EP18 曇天
ジェノが目を覚ましたのは、完全に日が落ちきった頃であった。
「……あら、起きた?」
傍の椅子に座って容態を見ていたアリスは、少年の瞼が震えたのを見て優しく声を掛ける。話は、全てスズカから聞いている。彼を庇って、アカツキが彼の目の前で消えた事も、全て。
「――――……」
虚ろな瞳と目が合った。呆然と、何処か怯えているような視線を向けてくるジェノの姿が、いつかの弟の姿と重なる。今すぐに抱き締めて大丈夫と告げてあげたい衝動に駆られたが、それを頭に手を置くだけに留めてアリスは立ち上がる。
「……今、シルヴィオさん呼んでくるわね。いい子で待ってて」
今の彼に必要なのは自分ではない。他でもない、
◈
「――――……」
ぐらぐらと、世界が揺れている。ばくばくと心臓が早鐘を打っているのに、何故か頭は気味が悪いくらいに冷えきっていた。何度深呼吸をしても、手の震えが治まらない。押された肩の感触が消えない。悲痛な叫びが耳から離れない。
アカツキの死が、頭から離れない。
「……いか、ないと」
やがて、ジェノはふらふらと立ち上がった。
自分は、行かなくてはならない。今すぐに、スズカの元へ。
その虚ろな目には、曇った空が浮かんでいた。
◈◈◈◈
気が付けば、スズカが居るはずのテントが目の前にあった。何処をどうやって歩いてきたかすらも定かでは無い。ただもうひたすらに、罪悪感だけがジェノの足を動かしていた。
「――――……」
中に居るはずのスズカに声を掛けたくとも、声が出ない。喉はすっかり恐怖で張り付いてしまっていた。同じく恐怖が根差してしまったのか、足も動かなくなってしまっていた。罪悪感と、恐怖と、混乱と、全ての感情がジェノをその場に縛り付ける。前に進む事も後ろに逃げる事も出来なかった。
どうしたらいいのか、もう、すっかり分からなくなっていた。分からなくて、怖くて仕方が無くて。お前の所為だと糾弾されるのが。悲しみに明け暮れた表情を目にするのが。
何より、スズカがそうしない事を選んだ時の事が、一番怖かった。――否、スズカがそうしない事を分かっていたからこそ、怖かった。あの人は、動けなくなっていた自分を庇ったのだ。見捨てれば良かったのに、スズカはそうしてくれなかった。
責められなければ、恨まれなければ、自分は一体どうしたらいい。この先、何を抱えて生きればいい。分からない、何も分からない。
なら、もう、いっそ――……。
「――ジェノ君!」
「っ……!?」
後ろから、腕を強く引かれた。呼ばれた名前は自分の物。後ろへ傾いていく身体はすぐに受け止められて、嗅ぎ馴染んだ紅茶の香りに包まれる。それだけで、自分を抱き締めたのが誰だか分かってしまった。
「……ヴィオ、さん」
暗く沈んだ思考から意識を上げて、自分の顔の上にある逆さまの顔をぼんやりと見つめる。それから倒れた身体を座り込んだ彼に預けたまま、その名前を小さく呟く。そうすれば、優しい人は何処か安堵したように口元を綻ばせた。
「驚きましたよ。アリスさんと一緒に君を迎えに言ったら、君の姿が無いんですから……」
「……すいま、せん」
微笑むシルヴィオにそう言われてから、ジェノは自分が医療テントを抜け出してきてしまった事を思い出した。アリスにも悪い事をしてしまったのだろう。そう思えば、途端に申し訳なさが込み上げてくる。ジェノは目を逸らして下唇を噛んだ。
「――む、誰かと思うたら
「あ……」
幼子の声が聞こえた瞬間、ジェノは弾かれた様に顔を上げた。そっと肩に置かれたシルヴィオの手を解いて、糸に引かれたように立ち上がる。そうして自分より低い位置にある顔を見つめて、声を出そうとするが、それは上手くいかない。空気だけが肺に入るばかりだ。
「……そんな所では寒かろう? ほれ、こちらに入ると良い!」
スズカは優しく微笑んだ。それはまるで、自身の子に向けるような優しい笑顔で。ジェノの心はズキリと痛む。どうして、そんなに優しい顔を向けるのだろうか。自分は、彼女の大切な人を奪ってしまった罪人なのに。
「っ――……」
今すぐに謝りたかった。けれど、ジェノの身体はまるで言葉も喋る事すらも忘れてしまったみたいであった。息を吸う音と、震えたそれを吐き出す音だけが零れる。
「……ジェノ君」
左手に、体温が触れた。自分の掌よりも大きな掌が、優しく手を包んでいる。縋る様に見上げれば、大丈夫だと語りかける
「私が、傍に居ますから」
繋がれた手を、強く握る。暖かな言葉が胸を打って、勇気が冷たくなったジェノの身体に吹き込まれていく。手を繋いだだけ。そんな簡単な行動で根差していた恐怖が溶け出して、強ばっていた足が動くようになった。
