脅威 不死の脅威と抵抗者戦いの記録

森新児

脅威 不死の脅威と抵抗者戦いの記録

 その町には【脅威】と呼ばれる大きな穴があった。

 穴は町はずれの空間に、低い雲のようにぽつんと浮かんでいた。

 その穴がいつからあるのか、知る者はいなかった。

 土地の古老は千年前からあるといっているが、本当のところはわからない。


 その穴から三十年に一度、穴と同じ【脅威】と呼ばれる存在があらわれ、人々に害をなすといういいつたえがあった。

 事実町の古い歴史書に脅威によって町の人口が半分に減ったおそろしい事件の記述があった。

 襲撃は一度ではなく十数度にわたり、そのたび犠牲者の死体を焼いた土地は「血の泉」と呼ばれ、人の近づかない禁忌の場所になった。

 禁を犯して近づいた人間は、風土病と化した呪いによって今でも狂死する。

 脅威が具体的にどういう存在なのかは、歴史書に書かれていない。


 人々は脅威に対抗するため【抵抗者】を育てた。

 武器や格闘技に通じた戦士を町ぐるみで育成したのだ。

 三十年に一度訪れる脅威の日、選ばれた抵抗者は一人で穴に入った。

 穴という閉鎖空間で敵を迎え撃つには、単独行動が最適の戦術と見なされたのだ。


 これまでに何人もの抵抗者が穴に入った。

 穴から脅威が出てきたことは一度もない。

 しかし帰ってきた抵抗者も一人もいなかった。

 抵抗者の犠牲により町の平和は長年守られたが、脅威はいまだ謎の存在のままだった。





 タケルは前回の脅威の日から十五年後に生まれた。

 その町に生まれた男の子の多くがそうであるように、タケルも大きくなったら抵抗者になるのが夢だった。

 しかしそれは無理だろうと人々は思った。

 五歳のときタケルは事故で左目を失明していた。眼球を摘出し、今ではそこにガラスの義眼が入っている。


「五体満足かつ頑健なもの」


 それが抵抗者の条件だ。だから障害を持つタケルにこの役目は無理だろうとだれもが思った。

 しかしタケルはがんばった。


「この子はふしぎな才能がある」

 

 一人の教官はタケルをそう評した。


「どんな境遇になってもぜったいあきらめない。これは得難い才能だ」


 それってふつうのことでは? という人に教官はいった。


「この町の人間は苦しい境遇になったら必ず自己犠牲の精神を発揮する。それはすばらしいことでありません。自分を救えない人間は他人も救えない。この子はそれがない。最後まで自分を殺さず戦おうとする。これは立派な才能です」


 多くの人は教官の言葉に首をかしげたが、その後タケルは人々の予想に反して大きく成長した。片目なのに射撃の腕前がばつぐんで、さらに手先が器用でさまざまな武器を自分で改良するなどそれまでの戦士になかったユニークな才能を示した。

 古い映画が好きで、そこで見た武器や武具を自分で作ったりもした。

 

 タケルの趣味に理解を示したのは幼なじみのアヤだけだった。


「見たよタクシードライバー! こわかったけどおもしろかった! トークトゥミー?」


 映画の有名な台詞を口にすると、アヤは不愛想なタケルの鼻先に指鉄砲を突きつけ、バンッ! と引き金を引いた。


 十五歳の誕生日、タケルはついに念願の抵抗者に選ばれた。

 そのわずか一か月後、運命の日はやってきた。





「あれを見ろ」


 郵便配達員はバイクを止めると西の茜空を指さした。その指は震えていた。


「おおっ」


 西を望む人々の口からどよめきがもれた。

 地平線に沈む太陽が、二重になっている。


「あしたの真夜中、脅威がやってくる」


 郵便配達員はそういって泣き出した。





 脅威の日がやってきた。

 タケルは戦闘服を着て、午前零時ちょうど家を出た。

 通りに人影がまったくない。

 しかし夜の町は静かではなかった。


「みみをすませ みみをすませ

 たしかにいぬがほえている

 こじきがまちへやってくる

 ぼろをまとったやつら

 つづれひきずったやつら

 そのなかにただひとり

 ビロードのガウンをきてるやつ」(注一)


