第4話 玉琳の願い

「お前は玉琳だ。玉琳としてふるまえ。他のやつらに余計なことは言うなよ」


 部屋を出る前に、龍明に念を押される。


「……わかったよ」


 この身体で自分は玉琳ではないと主張したところで、何か事態が好転するとは思えなかった。


 それに、身体のあちこちが痛い。さっき着地したときに捻ったのか、足首も腫れている感覚があった。おそらく立って歩くことすら困難だろう。医者に連れて行ってくれるというなら、むしろありがたかった。


 少なくとも、この龍明という男は、庸介が身体を借りている玉琳という少女のことをとても大事に想っていることはこれまでの言動から察せられた。


 それなら悪いようにはされない、と思いたい。


 なにより状況がわからないまま動くのは得策ではない。それならいまは龍明の言うとおりにしておいた方が賢明かもしれない。


 医局で医官に見てもらった結果、やはり左手の中手骨あたりにヒビが入っているようだった。なんせレントゲンの類もないらしく、医者の触診だけで判断するしかないので詳しいことはわからない。


 ちなみに医官は、前にも見たあの白髪白衣の老爺だった。高齢そうなのにてきぱきと触診してくれる。


 彼の見立てでは、右足首は腫れてはいるものの筋を捻っただけのようだった。


 左手と右足首には添え木をあてて包帯で固定してもらう。それだけでも随分楽になった。


 それよりも深刻だったのは、体調の方だ。いつのまにか高熱が出ており、身体が鉛のように重くなっている。寝台にはりつけにされているかのような感覚が全身を襲っていた。


 インフルエンザで寝込んだときですら、ここまでの倦怠感を覚えたことはない。頭はガンガン痛むし、呼吸もしづらくて肩で大きく息をしてようやくなんとか呼吸を繋いでいる状態だった。


 医官に、ひどく苦いせんじ薬のようなものを飲まされたが、効いているのかどうかはよくわからなかった。


 寝台の傍らに龍明が座って、こちらを心配そうに見つめている。


「玉琳……大丈夫か? やはり動いたのが身体に障ったのだろうな……」


 庸介は熱で浮かされながら、ぼんやりと龍明を眺める。


(あれ? この情景、まえにどこかで見たことが……)


 のろのろと動かない頭で記憶を巡らせる。


(そうだ。あのときだ)


 玉琳の身体に乗り移る前。夢を見ていたときに、見た光景に似ているのだと思い当たる。


 玉琳の鈴の音のような声が脳裏にそのまま蘇った。


『私に健康な身体があれば、貴方のそばにずっといられたのに』


 あのとき既に庸介の魂は玉琳の身体に乗り移っていたのかもしれない。


 彼女は死に向かいつつあるときですら、目の前のこの男のことを案じていた。力を、健康を、渇望していた。


 ちょっと動いただけで熱に倒れ、少し力を入れただけで折れるような華奢で虚弱な身体でありながらなお、この男を守りたいと全力で願っていた。


(そっか、だから俺の魂がこの身体にひっぱられたのか。玉琳の願いを叶えるためにここに来たんだ)


 彼女が果たしたくても果たせなかった想いを実現するために、自分は呼ばれたのかもしれない。そう考えると、しごくしっくりくるように思われた。


 どういう理屈で、時代も国も違う世界で生きる少女と庸介の人生が交わってしまったのかはわからないが、一度死んだはずの庸介の魂が玉琳の身体の中に入ってしまったのは紛れもない事実だ。


 そんなことをとろとろとまどろみそうになりながら考えていたら、いつしか気絶するように眠りに落ちていた。






 次に目が覚めたときには、天蓋付きの寝台の中にいた。医局の簡素な寝台とは違う。垂らされた薄絹を通して、やわらかな陽が差し込んでくる。


(ここは?)


