14

 深沢家に帰ると、僕らは母にこっぴどく怒られた。

 母は怒っている途中泣きだして、それにつられて秋も泣いた。


 秋はお風呂に入り、ご飯を食べるとすぐに眠りについた。

 一方で、僕は延々と頭の中の整理を続け、ようやく思考がまとまってきたのは、日付が変わる頃だった。


 縁側に座っていると、与助おじさんと弘子おばさんが横にやってきた。

 お墓で会ってから、与助おじさんとはほとんど会話をしていなかった。

 聞きたいことは山ほどあったが、どこから聞くべきかも、どうやってそれを伝えればいいかもわからなかった。

 鈴虫の音が夜の闇を震わせた。

 蚊取り線香の匂いが強まった。


「集井岩のこと、誰かから聞いたの?」


 弘子おばさんが前を向いたまま尋ねた。


「違うんです……どこから話せばいいんだろうな」


 僕は、自分の身に起きていること、もうひとつの世界がいつからか見えるようになっていたことを、順を追って話した。

 途中途中でつっかえながら、できる限り丁寧に言葉にしていった。


 二人は真剣な面持ちで、話を遮ることなく、最後まで聞いてくれた。

 ところどころ自分の記憶が曖昧になっていることや、順番の前後がわからなくなったりする部分もあったが、生まれて初めてここまで詳細に一連の流れを並べて説明した。

 話が終わり、最初に口を開いたのは与助おじさんだった。


「春くんが見ていたのは過去だな。僕らが小学生の頃の集井村だよ。『はる』、つまり晴夫は春くんの前世の記憶なんじゃないかな」


 おじさんの目は潤んでいた。


「集井岩の力が、はるをミラクル冒険隊のみんなの元へ引き戻そうとしたのかもな」


 そうか、集井岩は、僕が生まれ変わって新しい命を生きていても、約束を果たそうとしてくれていたんだ。

 自然と受け入れられる考え方だった。

 長年のわだかまりがすうっと溶けていく。


 もしかして、この世界が見えるようになったのは、小さい頃に集井岩を見つけたあの時からだったのかもしれない。

 最初にあちらの世界を見たのがいつなのか、僕自身が覚えていないため、誰にも証明することはできないが。


「はる、お帰り」


 弘子おばさんが僕を抱きしめた。与助おじさんも反対側から僕を抱きしめた。


「ただいま、アサヒ、ヤシ」


 涙を流す二人の顔は、僕の大切な友達の顔だった。


「そういえば、みんな、今では隊員名で呼んでないね」


 僕の言葉におばさんが笑った。


「中学生に入った途端、この人が急に『恥ずかしいから、ちゃんと名前で呼ぼう』って言い出してね」

「そうだった、そうだった」


 おじさんは照れていた。


「かっこいいと思っていたはずがね。人間は変わるんだよ。ほら、おれの髪の毛だって、あんなにもっさりだったのに、今じゃ寒いからな」


 おじさんは自分の頭を撫でた。ヤシの由来である、ボサボサの髪はもうそこにはない。


「それにひきかえ、康司さんは髪の毛ふさふさだったね」


 おばさんが嬉しそうに笑う。


「そうだよ。昔はずっと丸刈りだったのに、ある時から逆転しちゃって。でも、弘子と一緒になれたのはおれだったな」

「あたしは康司くんのことしか見てなかったはずなのになあ」


 そういえば、ヤシはアサヒの名前を美しい「朝日」から取っていたのに、アサヒは「ろこ」という本名から隊員名を付けられたと考えていた。

 このすれ違いが実ったとは。

 世の中どうなるかわからない。


 二人のやり取りにはとても懐かしいものがあった。

 特に、喋り方なんかは、あちらの世界で聞いたものにそっくりだった。

 なぜ今まで気がつかなかったのだろう。


 お腹の底から温かいものが込み上げて、目から湧き出した。

 僕がこちらの世界で会いたいと思っていた人達は、すぐ側にいた。


「また、今度、ミラクル冒険隊で集まりたいな。どうだ?」

「いいね。ちゃんと信重も呼んで、桂子ちゃんは近いから大丈夫だし、あとは康司さんだね」

「もちろん、春くんもね」

「うん」


 そっか。シゲはアサヒの弟であり、弘子おばさんの弟なんだ。

 祖父があんなに可愛かったとは。


 ハナセは花に囲まれる家で、押し花のしおりを作っていたのか。


 与助おじさんが立ち上がって部屋の奥へ行き、何かをガサゴソ探して戻ってきた。


「はるに言いたいことがあるんだ」


おじさんの手には木製のクワガタ人形があった。


「これ、ありがとう」

「ちゃんと持っていてくれたんだ」


 僕とヤシの仲直りプレゼント。


「はるが『出会えて本当によかった』って行ってくれたあの時、おれは恥ずかしくて何も言えなかった。それをこの数十年間ずうっと後悔しててなあ。いつも墓の前で『ありがとう』と『ごめん』を繰り返してたんだ。届いてるかもわからずにな」


