第54話 物語ははじまる

 

「さあ、結果良ければ全てよし、ってね!」

 汽車に乗り込んで走り出すと、ヴィンセントが晴れやかにそう言った。

 加菜子はふと尋ねた。

「その手紙なに?」

「これ?」

 パステルカラーの便箋を加菜子が指差すと、ヴィンセントがくるっと宛名の面を見せた。幼い字で書かれた可愛らしい手紙だ。彼は笑った。

「愛情の籠ったラブレターだよ」

「愛情の籠ってないラブレターなんてある?」

 加菜子は怪訝な顔をして聞き返した。

「あるよ。代わりに呪いとか愛憎とか詰まってるの」

「うわあ」

 答えたヴィンセントの目は、かなり実感が籠っていた。

「でもこれは、今まで貰った中で、一番素直な気持ちだよ」

 彼はそう言って懐へしまった。

 

「まっ、館に戻っても当面、面倒臭い人たちにせっつかれないことが分かったから、重畳だよ」

 ヴィンセントが上機嫌に、安堵した声で言った。

 

「――そうか」

 加菜子たちの代わりに誰かが答えた。通路からコツコツと革靴の音を鳴らして誰かが近付いて来る。それは加菜子たちの前で止まった。

 加菜子が見上げると、ダークブロンドの髪を後ろに撫で付けて、いかにも規律に厳しそうな雰囲気をもつスーツの男が立った。

「それは良かったな、ヴィンセント・バーリ導士」

「げ」

 ヴィンセントが心底驚いた表情で、嫌そうな声を漏らした。

「いつまでも私が見逃してやると思うなよ」

 その男は鋭い視線でヴィンセントを睨んだ。

 

 ヴィンセントがこれ以上なく不満げな顔で言葉を投げつけた。

「たしか、魔女の村の調査委員になったんじゃなかった?」

「お前を出し抜く為なら金は惜しまん」

 男はしれっと答えた。


 これは要約すると、会いたくて来ちゃった的な発言かと加菜子は思った。

 

 しかし、顔を顰めたヴィンセントはガクッと首を落とした。

「セシリオさんさぁ、そんなだから、部下にも同僚にも嫌われるんじゃなーい?」

「お前よりはマシだ」

 ヴィンセントがこんなにはっきり嫌味をあてこすることも珍しいのだが、セシリオは全く動じていない。

 男がヴィンセントの脚を蹴り飛ばし、強引にボックス席に入って来た。

「それよりも、よくも私から直々の手紙を無視してくれたな。その上で厚かましくも行方不明者名簿を出してくれとは」

「いだっ」

 ヴィンセントが本気で痛がってもセシリオは「失礼」と思ってもない軽い謝辞で済ませるのみだった。窓際で加菜子と向かい合っていたヴィンセントを通路側へ追いやり、セシリオは加菜子を見下ろした。

「――私はセシリオ・ヘルゲイ。魔術機関“開理人”モンブソン支部執行委員だ」

 彼はそう言って加菜子へ手を差し出した。すっかり他人事と思っていた加菜子は緊張で背筋を伸ばし、彼の手袋越しにそれを握った。

「は、はい。中森加菜子です」

 セシリオは肉の薄い硬い手で加菜子のそれを握り返した。

「……そして、大導師の資格を持つ実力者だよ」

 ヴィンセントが死んだ顔で付け足す。そのヴィンセントの席を強奪し、加菜子の前に座ったセシリオは脚を組んだ。まるで初めから自分の席だったかのような顔で、またあくの強い人が現れたなと加菜子は呆気に取られた。

 

 彼はそのまま懐からメガネと手帳を取り出して、「どうぞ、始めてくれ」と加菜子を見た。

「え? あの……」

「何、聞いてないのか? 君は」

 困惑する加菜子をセシリオは眉を顰めた上目遣いで睨んだ。いや、眼光が鋭いから睨んだように見えただけかもしれない。

 よかろうと彼は加菜子に教えてやるように続けた。

「“開理人”はすべての過程を記録する為にある」

 そう言えばと、加菜子は館でヴィンセントからそんな話を聞いたと思い出した。

「空の器、渡り人、異世界人である君が、この世界へ来た経緯を隠すことなく話せ」


 鋭い眼光が加菜子を突き刺した。

 ヴィンセントはすっかりふてくされて面倒くさそうに窓の外を見ているし、フランはやっぱり興味なさげに本を開いている。

 

 加菜子はというと――


  ごめん、ごめんね。

  こんな事しか出来なくて、ごめんなさい。

  助けられなくて、ごめんなさい。

  ごめんなさい。

 

 異世界へ渡った瞬間、頭の中へ響いた少女の声を思い出していた。

 声だけの、顔も知らぬ少女なのに、どうしてか加菜子はその涙を拭ってやりたかった。もう大丈夫だと、今までありがとう、と伝えたかったのに。

 

 加菜子がこの世界で生きる意味があるとすれば、それは――

 

 加菜子は秋晴れの空を眺めながら、語り出す。

 

「――あれは、春の終わりのことでした」



 〜魔女の村、終わり〜

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魔法を失くしたこどもたち。 千代村 若明 @chiyomura

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