皮膚科にて

増田朋美

皮膚科にて

その日もまだ残暑が厳しいというか暑い日であった。全く今年はという表現がいたるところで聞こえてくるのであるが、とにかく暑い夏であった事は間違いない。そんなわけで、体を壊してしまう人も多いだろう。だから病院には、体の悪い人たちで溢れかえっている。ジョチさんもその一人で、今日は富士市内にある皮膚科を、チャガタイと一緒に訪れていた。

「全く、ただのあせもごときで、こんなところに連れてくるんですね。」

と、ジョチさんこと曾我正輝さんは、ちょっと不服そうに言った。

「良いじゃないかよ兄ちゃん。結局ただのあせもで良かったじゃないか。もし重大な病気だったら、大変な事になってたぞ。」

チャガタイと呼ばれている、曾我敬一さんは、大きな体を椅子に座らせながら、そういうのであった。毎日、焼肉と一緒に生活しているからかどうか、チャガタイの体重は少なくとも兄であるジョチさんの二倍近くあった。

「でも、それでわざわざこんな所まで来て、議員さんと会食する予定だったのが、潰れてしまいましたよ。その責任はどうするんですか?」

ジョチさんがそう言うと、

「大丈夫だよ。議員さんは俺が電話したら、いつでも良いって言ってくれたから。兄ちゃんが良くなったら、また日程を組んでくれるさ。とにかく兄ちゃん良かったじゃないか。ただのあせもなのかそれとも、大変な病気でもあるのか、医者でないとわからないんだからよ。とりあえずは、ただのあせもで、一件落着と。」

チャガタイは、大きな体を揺すって、ゲラゲラと笑った。

「全く、余計なことしてくれるものです。それにしても、今日は暑いですね。絽の着物でも暑いわけで、冷房が効かないくらいじゃないですか。」

「だろ、だからこそ、着物を着るとあせももできるもんなんだよ。だから、ちゃんと病院で見てもらったほうが良いの。」

ジョチさんとチャガタイがそういう事を言うと、一人の女性が、小さな子どもさんを連れて病院にやってきた。まだ、5歳位の小さな男の子を連れて居るから、つまるところ、若いお母さんだろう。

「ああ、すみません。午前中の受付時間は、もう11時30分で終了しているんですがね?」

と、受付係がそう言うが、

「あの、失礼ですが、私を覚えていませんか?」

と女性はちょっと怒るような感じで言った。

「覚えていませんって、こちらは大勢の患者さんを見ているわけですし、いちいち、患者さんの名前を覚えては居られませんよ。」

受付係がそう言うと、

「そうですか。じゃあ、この子の薬疹、どうしてくれるんでしょうか!この子は、こちらでもらった薬のせいで、薬疹ができたんです!それはどういうことなのか、責任持って貰わないと!」

と女性は小さな男の子を抱き上げて背中をペランとめくった。確かに、地図状に発疹が広がっている。

「そう申しましても、こちらの病院に出した薬そのものが原因だったとも考えられないですし、なにか、食べ物でいけないことがあったとか、そういうことではありませんか?こちらで出した薬が全てというわけでは、、、。」

と、受付はそういう事を言っている。

「とにかく、池谷を出してください。こんなふうにされてしまっては、息子が可哀想過ぎますよね!先生はこうなることを考慮しないで、勝手に薬を出して、ハイそれで終わりなんだと思うけど、こうなってしまったんですから、ちゃんと責任は取ってください!」

女性は、受付に詰め寄るように言っているが、ジョチさんは、その女性が気になって、彼女に声をかけてみた。

「ちょっと待ってください。一体彼に何があったのですか?ただ、こうなっただけでは、説得しようと思われても、話が通じません。ちゃんと、何があったのか、はじめからきちんと話してみてください。」

「そんなこと、言わなくても医者であれば、ちゃんと分かるんじゃありませんか!医者だから薬を出したんでしょうし、こうなることだって、計算済みだったんじゃないですか?」

そういう女性に、

「そうかも知れませんが、現に話が通じていないのですから、ちゃんとはじめから話していただかないと困ります。まず、貴女のお名前から伺いましょう。」

と、ジョチさんは冷静に言った。受付は、この人が居てくれてよかったという顔をして、他の人の対応に回ってしまった。ジョチさんはとりあえず女性と少年を、待合室の椅子に座らせた。地図状に発疹が広がっている少年には、おじさんが本を読んであげるからねとチャガタイが優しく言って、別の椅子に座ってもらった。

