第2話 奇跡の返礼

  その後ゆいなは大学で再び立体を作り、大学院を経てアメリカに留学し、国際的にプロデビューした。各地のアートフェアやビエンナーレで注目され、美術誌で取り上げられ、批評家は絶賛した。


「現代に蘇るジャコメッティの奇跡」

「もの派の関係性をも彷彿する自然と人工物との繋がり」

「若き天才が美術界を挑発する理由」


 華々しいセリフが踊った。


 ニューヨークにアトリエを持ち、現地の若きポップアーティストと結婚して娘にも恵まれた。


「すっかりお礼に来るのが遅くなったわ」


 それは時間が遅いという意味ではなく、ゆいなの回復以降、日常の瑣末事に囚われて失念していた反省の謂である。


 観音堂の施設に着いたのは、もう日が落ちて辺りが漆黒の闇に包まれた頃であった。堂敷地内の街灯は割られたり、故障したりして灯りと言えば堂周辺の街灯や遠くの看板の照明しかない。それでも薄明るい月夜に恵まれて安岡に車を停めさせて、ミドリはその巨大なコンクリートの敷地に降り立った。


 百合の花束を持ち、観音に近づいてゆく。


「安岡さん、ひとりになりたいの。入り口で待ってて」


 彼女は恋人に請うように甘えた。


「奥様、ここはこの時間、不審者が跋扈して危険ですよ。」

「じゃあ、何かあったら大声で叫ぶから入り口で見守ってて、お願い」

「わかりました。くれぐれも周辺を常にご注意ください」


 安岡は車に乗って入り口周辺に駐車して外で待機した。ミドリは巨大観音に近づいていった。


 その時である。前方から黒い人影が彼女の方へ近づいてくるのに気がついた。それは女子高生らしき人物だった。頭髪は金色に染められ、それが月光に照らされ、眩く見える。手に小さなケータイを持ち、下着が見えそうに短いチェックのスカートを履いている。ベージュのカーディガンは袖口が長めで彼女の手まですっかり隠している。


 ケータイには今時珍しい短いアンテナが立ち、その先にはジャラジャラと幾つもの小さなキャラクターがぶら下がっていた。脚には昔流行った分厚めで長いルーズソックスがまとわりついている。


「お嬢ちゃん、どうしたの? こんな時間にここは危ないよ」


ミドリは思わず警告した。


「うん、わかってるよ。今日おばちゃんに会いに来たんだ、あたし」

「おばちゃんって?」

「だからさ、おばちゃん」


 彼女はピンクのネイルが厚く塗られた指を突き出してミドリを指し示した。


「え、それって」

「だからさ、そのお花、一緒に供えようよ」


 女子高生はミドリを促して観音像に一緒に近づき、腰を屈めた。ミドリがその隣に腰を下ろすと不意にケータイが鳴った。今では懐かしい着メロだった。


「ごめんね、ちょっと出るから」


女子高生はそういうと話し始めた。


「あ、あたし、みんな今来ちゃダメ。静かにさせてあげて」


 そしてミドリの方を向くと安心させるようにこう言った。


「もうこれでオカシイ奴らはみんな来ないよ、安心してね」


 背中をゆっくりと撫でられてミドリは何故だか落ち着いてゆく自分を感じていた。ミドリは百合の花束を観音像の台座にたてかけ、手を合わせた。そして像の前に戻ると二人で腰を屈め、手を合わせた。ミドリは言った。


 「観音様、おかげでゆいなが歩けるようになりました。お礼に来るのが遅れて本当に申し訳ありません。本当に、本当にありがとうございました」


 ミドリが嗚咽すると少女はしきりにミドリの背中を摩った。


「いいのよ、決して遅くない、決して遅くないから、泣かないで、もう泣かないで」


 何故だか彼女はそんな風にミドリを庇った。


「お嬢ちゃん、さ、私の車で送ってあげよう、一緒に乗ってく?」

「あたしはこの辺で遊んでる子だからいいの。心配しないで」

「え、でもご家族は?お父さんとかお母さんが心配してるでしょ」

「あたし、施設で育ったの、お父さんもお母さんも知らない」

「でも、帰るとこはないの、誰か心配してる人は?」


彼女は首を振った。


「いいの、ほんとに。ケータイでツレを呼んだからもうすぐあたしを迎えに来てくれる。心配しないで」

「ほんとにいいの?あなたを見てるとあたしの孫娘を思い出すわ。丁度高校生の頃、そんなファッションが流行ってて、短いスカート履いて、そんなケータイ使ってた。着メロなんて久しぶりに聞いたわ。今でもそんなの使ってる子がいるなんて不思議ねえ」


「あたしはこういう時代の子だから。大人に反抗ばっかりしちゃってさ、学校じゃいつも怒られてばっかり。化粧すんな、スカート短けえ、ケータイ鳴らすなって、ほんっとウザいんだよな、センコーの奴ら」


「あはは、ウチのゆいなの高校時代思い出すわ。母親が鬱陶しいっていつもこのばあちゃんに泣きつくんですものね」

「うん、おばちゃんに会えてよかったよ、ほら、運転手さんが待ってるから行ってあげて、ほんとに心配しないで」


 別れ際に少女はPHSのアンテナにぶら下がっている小さなお守りらしきものをミドリの右手に握らせた。


「車に戻るまで、決してこれを見ないでね、それだけお願い」


少女は小首を傾げて懇願した。


「わかったわ、お元気でね、ほんとにいいの、もうお別れするよ」


 ミドリは手を振る彼女を後に何度も振り返りながら安岡のセダンに近づいていった。最後に振り返った時、少女の姿は忽然と消えていた。車に乗り込んでシートに背中を落ち着けた時、ミドリは掌中を開けた。


そこには小さな観音像が輝きながら微笑んでいた。


終わり


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The Legend of Goddess 山谷灘尾 @yamayanadao1

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