『いとしい私のメフィストフェレス』後編

 私はイチに手を引かれ、歩いていた。

 はたから見ていて、恋人同士に見えただろうか——手は繋いでいたけれど、そう見えなかったのではと思う。


 イチと私は、正直言って釣り合ってはいない。彼は身だしなみや話す言葉、仕草、全て相手がどう思うのか考えた上で決めている。


 一方の私は、いつも通勤で着ているラフな服装、下はジーンズにスニーカーだ。色々と詰め込み過ぎるから、鞄が重たい。

 言動は思ったことをそのまま、どちらかというと考えずに出てしまう。仕草なんて、考たことがあっただろうか。

 考えている事は顔に出てしまう——イチによく言われた。すごく分かりやすくて、扱いやすい。


 私たちはカラオケをするための部屋に入った。こうした言い方をするのは、これから起こる事は、本来ここでしてはいけない事だから。くれぐれも真似をしないで欲しい。


 私は部屋の大きな窓から、夜景を見ていた。イチが部屋の電気を付けなかったから、明るいところに吸い寄せられたのかもしれない。虫みたいに。

 外を眺めている私のおしりに、何かが当たっている。なぜか私の下半身にピッタリと、イチくっついている。おまけにトントン動かしてる。

「何してるの?」

 私は聞いた。イチは黙っている。

「私もしたい」

 そう言うと、私はイチの後ろにまわって、真似をした。下半身をピッタリとくっつけて、トントンするやつ。

「あんまり上手にできないな」

 私の奇怪な行動に、「女の子にそんな事されたのはじめてなんですけど」とイチは苦笑いしていた。


 私たちは座った。

「ねぇ、モモちゃん。凝ってるとこない? そういう仕事してるから、せっかくだしやってあげるよ」

 この言葉は、イチの常套句なのではと思う。女の人の体に警戒されず触れる。私のように気を許している場合には、展開を進めるのに好都合だ。

「すごく凝ってるよ。ありがとう」

 お礼まで言っていたと思う。お酒を飲み直していたから、また酔っ払ってきたのだろう。私はいろんな事を忘れている。


 イチの触り方が気持ち良くて、私はすっかりリラックスしていた。時折耳元で囁かれると、身体中が熱っぽくて、ウズウズした


 あまりこの時の記憶はよく覚えていないけれど、私は寝転がっていた。(押し倒されたのではなく、「そこに寝てくれる?」と言われて素直に従っていたような気もする。)


 私にかぶさってきたイチは、得意のキスをした。何度も執拗に。私の舌は逃げ場を失っている。息が苦しい。


 結論から言うと、ここで致してはいない。

 ただ、イチに味見をされた。

 彼が私の中をかき回した指を、舐って「美味い」と言って舌舐めづりした姿は、今でも忘れられない。長年私のオカズになっている。


 その後のことは端折らなくてはいけない。

 どうもカクヨムでは詳しい性描写は禁止しているから。色々と調べたけれど、R15指定までなら書いても良いらしい。でもそれがどの程度なのか私には分からないので、やっぱり端折らせて頂く。


 イチは、恋愛を楽しむ男だった。それは本人の口からも聞いたので、間違いないと思う。

 一般的な男性は、駆け引きを楽しんだりするのだろうか? 私は男ではないので分からないが、どちらかというと面倒くさいと感じる人が多いだろう。

 感情の揺さぶりは、気持ちをより高揚させる。その過程をイチは楽しめる男だった。

 イチほどではないが、私はほんの少し、人の心を動かすすべを知っている。私の趣味は、物書きの真似事だ。


 別の日の夜、私はイチの運転する車に乗っていた。以前はハーレーダビッドソンによく乗っていたらしい。結婚をして車が必要になったので、売ってしまったという話をしてくれた。

 バイクに詳しくない私でも知っている。ちょっと乗ってみたいな、と思って調べて写真を見ていたことがある。

 ハーレーに乗るイチを想像するのは容易い。私は知らないうちに、運転する横顔を魅入っていたらしい。

「そんなに見つめられると、照れるんですけど」

 イチが恥ずかしそうに笑った。

 