「それで、まず初めに、貴女の名前を伺ってもいいですか?いつ頃から何について悩んでいるのか、教えてください。」

ジョチさんが女性にそうきくと、

「はい。堀場ともうします。堀場眞子。息子は、堀場道夫です。」

と女性はそう名乗った。

「それでは、この病院とどんなトラブルがあったんですか?」

ジョチさんがまた聞くと、

「はい。一ヶ月くらい前からでしょうか。道夫がやたら体が痒いと訴えるものですから、ここへ連れてきたんです。そうしたら、ここで内服薬と、塗り薬が出て、私は、こちらで言われた通り、一日二かい薬を飲ませて、ちゃんと塗り薬も塗りました。そうして何日か過ごしてみましたが、痒みがとれないばかりか、こうして全身に広がってしまいました。だから、おかしいと思って、こさせてもらったんです。」

なるほど、これで事件の全容がわかったとジョチさんは、ちょっとため息を付いて、

「それなら、こちらへ文句を言いに来ることも必要なのかもしれませんが、もう少し有能な医者を調べてそちらで検査させるべきだったんじゃないのでしょうかね。」

と、堀場眞子さんに言った。

「そうですが、どうしてもここの処方があっていたのかどうか、聞いてみたくて。こんなに悪くなってしまうなんて、予想はしてなかったものですから、私は怒りが込み上げてしまって。」

眞子さんは泣きじゃくっている。

「確かにそうですよね。そういう気持ちになるのもわからないわけではないです。それで、道夫くんに課された診断名は、何だったのでしょう?」

ジョチさんが聞くと、

「はい。最初はアトピー性皮膚炎と言われたんですけど、多分他のものがあったのではないかと思います。」

眞子さんはそういった。

「それなら、こちらの治療を受けるだけではなくて、漢方治療とか、そういうものを受けさせて見たらどうでしょう?それなら、比較的作用が穏やかだから、急激に悪化することも無いかもしれない。」

ジョチさんがそう言うと、

「でも、漢方は、この近くにやってくれるお医者さんも居ないですし。何処でそういう先生を見つけられるのですか?」

眞子さんは小さい声で言った。

「そういうことなら、紹介しましょうか?もしよろしければ、こちらの施設へ来てください。漢方医の先生をご紹介致します。」

ジョチさんは、製鉄所の所番地を手帳に書いて、そのページを破って彼女に渡した。

「ありがとうございます。教えてくれるなんて、信じられません。近いうちに、必ずそちらに伺います。よろしくお願いします。」

そういうところから見ると、相当悩んで居たらしい。

「はい、いつでもお待ち致しておりますので、いつでもきてください。」

ジョチさんはにこやかに笑った。ちょうどチャガタイが、病院に置かれている絵本を読んでいる声が聞こえてきて、道夫くんが、おじさんもう一回読んでとせがんでいるのが聞こえてきた。

「ああして楽しそうにお話を聞いていられるんですから、もしかしたら精神的なものでもあるかもしれないですよね。」

「そうですね。それが、一番むずかしいと思うんですけどね。でも、あの子あんな楽しそうにお話を聞いているのは、本当に久しぶりです。私が本を見せると言っても、いつも答えは同じ。嫌だしか言わないんです。」

ジョチさんがそう言うと、眞子さんは、恥ずかしそうに言った。

「そういうことならより、こちらに来てくれればより一層楽になると思います。」

「ありがとうございます。」

それと同時に受付が、曾我さんお会計お願いしますといったので、ジョチさんは彼女と分かれて、受付へ診察料を支払った。チャガタイも本を最後まで読み終えると、また会おうなと、道夫くんの頭を三度撫でて、病院を出ていった。

その翌日。ジョチさんがいつも通りに、製鉄所に行ってみると、水穂さんが堀場眞子という女性から電話があったと、彼に言った。随分連絡が早いなと思ったが、なんでも、道夫くんが、こちらに来られるということで、とても喜んでいると水穂さんから聞かされて、やっぱり彼は精神的なものなのかなと思った。ジョチさんは、すぐに柳沢裕美先生に連絡を取って、今日一人患者さんが来るから来てくれと頼んだ。柳沢先生は、すぐに製鉄所にやってきた。そしてその数分後。

「こんにちは、堀場です。」

と、玄関先から、堀場眞子さんの声が聞こえてきた。ああお入りくださいとジョチさんが言うと、堀場眞子さんと堀場道夫くんは、よろしく尾根がしますと言って、製鉄所の応接室へ入った。道夫くんは柳沢先生を見て、先生こんにちはとちゃんと挨拶をした。柳沢先生が、ちょっと上着を脱いでみてというと、道夫くんはTシャツを脱いだ。脱ぐと、地図状に発疹が広がってしまっていた。

