第40話

 やがてそう間を置かずに夕日の援軍がやって来ました。

 滅多刺しになった殺人鬼と両足を負った深夜が、それぞれ担架で上階の病院へと運ばれて行きます。心臓にナイフを刺されて絶命した松本零歌は、しがみ付いて離れない唯花を説得して、丁寧に埋葬する為に一度組織に引き取られました。

「ありがとう北原。お陰で救われた」

 夕日はわたしに言いました。

「君が協力してくれなかったら、唯花が未明を襲いに来るまで持ちこたえられなかった。君が私の友でなければ、私は殺人鬼に突き出されて奴隷にされたことだろう」

 私はそっぽを向いて「礼には及びません」と言いつつも、友達に感謝されるのはこんな状況でもやはり嬉しいのでした。

 脳震盪で倒れていた時川正午は、夕日による簡単な応急措置の途中で目を覚まし、私の顔を見て口を開きます。

「……今まで騙しててごめんなのだ」

「何を騙していたのです?」

「夕日お姉ちゃんとは友達じゃなくて姉弟だったのだ。それをずっと黙ってたのだ。お姉ちゃんと一緒に北原を騙してたのだ」

「……謝罪を受け入れましょう。『ごめんね』『いいよ』という奴です」

「のだ……。それと、ありがとうなのだ」

「何がです?」

「夕日お姉ちゃんと仲良くなってくれて。本当に喜んでいたのだ。きっと大好きだと思うのだ」

「……それこそ例には及びません。さあ、念のため病院に行くんでしょう? お大事に」

 運ばれて行く時川正午を見送った後、夕日が声を掛けてきます。

「……『話し合い』はいつするかね?」

「いつでも。あなたの望む時、望む場所で。いつでも受けて立ちますよ」

「そうか? なら落ち着いたらすぐに電話を掛けよう。その時に備えてお互い理論武装を完了させて置こうじゃないか」

「……口に上手さを競う訳じゃないんですよ? 分かってます?」

「分かるとも。だとしても言いたいことや考えをまとめるのは大切なことだ。適切にイデオロギーを伝えるのには相応しいレトリックが不可欠だ。そこはディベートのテクニックにも通ずるものがある。そう思わないかね?」

「何言ってるのか分かりません。こっちが小学五年生だと思ってからかってるんですか?」

「少し稚気を起こしただけだ。許したまえよ」

 夕日は音無を名乗っていた時のような笑い方をします。

「さて。君のことはこれから結社員に家に送らせる。私も同乗しよう。互いにシャワーを浴びた後でね」

「分かりました」

 シャワーの後、わたし達は同じ車に乗り込んで、夜の街を走り始めました。




 やがて自動車は私の家の前に到着します。

 両親はきっと心配していることでしょう。何と言い訳するか、そもそも言い訳するかどうかはわたしに委ねられることになっていました。どうすれば良いか未だに決めかねているわたしですが、とりあえず両親の胸に飛び込んでから、後のことは流れに身を任せようと思っています。

「大変なことに巻き込んですまなかったな」

 わたしを車から降ろす時、夕日はそう言って頭を下げました。

「……それはまあ百回でも二百回でも謝ってもらいたいですが、まあ許しますよ」

「君以外の他の『教育生』のことも順次解放することを約束する。君や松本姉妹のような例外を除き、教育生達は皆自ら志願して『アヴニール』に助けを求めた者達であるが、それでも説得して帰る場所がある者は帰らせる。居場所のない者については、何が最善なのか本人を尊重して検討し決定しよう」

「……良いんですか? まだ話し合いもしていないのに」

「この一点に関しては君だって譲らないだろう? 客観的に判断して君が正しいと思ったから、従うまでさ」

「……そうですね。それで良いと思います」

「ああ。では最後に」

 そう言って、夕日は車から降りて、わたしに正面から抱き着いてきました。

 先ほど一緒に浴びたシャワーの匂いがしました。夕日の身体は柔らかく幼く華奢です。寄りかかって来るようなその儚げな重みをしっかりと受け止めて、わたしはその身体を抱き返しました。

「どうしたんですか?」

「いいや。こうしたかっただけだ」

「そうですか」

 わたしはそれを受け止めます。わたしはこの子の友達でした。この子の弱さを受け止め、この子の過ちと共に向き合い、この子を支えながらこの子を導き、正しい道を共に歩むべき友達でした。それがどんなに茨の道であったとしても、わたしはこの子を見捨てないのです。

「……怖いよ」

 夕日は言います。

「わたしは必ず中二病患者達を解放する。その為の革命を起こす。君が望むならテロという手段は放棄しても良い。しかし、それでもそれは、いつか必ず成し遂げられるべきことなんだ。私か、私以外の誰かによって」

「ええ」

「でもね。それは強大な敵を相手にするということなんだ。これまで手段を択ばなかったのは、それが怖かったからなんだ。恐ろしかったからなんだ」

「分かります」

「だがそれは間違ったことだと今なら分かる。いや、本当は分かっていたんだ。暴力で強引に手にした勝利は長く続かない。それは本当の勝利ではなく、別のもっと強い暴力によって容易く奪われる、泡沫の勝利だ。それが分からないくらいには、わたしは深く怯えていて、焦っていたんだ」

「はい」

 わたしは夕日の熱い体温をじっと抱きしめながら言います。

「でも大丈夫です。もう怖がる必要はないんです。わたしが共に戦います。わたしがあなたを守ります」

 この小さな身体で、足りないアタマで、いったいわたしに何ができるというのでしょう? それでもわたしはそう口にすることを躊躇しませんでした。心の底からそれを誓うことに迷いませんでした。その気持ちこそが彼女には必要であることを、わたしは理解していたのです。

「ありがとう」

 夕日は花を握り潰したような笑みをわたしに向け、そっと身体から離れました。

「来る話し合いの日まで、暫しのお別れだね。親友。では、また今度」

「ええ……。また今度」

 夕日を乗せて去っていく車を、わたしはじっと見詰めます。

 夕日。わたしの親友。多くの中二病患者達の未来を背負い、余裕を失って強硬なテロリストになりかけていた夕日。数多くの友や家族に裏切られ、傷だらけになりながらそれでも戦い続けていた夕日。やがて自らの過ちに気付き、改心への道を歩み出そうとしている夕日。優しい夕日。困った夕日。大好きな夕日。

 やがて車が豆粒のように小さくなって、完全に消えてなくなりました。そうなってからも、いつまでもいつまでも、わたしは夕日の去った夜の暗闇を見詰め続けていたのでした。

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狂気と友愛の指切り 粘膜王女三世 @nennmakuouzyo

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