 それから私は、何か話をしようとして、彼氏の話をはじめた。面白いエピソードがたくさんあるので、つい色々と披露してしまう。


 運転をしていたイチは、静かに聞いているようだったが、急にコンビニの駐車場に車を止めた。何か買うものがあるのだろうか。

 フロントガラスの方を見つめていたイチの目が、私へと移った。かと思うと、いつもの優しい口調ではない、荒々しい声で言った。


「俺の前で、他の男のはなしをするな!」


 私は驚いて、少し怯えていたと思う。黙り込んだ私を見て、ハッと我に返ったのだろう。

「……なんてね。冗談だよ」

 いつもの、少しふざけた表情する。そしてちょっと懇願するようにこう言った。

「俺といる時は、俺だけのことを考えてよ」

「わかったよ。ごめんね」

 私の言葉に満足をしたのか、イチは再び車を走らせた。コンビニには用がなかったらしい。

 イチはすごくヤキモチを焼く男だ。それがこんなにも痺れるほど心地が良いなんて。私はまた一歩、踏み入れてはいけない沼地に足を取られてしまった。



 私は日に日に、イチに溺れていく。

 イチはどうだったのだろう。おそらく彼も、素直で、自分が思うままに扱いやすくて、慕う年下の女に情が湧いていたと思う。


 人は、自分のことを理解してくれて、好意を寄せてくれるものに弱い。

 自分では気がついていなくても、心のどこかで、ありのままの自分を受け止めてくれる誰かを待っている。


 私は小説を書くとき、意図せず、自分の内側を垣間見ることがある。

 けれど小説というのは、恥ずかしい、ありのままの自分の一部だけを切り取って、誰かに見てもらうために装飾を施している。少なくとも、私の場合はそうだ。


 本当は、何もかもさらけ出せればいいけれど、そんな事をするのは大人ではない。


 イチはよく言っていた。

「自分の欲求を変に抑え込むから、おかしなことになるんだよ」

 彼は上手に話をすり替えたり、ごまかしのような手口を使う。


 私がイチの言葉に「ずるいね」と言うと、

「それはモモちゃんが、俺の言葉に揺らいでるって受け取るけど。いいの?」

 と面白そうに返した。


「俺といる時は、細かいことは考えなくていいよ。そのままでいいから」


 本当に、酔わせるのが上手いと思う。


「そんな事できらいになったりしないよ」


 私に対して、否定的な言葉を使ったことは一度もない。


「したいことがあれば言って。言わないと伝わらないよ?」


 絶対に分かっているのに、あえて言葉にしないとしてくれない事もある。それも含めて、すべて、私にとって正解だ。



 こんな話をしておきながら、信じてもらえないと思うけれど、私は性に奔放な性格ではない。

 

 むしろ、ちょっと嫌悪を感じて、イチに出会うまでは、どちらかと言えば否定的な捉え方をしていた。


 イチは、人とじかに触れ合ったり、深いところで繋がりを持つことを求めたがる性格のようだった。

 それに加えて、ありあまる性欲があった。

 私と出会った時、それらが満たされていなくて、彼は孤独を感じていたのかもしれない。よく、「さみしい」と言っていた。


 私はどうだったのだろう。

 思い出してみると、私も孤独を感じていた時期だった。ライブの後、みんなで呑んでいる時にも話していたが、数ヶ月後に結婚式を控えていた。いわゆる、マリッジブルーだったのだ。


 すべての出来事に、共感してもらおうとは思っていない。否定も、お説教が欲しいわけでもない。

 ただ、私は、たくさん本が並んだ棚の隅に、この小説をしまっておきたかったのだ。


 なぜか、こんなことを書いていると、目から涙が溢れてくる。私自身にもよくわからない。だれか、こんなしがない小説を書いた作者の意図を、考察してくれないだろうか。



 私は、ある時を境にイチと会わなくなった。

 日常が忙しくなった事もあるが、このままではいけないと感じたから。


 あれからもう何年も会っていない。


 でも時々、メッセージのやり取りはしている。


 私と会わなくなってから、イチは彼女を作るようになった。近況報告を受けた時、両手で数えるほどいたこともある。

 どうやって付き合っているのか不思議だったけど、彼はとてもマメで頭がよく回るので、卒なくこなしていたのだろう。

 彼女が1人だけでは負担をかけてしまうから、何人かいないとダメらしい。


 

 ある時、私は美術館にいた。


 私の好きな「カラヴァッジョ(正式には、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ)」の絵画展が近くまでやってきたのだ。


 本物を見るのははじめてだった。

 画集で見るよりも、やはり迫力が違う。心なしか、少しひんやりとした空気がそばに漂っていて、カラヴァッジョ本人も隣に立っているような気さえする。


 カラヴァッジョの作品は、どれも素晴らしい。(好きなものもあれば、そうでないものもあるけれど)。

 作品も素晴らしいが、彼の生き方にも興味がある。


 彼は、人を殺したことのある画家だ。

 有名な画家の中で、そんな人はカラヴァッジョくらいではないかと思う。


 本来、私はカラヴァッジョのような人は嫌いだ。そんな人になりたいとも思わない。関わりたくもない。


 それなのに惹かれる理由は、彼がとても「才能」に溢れているから。だからこうして、後世にも、人から愛されているのだ。

 もし彼に「才能」が無ければ、こんな風に飾られることも、愛されることもなかっただろう。



 私はふと思う。

 そしてため息を吐く。


 この小説を締めくくりを考えている。

 

 私には才能が無いから、きっとこんな話を聞かされたら、まわりから愛想を尽かされるだろう。


 こんなにも、私の周りは賑やかなのに、どうして孤独を感じるのだろう。愛されていないわけではない。


 私の感じている心の隙間を埋められるのは、この世でイチだけなのだ。でもそれを求めてしまうと、私は壊れてしまう。


 どうしてよいか分からなくて、私は書き始めた。『いとしい私のメフィストフェレス』、この小説を。

 



     Fin.




*****


物語はこれで終わりですが、

「あとがき」を掲載しています。

こちらも楽しんで頂けますと幸いです。


(カクヨムコンの文字数をオーバーする為、現在非表示となっています。終了後、また掲載致します)

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『いとしい私のメフィストフェレス』 ヒニヨル @hiniyoru

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