「お嬢様、お帰りなさいませ」


 レーヴェンタール公爵邸を出て屋敷へと戻ったクリスティーナは、付き添っていた父親と別れて自室へと向かった。自室に足を踏み入れると、側付きの侍女がクリスティーナを出迎え、彼女が身に纏っていたモノクロームのドレスを脱がしていく。彼女の瑞々しい肌が姿を現わした途端、部屋の壁と天井、床にびっしりと描かれた大量の魔法陣が反応し、瞬きを繰り返す。悪魔公デーモン・ロードでさえも封じ込めるであろう強固な封印が施された部屋の中でクリスティーナは顔を赤らめ、不貞腐れた表情を浮かべながら、彼女の衣服を整える侍女に尋ねた。


「…カイは?」

「いつものお部屋に」

「そう」


 やがて室内着へと着替え終えたクリスティーナは、隣室に通じる扉に手を掛け、足を踏み入れた。外出できない彼女の運動のために用意された、ダンスホールにも似た広い部屋の隅で、一人の若い男がクリスティーナに背中を向け、床に座り込んでいる。クリスティーナが足を踏み入れた事で床に刻まれた魔法陣が輝きを放ち、下を向いていた彼は顔を上げ、床に座り込んだまま背後へと振り返ろうとした。


「…あ、お嬢様、お帰りなさ…」

「カイっ!」

「うわぁっ!?お嬢様っ!落ち着いて!」


 男が振り返るよりも早くクリスティーナが駆け寄り、細く引き締まった彼の背中に抱き付いた。背中越しに伝わる柔らかな感触に彼は狼狽し、あたふたしながらクリスティーナを押し留めようとするが、彼女は決して離れまいと正面に回した腕に力を籠め、真っ赤な顔を彼の肩に乗せたまま、喚き散らす。


「ぁああんっ!もうっ!恥ずかしくって、顔から火が出そうっ!幾ら御国のためとは言え、あ、あんなはしたない真似をする羽目になるだなんて、もう二度と家から出られないっ!」

「ど、どうしたんですか、お嬢様?良かったら、俺が話を聞きましょうか?」

「ヤダ。絶対言わない。カイに知られたら、私は死ぬ」

「お嬢様に死なれたら困りますから、俺は耳を塞いでおきますね」


 カイが首を捻り、肩越しにクリスティーナへと尋ねるが、彼女は顔を真っ赤にして涙目で剥れる。部屋に入った途端5歳は退行したであろう彼女の物言いに、カイは苦笑すると、正面を向いて手元に目を落とした。そのまま作業を再開したカイの指先を、クリスティーナは彼の背中にぴったりと張り付き、肩に顎を乗せたまま、目で追い続けた。




 半年前、無事にデビュタントを済ませたクリスティーナだったが、その際、ひょんな事から王太子アルフレットに「秘密」を知られてしまった。アルフレットからその話を聞いた国王は密かにノイエンドルフ侯爵を王宮へと招き、王弟ゲオルグが簒奪を目論んでいる事を打ち明け、協力を要請した。国王は、王弟ゲオルグが簒奪を目論んでいる事に確信を持っていたが、証拠が手に入らない。そのため王弟一派に気取られずに防衛力を強化するため、クリスティーナが自然な形で国王一家と行動を共にできるよう計らい、今日の決着を迎えた次第だった。クリスティーナは建国以来続く侯爵家の一員として国王の要請に応えた事には後悔をしていないが、精神的な自爆攻撃となった今日の出来事に頭を抱え、どさくさに紛れて近衛隊長代理を押し付けた国王の悪ふざけに憤慨している。暫くの間ブツブツと呟いていたクリスティーナが、カイの肩に顎を乗せたまま質問した。


「…ねぇ、ソレ、いつ完成するの?」

「そうですねぇ…2年はかからないと思うのですが…」

「えぇぇっ!?ヤダよ、そんなのぉっ!」


 カイの言葉を聞いた途端クリスティーナが頭を上げ、背後から回した腕を揺すって駄々をこねる。


「私、もうハタチなのよっ!?この後2年も待つなんて、干乾びちゃうよっ!もっと早く出来ないのっ!?」

「すみません、お嬢様。どうしてもコレをお嬢様に着て欲しいから…。少しでも早く出来るよう、頑張りますから」

「…」


 手元から目を離さず淡々と作業を続けながら答えるカイに、クリスティーナは頬を膨らました後、背中から回した腕に力を籠めて背後から抱き締める。そのまま暫く背中の感触を堪能していたクリスティーナは、頬ずりを繰り返しながらカイに尋ねた。


「…ねぇ、今日は何処に刺繍したら好い?」

「そうですねぇ…右の袖、お願いできますか?」

「分かった」


 カイの答えを聞いたクリスティーナは、彼の体に回していた腕を外し、立ち上がって彼の横に進み出る。裁縫箱から針と糸を取り出し、彼と直角の位置に腰を下ろすと、床に広がったドレスの袖を手に取り、手慣れた手つきで刺繍を始める。


 床に座り込んだ二人の前には、純白のドレスが広がっていた。カイはドレスをひっくり返して裏地に魔法陣を縫い付け、クリスティーナが右の袖に刺繍を施していく。


 当初、真っ黒な生地でしか作れなかった封印のドレスは、試作を繰り返すにつれて次第に色が薄くなり、ついに純白の生地でも作成できる算段が整った。二人は一緒に迎えるその日のために、広い部屋の隅に座り込んで黙々と作業を続ける。


「…ねぇ、カイ…」

「何ですか、お嬢様?」


 クリスティーナが手元に目を落としたまま従者の名を呼び、彼も下を向いたまま答えた。彼女は滑らかな動きで生地に針を通し、しなやかな指で糸を引っ張りながら、ポツリと呟いた。


「…幸せになろうね………旦那様」

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その令嬢のドレスの下には秘密がある。 瑪瑙 鼎 @kanae1971

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