終章・2

 皇族専用の小さな稽古場。見守る者がいない中、稽古着を着たレジーナは一人、剣の型をなぞっていた。

 一応、部屋の外へ出る許可は医師から出ているのだ。部屋に閉じこもるより少しは外を歩いたほうが、気晴らしになる。先日も侍女を連れて庭園を軽く散歩した。

 ただし、一人で剣の稽古をしていいとは誰も認めていない。庭園を散歩してくると言って、一人で出てきたのだ。侍女頭のアンネッタに知られれば確実に怒られる。いや今頃は稽古着がないことに気づき、ため息をついているかもしれない。

 それでも、せずにいられなかったのだ。

 基礎を一通り終えて、レジーナは大きく息を吐きだした。

 先日から剣の稽古を再開したのだが、身体がなまっていることをまず痛感させられた。前なら素振りと型を少しなぞるだけで、こんなに疲れることはなかったのに。半月身体から魂を抜かれていたのに加え、療養と称した引き籠り生活が長かった影響は小さくなかった。

 これから少しずつ体力をつけていきましょうとカリレッティには言われたが、レジーナは気が急いて仕方ない。ということで、こっそり自主練に励むことにしたのだった。

 ――――と。

「……何をしているんですか」

「っ」

 背後から声がかかり、レジーナは肩を大きく跳ねさせて息を飲んだ。振り返るとすぐそばの東屋の中で、アウグストが呆れ顔をしているではないか。

 レジーナははっとして周囲を見回し、誰もいないのを確かめた。

「ど、どうしてここにいらっしゃるのですか。この棟の辺りにも守衛はいるはずでしょう?」

「そこはまあお気になさらず」

「……」

 つまり忍びこんできたのね、この方は。

 しれっと言ってのけるアウグストを見上げ、レジーナは半眼になった。

 皇城の警備に問題があるのか、この王子がよろしくない方向で優秀なのか。どちらもあまりいいことではない。

 だが仕方ない。レジーナの特別な友人であり有力な伴侶候補として様々な優遇がされていたアウグストでも、レジーナとの自由な面会ができなくなっているのだ。誰の監視の目もなく二人きりで会うことなんて、できるはずもない。誰にも聞かれたくない話をするには、こういう手段をとるしかないのである。

 厳しすぎるのが悪いのよと心の中で言い訳してレジーナは剣を鞘に収め、東屋の中へ入った。両腕を組むアウグストをじとりとねめつける。

「私と話すためにいらっしゃったのだと思いますが……私がたまたまここで稽古していたからいいものの、いなかったらどうするつもりだったのです」

「七日前に剣の稽古を再開したばかりの姫が、身体がなまったからと自主練に励むのはわかりきったことですから。朝か昼食のあとくらいに稽古場へ行けば会えるだろうと踏んだんです」

「……」

 この方は読心術を心得ているのかしら。

 レジーナは心の中でだらだら汗をかいた。完璧に思考が読まれている。付き合いが長いって怖い。

 アウグストはそんなレジーナを見下ろし、やっぱりかと言わんばかりに息を吐いた。

「元気そうなのは安心しましたが、まだ身体が本調子ではないのに一人で稽古するのは褒められたものではありませんね。やる気もほどほどになさってください」

「……アウグスト様は、私に小言を言いに来たのですか」

 お説教は懲り懲りだ。レジーナは口をとがらせた。

「皆、過保護なのです。大怪我をしているわけではないですし、なまった身体を元に戻すためにもそろそろ剣の稽古を再開しないといけません」

「心配しているのですよ、カリレッティ殿たちは。姫の身に起きたことは、けして軽いものではないのですから」

「でも、狭い場所に閉じこめられているのはもう嫌です」

「!」

 レジーナがまっすぐアウグストを見上げて言うと、アウグストは大きく目を見開き両腕を解いた。

「覚えておられるのですか」

「……ええ、覚えています」

 悲しみをわずかに混ぜて、レジーナは頷いた。

「エリアス様と婚約した女侯爵だったことも、アウグスト様が私を助けに来てくださったのも。夜中に部屋を抜けだして、この手で世界の核を壊したことも。すべて覚えています」

「……!」

 アウグストはたちまち顔をゆがめた。

「あの世界でのことを詳しく語っていないと聞いて、覚えておられないとばかり……」

「詳しく尋ねてくる人がいなかったから、語ろうとしなかっただけです。すべてを皆に話さずともよいと思いましたし。アウグスト様もそうでは?」

「……俺はあの世界へ姫を連れ戻しに行っただけですから。姫があの城でどんな生活をしていたのか、聞かれても答えようがないだけです」

 アウグストは気まずそうに視線を逸らす。レジーナがエリアスの婚約者だったことを知っているのに。嘘つきで正直な反応に、レジーナはほのかに笑んだ。

 レジーナは語りたくなかったのだ。あの世界での偽りの生活を話せば、周りの者たちはエリアスへの嫌悪を深めてしまうかもしれないから。エリアスを悪く言われるのは嫌だった。

