コクヨウ

 研究所にエレインを招くと、私は約束通りとっておきの薬草茶を淹れた。


「はい、どうぞ」

「い、いただきます…」


 ずずず…と、エレインは薬草茶に口をつける。

 大丈夫、これには毒を入れてはいない。


「わ、これ、美味しいです! この味の深み、何か発酵にコツがあるのですか!?」

「ふふ」


 コレが分かるか…。

 私は心の中でエレインへの評価を少し上げた。

 ちなみに、ゼンが今までお茶について何か言ってくれたことはない。いや、これは私が勝手にやっていることだから、ゼンに分かってもらえなくても構わないのだけれど。


「味は深いのに、萎凋香いちょうかは涼やかで…あっ、ひょっとして、幾つかの茶葉をブレンドして使っているのですか?」

「流石はランドフォークの使用人。正解よ」

「この涼やかな香りは、河川域で採れるブルーリリウムですよね…? でも、この深みは……ううん…」

「これ以上ヒントを出すと、秘伝の製法を盗まれてしまいそうね」


 腕を組んで考え込んでいるエレインを見て苦笑する。

 分かってくれるのは嬉しいが、ここから先は企業秘密だ。

 意外と侮れないな、この使用人。


「しかし、ゼンも言ってくれればいいのに」

「え?」

「エレインが時折差し入れに来てくれていたなら、もっと早く、こうしてお茶に誘ったのに」


 こうして早めに対処できたというのに。


「い、いえ、その、あの…リオネッタ様のお仕事を邪魔するのも憚られまして…」

「あら、お世辞? 私の研究なんかより、ゼンのお仕事の方が、きっとお腹を満たせる仕事になるわ」


 皮肉を言ったつもりだった。

 だが、エレインはしゅんと夜の花のように縮こまる。


「い、いえ、私みたいな者が、このような事をいうのは、お、烏滸おこがましいの、ですが…。その…、私には、わかっております」

「うん?」

「リオネッタ様の研究は、必ずこの地を救います。先日、魔獣を糧にするという計画をご説明下さったときにも、痛感いたしました。私などよりも、リオネッタ様のお仕事の方が何倍も、何倍も尊いお仕事です」

「え、あ、ありがとう…」


 真っ直ぐな目が、私を射抜く。


「はい。ですから、私みたいな、学のない小娘が、リオネッタ様の邪魔をするなんて、リオネッタ様のお時間を無駄にするなんて、本当は、ダメなんです…。申し訳ございません…」

