戀の詩(コイのウタ)

トム

戀の詩(コイのウタ)



 夜明け前に目がめる。窓から見上げる空はマジック・アワーと呼ばれる、紫にあかあお等の色が絶妙に混ざり合い、とても幻想的な色を醸し出している。




 ――そんな夜と朝の狭間の静寂しじま時間とき、脳裏に浮かぶのはあの時出逢った君の事。



 出逢いは蒼空そらの見えない雨の中、君は夜の路地裏に、傘もささずに佇んでいた。差し出した傘を振り払い、君はそのまま走り去ろうとして……折れたヒールで躓いてしまう。しゃがんで擦りむいた傷口を取り出したハンカチーフで拭いてやると、ついに君は大声で泣き始める。


 年の頃は20代前半だろうか。初老になった私にとって、君は娘のようにしか見えなかった。全ての気力を失ったのか、私のなすがままに君は付き従い、後ろをトボトボついて歩く。このままでは風邪を引くと言うと、行く宛てがないと言い、また涙を溢す君に、仕方がないとホテルへ誘った。


「……無理にとは言わないし、何もする気はない。ただホテルに行ってシャワーを浴びなさい。清潔なタオルで体を綺麗にしないといけない」


 連れて行ったのは駅前にあったビジネスホテル。入る前に受付でタオルを借り、ある程度衣服を拭かせてから、彼女一人で宿泊だとボーイに告げていると「一人にしないで欲しい」とスーツの裾を引かれてしまう。仕方なくシングルを2つ借り、彼女が落ち着き眠るまで、部屋にいるよと約束した。



「……彼と別れたんです」


 シャワー浴び、ホテルに着く前に買ったジーンズとスウェットを着た彼女は、幾らか気分も落ち着いたのか、言葉少なに身の上話をし始める。



 ――こんな人の多い都会では話。地方から駆け落ちのように出てきた二人が、知り合いの居ないこの場所で働き、居場所を創ろうと頑張った結果、男には別の女が出来て、馴染めなかった彼女が孤立し、捨てられた。……要約すればそんな話だ。


「……実家には戻らないのかい?」

「……孤児だから」


 そこまで聞いて、私は確信してしまう。


 ――あぁ、なのか。


 俯き、ポロポロ涙を流す。いじらしく、清楚にして可憐。ただ愛した彼を信じて都会に出て、純朴だった彼女だけが都会に染まれず、結果、垢抜けてしまった彼に捨てられた。




 実にありふれた話だ。まるで昔のテレビを見ているような、そんな彼女の身の上話。


「……そうか、辛かったね。今はゆっくり休みなさい。君が眠るまで私はここに居ますから」

「……あの」

「ん?」

「……い、いえ」


 私はベッドサイドにある椅子に腰掛けながら、窓を眺める。降り続く雨は止まず、その雨粒は窓に当たり、幾筋もの跡を付けては消え、また流れていく。ベッドサイドに設けられた小さなランプの明かりだけを残し、部屋のライトを消すと、彼女が潜ったベッドが揺れる。「おやすみなさい」と声をかけ、窓際に椅子を移動させるとゴソゴソとシーツが擦れる音が聞こえる。


「……来ないの?」

「あぁ、ゆっくり眠れば良い。……全て忘れてゆっくりとね」

「……」


 来ない返事を気にもせず、雨だれを眺めていると、眠らない街の明かりがチラリチラリと反射する。そのきらめきがうるさくて、目線を上に上げると、真っ暗な見えない蒼空がそこには



 すうすうと規則正しい寝息が聴こえてきた頃、おもむろに備え付けの机に向かい、メモを取って財布を開く。ゼロが4つ並んだ札をメモとともに数枚置くと、そのまま部屋を出てエレベーターに足を向けた。


「一部屋チェックアウトを頼む。この部屋の分も支払っておきたいんだが――」




 ホテルから出ると雨は既に上がっていた。日はもうすぐすれば昇るだろう。見上げた空にはまばらになった雲と、ゴールデンアワーの蒼空が見える。少しだけ肌寒さを感じ、私はそのまま始発が動き始めた駅へと向かう。





 ――君がどんな娘なのか、話を聞いていた時、違和感を感じていたよ。服装は地味なものだったが、のヒールを履き、持った鞄はだった。そんな君が男に捨てられたくらいで自暴自棄? 済まないが私はそこまでお人好しじゃない。



 そんな事を思い出し、ふっと思わず笑みが溢れてしまう。



 ――また恋でも始めてみようか。




 Fin

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戀の詩(コイのウタ) トム @tompsun50

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