番があるならテラより僕の方が先だ、と言い切った。
「テラのことが好きなの?」
ロルフは眠たそうに笑って、
「これが好意というものなのか。呪いみたいだな」
と言って、何も喋らなくなった。寝たのだ。
大きな魔物が現れた。僕達の背丈の倍を越え、針金のような手足が無数に生えていた。おびただしい量の手足には衣服の一部や血が巻き付いたままになっている。これには太刀打ちできそうもないと一目でわかった。
「退却!」
そう叫んだのはロルフだ。でもこの迷宮内に逃げ場はない。音が響きすぎるから居所なんてすぐにバレる、魔物の方が足が速い。今まで一度も退却が成功したことは無い。ロルフは一人その針金の化け物に向かっていく。
「死ぬ気か馬鹿」
テラが言った。そのまま銃火器を構えて応戦の意思を見せた。
結果からいうと、二人の抗戦はまるで意味を成さなかった。攻撃がほとんど通らない相手を足止めすることしかできていなかった。防戦一方、相手にも疲れが見えたが先に力尽きたのはテラだった。弾薬が全て無くなった。畜生、という囁きを聞くや否や、怪物は彼女に襲いかかっていく。
ロルフがその間に飛び出した。ロルフは怪物の手足に持ち上げられ、頭の上にある赤い口に運ばれていった。慈悲は無い。
この時テラが初めて動揺した。悲鳴を上げて、何か僕の知らない罵り言葉を叫んだ。
テラの服の下に最後の爆薬があった。起爆したらテラもただでは済まないだろう位置にあって、まさか本当に起爆するだなんて思わなかった。威力は絶大で、巨大な魔物は半分が吹き飛び、動かなくなる。代わりにテラも胴体が吹き飛んだ。
「もう駄目だぁ」
まだ喋るテラに、ありがとうと一言かける。
「寂しくはないの?」
なぜこんな言葉が出てきたのか、僕にはよくわからない。だけど口から漏れ出ていた。
「そんなの言ってもどうしようもねーだろー」
テラは少し笑っているようにも見えた。静かに目を閉じる。僕とマルタだけがその場に残り、魔物は砂となって消えた。
何もせずに見ていることしか出来なかった。ここからは魔物に対抗する術を持つ者はいない。
「よくここまで来れたね」
マルタが感情のない声で言う。
「音がよく響くから。足音を辿って」
憔悴した様子のユストゥスが合流した。ここまで一人でよく来れた、と思った。でも一人の方が身軽でいいかもしれない。いや、魔物は大体足が速いから、運がいいだけかもしれない。それかユストゥスも魔物と対抗できる手段を何かもっているのか、と僕は思ったけど、すぐにそうではないとわかった。
「帰ろう、マルタ。いるんだよね?」
彼は乱れた髪をかき上げている。マルタが彼の元に戻ってしまう、と僕は少し残念に思った。
「もうテラもロルフもいないなら、後はもう魔物に無抵抗で食われるしかできない。ここは危険だから、城で一緒に暮らそう。何も変わらず」
「それは無理だよ。迷宮から出てくる魔物を食い止めていたテラがもういないもの」
僕が口を挟むと、ユストゥスは眉尻をつり上げて「よそ者が口を挟むな」と言った。マルタ、と強い声が言う。
「戻らないわよ」
鈴のような声が含む意志の強さに、彼はなんともいえない顔をして、ただ、傷付いているように見えた。
「帰ろう」
「女神に会うの」
「大人しく天国へ行くのを待とう」
「しつこいわ」
くぐもった悲鳴がユストゥスの口から漏れた。見ると、ユストゥスの腰に僕のナイフが刺さっていた。僕が刺したわけじゃない。僕からナイフを取って刺した、透明人間の彼女がいる。破傷風になりそうな古びたナイフは、上手く刺さらなかったようで、カランと音を立ててナイフは落ちた。
「僕はもう要らないの……」
彼は伏し目がちになると睫毛の影が目にかかる。
「段々鬱陶しくなってたの」
ナイフが宙に浮いてユストゥスの手元に収まった。 ユストゥスはおもむろにナイフを掴み、泣きそうな顔でナイフを自身の首に突き刺した。錆びていて上手く刺さらない。何度も何度も、壁に体を叩きつけるようにして僕のナイフを首に刺していた。祈るように、何度も、何度も。
やがてうつろな目でその場に座り込んだ彼は、ナイフを取り落とした。血の匂いがする。この匂いに魔物が集まってくるだろう。長居は出来ない。
「マルタ、さよなら……」
息も絶え絶えなユストゥスがそう言う。僕達は彼に一言かける言葉も持たず、その場を後にした。
ユストゥスの衝撃的な最期に、僕達は言葉も無く歩いた。マルタは気にしていないのかもしれないけど。
視線を地面に落として歩いていたら、突然地面がバッカンと無くなって僕達二人は底に落ちてしまった。そこは暗くて、上からの光が僅かにある。
落ちたときに腰を打った。暗さに目が慣れてきてから、目の前にぼーっと浮かび上がる白い、女神像。
暗くて何も無い中に不気味に女神像が鎮座している。僕達は驚き、ここが目指していた女神の元なのか、と怖々と像に近付いた。
「よくここまで辿り着きましたね」
心が温かくなるような優しい声がした。泣き出しそうになりながら、これは女神様の声なのだと確信した。
「よく頑張りましたね。願いを一つ叶えてあげましょう」
僕は妹を探しているんだ。妹に会いたい!
そう口にしようとした矢先、隣から声がした。
「もっと不幸を! 全ての人に!」
「いいでしょう。……あなたは?」
僕は女神に縋って泣きたかった。
「本物の僕の妹を、ここに」
果たして僕の願いは叶えられた。白い女神像が消えたと思ったら。目の前にきょとんとした大人の女性が現れる。おしゃれに巻かれた茶髪、そうか君は大人になれたんだね。僕のことを覚えているのかな。
悲鳴を上げる妹を抱きしめて泣く。暗い穴の底に、マルタの高笑いだけがずっとこだましていた。
黒い塔 日暮マルタ @higurecosmos
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