恋のクオリア

還リ咲

第1話

メアリーは不死でした。核家族用核シェルター生まれのメアリーは、そのあり余る時間を勉強に費やし、全知の存在となりました。全知といっても、死の灰の浄化やヒトの単為生殖の方法は分からない程度の全知です。半知くらいが適切でしょうか。え?半チャーハンではありませんよ。彼女は食べ物を必要としません。


そんな半知のメアリーにも分からないことがもう一つありました。

愛です。

メアリーの両親は彼女が物心つく前に亡くなってしまい、親子愛を知りませんでした。性愛なんてもってのほか!

愛、特に恋に興味を持ったメアリーは、恋について熱心に勉強しました。基本的な恋心の発生機序から年上の寝取り方までも、持ち前の吸収力で自分のものにしていきました。実践的な恋愛術の教材として、母親が遺してくれた恋愛小説がとても役に立ったようです。メアリーは、このとき初めて親子愛を感じたのでした。

こうして、メアリーは恋のスペシャリストとなったのでした。恋に関しては全知といっていいかもしれません。彼女は恋に関する物理的事実をすべて知っています。ただし、恋愛経験は皆無でした。


ちょうどそのタイミングで大規模シェルターの住人たちが冬眠から目覚めたようで、地下ネットが活性化してきました。そこで、メアリーは恋愛相談を始めました。インターネットが貧弱で、ろくな娯楽がない地下生活では恋が最大の娯楽のようで、メアリーのもとには沢山の相談のメールが届きました。”相談したら100%成就する、経験豊富な恋愛アドバイザー”の噂はたちまち広がり、もっと沢山の相談が届くようになりました。その正体は恋愛経験の無い勉強家だとも知らずに。

時折、名前も知らない人から「好きです」といった内容の求愛のメールが届くこともありましたが、メアリーの恋心は動かないようでした。メアリーは、自分は恋心が欠如しているんじゃないかと心配になりました。でも大丈夫ですよ。誰だってあんなメールが来たら気味悪がるものです。


いい加減恋愛相談にも飽きてしまったメアリーは、出会いを求めて地上にでることにしました。地上に出る一歩目は心配しましたが、出てみると、降り積もった死の灰も降り注ぐ宇宙線も、メアリーの不死の体にはあまり効果が無いようでした。

しばらく地上をさまよっていたその時、遠くの方に人影を見つけました。メアリーは彼に気付かれないように、そして自分の胸の高鳴りに気付かないようにしながら、ゆっくりと近づいて行きました。

彼の、深緑の肌と頭に突き刺さったネジはもちろんの事、遠くを見つめるその物憂げな目線に、なにより惹かれました。一目惚れという名前の恋だという事は、もう明白でした。

あれれ? 私は恋については全知なのに、この胸の高鳴りも予想していたのに、全く頭が回らない。メアリーはそう思いました。続けて、この恋を説明するとしたら、”種の保存の本能により、生殖が可能な相手を見つけると発症する興奮状態”という記述よりも、”無邪気な天使が放つ、恋の矢に貫かれて発症する興奮状態”のほうが適切だな、とも思いました。


その時、彼に夢中だったメアリーは枯れ枝を踏んでしまいました。ぱき、という放射線に侵されたような音が響いて、彼がメアリーに気付きました。何か言わなくちゃ、メアリーは思いましたが、言葉が出てきません。メアリーに気付いた彼の顔はみるみるうちに晴れ、彼は微笑みながらこう言いました。


「僕は体外的には人間として振る舞えるけど、意識を持っていないんだ。人に認識されていないと、自我を保てない。心臓が欲しいブリキの木こりなのさ」


いや、ゾンビでしょ。メアリーはそう言おうとしましたが、ozの魔法使いを記憶の底から引っ張り出すことに成功したので、堪えることが出来ました。そして、彼の欠陥を知ったことで、更に好きになってしまいました。


「クオリアを持たない哲学的ゾンビから、恋のクオリアを見出すなんて傑作じゃない」

そう呟きながら、メアリーは彼に駆け寄っていくのでした。

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恋のクオリア 還リ咲 @kaerisaki

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