 アウグストもきっとそうだ。彼がエリアスをまだわずかでも友と信じていることが、レジーナは嬉しかった。

 レジーナは城へ顔を向けた。

「このひと月のあいだ、あの世界でのことを何度も思いだしました。……エリアス様のことも。世界は偽りであっても、魂が感じた感情は真実。エリアス様と過ごした時間のすべてまで否定したくはなかったのです」

「……」

「でもそのあいだにお母様やアウグスト様たちは働き、世界は動いていたのです。私だけいつまでも箱庭の記憶を懐かしみ、部屋に閉じこもっているわけにはいきません」

 だから早く体力を戻したいと思ったのです。アウグストをまっすぐ見て、、レジーナはそう話を結んだ。

 自分が箱庭世界に閉じこめられてから今まで世の中で何が起きていたか、レジーナは母や周りの者たちからそれなりに聞いている。事件を政治に利用したことも、母は隠すことなく話してくれた。レジーナは世継ぎなのだから、当然だろう。

 この世界は変わった。レジーナがずっと続くと信じていた三人の世界も壊れて、二度と戻ってこない。

 だが愛しい過去と砕けた世界の欠片を懐かしんで、部屋に引き籠っているわけにはいかない。エリアスの魂を滅ぼしてでもエイオニル帝国の世継ぎとして生きていくと、あの世界で決めたのだから。

 友の魂を滅ぼした罪を背負い、この広大な世界で自分は生きていくのだ。

「……結局、姫を救ったのは姫ご自身でしたね。大口をたたいておきながら力及ばず、申し訳ない」

「いいえ、どうか謝らないでください」

 アウグストが自嘲の笑みを浮かべて頭を下げるものだから、レジーナは慌てた。

「アウグスト様が来てくださったから私は本当の自分を知り、あの世界を出るために力を尽くすことができたのです。私一人ではあの世界に囚われたまま、エリアス様とあの世界で結婚していたでしょう」

「……」

「それに私ですよ? 大人しく檻の中に囚われていたり、アウグスト様とエリアス様が殺しあっているのを黙って見ているわけがないでしょう?」

 顔を上げてもまだ後悔を顔ににじませるアウグストに、レジーナはおどけてみせた。

「だから、アウグスト様が己を恥じたり私に謝ることではないのです。……私のほうこそ、助けてくださってありがとうございました」

 これでもうこの話は終わりです。そう言外に含め、レジーナは微笑んだ。

 長年の付き合いだからわかる。アウグストは、レジーナがエリアスを滅ぼすことになってしまったのを恥じているのだ。騎士である彼が、異国の皇女であり友人でもあるレジーナを戦力に数えていたはずがない。

 エリアスを滅ぼしたことを悔やんでいないとレジーナが言ったところで、アウグストは聞かないだろう。そういう人だ。

 だからレジーナはそのことに触れない。それでいい。

 アウグストはまぶしいものを見るような目をレジーナに向けた。

「……強くなられましたね。まるで物語の聖女のようです」

「あら、私は前からこうでしたけれど?」

「ご冗談を。淑女のふりが誰よりも上手だっただけでしょう」

「アウグスト様も、紳士のふりがお上手ですよね」

 くすくすとレジーナは笑いながら返した。腹はたたない。むしろいつもと変わらない調子でいてくれるのが嬉しかった。

「……では、そろそろお暇します。姫の様子を伺うために来たので。お元気そうで安心しました」

 そう言って一礼し、アウグストは立ち去ろうとする。

 大きな背中が遠のいていく――――。

 気づけばレジーナは、彼の服の袖を握っていた。自分の行為が信じられず、レジーナは唖然としてから慌てて手を放す。

「ご、ごめんなさい」

「姫? どうかしましたか」

 アウグストは足を止めて目を瞬かせた。けれどレジーナ自身自分の行為の意味を理解しかねているのに、答えられるわけがない。

「姫?」

「……話し相手がいなくて退屈なのです。また、こうして会いに来てくださいますか?」

 視線をさまよわせた末、レジーナはそうごまかすことにした。

 自分がアウグストに対してどんな感情を向けているのか、レジーナはまだよくわからない。このひと月のあいだずっと彼に会いたかったのは事実だけど、それはきっと彼がかけがえのない友人で、不思議な経験を共にしたからだ。あの世界――――エリアスのことを素直に話せるのはアウグストしかいない。

 けれど今アウグストが去ろうとして、レジーナは胸を突かれるようなさみしさを覚えた。今までアウグストが帰っていくのを見ても、そんな気持ちにならなかったのに。

 もう一年前の悪戯をアウグストにすることはできない。何故かそんな気がした。

 なんだか恥ずかしくて悔しいので、絶対アウグストに言ったりしないけれど。

 アウグストは目を軽く見張った。レジーナらしくないからに違いない。ああもう言うんじゃなかったと、レジーナは今更頬を赤らめる。

 やがてアウグストが笑みを浮かべ、口を開いた。

 からかう調子ではなく心底嬉しそうに見えたのは、きっと気のせいだろう。

 そのはずだ。

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箱庭の姫君の脱出 星 霄華 @seisyouka

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