「………」

「でも、でも――――…このお茶がとっても美味しくって―――つい…。えへへ」

「………。なんか、その、ごめんね…?」


 なんか、思ってた子と違ったな…。

 何故、私はこの少女に敵愾心を抱いていたのだろうか。

 ゼンを想うが故に、過剰反応していたのかもしれない。


「え。どうしてリオネッタ様が謝られるんですか…!? わ、私の方がすみません! ぼーっと生きててすみません!」

「顔を上げて頂戴。これからも時間がある時は遊びに来て。ゼンだけでなく、私にも顔を見せてくれたら嬉しいわ」

「り、リオネッタ様―――…」

「お茶菓子も食べる?」

「え、あ――――…い、頂きます…」


 私の提案を受け、顔を赤くしながらもエレインは頷いた。


 結局それから、ゼンが戻ってくるまでお茶会をして、戻ってきたゼンと一緒に、エレインが持ってきてくれた差し入れを頂いた。

 中身はジャムとパンだった。平原に成る黄色いベリーを煮込んで作った自家製のジャムだという。ほのかな甘味と酸味が心地よい味だった。パンに塗って、何枚でも食べられる。

 私からも簡単に料理を振る舞い、やや豪勢となった昼食を三人で摂り、エレインは帰っていった。

 去り際、何度も何度もこちらに振り返って頭を下げるエレインを見送って、私は思う。

 うん、悪くない時間だった、と。


「ゼン、今度エレインが来たときには、私も呼んで下さいね」

「エレインのジャム、美味しいよね」

「今まであれを独り占めしていただなんて…。夫とて許せません」

「ごめんごめん。でも、エレインもリオのお茶を絶賛してたよ」

「秘伝の製法がもう少しで盗まれるところでした」

「ブルーリリウムと黒影草を、リオンの実の汁をまぶして発酵、でしょ?」

「――――…もう盗まれてる…」


 正直、かなり驚いた。

 今まで、ゼンは私のお茶を、ただ何となく飲んでるだけだと思っていた。


「ゼン、お茶の事がわかるのなら、もっと早く褒めて下さい」

「ごめんごめん。今度からちゃんとコメントするね。けど、ボクは辛口評価だよ?」

「…手加減もしてください」

「あはは」


 お昼も食べたので、お昼寝の時間だ。

 私はゼンをぎゅっと抱き締めて、寝室へ向かった。



■ □ ■ □ ■



「おそらくは―――…ブルーリリウムと黒影草…。しかし、もう一つ隠されたフレーバーがありました」


 愉しいお茶会を終えてランドフォーク家の使用人、エレインはそう呟きながら歩いていた。

 ただし、帰路ではない。

 彼女は帰路を離れ、平原を進んでいる。

 彼女は河川域まで行く気だった。ブルーリリウムと、黒影草、そして、最後のピースを揃えるために。


「リオネッタ様は研究でお忙しい御方。平原全域から茶葉を集める時間はない―――…ならばあの茶葉は、全て河川域の素材のはずです」


 使用人姿のまま、彼女は領民が誰一人近づかない河川域に踏み込んだ。

 誰も訪れない為か、多種多様な薬草が河川の周辺には繁茂していた。

 手を伸ばしたくなる有用な薬草もあったが、それは彼女の目的では無かったため、今は我慢をした。


「ブルーリリウム…黒影草……あと一つ…」


 目を閉じ、呪文のように唱えながら、最後のピースを探す。


「リリウムの涼やかさに隠れた甘酸っぱい萎凋……であればやはりベリー、でしょうか…。ううん、違う…。まさか、リオンの実? 乾燥させたリオンの実を磨り潰して混ぜているのですか…?」


 なるほど、とエレインは呟いた。

 その瞬間、足元の地面が盛り上がる。

 平原の河川域の土の下。

 領民が皆避けるそこには、出遭えば死であるという旧き怪物の名を冠する魔獣が潜んでいた。


 だが―――


「邪魔をしないで下さい」


 平原で考えに耽る愚かな娘を、サイクロプシスは喰らったはずだった。

 だが、彼の牙は何も掴めなかった。

 代わりに、花が咲いた。

 赤い、赤い花が、黄金の平原を彩った。

 骨の隙間を貫いて、完全に両断されたサイクロプシスの首が、河川のぬかるみに落ちて、大きな音を立てた。

 全てが赤に濡れる平原の上で、エレインはいつの間にか双剣を手にしていた。

 それは、隠刃エレインと呼ばれる対なる異形の剣。ただし彼女の隠刃は、まるで黒曜石から削り出したように荒々しい品だった。

 使用人のドレスの下、太ももに巻き付いた鞘に納められていた刃を一瞬で抜き放ち、彼女はサイクロプシスを双剣の露へと変えた。

 、彼女にとって難しいことではなかった。

 とはいえ、この芸当が可能になったのも、全ては偉大なりし魔女のお陰。

 確かに、エレンダル王国に、サイクロプシスの公式討伐実績はない。

 だが、非公式にであれば、既にサイクロプシスは幾度となく討たれていた。

 ”英雄”と呼ばれる者達の手によって。

 

「これも、全てはゼン様の為―――」


 エレインは、深い蒼い空へと視線を向ける。

 平原を流れる風を肌で感じる。


「その秘伝、盗ませていただきます。リオネッタ様」


 かつて、王都で幾人もの悪党を闇へと葬る殺人鬼がいた。

 ある時は、裏で不正品の取引を働く商人。

 ある時は、悪業に加担し私腹を肥やす貴族。

 ある時は、異国より流れてきた間者。

 その悉くを、その異形の刃で狩る者を、市井の人々はいつしかこう呼んだ。

 ”黒曜こくよう隠刃エレイン”と。


 


 

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獣血の魔女嫁 ささがせ @sasagase

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