第2章 涙のプール その4



「たぶん英語がわからないんだ」アリスは思った。「きっとフランスネズミね。征服王ウィリアムと一緒にイギリスに戻ってきたんだろうな」(こんなこと言うのは、アリスの持てる限りの歴史の知識を総動員しても、ものごとがどれほど昔に起こったことなのかはっきり理解していなかったからだ)アリスはまた続けた。「ウ・エ・マ・シャット?」これはアリスがフランス語の授業で使ってる教科書に載っている最初の文で、「わたしの猫はどこにいますか?」という意味だった。ネズミは急に水から飛び出て、恐怖のあまり震えているようだった。「ああ、ごめんなさい!」アリスは急いで叫んだ。ネズミにかわいそうなことをしてしまったと思ったのだ。「あなたが猫嫌いなの、すっかり忘れてたの」


「猫なんて大嫌い!」ネズミは甲高い声で、怒りを込めて言った。「君がぼくだったら、猫のことなんて好きになれるかい?」


「ええと、たぶん無理だと思う」アリスは落ち着いた口調で言った。「怒らないで。でも、うちの猫のダイナをあなたに紹介できたらな。あの子を見たら、あなただって猫が好きになると思う。ダイナってすごくおとなしいんだから」アリスは半ば自分に話しかけるようにつづけながら、海の中をゆったりと泳いでいた。「暖炉のそばで座りながらすてきなゴロゴロ声を聞かせてくれてね、前脚を舐めて顔を洗うの。抱くとふわふわですっごく気持ちいいんだよ。それにネズミを捕まえる名人で――あ、ごめんなさい!」アリスはまた叫んだが、今回ばかりはネズミの全身の毛が逆立っていて、よっぽど不愉快なんだろうとアリスにもはっきりわかった。「あなたが嫌なら、もうダイナの話はやめましょう」


「あたりまえだろ!」と叫んだネズミは、もうしっぽの先までぶるぶる震えていた。「そんなおしゃべりに僕が加わると思ってたのかい! 僕の一族は昔から猫嫌いなんだ。意地悪で、いやしくて、下品な連中だからね。その名前を二度と僕の前で言わないでくれたまえ!」


「ぜったい言わないよ!」アリスは言って、大急ぎで話題を変えた。「あなたは、あの、あのね、犬のことが好き?」ネズミは答えなかった。それでアリスは熱を込めてつづけた。「うちの近所にすごくかわいいちっちゃい犬がいるんだけど、あなたに見て欲しいな! 目のきらきらした小さなテリアでね、長い茶色の毛がカールしてるの! 何か投げると取ってきてくれて、おすわりして晩ご飯をおねだりするんだよ。ほかにもいろいろできて――半分も思い出せないけどね――飼い主は農家の人なの。すっごく役立つ犬だ、100ポンドの値打ちはあるよ! って言ってた。ネズミどもを全部殺してくれるからって――あっ!」アリスは悲しそうに叫んだ。「またあたし、失礼なこと言っちゃった!」このときもうネズミはアリスからできるだけ離れようと泳ぎ去っていて、その後の水面は大きく波立っているのだった


 去って行くネズミの背中にアリスは優しく呼びかけた。「ネズミさん! 戻ってきて、あなたが猫や犬のことが嫌いなのなら、別のことを話しましょう!」これを聞いたネズミは振り返って、ゆっくり泳いでアリスの方に戻ってきた。その顔はすっかり青ざめていて(すごく怒ってるんだ、とアリスは思った)震える小声でこういった。「まずは岸に上がろう。それから君に僕のこれまでの物語を聞かせてあげる。そうすれば、どうして僕が猫と犬が嫌いなのか君にもわかるだろうから」


 確かにそろそろ潮時だった。プールに鳥たちや動物たちが落っこちて、あたりがずいぶん混雑してきたのだ。アヒルもいれば、ドードーもいる。ヒインコや子ワシ、その他様々な珍しい生きものがいる。アリスが先導して、みんなは岸に向かって泳いだ。

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