時代遅れロボット

脳幹 まこと

時代遅れロボット


 M氏には十五年の付き合いとなるロボットがいる。

 機能は雑談とテーブル・ゲーム――チェス、将棋、バックギャモンといった、幾つかのゲームの対戦相手になってくれる、この二つだけだ。

 少々物足りないかもしれないが、M氏はそれが良いと思っていた。人々が仮想の身体を使って、デジタル世界への旅をするような時代になっても、こうしたアナログを嗜好する人々は少なくない。

 M氏もそのうちの一人であった。それで、わざわざ大枚をはたいて将棋で遊んでくれるロボットを購入したのだった。


 その日もM氏は「将棋をやろう」とロボットに声をかけた。ロボットは「はい」と頷いた。

 ロボットには強さの大まかな設定が出来て、M氏は「並」クラスと毎回対局している。といっても、大まかなので、時折は全然手が出せなかったり、ある時は頓死となる手を選ぶこともある。

 結果的にM氏とロボットの「並」は互角同士になっていた。


 今回はロボットの方が優勢になっていた。

 雑談ロボットの仕様かは分からないが、勝っている時は饒舌になるらしい。今日の天気のこと、近所の人達の話、ニュースの話を、次の手を考えるのに必死なM氏に向けて話しかける。

 M氏は「そうかいそうかい」と聞き流していたが、良い手が見つからず、持ち時間もないので、おそらく悪手だろう手を指した。


――このままでは負けるな。


 そう思ったM氏は、上機嫌で詰めの一手を考えるロボットに向けて、こんな話題を出した。


「そういえば、最近話題のデジタル・アイドルグループ【アムネジア】が昨日、番組に出てたんだけど、見たかい?」

「【アムネジア】? そのようなグループは聞いたことがありません」

「いや、いるんだよ。調べてごらん」

「ええと。アムネジア、アムネジア、アムネジア……」


 ロボットはグルグルと思考を巡らせるが、まったく想定がない。

 それもそのはずで、ロボットに内蔵されているデータは、メーカーからの更新期間が五年前に終わっている。

 最近登場した【アムネジア】のことは、そもそもロボットの頭の中にはないのである。しかし、ロボットは今ある記憶でしか話を進められないのだ。

 M氏の作戦は功を奏し、アムネジアに気を取られ始めたロボットの手はみるみるうちにおかしくなっていき、M氏は逆転勝利を収めたのであった。


「【アムネジア】に心当たりがなかったのです」

「でもほら、番組表には書いてあるだろ、アムネジアって」

「確かにそうですねえ」



 それから五年が経過した。

 M氏とロボットは変わらず対局中に雑談を交わしていた。

 今日遊んでいるのはオセロだった。


「最近は人も、ロボットも、すっかり見かけなくなった」

「デジタルにお熱なのでしょうね。最近は・・・ロボット用のデジタル世界もあると聞きました」


 その話も既に十年前のことだけど、とM氏は思った。

 ついでに、こんなことを独り言ちる。


「そうか、もう十年も経ったのか」

「何の話ですか?」

「いや、つい最近だと思っていたことが、実はもう結構過ぎていたってこと、ないかい?」

「申し訳ありませんが、自分はロボットだからか、よく分かりません」


「そうか」と言いつつ、M氏はオセロの石を白から黒にひっくり返す。

 今回はM氏が優勢だった。このままいけば勝てるだろうと踏んでいた。

 勝っている時とは反対に、負けていると、ロボットの声は少し悲しげなものになるらしい。

 黒が多い盤上を見つめ、ロボットは「ああ」と口を開いた。


「あの【アムネジア】は一体どうなりましたか?」

「【アムネジア】って?」

「ほら、あのデジタル・アイドルグループ。五年前、話題だって言っておられた」


 M氏にはまったく心当たりがなかった。

 すっかり忘れてしまっていた。


「あの対局の後、ずっと【アムネジア】について振り返っていたのですが、どうしても情報は見つかりませんでした」


 ロボットが白を置くが、黒の勢いを止められるものではなかった。

 しかし、M氏は手に駒を握ったまま、ずっと黙り込んでいた。


「雑談ロボットが物忘れ・・・とは、すっかり、時代遅れになってしまいました」


 アムネジア、アムネジア、アムネジア……

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