第3話 女の子の姿になってるけど!?

(なんだかよくわかんないけど、まずい。このままだと殺される)


 冷や汗が背筋をつたう。


 事情はさっぱりわからなかったが、龍明が本気で庸介を殺そうとしていることだけはひしひしと感じられた。動悸が早くなる。向けられた剣の切っ先から目が離せない。


 とんと龍明が踏み込む。同時に、切っ先が庸介の喉元を寸分の狂いなく狙ってきた。


 しかし、庸介も一寸早く動いていた。頭で考えるより先に身体が動く。底を強く見込み、棺桶の淵を両手で掴んで身体を棺桶の外へと跳躍させた。


 龍明の剣先が、舞い上がった庸介の服の裾を切り裂くものの、庸介自身は無傷のまま棺桶の背後に設えられていた祭壇に着地した。


 派手な音を立てて、祭壇に飾られていた金食器や供え物が飛び散り、地面に落ちる。


(なにか、ないか。武器になるもの)


 龍明が棺桶を避けてこちらに大股でやってくる。そのわずかな隙に、武器になるものを探そうと庸介はあたりに視線を走らせた。


 すると、幸いなことに少し離れたところに儀式用の短剣が見つかった。黄金の鞘に大きな宝石がいくつも飾られた豪華なやつだ。


 再び龍明の長剣が庸介に向かって振り下ろされる。庸介は祭壇の上を転がるようにして龍明の剣を避けた。その際、儀式用の短剣を手を伸ばして掴んでいた。


 祭壇から床に降りると、すぐに短剣の鞘を抜き捨てる。お飾りの模造刀かと思ったが、幸いにも刃は本物だった。


 振り下ろされた龍明の剣を、その短剣の刃で受ける。キィンと、金属音が鳴り響いた。


 長剣相手に短剣で対峙するのは分が悪すぎるが贅沢は言っていられない。


 ぐっと押しこまれて、庸介はぎりと奥歯を噛んだ。力がうまく入らない。それどころか、さっき受けた一撃で左手のどこかに鈍い違和感を覚えていた。折れているかもしれない。


 庸介はなんとか龍明の剣を押し返すと、その隙に後ろに跳んで逃げた。着地した瞬間にも、足首へ鋭い痛みがはしる。決して変な着地をしたわけではないにも関わらずだ。


(なんだこれ。めちゃめちゃ身体もろくなってんな。ちょっと力かけるだけでどんどん壊れていきやがる)


 相手は間違いなく、剣の達人だ。一方、庸介は剣の腕前にさほど自信はない。


 サバイバルナイフなら多少は扱えるが、あんな長剣相手に戦った経験などあるはずもない。現代の戦場で、長剣をもった相手と戦うことなんて想定されていないからだ。


(でも、そんなこと言ってる場合じゃねぇ。このままじゃ、やられる。逃げるだけじゃダメだ。なんとかあいつを少しでも足止めしねぇと)


「なんて動きをするんだ。ちょこまかとこざかしい。しかし玉琳の身体でそれほどまでに動けるとはな。化け物ながら、見事ではある。だが、それもここまでだ」


 龍明が上段から斬りかかってこようとする。その動作を見た瞬間、庸介は咄嗟に身を低くして自分から龍明に向かっていた。


「なっ!?」


 相手の切っ先が自分の身体に触れるより前に龍明の懐に身体を擦りこませ、左肘を龍明の脇腹に叩きこむ。

 剣術が苦手ならば、自分の得意な体術に持ち込めばいい。


「ぐっ」


 龍明が痛みに怯んだ一瞬の隙に、相手の腕を掴み、同時に勢いを殺さずそのまま全体重をかけた。


 龍明の身体は仰向けに倒れ、その上に乗るような形で相手の動きを制する。


 龍明の剣は床に背中から叩きつけられた衝撃で、手から離れていた。龍明の喉元に、庸介は短剣の切っ先を向ける。


 龍明は、ぐっとこちらをにらんだあと、ふっと視線を逸らせる。抵抗の意思はないようだ。


 このまま喉元を突けば、絶命させることはできる。しかし、庸介は怪訝な表情を浮かべた。


「なあ、一つだけ聞いていい?」

「……なんだ」

「なんで、お前、いま手を抜いたんだ? 俺のこと、化け物だと思ってんだろ?」


 庸介の指摘に、龍明はぎょっとした様子で目を剥いた。


「なんで、それを……」


「剣のことは俺はよくわかんねぇけど、あんたが達人レベルにあることはなんとなく察せられた。だからさ、この壊れかけた身体で素人同然の俺が万に一の確率でもあんたに勝てる可能性なんてないんだよ。なんで手を抜いたんだ? お前、俺が本当にその悪霊だかなんだかだったらどうすんだよ。死ぬ気か?」


