マルタ=スカヴロンスカヤは灰かぶりの夢を見るか~史上最大のシンデレラ物語~

平井敦史

第1話

「こうして灰かぶりサンドリヨンは、王子様と結ばれ、幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」


 ご本を読んで聞かせてくださっていたマルグレーテお嬢様が、お話を締めくくられた。


「うう、幸せになれて良かったですねえ、灰かぶりサンドリヨン


「ええ。あたしこのお話、大好だーいすき!」


 そう言って笑うマルグレーテお嬢様は、小さくてとても可愛らしい。それにひきかえ、あたしは図体ずうたいばかり大きくて……。


「マルタ! またあんたはこんなところでサボって!」


 いきなりそう怒鳴りつけてきたのは、マルグレーテ様の姉のエリザベートお嬢様だ。


「お姉様! マルタはあたしと遊んでくれてたの! それに、お母様から言いつけられてたお仕事はちゃんと済ませたって言ってたわ!」


 マルグレーテ様がかばってくださったが、エリザベート様は納得してくださらなかった。


「ふん、言われたことだけしていればいいと思ってるの? この怠け者の木偶でくぼうは」


「お姉様、言い過ぎよ! マルタはちゃんと働いているわ。それに、確かに体は大きいけど、すごく美人よ」


 だから余計にムカつくのよ、と聞こえたような気がしたのは、多分気のせいだろう。

 マルグレーテ様が美人とおっしゃってくださるのは嬉しいけれど、女としての魅力に乏しいことは自覚している。



 あたしの名前はマルタ=エレナ=スカヴロンスカヤ。リヴォニアの農家に生まれたが、五歳の時に両親が黒死病ペストで死んでしまい、ここマリエンブルクの町で暮らすドイツ系の牧師で、偉い学者先生でもある旦那様――グリュック様のもとに引き取られた。

 形の上ではグリュック家の養女、ということになっているが、実際には召使いだ。

 旦那様も奥様も、それに息子様、娘様方も、あたしを昼となく夜となく、こき使う。唯一、あたしに優しくしてくださるのは、末娘のマルグレーテ様だけだ。


 ちょうど今も、奥様から言いつけられた仕事を終えて一息いていたところを、マルグレーテ様にお部屋に呼ばれ、ご本を読み聞かせていただいていたところだった。

 ご本は、しばらく前にフランスのシャルル=ペローという人が書いた童話集だと聞いている。

 あたしよりも三つ下の十四歳なのに、フランス語もすらすら読めちゃうなんてすごい。

 それに引き換えあたしは、ドイツ語の読み書きさえろくにできないのに。


 エリザベート様にてられ、まきりの仕事をするために庭に出て、あたしはそっと溜息をく。


 灰かぶり、か……。素敵な王子様が迎えに来てくれるなんて、そんな夢みたいな話、あるわけないよね。


 そう、うつつの世の中は、おとぎ話みたいには行きっこない。



 グリュック家で召使いとして働かされるだけの日々を送っているあたしにも、世間の喧噪けんそうはそれとなく聞こえてくる。

 今、リヴォニアはスウェーデン王国とロシア大公ツァーリ国との戦争に巻き込まれようとしているらしい。

 リヴォニアはスウェーデン王国に従ってきたのだけれど、ロシアが攻め込んできて、それに対してスウェーデンも兵隊を送り込み、すでにあちこちでいくさが起こっているという話だ。

 ここマリエンブルクのあたりでも、いずれいくさが始まるのかな――。

 そんな不安にかられていたあたしに、旦那様は寝耳に水なお話を持って来られた。


「え、結婚ですか?」


「そうだ。お相手はヨハン=クルーズというスウェーデンの兵隊さんだ」


 旦那様はにこにこ笑顔でおっしゃるが、ちょっと待ってほしい。

 ロシアと戦うためにやって来たスウェーデンの兵隊さん。じゃあ、このいくさが終わったらどうなるの? 本国へ帰って行って、あたしも一緒について行かなきゃいけないの? それとも、置いて行かれてしまうの?