 ほんの少し懐かしさを覚えつつ、まどろみと覚醒を行ったり来たりしていると、天蓋の外にパタパタと動き回る人影があることに気づく。


 のそのそと身体を起こして、天蓋の薄絹を右手で避ける。カーテンが開くようにして、寝台の外が見えるようになった。


 二十畳はありそうな部屋の壁際には雅な装飾が施された中華風の箪笥や鏡台などが置かれていた。


 開いた窓から入り込む外の光が、明るく室内を照らしている。


 寝台から降りようと、痛まない左足を伸ばしたところで、大きな洗面器のようなものを抱えて鼻歌混じり部屋に入ってきた少女と目が合った。


 長い髪を後ろでひとつお下げに結んだ、小柄な少女だ。そばかすの残る顔はあどけなく、14、5歳くらいに見えた。


 少女はぴたりと動きを止めたあと、


「玉琳様! まだ寝ててくださいませ!」


 洗面器を持ったまま、血相を変えてパタパタとこちらに走ってこようとした。しかし彼女は、何もないところで足を躓かせて盛大に転けてしまう。


 幸い洗面器の中の水は寝台まで飛んでくることはなかったが、床があたり一面水浸しだ。


「きゃああああ! も、申し訳ありません!!」


 少女は、水溜りになっているにも関わらずその場に頭をつけて土下座した。


 庸介は見ていられなくて、腫れている右足に体重をかけないようにしながら、ケンケンをするようにして少女の方へ近づく。


「玉琳様!! 濡れてしまいます!!」


 庸介の行動に少女はますます慌てていたが、庸介は構わず少女の前へ跪く。


「お前、さっき派手に音たてて転んでただろ。足とか怪我してないか?」


「え? 怪我?」


 指摘されて、ようやく少女は自分の身体を眺める。左脛に大きな擦り傷ができていて血が滴り始めていた。


 床にはざらざらとした石のタイルが敷き詰めてある。それで、派手に擦りむいたようだ。


 声を聞きつけて、数人の若い女性たちが部屋に駆け付けてきた。それ見て、庸介はつい部下をもっていたときの癖で一番手前にいた女性に素早く指示を出した。


「何か包帯のようなもの持ってきてくれ。それと、床が水浸しだから拭くものも」


 指示された女性は、驚いたように目を大きくあけて固まってしまう。


「急げ!」


 再度、庸介に強く言われ、女性は「は、はいっ! ただいま!」と声をあげ、ぱたぱたと去って行った。ほかの者たちもあとに続く。


 しばらくして、その女性が長い白布を、他の女性たちが雑巾と桶を手に持って小走りで戻ってきた。


 庸介は白布を手に取ると、転んだ少女の血が滲む脛に巻き付けはじめる。


「い、いけません、玉琳様!」


 少女は滅相もないとばかりに慌てたが、庸介はぎろりと睨む。


「いいから、大人しくしてろ。すぐ済むから」


「ひっ……! ひゃ、ひゃい……」


 いまは左手がほとんど使えないので右手だけで器用に巻き付けていく。きつめに巻いておけばすぐに血は止まるだろう。


「よし、これでよ……」


 これでよし、と言おうとしたところで、誰かに頭をぐっと押さえつけられた。


「へ?」


 見上げれば、いつの間にかすぐそばに龍明が立っていた。しかも、頭痛でもするのか眉間に皺を寄せている。


「お前は何をやっているんだ?」


 低く抑えぎみの声には、怒気が滲んでいた。


「なにって……この子が転んだから、怪我の手当てだけど」


「だから、なぜお前のような高貴な者が女官の手当てなどしているのかと聞いているのだ! そもそもお前はまだ寝てなきゃダメだろうが!」


 そう言うが早いか、龍明は庸介の身体をひょいっと軽々抱き上げた。


「ちょ、お前、何するんだよっ」


 抗議しようとするものの、龍明は有無を言わさぬ勢いでそのまま庸介の身体を寝台へと運ぶと、大事な宝物でも扱うような丁重さで庸介を寝台へと寝かせる。


「お前の身体はまだ起き上れる状態じゃないんだ。頼むから、その身体を大事にしてくれ」


 今度は、泣きそうな目で懇願される。感情の忙しいやつだなと庸介は内心思うものの、たしかに身体全体に倦怠感が依然として強く残っているし、さきほど少し動いただけでも息があがりそうになった。包帯を巻いてある左手とくじいた右足首もまだじんじんと痛む。


「……わ、わかったよ」


 しぶしぶ了承すると、龍明はようやくほっとしたように表情をやわらげた。そして、床を拭いていた女性たちに告げる。


「少し二人だけにしてくれ」


 その言葉だけで、女性たちは無言のまま雑巾をもって深く龍明に頭を下げ、部屋から出て行った。あの怪我をした少女も、龍明と庸介に向けて深々とお辞儀をしたあと部屋から退出する。龍明の望みどおり、部屋には彼と庸介の二人だけとなった。


 龍明は近くのテーブルから椅子を引っ張ってくると、寝台の傍に置いて腰かける。

 そして、まじまじと庸介の顔をながめたあと、小さく嘆息を漏らした。


「お前に一つ頼みがある」


「頼み?」


「そうだ。しばらく玉琳のふりをしていてくれないか」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

陸上自衛官の俺、後宮姫に転移したけど皇太子に溺愛されたくはない! 飛野猶 @tobinoyuu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画