「これでは酷いですな。彼は、食べ物とか、そういうもので、今までひどい目にあったことはありますか?」

と、柳沢先生がそう言うと、

「いえ、そのような事はなかったんですけど、あのとき、皮膚科で薬をもらって以来ずっとこうなんです。」

眞子さんは申し訳無さそうに答えた。

「そうなんですね。この薬をもらっても全く効果が無いと言うことですかな?」

柳沢先生は、薬の説明書きを見て言った。

「ええ。ちゃんと指定された回数飲んでますし、忘れたことは一度もありません。それなのになんで。だって、動物が居るわけでも無いし、変な食べ物を食べさせたとか、そのような事は何も。」

眞子さんがそう言うと、

「では、彼にとって、ストレスになるような事はありますか?」

柳沢先生は聞いた。

「わかりません。保育園で、いじめられているとか、そのようなことはないようですし、家でも大人しく過ごしております。」

「はあ、大人しくですか。本来は、子供さんというのは天真爛漫でうるさいくらい元気なのが当たり前なんだけどな。」

と、お茶を持ってきた杉ちゃんが口を挟んだ。杉ちゃんという人は、どんなことでも首を突っ込む癖がある。

「お前さん今いくつ?」

杉ちゃんに聞かれて、道夫くんは、

「五歳。」

と小さい声で言った。

「そうか、じゃあ、五歳児というのはな、元気モリモリで、何でも食べてよく遊ぶ。これで当たり前だぜ。まさかと思うけど、部屋に閉じこもってばかりで、テレビゲームに夢中というのが一番良くないんだ。そういう事は無いだろうね?」

杉ちゃんはでかい声で言った。

「そんなことありません。だって、保育園では、楽しくお友達と遊んでいるって先生が。」

「保育園の給食の食材がまずかったとか、そのような事は考えられませんか?」

ジョチさんがそうきくと、

「いえ、そんなことはありません。保育園は、給食はなくて、お弁当を私が毎日作るようになっていますから。それに変な食べ物を食べさせるような事は私はしてません。私はシングルマザーだけど、ちゃんと食育には気をつけているつもりですし。」

と、眞子さんは答えた。

「そうなんだね。でも、こいつが、全身にぶつぶつが出ているのは、まあ疑いなく紛れもない事実だな。人間にできることって、事実に対してどうするかを考えるしか無いんだよ。保育園の先生から、なにか言われたりしなかったの?まあ、具体的な問題を起こすようなら、まだわかりやすい方だな。黙っているのが、一番困るからな。いいか、もし、日常生活で嫌なことがあったり、変なものを食べさせられたりした場合には、ちゃんとお母ちゃんになんとかしてくれって言うんだぞ。」

杉ちゃんは、そう道夫くんに言うと、道夫くんは、Tシャツを着直して、

「大丈夫だよ。僕のうちはちゃんとやっているってママが言ってた。だから一人で留守番していても耐えるんだって。」

と、小さな声で言った。

「一人で留守番している?」

杉ちゃんはすぐに言った。

「うん、ママが帰ってくるまで。」

「ちょっとまってください。ママが帰ってくるまでと仰っていましたが、ママが帰って来るというのは、何時頃になるんでしょうか?」

とジョチさんが、道夫くんに言った。

「わかんない。」

道夫くんは答える。まあ確かに小さな子どもさんに、時計を読むのは難しいですかねとジョチさんは言うのであるが、

「でも、帰ってくるときは真っ暗になってる。」

「そうなんだね。それでは、ご飯はどうするんだ?晩ごはんを食べないと、お前さんは餓死してしまうじゃないか?」

と、杉ちゃんが聞くと、

「うん、ママがテーブルの上にお弁当を置いてある。」

道夫くんは答えた。

「それは、コンビニ弁当かな?」

杉ちゃんが言うと、

「どうしてそんな事で私が悪いと決めつけられなければならないんでしょうか?私は、ちゃんとやるべきことをやっているだけですよ。」

と、眞子さんがいきなりそういう事をいいだした。

「ちょっとそのあたり話してくれませんか。なぜ、貴女は、夜遅くまで外出していなければならないのでしょう?経済的に不自由とか、そういうことですか?」

と、ジョチさんが言うと、

「そういうことではなくて、ただ、母の介護をしてるんです。仕事が終わって、すぐに母のところを尋ねて、世話をする。それが終わって、道夫のところに帰るのは確かに遅くなってからですけど。」