 何だか納得しかねるお話だったけど、旦那様に逆らえるわけもない。


 結婚式は慌ただしく済まされ、あたしは十七歳でヨハンという人の妻となった……のだけれど。

 ヨハンさんはスウェーデン人にしてはかなり小柄で、ちょっと気の弱そうな人で、あたしと初めて会った時には、「こんなデカい女だなんて聞いてない」だとか何だとか、ぶつくさ言っていた。

 そりゃあ確かに、あたしはそんじょそこらの男の人より大きいですけれども。


 どうやら、独身のスウェーデン兵とリヴォニア娘との結婚の斡旋あっせんがあちこちで行われていたようで、うちの旦那様もそれに乗っかったらしい。

 スウェーデンの兵隊さんにロシアと戦ってもらうため、ということらしいのだけれど、実のところはどうなのだろう。

 お金目当て……などというのは下衆ゲスの勘繰りかもしれないけれど、実際、ヨハンさんは結構な額の結納金を支払ったようだ。


 いや、まあ正直どうでもよいことだ。何故なら、あたしの結婚生活はほんの数日で終わりを告げたのだから。

 ロシアの攻撃が激しくなってきて、スウェーデン軍はあっさり引き揚げて行くこととなった。そしてヨハンさんも本国に帰り、あたしは取り残された。

 まあ、彼に愛情をいだくようになったり、子供が出来てしまったりする前で、まだ良かったというべきだろうか。


 それに、あたしには悲しみにひたっている暇なんかなかった。

 マリエンブルクがロシアに占領されたのだ。



 グリュックの旦那様は、ロシア軍の通訳としてご自分を売り込んだ。

 それもご家族を守るためにはいたし方ないことだろうと思う。

 実際、ロシア兵の乱暴な振る舞いの噂は、色々耳に入って来たし。


 旦那様が仕えることとなったロシアの将軍は、シェレメーテフという五十歳くらいの人で、通訳である旦那様ご一家に対しては丁重な扱いを約束したものの、召使いであるあたしは、他のマリエンブルクの人たちと同様に、戦争捕虜として扱った。

 マルグレーテお嬢様がとても悲しそうな、そして申し訳なさそうな顔をなさっていたことが、強く心に残っている。


 あたしは、シェレメーテフ将軍の家の召使いとされた。

 なぁに、これまでの境遇とさして変わりはない。そう、何も変わりはしない――。と思っていたら、グリュック家にいた頃以上に、あたしはこき使われることとなった。

 グリュックの旦那様は、養女という建前上、あれでも一応あたしに対して遠慮なさっている部分はあったらしい。


 シェレメーテフ家で昼も夜もこき使われているあたしだけど、唯一の救いは、「夜のお勤め」まではしなくて済んだことだ。

 シェレメーテフの旦那様いわく、デカすぎる女は好みじゃないのだそうだ。顔は良いのにもったいない、などと残念がっておられたが、あたしにとってはありがたい限り。というか、本人に聞こえるところでそんな話をしないでいただきたいのだが。



 そうして、一年ほど経った頃。あたしの前に一人の男の人が現れた。

 その男の人は、やはりロシアの将軍で、メーンシコフという人物。まだ三十そこそこの年齢だけど、大公ツァーリ殿下――このロシアの王様に、大変信頼されているお方なのだそうだ。

 メーンシコフ将軍とシェレメーテフの旦那様との間で、どのような話し合いが行われたのか、詳しくは知らない。が、いずれにしても、あたしはメーンシコフ様に買い取られ、この方を新たなあるじとすることとなった。