「行きましょうか」
「……はい」
手を引かれて、ジェノは歩き出した。
まだ、怖い。けれど、その恐怖がジェノの身体を縛る事は無くなっていた。
◈
「少々座って待っておれ、今茶でも入れるからの!」
テントの中に入れば、スズカは人好きのする笑みを浮かべて湯沸かし器用ストーブの方へと駆けていく。しかし、問題はそこからだ。肝心の湯沸かし器が置いてあるのは、スズカの目線より少し高い机の上であった。彼女は背伸びをしたり跳ねたりしてそのポットを取ろうとするが、上手くいかない。
「……あの、宜しければお手伝い致しましょうか?」
数秒それを見守っていたシルヴィオであったが、スズカの困り果てた姿にいてもたってもいられなくなったのか、立ち上がって手伝いを申し出る。
「む、すまんの……まさか届かぬとは思わなんだ……」
「っ……!」
シルヴィオの申し出に、スズカは眉を下げて困った様に笑った。きっと今までは彼女以外の仕事だったのであろう。
それがアカツキであると気が付いた瞬間、ジェノは声にならない悲鳴をあげそうになった。すんでのところで飲み込んだそれは、どうやらスズカには気付かれなかったようで、彼女はシルヴィオと談笑を続けていた。
「さて……ナイト以外の客人など久しぶりじゃの! 来てくれてばばは嬉しいぞ!」
しばらくして、スズカは座ったままのジェノの前にカップを置いて、楽しそうに咲笑った。その表情は、本当にジェノとシルヴィオの事を心から歓迎している事をありありと示している。
「ほら、何、儂は他の隊の者と話す機会があまり――……」
「っ、ぁ……の!」
スズカはまだ話を続けようとしていたが、やはりジェノには耐え切れない。焦燥に揺れる気持ちのまま声をあげれば、言葉を遮られた彼女は驚いた様な表情で固まった。丸められた黒真珠が何度も見え隠れする。
「ぉ、れ……っ、その……ぁ」
どうしたのかと問う様な瞳。それは真っ直ぐにジェノを貫いて、再び頭の芯がぐわんと揺れた。瞬間していたはずの覚悟が逃げ出して、ジェノは一人言葉を詰まらせる。スズカの顔を見ていられなくて、俯いて唇を噛み締める。
「嗚呼……どうか落ち着いておくれ。何か、儂に言いたい事があるのじゃな?」
それを見ていたスズカは何かを察して立ち上がった。それから対面に座っていたジェノの方へ歩み寄ると、座ったままの彼の顔へと小さな手を伸ばす。ジェノが座っていた為か、その手は容易にジェノの顔を包み込んだ。
「深呼吸じゃ。ほら、吸って……吐いて……うむ、いい子じゃの」
そのままスズカは優しく微笑むと、ジェノを落ち着ける為に一緒に深呼吸をしてみせる。すっかり頭が真っ白になってしまったジェノは、言われるがままに息を吸って、震えたそれを吐き出した。何度も深呼吸を続けていれば、ジェノの頭の中に色が戻ってくる。
「っ、お、れ……俺、スズカさんに……あ、謝らなきゃ、いけなくて」
「――――!」
ようやく、言い出せた言葉。その言葉に、今度はスズカが息の悲鳴をあげる番であった。
「俺の……俺のっ! 俺の、所為……で、アカツキさん……が……っ!」
目の前の少年は、震えている。恐怖という感情を表す術を持ち合わせていないのか、ただ声と息を震わせて怯えている。飲み込んだ棘を吐き出す様に、幼い少年が血の滲んだ様な声で叫んでいる。
「嗚呼、違う、違うのじゃ……! どうか気負わないでおくれ、アカツキは死んでなどおらぬ!」
「……ぇ」
「いや……少々違うかの。アカツキは、確かに死んでおる……けれど、それは決してお主の所為などではないのじゃ」
スズカは、ジェノの顔から手を離すと、寂しそうな顔で笑った。一体どういう事なのかと、少年の顔が問い掛けている。彼の奥に座った銀嶺が息を飲んだ。きっと、もう隠しておく事は出来ないだろう。
「アカツキは……今よりずっと昔、それこそ何百年も前に、とうに死んでおるのじゃ」
踵を返して向かった先は、傷一つ無い暁色の結晶の元。力を注いでも、彼女がもう一度アカツキの姿を形作りはしない。彼女が眠りについたのは何年ぶりだろう。
「――どうか一つ、聞いてはくれんかの。儂の知る中で一番古い昔話を」
スズカはアカツキの結晶を撫でてから振り返ると、真っ直ぐに空色と
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黎明のスレイヤー ―REBOOT― 祇園ナトリ @Na_Gion
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