 おじさんは声を震わせた。


「はるはそんなこと気にしてなかったよ。ヤシが照れてることだってわかったし、それに、はるとヤシは友達だったんだから」


 僕はおじさんに、いや、ヤシにまた抱きつかれた。


「ずうっと言いたかったんだ。これだけは言わせてくれ」


 おじさんは僕の肩に手を置いて、目を見た。


「本当に、本当に、ありがとう。もう一度、生まれて来てくれて、二度もおれと出会ってくれて、本当にありがとう」


 僕はヤシの背中に手を回した。

 アサヒと目が合った。アサヒはあの眩しい笑顔を浮かべていて、そのまつげが月光に煌めいていた。


「こちらこそ、本当にありがとう」


          *


 母が驚いた顔で僕と秋を交互に見た。


「どこ行ってたの? 頭に葉っぱなんかつけて」


 僕は秋と目を合わせた。


「秘密」


 秋がいたずらな笑みを浮かべる。

 母は僕の髪の毛から木の葉を取った。


「あ、でも、桂子さんに会ってきた」


 僕は付け足す。


「桂子さん? 何で?」

「ちょっとね、道具を借りてたから返しに行ってたんだ」

「はあ……よくわからないけど、高速が混む前に出たいから、話の続きは車の中で聞かせてね」


 母は、最後の荷物を取りに、家の中へと入っていく。


「じゃあ、また」


 僕は弘子おばさんと与助おじさんに別れを告げる。


「また、いつでもおいで。みんなで集まる時も呼ぶから」

「うん、ありがとう」

「ばいばい」


 秋も手を振り、僕らは車に乗った。


「今度来たら、お母さんも連れて行けたらいいな」


 秋がそう言ってシートベルトを締める。


「そうだね。連れて行こう」


 くるみも連れて行こう、と思った。

 もうひとつの世界を見るための方法は、集井岩に名前を刻むことだと教えてあげよう。

 行き方がわかったら教えると約束したのだから。


 母が運転席に乗り込み、車を発車させた。

 振動がお尻から伝わり、熱い空気がエアコンから出てきた。

 車は進み出す。

 窓を開けて顔を出す。


 おばさんとおじさんはずっと手を振っていた。僕も少し乗り出して振り返す。


 深沢家が、村が、山が、小さくなっていく。


「二人とも、楽しめた?」

「「うん」」


 秋と声が重なる。

 この夏は、僕にとってかけがえのない夏だった。

 でも、夏休みはまだこれからだ。


 やりたいことができた。あんな眩しい思い出が作りたい。

 秋との時間も大切にしたい。

 家族の一員として、家事も続けていくつもりだ。

 だけど、現世の僕も思い出すだけで胸がむずがゆくなる、幸せになれる思い出が欲しかった。


 夏の空みたいに突き抜けて明るく、美しい思い出を作れたらいい。

 そんな大それたことでなくてもよかった。ただ、いつの日か、ふとした瞬間に思い出して、あの頃に戻りたいと思えるような今日を送ることができたらいい。


 田園風景に、広がる青、立ち上る入道雲。

 耳を澄ませると夏が聞こえた。


 うだる暑さを吹き飛ばす風に乗って、遠い昔から響き続ける子ども達の声。

 水しぶきをかけ合う音。

 蝉に気づかれないよう、しゃがんで潜めた息遣い。

 何の不安も忘れて、目の前の楽しいものに心を奪われた時に聞こえる、胸の鼓動。


 全てが季節の思い出を、鮮やかに残してくれる。


「お父さんの名前も書いたら、いつか会えるかな」


 秋が窓の外を見ながらつぶやく。


「そうだね」


 秋がこっちを見て微笑んだ。


「忘れたくない人の名前って、思ったよりもたくさんあるね」


 茂みに隠され、苔むすほどに忘れ去られた、伝説の岩。

 そこには名前が彫られている。


 僕らが生まれる遙か前に彫られた六人の友達の名前。

 そして、新しく彫られた兄弟の名前。


 季節は止まることなく移り変わってゆく。

 再び同じ季節が巡って、だけどやっぱりそれは以前とは別のもので。

 大切なものが遠ざかってしまうこともある。

 それでも、変わり続ける世界の中で、変わらないものも、きっとある。


 この夏は、いつまでも僕らを繋いでくれるだろう。



 僕の中で夏はまた、さらに恋しいものになる。







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二つの夏を生きていた 滝川創 @rooman

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