 家にこもった人々がブツブツ唱えるのは古代の童謡だった。

 魔除けの呪文として唱えているのだ。

 蝉しぐれのような呪文の声に包まれた通りを歩きながら、タケルは先日学校で校長にいわれたことを思い出した。


「いざとなったらこれを使いなさい」


 校長はそういってタケルにそっとあるものを手渡した。

 手渡されたのは自爆用の超高性能手榴弾だった。

 それを見て、タケルをもっとも高く評価した教官は顔をしかめた。

 しかしタケルは笑顔で手榴弾を受けとった。


「ありがとうございます。いざとなったら使います」


 いざとなったら、か、と独り言をつぶやき、タケルは町を歩いた。

 住宅街を抜けると呪文が聞こえなくなり、代わりに軍靴をはいた自分の重い足音が、やけに寒々しく耳を打った。

 するとふいに街灯の明かりにひらりとなにかの影が映った。


「タケル」


 彼の左手におまじないの赤いミサンガを巻きつけ、アヤはいった。


「ぜったい帰ってきてね。ぜったいだよ」


「アヤなにしてる、もどれ!」

 

 娘を追ってきた父親の罵声を聞きながら、タケルはいった。


「うん。ぜったい帰る。あしたのために」


「あしたのために」


 同じ言葉をアヤもいった。そして笑った。あしたのために。

 それはこの町の人々が別れ際に口にする、互いの幸運と無事を祈るあいさつだった。





 タケルが穴に入ってすでに二時間がすぎた。

 その間ずっと歩いていたが、まだ行き止まりにならない。


(これどこまで続くんだ?)


 タケルは訓練で闇が見えるようになった目を細めた。穴は静かだった。天井から滴る水音がときおり聞こえるだけ、と思ったとき、タケルはなにかを踏んだ。

 踏んだのは自分がはいているのと同じ軍靴だった。

 すこし先に楯が落ちている。

 その先には刀があって、そのそばには焼け焦げた戦闘服があった。


(歴代の抵抗者の遺留品だ)


 タケルはしゃがんで戦闘服を拾いあげ、匂いをかいだ。


「爆薬で吹っ飛んでる。そうか……」


 とタケルがつぶやいたとき、なにかが見えた。

 タケルはすばやく立ちあがった。

 前方の闇に、ヌラリと陽炎が立った。

 陽炎のにじみが消えると、そこに一匹の怪物があらわれた。


(脅威だ)


『わが子を食らうサトゥルヌス』という絵がある。

 あの絵に描かれた、自分の子どもの頭に食らいついたサトゥルヌスにそっくりな化け物が、今タケルの目の前に立っていた。身長は七~八メートル。

 タケルはすばやく頭をめぐらせた。


(あの絵と同じだ。脅威は肉食でエサは人間だ)


 こいつを町に放つのはぜったいだめだ、と思いながらタケルは小銃を構えた。

 と、目の前にいた脅威の姿がフッ、と消えた。

 お? と思ったときタケルの手にあった小銃が吹っ飛んだ。いつのまにか横に立っていた脅威に払いのけられたのだ。


(速い)


