近代文学

言葉を読む文章が好きだ。

本は全て言葉で出来た文章なのだから何を当たり前な事をと思うかも知れないが、物語に浸るのではなく言葉の流れを追うだけの文章が心地良いのだ。


それ故に、近代文学を好ましく思っている。

古文では言葉の真意を読み取るために余計な思考を必要とし、現代小説はエンタメに特化していたりして没入感を得る為の体力が必要だ。


それらを何もかも忘れ、極論を言えば読後に得られる物が語彙だけであるといったような近代文芸が好きなのである。

純文学とでも呼べばいいのか。


とりわけ個人的に、梶井基次郎の文章は心地好い。

"櫻の樹の下には死体が埋まっている"

大元の文章を知る前から目にする事のあった一文だが、ミステリーを思わせるような蠱惑的響きと捉えていた印象は読んでみれば少し違う。

美しい物の裏にはおぞましい物があるのだと思って安心する気持ちは少しばかり共感できる。


"美人は性格が悪い"とか

"綺麗な薔薇には棘が有る"とか


世俗的な言葉で言えばそんな所か…

人は存外、美しい物を美しいままに捉えるのが苦手だ。


そうした、今となっては名前さえ付きそうな些細だけれど窮屈な生き辛さ。

自分では表現出来ないけれど誰もが確かに抱えているような、そんなちょっとした胸のもやが綴られた紙が掛け値無しに美しくも思える。


近代文学に多い特徴とも言えるだろうか。


とにかく、飾らぬ他人の心内を飾った言葉で綴った文章が好きなのである。



「あ…」


開いた本のページに滑り込んできた桜の花弁に思わず漏れた声。

好みが似通っている為、来店した時はよく読書を共にさせてもらっている若い男性客。

彼は小さな花をつまみ上げ、指先でそれを弄くったかと思えば此方の額にそっと乗せてきて悪戯っ子のように笑う。

それに抗議する為にブン、と首を振ってテーブルの上に落ちた花を前足でたしっと踏みつけて見せた。


「はは。ごめんごめん」


笑いながら再び伸びてきた手が頭を撫で、湯気の落ち着いたカップを持ち上げてコーヒーを啜る。

まだ少しばかり肌寒いテラス席で、晴れやかな空に舞う春の気配。


まだ学生服を着ていた頃の彼を思い出す。

すっかりと大人びてしまった面立ちを眺めていると中々に感慨深くなるものだ。


「そろそろ帰るな」


かちゃり、カップとソーサーが合わさって音が鳴る。


「また来るよ」


名残惜し気に頭から背中を撫で付けながら席を立った。


(無責任な言葉だ)


彼が明日、この地を離れ行くのを知っている。

店主マスターとの話を理解できていないとでも思っているのか。


店を出る前、店主マスターにも最後に挨拶をしているのをテラス席の上から眺める。

「仕事、頑張ってな」と寂しげに笑い掛ける我が主人の表情は形容し難い。


手を振って店を後にする男性客を見送り、カップを片付ける為に店主マスターがテラス席へと出てくる。

テーブルに手を伸ばして屈んだ背中へと飛び乗って肩に落ち着けば馴れた様子で顎を一撫でされた。


「若者が巣立っていくのは喜ばしい事だけれど、馴染みさんが居なくなるのは寂しいものだね」


小さく鳴いて同意する。

仄かに虚しい心根の内を適切に表す言葉が浮かばない。

かつての文豪達ならば、この思いを何と綴るだろう。

考えてはみるものの所詮我輩は猫である。

複雑な心境を語る語彙など持ち合わせてはいないのだ。


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読書感想物語~カフェ・ノアールの猫語り(仮) @akari_itsuki

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