眞子さんは、急いで言った。

「そうですか。それでは、お母様の世話をするには、なにか福祉サービスとか、そういうものを利用するという選択肢もあると思いますが、それはしないのですか?」

ジョチさんがそうきくと、

「なんでみんなそういう事を言うのですか?他人に家の中に入って、世話をさせるというのは、わたしたちはとても恥ずかしくて。」

眞子さんは言った。

「でも、そういうことなら、介護サービスを受けてもいいんじゃありませんか?」

ジョチさんがそう言うと、

「そうですね。認知症とか、そういうことだったらそうするでしょうね。ですが、私の母はそうじゃなくて。まだそうなる年でも無いですし、脳梗塞でどうのとかそういうことでもありません。でも、一人でやれないし、誰かが見てなければならないから、私が世話をしているだけです。」

眞子さんはそう答えた。

「つまるところ、精神疾患とかそういうことかなあ。まあ確かにそういうものであれば、福祉サービスに手を出しにくいというのは確かにあるわな。でもな、こういうふうに道夫くんはお母さんが居なくて寂しいという症状を出しているわけだし、生活を変えなければ道夫くんは回復しないと思うぞ。」

杉ちゃんが単刀直入に言った。

「そうはいっても、あたしの体が2つあるわけでは無いのですし。母の世話はしなければなりませんし。私の事を、一生懸命育ててくれた母ですので、むやみに施設へ放り込んでしまうのはできません。」

「お父様はいらっしゃらないのですか?もう亡くなられてしまったとか?」

ジョチさんがそうきくと、眞子さんは

「父は、居るようで居ない人ですから、頼ろうという気持ちも湧きません。母が、離婚したばかりの頃よく言っていました。父は指示されなければただの箱だって!本当に、ただの箱だって!あたしにも何もしてくれなかったし、それなら死んでしまってもいいと思いましたけど、きっと別の女性に頼りながら、何処かで生きているんじゃないですかね。そんな人に元々頼る必要はありません!」

と激して言った。

「そういうことなら、道夫くんのお父さんは居ないのか?」

杉ちゃんが聞くと、

「ええ、男なんて居なくてもいいじゃないですか。私の父もそうだったけど、何でも女に任せっきりで、それでいざというときにまるで役にたたないのが男です。そういう人ははじめから居ないほうが良いと思ってるから、この先も、道夫は私が一人で育てていきます。」

眞子さんはきっぱりと答えた。

「でもねえ、、、。道夫くんが家の中で一人で過ごしているときに、お父さんがそばに居てくれて、本でも読んでくれたら、また体の症状だって、楽になるんじゃないかなと思うけどな。」

杉ちゃんがそう言うと、

「そういうことなら私が一人でやります。男に頼るなんて、そんな事できません。母だって、私がこうなるように育ててくれたんだし、私だって私が、子供の頃に寂しかった事を体験させたくないと思います。」

眞子さんは、そういったのであるが、

「でも、子供さんは親を選ぶことは、できませんよ。」

柳沢先生が、そっと言った。

「そうだねえ。症状が出ているわけだし、、、。それにお前さんが育った時代と今ではぜんぜん違うからな。」

と、杉ちゃんがでかい声で言った。

「確かに好きになることはできないかもしれないけれど、協力者を持ったほうが良いとは思いますよ。お母様の世話をしなければならないのもまた事実でしょうし、道夫くんが、こうして症状を出して寂しいと表現をしているのもまた事実ですしね。」

とジョチさんができるだけ優しくそう言うが、

「でも、私は、どうしても他人に力を借りるなんてそんな事できませんよ。やっぱり、自分でできることをしなければと。」

眞子さんは意志を曲げなかった。

「そうですが、でも今の状態では、協力者が必要なのでは?それは、善でも悪でもなく、事実として受け止めるべきだと思うのですが?」

ジョチさんがそう言うが、眞子さんは、強い意志を曲げるつもりは無いらしかった。ということはもしかして父親に酷いことをされた経験でもあるのだろう。だけど、道夫くんを育てていくのに、一人だけではどうしてもできないということは、わかってもらいたかった。

「とりあえず、漢方薬を出しておきましょう。また悪化するようなことがありましたら、いつでも連絡くださいね。」

柳沢先生は、処方箋と書かれた紙を取り出した。

外はギラギラとまだ暑かった。いつまでも暑い日々が続くのであった。



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皮膚科にて 増田朋美 @masubuchi4996

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