 タケルは刀で斬りかかった。巨大な岩を紙のように真っ二つにする刀は、しかし脅威の肌に触れるとあっさり折れた。

 洞穴中に響き渡る大きな声でゲラゲラ笑うと、脅威はタケルの左手をつかんだ。

 そして根の浅い雑草を引き抜くように、タケルの左手を肩からブチブチ! と引きちぎった。


「うわ!」


 痛みにのたうち回るタケルを見おろし、脅威はゲラゲラ笑った。

 脅威は地面に捨てたタケルの左手を拾うと、それをしげしげ眺めた。


「女の匂いだ」


 手首に巻いたミサンガの匂いをかぎながら脅威はいった。


「きさまの恋人か?」


 そういうと脅威はタケルを抱えあげた。

 丸太のような両手でしめつけられ、タケルの肋骨が数本ボキボキ音を立てて折れた。


「さあ、殺せ」


 脅威はさわやかに笑った。


「おまえたち抵抗者のやることを知っている。わたしを巻き添えにして自爆するのだ。みんなそうだった。きさまもさっさとやるがいい」


「……そんなに死にたきゃ、一人で死ねよ」


 口から血を流しながらタケルは毒づいた。


「わたしは不死者ノスフェラトゥだ」


 脅威は急に厳しい顔つきになっていった。


「わたしは死なない。何度でも甦る。わたしを止めるにはおまえたちが勝つしかない。しかし自爆はだめだ。それは勝利ではない。わたしはすぐ甦り、自分の世界で存分に殺戮を楽しんだあと、また三十年後こちらの世界にやってくる。おまえたちはまた三十年間不安な時を過ごし、新しい犠牲の子羊を提供することになる。自己犠牲は最低のモラルだ。おまえたちがそれに頼っている限り、わたしは永遠に死なない」


「……あんた、倫理の先生みたいだな」


 タケルが捨て台詞をいうと、脅威はまたしてもゲラゲラ笑った。


「おもしろいやつだ! ユーモアは生者の特権。きさまさては自爆する気はないな?」


「当たり前だ。おれは生きるために抵抗者になったんだ」


「よろしい! ではここできさまを殺してわたしはひさしぶりに町に出よう。百五十年ぶりかな? 人々の血と悲鳴と恐怖を浴びるのが楽しみだ」


「ぜったい帰ってきてね」


 そういったアヤの笑顔がタケルの脳裏をかすめた。

 鼻と口から血を流しながら、タケルは脅威にいった。


「なあ」


「なんだ?」


「タクシードライバーって映画知ってる? ロバート・デ・ニーロが出てた」


「なんだと?」


「これ」


 タケルは脅威の巨大な顔面に向かって右手を突き出した。

 戦闘服の袖から子猫のようにするり、となにか出てきた。

 暗器として袖に仕込んでいた拳銃が、タケルの右手にスポっと収まる。


「トークトゥミー?」


 映画の台詞をいうとタケルは引き金を引いた。


「ぐわあ!」


 脅威は自分の顔を手でおおいその場にひざまずいた。左目を撃たれたのだ。


「きさま!」


 血だらけのすさまじい顔で立ちあがると、脅威は猛然とタケルにおそいかかった。しかし


「お?」


 自分がおそいかかったのが戦闘服のジャケットをかぶせた岩の擬態と気づき脅威はうろたえた。


「やっぱ片目になれてないやつは目標を見誤るんだな」


 離れたところにタケルが姿を見せた。右手に拳銃がある。

 脅威は岩壁がビリビリ震える怒号をあげた。


「撃つな!」


「いいや撃つ! あしたのために」


 タケルは拳銃の引き金を引いた。

 放たれた弾丸はジャケットにしこんだ高性能手榴弾に見事に命中した。

 脅威の巨大な体は血しぶきをあげ、爆発した。





 夜が明けた。

 アヤは一人で町はずれにある穴の前に立っていた。すると、


「やれやれ」


 黒い影が穴から飛び降りた。

 タケルに駈け寄りアヤは泣いた。


「左手が」


「たいしたことない。おっ」


 二人の背後で、空中にあった巨大な穴が音もなくスー……と消えた。


「……アヤ」


「なに?」


「おれ帰ってきた。約束は守ったぞ」


 そういってタケルはにっこり笑い、アヤも笑った。





 それからしばらくしてタケルはアヤと結婚した。

 左手に義手をつけたタケルは腕のいい修理工になり、長年働いた。

 穴は消え、その後脅威が襲来することもなかった。

 こうして脅威と抵抗者の戦いは永遠に幕を閉じ、かつて人々が震えながら唱えた魔除けの呪文は、今では一人の若き英雄を称えるバラードになったのである。


「みみをすませ みみをすませ

 たしかにいぬがほえている

 こじきがまちへやってくる

 ぼろをまとったやつら

 つづれひきずったやつら

 そのなかにただひとり

 ビロードのガウンをきてるやつ」

【完】





(注一)マザーグース1より 谷川俊太郎訳 講談社文庫


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