#36
VIPルームを出る際に、俺と入れ替わりで部屋には一人の若者が入ってきて、コーチンのギターを片付け始めた。キングがあの少々重たいハードケースを持って新幹線の最終列車に乗り込むことはなく、店の外で待機していた付き人らしき若者が何処かへ運ぶようだ。
ギターの行く末に興味がないわけではない。コーチンの形見だと後生大事にしまい込まれるか、次のツアーのステージ上でキングが弾く姿を拝められのるか。どんな道を辿るかは分からないが、俺はあのギターをキングに託した。もうこれ以上、俺があのギターに関わることはない。
エレベータに乗り込んで一階のボタンを押す。かごが一階に到着して扉が開いた瞬間に、美咲が扉の前で待っていてくれるのなら、どんなに気が楽なことか。
「やっぱり美咲だったんだな」とひとこと言えば、それで済むだけのこと。だが俺の希望も虚しく、扉が開いたその先にいたのは、階上の店に向かう初老の仲睦まじい夫婦だった。
雑居ビルを出て、商店街へ向かう道の電柱の傍らに、立ったままスマートフォンを眺める人影が見える。一瞬、美咲に見えて胸が躍るが、よくよく眺めればただの別人。すれ違いざまに女性がこちらに視線を向けた気がするが、構わず、仕事を終えたサラリーマンや学生で賑わう商店街を、颯爽と駅へ向けて進む。
帰りの電車の車内、スマートフォンにLINEの通知が届く。美咲からだった。
『ちょっと遅いんじゃない? 浮気だったら許さないからね』
いつもと変わらぬ憎まれ口に、思わず笑みがこぼれる。すかさず、サムズアップのスタンプを返しておいた。美咲がこのスタンプに、いったいどんな反応を示すのか、楽しみでならない。
心地よい電車の揺れに身を任せながら暫く待ったが、美咲からLINEの返信は届かない。メッセージ欄を確認するとスタンプの横に「既読」マークが付いていた。
「既読スルーかよ」
いつもと変わらぬ日常が戻りつつあった。
王と鶏 LEE @MISAKINGKOCHINE
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