 メーンシコフの旦那様があたしを買い取った理由。それはすぐに聞かされた。


「え、あたしを大公ツァーリ殿下に献上!?」


「そうだ。きっとお気に召していただけるはずだ」


 旦那様は、自信満々のお顔でそうおっしゃる。


「ですが、あたしはご覧の通りの図体ですし……」


 お気に召していただけるとは、到底思えないのだけど。


「いやいや、それが良いのだよ」


 旦那様がそうおっしゃった意味は、実際に大公ツァーリ殿下にお目にかかって、ようやく理解できた。


 ほえー。大きい。


 あたしが人を見上げないといけないのは、何時いつぶりのことだろうか。

 大公ツァーリ・ピョートル殿下は、とても大きな方だった。背丈はおおかた三アルシン近く(一アルシンは約71cm)もあるのではなかろうか。

 そして、体つきも大変逞しい。


「なるほど、これほど頑丈そうでなおかつ美しい娘というのは初めて見た。これなら安心だな」


 えーっと、何が安心なのでしょう。ちょっと怖いのですが。

 でも、あたしに微笑みかけてくださった殿下の目は、思いの外優しげだった。



 こうしてあたしは、ピョートル殿下のご寵愛を受ける身となった。

 同時に、あたしはロシア正教会の教えに帰依することとなり、名前も「エカチェリーナ=アレクセーエヴナ」と改めた。

 そして、ロシア語の読み書きから、淑女としての立ち居振る舞いまで、様々なことを教え込まれた。


 殿下はお体も大きい上に、大層力も強く、おまけに癇癪かんしゃく持ちということで、お側に仕える人たちは皆怖がっていた。

 それに、ご気性も激しく、前の奥様とは気が合わず、離縁して修道院に入れてしまわれたという。

 正直なところ、あたしも最初は怖いと思っていたのだけれど、殿下はあたしにはとても優しくしてくださった。

 それと、あたしは頑丈な体に生んでくれた両親に、心から感謝した。


 殿下は、銀のお皿を素手でくるくると筒状に巻いてしまえるほどお力が強い一方、驚くほど手先が器用で、ご自身で家具や小物なんかも作ったりなさる。

 以前、欧州へ使節団を送られた時には、ご自身も身分を偽ってその中に紛れ込み、オランダのアムステルダムでは、船大工として働いたりもなさったのだと、おもしろおかしく語ってくださった。


「でも、ご正体がバレたりはしなかったのですか?」


「大丈夫。バレやしなかったよ」


 本当かなぁ。バレバレだけど、皆気を使って黙っていただけなのでは?


 また、殿下は時折頭痛の発作に襲われることがあり、長らくその持病に悩まされておられたとのことだが、どういうわけか、あたしが膝枕をして歌を歌いながら髪をなでて差し上げると、頭痛が収まるのだという。


「カテリーヌシカの声はまるで魔法のようだな」


 あたしを愛称でそう呼び、まるで子供のようにそのまますやすやと眠ってしまわれた殿下のお顔は、妙にあどけなくてとても愛おしく思えた。



 そんな日々があっという間に過ぎ去って、七年ほどの年月が流れた。

 その間にあたしは、殿下とポーランドのワルシャワ近郊でこっそり結婚式を挙げたけれど、まだ正式なお妃とは認められていない。

 いや、今でも十分幸せだから、そんな大それたことは望んではいないのだけれど。

 娘も二人生まれたしね。


 あたしがそんな幸せな日々を送っている間も、殿下はとても精力的に活動なさっていた。

 殿下の――ロシアの敵は、北のスウェーデンと南のオスマントルコ。スウェーデン王・カールカルル十二世というお人は、若いながらも大層ないくさ上手じょうずで、殿下は何度も煮え湯を飲まされてきたという話だ。

 そんな強敵に対し、ようやく先年、ポルタヴァというところでの戦いで勝利を収め、カールカルル王は北へ逃げ帰ることもできず、南のオスマントルコ領へと逃げ込んだのだとか。


 けれど、カールカルル王も中々のしたたか者で、オスマントルコのスルタンを丸め込み、兵を起こさせた――というのは、メーンシコフ殿から聞いたお話の受け売りなのだけれど。


カールカルルの若造め、いらぬことをしおって!」


 腹立ちまぎれに銀の皿をくるくる丸めながら、殿下が毒づかれる。あの、みんな怖がっているからおよしになった方が……。


「……まあいい。トルコ人ども、今度こそ決着をつけてやる。というわけで、カテリーヌシカ。今回はお前もついて来てくれ」


「は? はい、殿下がそうおっしゃるのでしたら……」


 何が「というわけで」なのかはよくわからないが、殿下がついて来いとおっしゃるならば、あたしはついて行くしかない。


 というようなお話があったのが三月のことで、殿下が率いられる軍に随行して早三月みつき

 プルート川(現在のルーマニア・モルドヴァ国境)という川のほとりで、ロシア軍とオスマントルコ軍はぶつかった。

 しかし、ロシア軍八万に対して、オスマントルコ帝国とその属邦であるクリミアハン国の連合軍は十二万。殿下率いる部隊は完全に包囲され、絶体絶命の危機に陥った。


 その報せを受けて、あたしはメーンシコフ殿に頼んだ。


「あたしが所持している宝飾品類をすべて売り払って、お金に換えてください。そして、そのお金をオスマントルコ軍の司令官殿に贈ってください」


「よろしいのですか?」


「あたしのかつての境遇はよくご存じでしょう? 何も持たない召使いの身の上から、殿下のご寵愛を受けるようになって、今身に着けているものはすべて殿下から頂戴したもの。殿下の危難をお救いするために使うことに、躊躇ためらう理由などあるものですか」