 そうなのだ。ここまで綺麗に逆転できたのは、庸介が龍明に向かっていったときすでに龍明に戦意がなかったとしか思えないほど動きが鈍かったからだ。まるで、殺されるのを待っているかのようだった。


 庸介の指摘に、見上げる龍明の瞳が一瞬潤む。それを服の袖で隠すように目元に腕を当てた。袖の下からはくぐもった声が聞こえてくる。


「その気持ちは否定できない。愛するお前の手にかかって死ねるのなら、と。心のどこかで望んでしまった」


 言われている言葉は理解できるのに、内容はまったく腑に落ちない。ほとんど初対面の、しかも男相手になぜ『愛する』とか臭いセリフを吐かれなければならないのか。

 庸介は、気持ち悪くて露骨に顔を顰めた。


「……お前、頭大丈夫か? 男のお前に愛するとか言われても気持ち悪い」


 龍明は目元を隠していた腕をどけて、ぼんやりと庸介を見上げる。


「お前の方こそ、何者だ? もしかして悪意のある存在ではないのか?」


「なんで初対面のお前に悪意なんて持つんだよ。そりゃ、いきなり襲われて驚きはしたけどさ。さっきから言ってんだろ。俺は、柳生庸介。二十八歳。男性。陸自の中尉だ」


 相手にまったく殺意が感じられなくなったことを見てとって、庸介は突き付けていた短剣を降ろした。


 本来なら完全に安全が確保できるまで武器を降ろすべきではないのだろうが、短剣程度のものですらやけに重く感じて腕が辛くなってきたから降ろさざるをえなかった。


 体の節々が痛い。左手首は折れているかもしれない。右足は骨折まではしていなさそうだが捻挫でもしたようなずきずきとした痛みが続いていた。


 ちょっと動いただけなのに、あちこちボロボロだ。そのうえ、息が上がってうまく呼吸ができない。


「いや、だから……。男? 玉琳に取り憑いているお前は、男なのか?」


 龍明がいちばん食いついたのが以外にも『男』という部分だった。


「男だけど。それがどうした?」

「いや、だから」


 龍明が身体を起こす。庸介はちょっと身体を動かすだけでも痛みをおぼえて、これ以上彼を抑え込んでおくことができなかった。後ろによろけて、床にぺたんと座り込む。


 龍明は壊れた祭壇の方へと歩いていくと、一抱えほどある丸い金属板のようなものを持って戻ってきた。


「鏡を見てろ」


 金属板の表面はピカピカに磨きこまれており、そこに可憐で美しい少女が映りこんでいた。一瞬、タブレットの類かと思ったが、金属板に移った少女は庸介が自分の頬に触れれば同じ動作をした。


「……え? え、え え?」


 頭の中が混乱する。

 目の前の事象が表している事実を認めたくなくて必死に頭から追い払おうとするが、考えれば考えるほど一つの結論にたどついてしまう。


 庸介の外見が、可憐な少女になっているのだ。


 龍明がいうように、他人の肉体に魂だけ乗り移ってしまったかのようだった。


「なんで俺、女の子になってんの?」


 泣きそうなほど絶望的な心地で、鏡を持つ龍明を見上げる。龍明も困ったように愁眉を寄せた。


「その身体はたしかに我が愛する玉琳のものだ。私が息を引き取るところまで看取り、ここに安置していたのだから間違いない。その空になった身体にお前の魂が乗り移ったのだろう。私も、なぜお前がそんなに驚いているのか不思議なんだが、自分の意思で憑りついたのではないのか?」


 庸介は、ぶんぶんと首を横に振った。


「……わ、わかんねぇ。何も、わかんねぇ。何が起こってるのか、全然。どうなってんだ、なんでこんな姿に……」


 見知らぬ服を着て、聞いたこのない言語を話す人々。あきらかにここは異国だ。そして、自分の知っている時代ですらないようだ。


「俺……たぶん、死んだんだとは思う。そういう認識はあった。でもそのあとどうなったのか、あいまいで……」


 無理に想い出そうとするが、ずきんとこめかみが痛んだ。うっ、と俯いて傷みも堪えていたら、突然身体がふわりと浮き上がる。


「う、うわっ!?」


 いつの間にか龍明の端正な顔が目の前にあった。龍明は軽々と庸介の身体を持ち上げていたのだ。お姫様抱っこというやつだ。


「玉琳の身体であれだけ無茶な動きをしたんだ。どこか怪我しているかもしれない。いますぐ医官に見せるぞ」


 艶やかな長髪を乱して走り出した龍明の焦りように、庸介はただ圧倒されて黙ってされるがままになるしかなかった。

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