第23話

 悲鳴が止んだ頃、静かな足音だけが僕についてきた。不思議な感覚だ。振り返っても誰もいないのだが、確かにそこにいるということを知っている。

 このマルタは体が無いのに死ぬことがあるんだろうか。ユストゥスが触れていたということは、触れられるということはつまり死ぬこともあるのか。血は出るのか? 謎が多い少女だ。

「なんて名前だったっけ、あなた、そう、レネ。村を燃やしたのはレネ?」

 違う、と答えた。燃やした奴はさっき死んだと。

「なぁんだ、レネかと思った。そしたらもっと素敵だったのに」

 鈴のように綺麗な声が言う。どこか蠱惑的で、この子の興味の対象になれなかったことを残念に思った。そんな風に思う自分に気付き、目を見張る。

 僕は同行する誰かがいれば……誰でもいいのか? 一度はそうも思った。しかしそれだけではない。マルタにはどこか危ない魅力があって、それは言葉では言い表せない。

 話していると、気を惹きたくなる。彼女の気に入る言動をしたいと思う。不思議な魔力に浮かされた僕は、抗いがたい衝動に駆られて、村での出来事を話していた。きっと彼女の気に入るだろうと思うと、辛かった囚人生活も誇らしくすらあった。

 案の定マルタは花開くような笑い声を(魔物に気付かれない程度に抑えて)漏らしてくれた。

「酷い目に遭ったのね。でも自業自得! あなたって最低! わかってるんでしょう? まともな人間のすることじゃないもの。酷い人」

 彼女の言葉の一つ一つが甘美なものに思えた。なぜだろう。ユストゥスが心酔するのもわかる気がした。

「最後にこれ、貰ったんだ。随分錆びてるけど、大事な物」

 マルタにあの時餞別として貰った錆びたナイフを見せびらかした。戦利品のような物だ。僕はこれを気に入っている。

「錆びすぎて、使うのは難しそうね」

 僕の錆びたナイフを握る手に、暖かい少女の手が触れた。血の通った人間の手だ。僕はそう感じた。マルタの姿は見えないが、花のような香りがした。胸が高鳴る。これは何だ? こんなのはおかしい。

「マルタ、君はどうして姿が見えないの」

 姿さえ見えれば、もっと君に近付くことが出来るのに。おかしい、こんな感情は変だ。これじゃあまるで、まるで恋でもしたかのようじゃないか。

 マルタは硬質な声で言った。

「私はいないも同然だったのよ。とても酷いことがあったの。聞かないで」

 マルタのことをもっと知りたいと思ったけど、踏み込んで嫌われるのが怖い。僕は鼓動を抱えながら迷宮を歩いた。狭い道に入って、角が多かった。

 

「待たせたな!」

 不意に小声の少女の声がした。ここは音がとてもよく響くから、魔物を呼ばないように小声なのだと思う。振り返るとそこにはテラと、静かにたたずむロルフがいた。

 よく合流できたね、と感心した。そのまま言葉になって出た。

「だってここめちゃくちゃ音響くぜ、足音とか辿れる。後からユストゥスも来るだろ。今上で死んでる」

 テラは男の子みたいな喋り方をする。ロルフは少し伸びた髪を邪魔そうによけていた。

「心強い仲間が来たじゃない」

 マルタが言った。テラとロルフは魔物に対する対抗力を持っているようで、二人とも目一杯武装していた。それから、水と食料も持ち込んでいる。これなら女神の元へ辿り着くことが出来るかもしれない。

「皆で女神の所に行って、願いを叶えてもらおうね」

 テラの年相応の笑顔に、心がようやく落ち着いた。正直、ずっとマルタと二人だったら困ってしまっただろう。気が変になりそうだった。

「女神の場所、わかる?」

 ロルフが言う。見当も付かない、と言うと、迷宮の攻略法といえばこれしかないと彼は笑った。右手法。右手を壁につけたまま歩いていくといいらしい。本当はどうかはともかく、何の方針も持たない僕達はその通りに歩くことになった。

「皆で、女神の所に行って」

 そう、願いを叶えて貰うんだよ。

 マルタが呟いた言葉。テラとロルフは、アンネがここにいないことに一度も触れなかった。

 

 そこから迷宮の旅は順調に進んだ。というのもテラとロルフが強かったからだ。少しずつ会話をする余裕もあった。会話をしないと、白い壁の中を歩くのは辛かった。

 僕は前から気になっていたことがある。城の人達はなぜ村に行かずに四人だけで城に留まっていたのか。

「始まりは、迷宮から這い出てくる魔物を食い止めるためだった。テラが一人で最初に城に住み始めたんだ。次に僕、次にユストゥス。マルタはいつの間にか住み着いてたよね」

「そうそう、最初ユストゥスが壁と喋り始めたって焦ったよな」

 マルタが最初に接触したのはユストゥスだったらしい。壁と喋り始めた、というのは中々衝撃的に見えただろう。

「ユストゥスが来てから、村とは折り合いが悪くなった。あいつ生前の貴族生活の態度が抜けなくてな。魔物がわき出る経緯なんて知らない村人が増えて、城を独占してるとか言われてさ。城から人を追い出してるのはユストゥスだけで、私は自分が暮らせれば誰が住んでも良かった」

「僕もね」

 テラとロルフが交互に話してくれる。主にテラが饒舌だ。てっきり僕は二人がユストゥスに従っているのかと思っていたが、そうでもないようだ。それは二人の彼に対する物言いからもわかる。親しげで、困った奴だと許容していたのだ。

 そんな経緯を聞いた僕は、城の四人の絆の深さを強く感じた。マルタもなんだかんだ親しげだ。何も喋らないが、そんな空気を心地よく思っている、そんな気配がする。

 ユストゥスが戻ってきたら、マルタの隣は奪われてしまうのかもしれない。でも、それがあるべき姿なのだとも思った。


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