「かしこまりました」


 メーンシコフ殿は一礼して下がっていく。


 その後の彼の手際の良さは、見事という他なかった。あたしが用意させた分だけでなく、あちこちに金策して作ったお金で、オスマントルコの大宰相・バルタチ=パシャという人に賄賂を贈り、一時停戦して交渉の席につかせることに成功。殿下も、危機一髪の状況を脱することが出来た。


 その後、オスマントルコとさらに交渉を進めて、カールカルル王のスウェーデンへの帰国の容認、これまでにロシアが獲得した領地の一部返還などを条件に、和平交渉が成立した。


「カテリーヌシカ、今回はお前のおかげで助かった。礼を言う」


「そんな。あたしは何も大したことはしておりません」


 実際、あたしが余計な事をしなくても、メーンシコフ殿は何とかしてくれていたのだろうと思う。

 それでも……殿下にほんの少しでも恩返しができたのなら、それはとても嬉しいことだ。



 その翌年、あたしと殿下は、殿下が新たに建設された町・サンクトペテルブルクで、正式な結婚式を挙げることとなった。

 数知れないほどの廷臣や国民の祝福を受けながら結婚することになるなんて、かつてのあたしは想像もしていなかったことだ。

 こんな夢物語みたいなことって、本当にあるんだね。



 こうして大公ツァーリ妃となったあたしは、ある時、ふとグリュック家の人たちのことを思い出した。

 皆さん、今頃どうなさっているのだろう。特に、マルグレーテお嬢様はご無事だろうか。


 メーンシコフ殿に調べてもらったところ、旦那様はあの後モスクワに連れて来られて、数年後に亡くなったそうだが、他のご家族はご健在だと判明した。


「そう……。マルグレーテお嬢様も、お元気でいらっしゃるのね」


 なんだかとても懐かしい――。そう思っていたら、メーンシコフ殿は気を回して、彼女との面会の機会を作ってくれた。

 今はロディオン=ミハイロヴィチ=コシェレフという人の妻となり、ロシア風に「マルガリータ」と名乗っているマルグレーテお嬢様は、あの頃と変わらず可愛らしかった。


「お目にかかれまして光栄の至りです、大公妃殿下」


 恭しくお辞儀をして、マルグレーテ、いやマルガリータお嬢様が言う。あたしは焦って手を振って、


「そんな他人行儀な呼び方はよしてください。あの頃のように、『マルタ』と読んでくださって構いません。お嬢様は特別ですから」


 お嬢様は戸惑った様子だったが、やがてにっこり笑い、


「ありがとう。それじゃあ、遠慮なくマルタって呼ばせていただくわ。あなたも、あたしのことは『グリタ』って呼んでね」


「ええ、グリタ」


 そうしてあたしたちはこれまでのことや昔のことを色々話し合った。


「本当に、グリタも元気そうで何よりだわ。ああ、そうだ。もしよかったら、あたしの下の娘、エリザヴェータというのだけれど、その子の教育係として出仕してもらえないかしら」


「え? ええ、あたしなんかでよろしければ、喜んで務めさせていただくわ。……それにしても」


 グリタはしみじみとあたしを見て、あの頃そのままの、悪戯っぽい、可愛らしい笑顔を浮かべてこう言った。


「こうしておっきな灰かぶりは、おっきな王子様と結ばれ、幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし」


――Fin



---------------------------------------------------------------------


「史上最大」ってそういう(笑)。


この後、ピョートル一世はスウェーデン相手の大北方戦争に勝利を収め、それを機に「皇帝インペラートル」と称し、国号を「ロシア帝国」と改めます。

そして夫の死後、エカチェリーナはその跡を継いでロシア帝国皇帝・エカチェリーナ一世となります。


ちなみに、エカチェリーナがグリュック家の四女マルグレーテ(マルガリータ)を、娘エリザヴェータの養育係として召し出した、というのは史実です。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

マルタ=スカヴロンスカヤは灰かぶりの夢を見るか~史上最大のシンデレラ物語~ 平井敦史 @Hirai_Atsushi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画