第十一話 赦免 一

「赤野さん。赤野さん! しっかりしなさい!」


 身体をゆさぶられ、うっすらと赤野は目を開けた。雹はやんでいる。その代わりに全身ずぶ濡れで空に面しており、手足には感覚がなかった。


「おおっ! 気がつかれましたか!」


 テルカンプのいかめしい顔がいつになく柔和になり、自分を逆さに覗きこんでいる。


「ここは……?」

「県境のダム湖です。あなたが岸辺に打ちあげられているのを、偶然にも私が発見したのですよ」

「フェリス……ローマ兵は?」


 無言のままテルカンプは毛布で赤野の身体をくるんだ。毛布もまた湿って泥に汚れた。


「身体が冷えきって、まだ思うように動けないでしょう」


 想定ずみだといわんばかりのテルカンプに対し、赤野はうなずくほかなかった。実際のところ、口を開くのもおっくうでまた眠ってしまいたくなった。


「馬場! そうだ、修道士の埋葬の絵を!」


 閃いた言葉と記憶が、眠りの包囲網を突き破った。


「いきなりどうしたんです? 急に興奮すると身体にさわりますよ」


 赤野は毛布ごとテルカンプにかつがれた。


「銭居っていう、私と一緒にあなたの教会にきた女性は魔女だったんです! あなたに馬場の絵を渡さないと銭居の呪いが完結してしまうんです!」


 テルカンプの肩のうえで、赤野はまくしたてた。


「知っていましたよ」

「え……?」

「でも、あの時のあなたは完全に魔女の掌中でした」

「教会の中でまで魔法が通用するんですか?」

「あの教会はまがいものです」


 テルカンプは、赤野を肩にしたまま斜面を登った。


「まがいもの……?」

「そうです。銭居が神や聖霊をバカにするべく、わざとにたようなものをこしらえたのです」

「だ、だからってテルカンプさんがそこに……」

「私もまた、魂が切りはなされた存在なのですよ」


 そこで、地面は泥や土から路面に変わった。つまり、ダム湖の岸辺から路上にでた。


「な、なにをいいだすんですか?」

「あなたは、古代の自分の姿を夢に見て思いだしたでしょう。フェリスは、あの顛末てんまつで自分が裏切られたと思いこんでいるのです。それだけじゃなく、あなたがじかにかかわる人々すべてに呪いをかけているのです」

「たとえばどんな呪いですか?」

「私は、古代であなたと手を組んでいた隠者の子孫になります。実際には中世の人間でした。そして、ローテ子爵の妻になっていたエリザことフェリスに肉欲を迫られ、誘惑に負けました。無論、それは信心の足りない私の責任です。しかし、堕落した私はフェリスの呪いで良心を失いました。だからあなたの殺害に手を貸したのです」


 淡々とテルカンプは伝え、道路脇にとめてある車の助手席を開けた。無論、銭居のそれとは関係ない。


 助手席にそっと赤野をのせ、ドアを閉めてから反対側に回りこんだ。運転席についたテルカンプはすぐにエンジンをかけ、暖房のスイッチを入れた。


「神は罪深き私を見すてませんでした。魔女の呪いにさいし、私の魂の善なる部分はこの場に導かれたのです。私が、自らを救われるに値する人間だと自分で立証するべく」

「でも、神殿でのあれは誤解でした。ちゃんと話をすれば……」

「古代でのあなたはフェリスになにも相談しないまま話を進めたでしょう。それ自体が許しがたい裏切りだったのです」


 たしかに、時代がどうあれ思いあがった行為だ。ましてフェリスは集落に溶けこむために自分の性別まで犠牲にしたのだから。


 自分の……というよりルブルムの行為こそ、だれよりもフェリスをせせら笑っていた。


「しかし、いまさらそれをとりもどすすべはありません。我々が馬場さんの絵を手中にするのが唯一の解決策です」

「絵は……まだ動かされてなければ私の賃貸ビルにあります」

「それなら参りましょう」


 自動車が発進するころには、強張っていた手足が次第にほぐれてきた。だから、赤野は自力でシートベルトをつけた。いうまでもなく、テルカンプも自分で自分のシートベルトをつけている。


