第5話 残夢

 僕は、鶴子さんのその作り笑いが本当に無理をして笑っているように見えてきた。

 琥太郎が熱を出して寝ている時などに、彼女の笑顔の裏を想像し、心配している自分がいたりもしたが、鶴子さんと息子を支えなければと仕事と家庭を両立させようと必死だった。

 必死になっていたせいで、周りの人のことが盲目になっていたのかもしれない。

 自分の体の不調も我慢していた。


「ねぇ、勇くん」

「何?」

「ごめんね」

 琥太郎を挟んで琥太郎の寝顔を見ている時、鶴子さんは僕に謝った。僕が寝ている琥太郎を見てくれている時、いつも彼女は謝るのだ。

それが彼女の「ごめんなさい」という言葉に詰まっている想いが重いことを、僕は知っていた。

「大丈夫です」

と、彼女に言ってあげることしかできなかった。


「それで、体調が悪くて会社を早く帰った時に、妻はどこかに行っていて、息子は倒れていた。貧血か何かだったかもしれない」

海大は、黙って話を聞く。

「けれど、僕もその場で倒れてしまい、意識を取り戻した時、警察でお世話になっていた。琥太郎があまりにも痩せていて、僕が虐待をしていたということになってしまったらしく、刑務所でしばらく過ごした。鶴子さんは、行方不明になっているらしくて最後まで会えず、僕は刑務所で病死した。息子は児童養護施設に入ったようだ」

海大は、ゆっくり確かめるように口を開く

「息子さん生きてて、言葉喋れるんだったら悪いお父さんじゃないって言ってくれるんじゃないの?」

「息子の証言は僕に対して良い印象だったらしいが、警察は信じてもらえなかった」

 海大は、ブランコを軽く漕ぎながら訊いた。

「それでも、奥さんを愛してるの?」

「ええ」

「洗脳、あるいは美化でもされてるんじゃないの?」

海大が、それでいいのかと問う。

「いや……、洗脳でも美化でもないな。だって今でも僕の妻は鶴子さんだ」

「……。そうかよ」

海大は、口が悪くなったのを訂正したりはしない。本当は、奥さんが逃げたんじゃないのかと問いたかったが、タマキの奥さんを愛しているの一点張りの考えは変わらないだろうし、それでいいと諦めた。

「その格好で死んだんじゃないでしょ?」

 海大は、話題を変えた。

「良い思い出の時の姿です」

 少し間を置いて、タマキは言った。

「鶴子さんが僕を必要としてくれて、僕の存在が必要ならそれで良い」

「最後は、ひとりぼっちになったじゃないですか」

「それでも、優しい思い出が溢れている。満たされたまま、僕は死んだ。結構、昔の話だけどね。年号も変わってしまったようですし」

「それが幸せなの?」

「はい」

海大には理解できず、顎に手を当てて考えていると

「学生の時の考えで、私の心情を理解しようとしなくていいです。でも、ただ、どうか、どうか……、僕みたいには、ならない方がいいと思います。僕は罪人です。最後、鶴子さんの側には居てあげられなかった。本当に一人にさせてしまった」

作り笑みが崩れて、切ない顔でそう言ってきた。

タマキは、海大の目の前に立ち

「それでは」

と言って消えて行こうとする。どこに行くのかと海大が言うと、「帰ります」と返答させる。

 

「気をつけて」と言って、彼を見ると、彼が海大に何か言いたそうに こちらを見ていた。

「なんですか?」

そう言うと、タマキは

「僕、鶴子さんと琥太郎を、僕が守らなきゃってずっと考えてました。それで……」

海大は、彼の言葉を止めたくて言った。

「もう、いいですよ。これ以上、現世を振り返るのは」

そう言うと、彼はまた優しい顔をして

「はい。それでは失礼します。どうか」と言いかけたので、遮って呟いた。

「……お幸せに」

 海大は、せめてタマキが報われることを、悲しいことかもしれないが、願った。

 彼の人生は彼の中では悔いはあったと思う。それでも、ハッピーエンドに今からでもなれないのだろうか。

 彼の中では、ハッピーエンドに近い人生を全うしたのだろうか。

 彼の最後の顔は、透き通るような笑顔だった。

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空蝉に微笑と願いを 千桐加蓮 @karan21040829

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