最終話 少女の色

 肌寒い夜風が髪をさらうと、東の景色を埋め尽くす蒼白の山に目が行く。そしてその度に、騒動に次ぐ騒動に見舞われた国外逃亡の終わりについて思い出す。


 ソドムとゴモラ率いる犯罪組織の人達は、二度と逆らわない事を条件に解放してあげた。騎士団に連行するとしても、二つの国の中間地点の地下という場所もややこしく、何よりセフィ達も犯罪者であるため騎士団に顔を出すのは危険だった。


 幸い、セフィに凍らされてサウェルにぶん殴られた彼らは簡単にへりくだった。弱肉強食が身に染みているのだろうか。

 あからさまな態度の変化に最初は訝しんだものの、旅に必要な資金や物資、それに有益な情報もいくつか貰ったので、考えた末に見逃す事にしたのだ。


 あれから組織員に背後を襲われたりはしていないので、あの選択は結果的に正解だったと思う事にしていた。

 彼らと敵のままでいたら、エズト王国の騎士団やバラルの都市警備隊にセフィ達の素性を密告されて調べ物どころではなくなっていたかもしれないのだし。


 たくさんの資金と心の余裕を手にしたセフィは、当時に望んでいた通りの平穏に身を浸していた。


 そして――


「今日もお疲れ様、セフィ」


 陽が沈み、図書館の門が閉じた頃。宿へ帰る途中に、別の道から声をかけられた。

 もう隠す事をやめた黒い髪は夜空に溶けてしまいそうだったが、彼が持っていた煙のように不安定な危うさは、既に無くなっている。


 そこにいるのは、一人の少年。

 隣にいる事をセフィが望み、そしてそれを望んでくれた少年だ。


「サウェルもお疲れ様。ペトル君は大丈夫だった?」

「ああ。怪我も病気も無し、至って元気だったよ。セフィにもまた会いたいってさ」

「じゃあ明日にでも行こうかな、に」

「俺のじゃないって。手伝いをしてるだけだよ」


 サウェルとペトルの関係を一言で表すと、保護施設の職員と保護された孤児だ。

 バラルの隣町にあるというその孤児院は、犯罪者同士の子供や既に手を汚した子供など、普通の孤児院にはいられない事情がある孤児達を預かっている、少々特殊な場所だった。

 サウェルはそこで育ち、一度施設を出た後、今は職員の一人として子供達のお世話を手伝っているらしい。魔道具製作の腕を活かして技術的な協力を主にしていたそうだ。


 しかし一ヶ月と少し前に、そんなサウェルの腕に目を付けたゴモラ達によって、孤児の一人――ペトルが攫われてしまった。彼を人質に取られたサウェルは、仕方なく組織に身を置くことになったのだそう。


「セフィに出会ってなかったら、被害者は増え続け、人質も増えていただろう。君は俺とペトルだけじゃない、沢山の人を救った恩人だ」

「そ、それは大袈裟だって……何度も言ってるけど」

「大袈裟じゃない。俺は君に、一生をかけても返しきれない恩があるんだ」


 だから、彼はセフィと共に旅をする事を選んだ。

 もしも許されるのなら、この身に変えても彼女を守り、彼女に尽くす。そんな誓いと共に。


「たとえそれがなくても、俺は君と――」

「うん?」

「……いや、何でもない」

「なになに、気になるじゃん。もう一回言ってよー」

「何でもないったらない」


 珍しく頬を染めるサウェルは、咳払いと共に言葉を飲み込んでいた。

 初めて見る彼の表情も、これからもっと見れる事だろう。そう考えるセフィは、自然と笑みが零れていた。

 宿への道を並んで歩きながら、話はセフィへ移る。


「ところで、君の調べ物の方はどうだったんだ? そろそろ一ヶ月になるけど」

「もちろん答えは見つからなかったけど、手がかりに続く道はぼんやり見つけたって感じかな。新しい発見もあったんだ」


『白十字』のヒントが天使にあるかもしれない。

 司書との話を思い出しながら、図書館が閉まるまでに詰め込んだ本の中身を記憶から引きずり出す。


「城塞都市イェリコとか、絶白の森っていう異常気象領域とか。旧時代や天使にまつわる大事な場所にいくつか目星を付けてるよ」

「どっちも西大陸の場所か。そう言えば、ゴモラの奴が言ってた『犯罪者を守ってくれる組織』っていうのも西大陸だったよな。ナカーズ王国の東端の街だっけ」

「海を渡るってなったら長い旅になりそうだし、すぐには決めなくていいかもね。まだ図書館で調べたい本も残ってるし」


 もちろん、いつまでもここにいられる訳ではない。いつかはマアブから報告を受けて、エズトの騎士団がセフィとサウェルを捕まえに来るかもしれない。アンデーレのように冒険者を使う可能性だってある。


 いつかはここを離れる。話したように、思い切って大陸を飛び出してみるのも悪くないかもしれない。

 だがその前に、セフィにはまだやり残した事があった。


「ねえサウェル。孤児院の引継ぎ処理は、今日で終わったんだよね」

「ああ。急に辞めるって言い出したからすっごい質問攻めされたけどな。ちゃんと終わらせて来たよ」

「じゃあさ、明日の予定とかって特にないよね」

「そうだけど……あ、本探しを手伝ってほしいとか?」

「ううん、そうじゃなくてね。その……」


 下を向いて歩きながら、胸の前で両手をもじもじさせるセフィ。歯切れの悪い言葉に、隣から疑問の視線を向けられているのが分かる。

 平常心を意識すればするほど、鼓動が速まっている気がする。服の中に感じる小さな宝石の感触から勇気を貰い、セフィは意を決して顔を上げた。


「お花畑に、行きたいの」

「花畑?」

「うん。北にある公園の、お花畑」


 彼女はどこまでも、見えない記憶と『白十字』に振り回されている。それを得るために道を外れて、その歳に似つかわしくない苦労をした。


 だから、少しくらいは休んでもいいだろう。

 犯罪者でも『白十字』を追う者でもなく、ただの少女として一日を過ごしてみても。


「二人で一緒に、見に行かない……?」


 花のように優しく、少女は笑みを浮かべた。

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まっくろ白魔術 ポテトギア @satuma-jagabeni

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