 そろそろ日没にさしかかり、山道はどろどろした闇に包まれ始めていた。テルカンプはライトをつけた。


「テルカンプさん、三つ質問があります」


 毛布を身体からはずしながら、赤野は切りだした。銭居ほどではないにせよ、テルカンプもまずまず運転がうまかった。それで、質問する余裕ができた。


「なんでしょう」

「銭居が自力で絵を処分しなかったのは何故か。あなたや九里さんといった人々はどうして手だしされないのか。博慈院も魔女の手に落ちているのか。……です」

「まず一つ目。あの絵は、あなたや私が人としてあるべき姿をとりもどすために天使が手を添え給うたものです。だから、魔女には破壊できません。ただし、馬場さんが売買を承諾したら銭居は処分したでしょう。つけ加えるなら、馬場さんはあなたの魂の一部です」

「ええっ!?」

「ドイツ語で赤はローテ、野は『~の』を現すフォン。つまりフォン・ローテ。馬場はバッハの語呂合わせです。銭居はツェニー、九里はクリューガー」

「クリューガー? 聖者じゃないんですか?」

「それはゆがめられた歴史です。実際のクリューガーは、中世であなたの魂から分離した『良識』です。エリザはクリューガーの生涯を聖者にでっちあげて、あなたの人生をパロディしたのです。俗にいうほめ殺しです」

「……」


 つまり、図書館での調べ物は最初から陰で赤野をせせら笑うことだけが目的だった。彼はまさに道化になっていた。


「渕原さんや光川さんは?」

「彼等は、現代にはいってからエリザに堕落させられた人々です。飛田さんもそうです。古代や中世ほど信仰が厚くないので簡単だったでしょう。また、そうした人々がまじっているからよけいにエリザの真意が見えにくくなっていました」


 ここまでくると、エリザ自身が呪いそのものになったとすら感じてしまう。


「山道をぬけました。ここからは、道を教えて下さい」

「はい」


 不動産をやっていると、とおった道を一回でおぼえるのは基本中の基本になる。


 思ったよりスムーズに、赤野賃貸ビルに……正確にはその最寄りコインパーキングに……到着した。偶然ではなく必然に、銭居も利用した場所だ。


 車を降りてビルの出入口へむかうと、半ば予想し半ば予想できなかった事態が待っていた。


 渕原、光川、そして飛田の三人がドアの前にたちはだかっている。渕原と光川は棒きれを手にし、飛田はあいかわらずスマホをこちらにつきつけた。


「待ってました! いよいよクライマックス! 都市伝説はやっぱモノホン!? 現代に魔女復活っす!」


 おどけた口調で、飛田はスマホのレンズを街灯にきらめかせた。


「いつもいつも、ろくに経費をださないくせして注文ばかりは一人前の司祭なんだよねぇ」


 棒きれで手の平をぱしぱしと叩きながら、渕原がテルカンプをにらんだ。


「私は無宗教でいたいのに、ミサだの聖書の研究会だのでろくすっぽ休みもとれず……とんだブラック孤児院でしたよ」


 うんざりしきった口調で吐きすて、光川は棒きれの先端を軽く自分の爪先でけった。


「そこをどいてくれませんか」


 無駄と知りつつ赤野は頼んだ。三人のいずれもなにも答えなかった。


「叩けよ。されば、もたらされん」


 テルカンプは短く唱え、首からさげていた十字架を両手で包むように掲げて道路に片膝をついた。


「しゃらくさい!」


 渕原と光川がテルカンプに突進し、棒きれで一回ずつ頭を殴った。血が飛び散り、十字架にそれがかかった。


「テルカンプさん!」

「赤野さん……この十字架を持って……絵へ……」


 その場に三人いるのだから、赤野を止めるのは不可能ではないはずだった。にもかかわらず、渕原も光川もテルカンプを叩きのめすのに夢中で赤野を無視している。飛田に至っては撮影しているだけだ。


「必ず!」


 テルカンプを助けて、自分まで巻きこまれては意味がない。だから、テルカンプとはここではなれるしかなかった。

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