第十二話 赦免 二(完結)

 夢中になってテルカンプを叩きのめす二人を無視して十字架をうけとり、赤野は全力で玄関をくぐった。飛田の撮影など芯からどうでもよい。


 エレベーターは最上階でとまっている。待つくらいなら階段を走った方がよいだろう。二段飛ばしで駆けあがるうちに、これまで体験した古代や中世の様々な場面が頭の中を流れては消えた。


 わずか一日のできごとなのに、何百何千年とすぎさった気がする。それは自分自身が忘れていた、そして思いださねばならなかったあやまちだった。


 かつて銭居とともにくぐったドアを前にして、赤野はまず深呼吸した。それから鍵をだし、鍵穴に差しこんでひねった。これまでの経緯からすれば、本当にやすやすと鍵がはずされた。


 ドアを開けると、ベランダ側の窓から差しこむ月明かりにさらされて『修道士の埋葬』がなにごともなくたたずんでいた。そのかたわらにはぐったりして床に倒れた馬場と、腕を組んでそびえたつ銭居がいた。


「はるばるご苦労様。あたしの気持ちがちょっとは理解できたかしら」

「ああ。俺は愚かで傲慢だった」

「おまけに貪欲で怠慢ね。なにしろあれだけのことをしておいてまだ助かろうと考えているみたいだし、そのわりには他人の力を借りてばかりだし」

「そもそも、俺は謝るべき立場にいた」

「なにをいまさら……」

「お前にじゃない。俺のせいで、テルカンプや渕原や光川といった人々の人生がゆがんでしまった」

「はあっ!? 一番頭を下げなくちゃいけない相手はあたしでしょ」

「謝罪するにもされるにも資格がある。俺は謝罪する資格を失った。お前はされる資格を失った」

「なにそれ。責任転嫁?」

「違う。事実の指摘だ。お前は魔女としての自分の力を過信し酔いしれた。だれの人生をどうゆがめようと構わないと考え、そのとおりにした。お前をそうさせたのは俺だ」

「それじゃ結局あたしに謝らなきゃいけないじゃない。話をすりかえないでよ」

「お前の望みは、まっとうに俺と添いとげることだった」


 テルカンプの血がついた十字架を、ゆっくりと赤野はかざした。


「そんなものでびくともしないけど? 吸血鬼じゃあるまいし」


 そう言いつつ、銭居のパンプスはかかとがわずかにういていた。


「十字架を手にした時わかった。本当の赦免が」


 赤野は口を開け、十字架を飲みこんだ。あまりにも突飛な行為に、さすがの銭居も息をのむ。そのすきに、馬場の身体を抱えた。彼が馬場ごと『修道士の埋葬』に手を触れると、水面に飛びこんだかのようにするりと身体がはいっていった。


「茶番は終わりだ!」


 目を開けた修道士、ハインツ・フォン・ローテだったところのテオドール・ローテは墓穴から起きあがった。エリザに盛られた毒は完全に浄化され、肌も髪も健康に満ちた輝きを取りもどしていた。


「わーっ!」


 クモの子を散らすように、修道士達は逃げた。テルカンプだけはその場に倒れ、しゅうしゅうと音をたてて衣服ごと身体が溶けていく。


「エリザ。もう逃げられない。私に盛った毒の証拠は調べればでてくるだろう。父上をたぶらかした証拠もだ。クリューガーをわざと聖人に祭りあげ、歴史を歪める手も使えない。ここに本体が復活したのだから」

「ホ……ホホ……ホホホ……ホ! 数百年もいったりきたりするうちに小知恵をつけたこと! いいわ、あなたの勝ちよ。火あぶりでも鉄の処女でもお好きに使いなさいな。古代ローマで私がそうされたように!」

「許す」

「え?」

「神の名のもとにお前を許す。本来は司祭の仕事だが、いまの私はテルカンプ院長の救われた魂と一体化している。だから、その資格がある」

「お、大きなお世話よ! あたしからいわせれば、あなた達こそ異端よ!」

「お前は裏切られた愛の復讐をくわだてるうちに、異教の神に精神をのっとられたにすぎない。それを許し、まっとうなキリスト教徒としての資格を与える」

「いらないわよ! こないで! いやーっ!」


 ローテは一歩ずつゆっくりエリザに近づいた。足がすくんだのかキュベレーに見放されたのか、彼女は一歩も動けなかった。ローテは大きく腕を広げ、包むように彼女を抱きしめた。


「フェリス……愛している」


 エリザの耳元でそうささやき、彼女の額にキスすると二人の身体がひとしく黄金色に輝き溶けあった。それが消えさった時、テルカンプと同様、ローテもエリザもどこにもいなくなっていた。


 ☆


 数ヶ月後。


 カトリック伯林教会で、その月のミサが終わった。博慈院の少年少女達はおぼえた聖歌を一生懸命披露し、パイプオルガンの演奏がおわったテルカンプは満足げにうなずいた。


 パイプオルガンと歌唱壇は、教会の二階にある。テルカンプは、聖歌隊とともに拍手につつまれながら一階におりた。彼らが一階におりると、赤野と銭居がいまだ拍手のやまない職員達のなかからでむかえにきた。


「素晴らしいです、赤野院長」


 テルカンプは、はしゃいでまとわりつく聖歌隊員に囲まれながら絶賛した。


「恐れいります」


 赤野もまたこぼれんばかりの笑顔だった。彼の前任である光川は、年齢を理由に引退している。ミサにつきあわされるのがいやだったのだろうと、赤野は見ぬいていた。


「司祭様の伴奏がとてもよかったからこそです」

「それはなににも勝る祝福ですな、銭居事務長」


 待遇や経費の折衝せっしょうにうんざりした渕原は退職した。後任には、美術商として教会にでいりのあった銭居がテルカンプの頼みをうけて就いた。


 ドイツ語講師や、絵に熱心だった院生がいたような気もする。いや、それは関係ない。現に存在しないのだから。


「で、いつごろですか?」


 テルカンプは二人に尋ねた。


「はい、再来月の二十日、日曜日でいかがでしょう」


 赤野と銭居は結婚する。いうまでもなく、式はこの教会であげる。記録動画は、飛田という若者に頼んである。飛田はユーチューブに溺れ、正道を踏みはずしかけていた。それを、赤野が説得し教会の召使いとして働くことになったものだ。


 結婚式では、説教壇のうしろにあるステンドグラスが大いに演出効果を高めるだろう。聖エリザ。愛を叶える守護聖人だ。再来月の二十日が楽しみでならない……だれにとっても。


 赤野と銭居の影には、それぞれ翼と角が生えたことだし。

                   

 終わり

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追ってくるのは、愛にもとづく呪い マスケッター @Oddjoh

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