あのマンガ

ムラサキハルカ

ナツノマボロシ

 中学の夏休み。毎日のようにいている市民プールまで自転車をぶっ飛ばしていた。別段、運動神経が良かったわけでもなければ、速く泳げたわけでもない。ただ、当時スイミングスクールに通っていたうえで、一年で身長が十センチ伸び、体力がどこまでも有り余っているようなありふれた成長期の激流に吞まれていたのいたのだと思う。あと、一緒にカードやゲームをしていた友だちが部活で忙しかったのもあって、夏休みなのに暇だったのもあった。

 そんな、市民プールからのある日の帰り道の途中。俺は出会った。

 二階建てのそれなりにデカい本屋だった。天井の一部や二階部分の窓がガラス張りになって開放的に見えるその建物は、当時からすれば現代的な作りだったように思う。その一階の雑誌コーナーの一角。俺はビニールにも紐にも括られていない雑誌をパラパラ捲っていた。エロ本の物色だ。

 ほんの少し前に、あれを自分で扱いて出すことをおぼえた俺は、知識も経験もほとんどないままその手の新本屋や古本屋で雑誌や漫画を探し、立ち読みし、時にはこっそり購入するようになっていた。AVや際どい写真が乗っている週刊誌に手が伸びなかったのは、そういったものを持っているやつやこの手の話題を共有する友だちや先輩がいなかったせいか、あるいは実際の肉体に対して抱く感情と当時の性欲と結びついていなかったのかもしれない。

 とにもかくにも、興味の赴くままに雑誌をパラパラとめくっている最中。一つの漫画が目に留まった。

 あらすじはこうだ。夜の教室。手足を縛られている美人女教師の前に、入江という顔が良い男子生徒が立っている。入江は、同僚と結婚直前だという女教師を言葉攻めしながら愛撫し、自らのモノをねだらせる。女教師は最初は抵抗していたものの、最終的には入江のモノを最初は恥じらいながら、最終的には叫び懇願することになる。入江は女教師を突きつつ、「先生は誰のものだ?」と強く尋ねる。女教師は「先生は入江君の物です!」と歓喜の表情を浮かべ果てる。そして、最後のページで凶悪な笑顔を浮かべた入江が踵を返しながら、女教師に「アイツに行っておけよ、先生は入江君の物になりましたってな」と告げるところで物語は終わる。

 この短編に、俺は強く惹かれ、下着を濡らした。無理やりから少しずつ共犯に変化していく二人の関係性。入江のアレをねだる時の先生のやけくそ感。果てた際の恍惚とした顔。ラスト一ページの入江の言に物言いたげにしながら、何も言わない先生の姿。そのどれもこれもが印象に残り、何度も何度も繰り返し、読み返した。

 そして、より印象に残ったのは入江だ。前述したように女教師は結婚を控えていて、ちゃんとした相手がいる。そんな女性と関係を持ち、自らの物にしようとするこの少年に、俺は薄らとした嫌悪感とともに、どこか悪魔的な魅力を覚えていた。

 奪われた。そう思った。先生は俺の物なのに、と。それと同時に、奪われたと考えれば考えるほど、俺の頭はこの一本の漫画でいっぱいになっていった。

 

 翌日から、プールの帰りの度に件の本屋に寄り、同じ漫画を読んだ。疲れていっぱいになった体と下腹部はより熱を増し、じゅわりと肌着と下着は湿らせた。早く出したいという切なさと、少しでも多くの時間同じ漫画を読んでいたいという気持ちの狭間で揺れながら、何度も何度も繰り返し読む。まるで、そういう機械になったみたいに、同じことを繰り返した。

 立ち読みで済ませていたものを買いたいと考えるようになるのに、さほど時間はかからなかった。だけど、いくつか問題があった。

 一つ目はお小遣いの問題。当時、もらっていないわけではなかったが、年相応ということもありまだまだ少なく、ホイホイ無駄遣いできるほどの金はなかった。とはいえ、これに関しては出せなくはない値段だったし、なんなら親からもらっていた市民プール代をちょろまかせばなんとかなる。

 二つ目は場所の問題。俺父母姉と四人で住んでいたマンションには個室がなく、エロ本を隠すのが難しかった。その頃、収集していたエロ関係のものは、小学生の頃に使っていた薄緑色の道具箱に手当たり次第に放り込むか、学習机の引き出しのどこかしらに入れていた。前者の隠し場所は、例の短編が乗っていた雑誌がそれなりにかさばっていたのもあり入れられるか不安だった。後者の隠し場所に関しては、家中を家族が徘徊している状況で、いつでも手を伸ばせるところに収納するのには抵抗があった。

