トウゴマ

高黄森哉

トウゴマ


 トウゴマという植物を知っているだろうか。あの燃えさかるような赤い植物を。まるでアザミのよう、血に染まったタンポポの綿毛のような、なとげとげした花を咲かせる、猛毒の植物を。


 私は道端で、トウゴマの種を拾った。種はずっしりと重く灰色だった。まるで何かの臓器みたいな色彩で、私はハッと、焼いた鳥の肝臓に似ている、と思った。壊死した私の心もこんな具合なのだろうか。もう、血の通っていない私の精神構造も。そして、うつむくと、首の動きに合わせて、まるでからくり人形の動力が切れたみたいな音がなった。カラカラカラ。頭の動きに弾き出されたかのように、自転車が脇を通り抜ける。その物悲しい、錆びたチェーンの音が、私にその豆を口にしてしまえと、優しく語り掛けていた。


 ああ、なんて死ぬにいい日だろう。夕日の色彩は、いつもよりもずっと赤く、地獄が、あっちからお迎えにやってきたように思えた。まさにトウゴマの唐紅だ。しかしロマンチックに想像しつつ、この終熄の火炎が、夜という虚無を覆い隠す、嘘でしかないことを心に閉まった。地獄とは、人間がこさえた、虚無に対抗する、甘美なまやかしでしかないのだ。それを分かっているのに、私はこの手の平の爆弾を、口に放り込んでしまいたい。


 だって、私は決して還俗したくない。


 私は就職活動の中で、人間の醜さを知った。社会人は、学生とは、まるで違っているように見せていた。その主な違いは、社会人的虚栄心を持ち合わせていることである。彼らは、なぜ全てを、金メッキに浸さなければ気が済まないのか。彼らがそうしてきたからだ。全てはったりで出来ていて、それなのに、それが独自たる自分の色と信じている、愚かしい俗人ども。社会人であることが、そんなに偉いか。ただちょっと小賢しく言葉遣いを変えただけで、そんなにちゃんとした人間になれるか。ただ見せかけの人間性と、己の正しさへの虚飾は、会社だけではなく、社会全体を覆う、有害なスモッグだった。


 可燃性の吐き気が、私を焼き尽くした。そんな人間になるために今まで生きてきたわけではない。学生時代のあの輝かしい不躾さ、好奇心、正しさ、誠実さ、礼儀の正しさ、謙虚さを、捨てて、それで社会人たる資格を得たつもりか? 結局のところは、友達間でやった、秘密の合言葉の延長でしかないくせに。それなのに、子供から脱却したといいたいのだろうか。業界でしか通じない言葉や礼儀は、面倒な以上の機能を持ち合わせていない。それで、信用する方も馬鹿だ。そういった伝統も、おそらく誰かが始めたから、従っているだけなのだろう。まるで水槽のネオンテトラのようじゃないか。小さな池の小さな魚。


 ああ、不治の病だ。そうなるならば、輝かしいまま死んでしまいたい。どうにもならず、そういった加工、例えば社会の海にて電流を流されてメッキが集まるのを喜ぶくらいならば、本当の下地を晒したまま、主観の時間を停止したい。死は全てを解決する気がした。


 目を瞑ると黄金が見えた。セピア色をさらに悪化させたような、軽薄な金属の輝き。その湾曲に沿って世界は曲解され、その単一に解釈される。けばけばしい色の中に、往来のスーツの喪服に身を包んだ、すでに死んだ、人間とおよそ言い難い、会社のロゴが行き来していて、それでいて、その姿に満足している。はがれたメッキの下には、太陽に当たらなかったせいで、不健全になった生身の心があり、すでに錆が進行しており不可逆的に壊されている。生きながら死んでいる、生きながら死んでいく。


 だったら今、死んでも同じじゃないか。


 私はトウゴマの種子を口に入れた。口から生ぬるい血があふれ出した。鉄分を豊富に含んだ、吐きたくなるような液体。飲み干して、皮だけになったそれを、舌で転がすと内部に、イクラよりも細かい、赤の粒粒を発見した。それはころころと口の中に広がり、異様な味を持って、ぷちぷちと弾けた。一瞬だけその球がみじろぎした気がしたが、かまわず奥歯で潰し続けた。余りのまずさに涙が出てきた。


 そして、トウゴマ属(Ricinus)が、マダニ(Ricinus)を意味すると知ったのは、家に帰ってからである。

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トウゴマ 高黄森哉 @kamikawa2001

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