 とはいえ、上二つの問題に関しては、俺の努力と工夫次第ではどうにかならなくはなかった。根本的な問題は、例の短編が乗っている雑誌をレジに持っていかなくてならないということだった。

 当時の俺は見た目も中身も紛うことなきガキでしかない。それは俺の認識というだけでなく、外から見ても同じだろう。たしかに成長期はやってきていたが、それでも男性の平均身長には届かない程度だったし、顔立ちも幼いままだった。こんなガキがレジに持っていこうとしている雑誌は裸の女が表紙なのだ。今まで買っていた青年誌系の雑誌ならばある程度ごまかしは聞いたかもしれないが、あからさまに肌の面積が多く、なんなら乳首も出ている。商品を見せた瞬間に止められるのは明らかだった。

 とりわけ、最後の懸念を強めたのはレジに控える男女二人組の老年店員だった。俺が店にやってくる時間帯に決まっているその二人から視線を向けられていることに、ある時、気付いた。この頃は常に興奮状態だった俺だが、それと同時に、後ろめたいことをしているという自覚ははっきりとあったため、周りから向けられる目に敏感になっていた。だからこそ、老人二人から咎める眼差しを向けられるのを察しつつも、俺は何も知らない振りをするみたいにして紙に集中しようとした。そうしている間も、老人二人が俺に向ける目はどんどん冷ややかになっていくし、何を話しているかまではわからなかったが明らかに俺を話題にしたコソコソ話をしているのがわかった。正直、もうぜっんぜん漫画に集中なんてできてなかったが、頑なに離さないように犯される先生と犯す入江の二人の物語を何度も何度も読み返した。手放したく、なかったんだ。


「それはダメなのよ」

 ある日、老女の書店員にそう告げられた時、俺は全てを悟った。

 はい、とか、答えて雑誌を元の場所に戻した後、静かに店を後にした。思った以上に晴れやかな気分。直前にブックオフで読んだヤンキー漫画の番外編で、好きだった少年に見守られながら成仏する女子高生の幽霊に自分を重ね合わせていた。とにかく、開放された気持ちだった。それはそれで気持ち良かったのだ。


 ※


 それからのことを少しだけ書く。

 この後、俺は十八歳になるまで清く正しくエロ関係のものに触れなくなりました……なんてことは当然なく、より隠れて読むようになった。要はバレなきゃいいのだと割り切った。

 ブックオフで立ち読みしたり、青年誌系のエロが目立たなさそうな表紙のものを買ったり、駅やゴミ捨て場、河原に落ちているものを拾ったりした。最後に関しては、切れ端だったり、ダンゴムシやハエが集っているものもあったりしたが、興味があるものだったらかまわず回収した。時には十八禁マークの付いたものを拾ったりもしたので、家族の目を欺くために、小学校の頃にマンションの資源回収でゲットしたホワッツマイケルの表紙をかけ、もう少し小さいサイズのものには当時ハマっていたミスターXのプロレス本の表紙をかけてごまかした。そうした多感な時期がエロゲの流行と重なったのもあって、エロに対する興味はますます強まり、その道に詳しかった先輩から情報を仕入れたりもした。

 そんなことを18歳になって、多少人の目を気にしつつも何一つ憚ることなく暖簾を潜れるようになるまで繰り返した。


 年月を経て、エロが中心とは言わないまでも生活の一部を当たり前のように占めるようになったある日のこと、ふとあの女教師と入江のことを思い出した。

 また、読めないものか。当然、そんな気持ちになったところで気付く。

 タイトルと著者名、それに掲載されていた雑誌名を何一つ覚えていない、と。

 一時期とはいえ、あれだけ執着していた話とそれを描いた人間の名前が、記憶の片隅にもない。こんなことは許されないと頭を捻り、ウンウンと唸ったが、名前はおろか、手がかりすら掴めない。

 なんとかならないものかと、ネットの女教師物のエロ漫画のあらすじをまとめたサイトを確認したり、ヤフー知恵袋にあらすじや覚えている要素を書き出してみて捜索に乗り出したりもしたが、該当する作品はみつからなかった。いや、それっぽい話自体はあるのだが、いざ確認してみると記憶にある絵柄と違う……そういうことが何度もあった。

 そもそも、古い作品である上に、実際に単行本としてまとまっているかどうかすらわからない。そして、それ以上に年月の経過があの漫画の実在すら疑わせた。

 けれど、実際にあったはずなのだ。でなければ、おかしくなってしまう。俺の心の真ん中にあるはずの芯がすっぽりとした空洞だったことになってしまう。すっかり同じ内容でなくとも、原型となる何かはきっとあったのだと。


 今でも時間ができるとあの漫画を探している。その間、俺の頭の中では入江に突かれて果てる先生の姿がぼんやりと浮かんでいる。

 

 

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