ジンジャーエール

真朱マロ

第1話 ジンジャーエール

「小暮、失恋したって」


 校門を出て少し歩いたところで、そんな言葉を聞いた。

 私はひどく驚いてしまう。

 小暮君は三つ年上の幼馴染と、幼稚園の時からずっと付き合ってるって有名だった。

 年上の彼女が短大を卒業して忙しくなっても、お隣さん同士だからそれなりに会えると聞いていたはずだけど。


「そうなの?」

 悪びれない顔で笑う美紀ちゃんに、思わず確かめてしまう。

「うん、本当。ほら、今日は男子が寄ってたかって小暮をからかっていたから、どうしたのかな~と思ってたら、赤岩が教えてくれた」


 社交性豊かな美紀ちゃんと、カラリとして明るい赤岩君は仲が良くて、お互いに同性の友人が多いので情報交換をよくしている。

 二人の明るい雰囲気は心地よくて、クラスのムードメーカーなのだ。

 そろってちょっぴり口が軽いのが、たまに傷なんだけど。

 そうか、それで今日は昼休みに男子が集まっていたんだと思っていたら、美紀ちゃんにわき腹を小突かれた。 


「これってチャンスじゃない? ほら、真央って小暮のこと気にしてるからさ」


 けっこう声が大きかったので、私は狼狽して思わず周りを確かめた。

 よかった、誰もいない。


「み、美紀ちゃん……秘密だって言ったじゃない……」


 美紀ちゃんと赤岩君が仲がいいから、自然と赤岩君と仲のいい小暮君が視界に入って、私はいつの間にか目が離せなくなっていただけなのに。

 私は同じクラスにいるだけで、充分満足しているからからかうなんてひどい。

 シイッと唇に指をあてると、クスクスと美紀ちゃんは笑った。


「平気よ。聞こえたって、付き合っちゃえば、一緒だもの」


 一緒じゃないよと、言いたくても言えない。

 一つ何か言い返すと、百ぐらい美紀ちゃんの理論が返ってくる。

 からかわれるのは別に嫌じゃないけど、反論があまりにたくさんありすぎて返事に詰まってしまう。

 口の中でモゴモゴと言葉を探している私なんて気にせずに、美紀ちゃんは自動販売機の前で止まった。


「七月も終わりに近づくと、さすがに暑いねぇ」

「金曜が終業式だしね」


 当たり前の調子でお金を入れて、美紀ちゃんはボタンを押す。

 いつもはオレンジジュースを選ぶのに、今日はジンジャーエールだったから珍しい。

 ガタンと落ちてきた冷たいジュースを手に、美紀ちゃんは振り向いた。


「真央はどれにする?」

「あ、私は自分で買うから」


 慌てて小銭入れを出して、私も自動販売機にお金を入れた。

 別に飲みたい訳ではなかったけれど、美紀ちゃんがもっと話したそうな顔をしていたので、ちょっとぐらい付き合うのもいいかなと思っていた。

 少し歩くと、散歩道のある森林公園がある。

 夜はさすがに恐いけれど、昼間は人通りも多いし、整備も綺麗にされているから木陰が涼しくて、学校帰りのおしゃべりにはちょうどよかった。


「いつもの公園、行こうか?」

 自動販売機から冷たく冷えたスポーツドリンクを取り出して振り向くと、美紀ちゃんは難しそうな顔をしてスマホの画面を見ていた。

 そして、申し訳なさそうに眉をひそめて、ゴメン、と口にする。

「あたし、今から行くところが出来ちゃった。せっかくジュース、買ったのにね」


 再びゴメンと言って両手を合わせるので、いいよ、と私は笑った。

 美紀ちゃんは友達が多いから、少しでいいから話を聞いてほしいの、なんて相談とも愚痴ともつかない用事で、よく呼び出しを受ける。

 大変そうだな、と思うけれど美紀ちゃんはそれが苦ではないみたいだし、私自身もよく話を聞いてもらうから、きっと呼び出した子も辛いことがあったんだろう。

 その時を逃したら話せなくなることってたくさんあるもの、と笑ってくれる美紀ちゃんが頼られるのは当然だし。


「大変だね、いってらっしゃい」

「まぁ、私はいいの。けど、もう一つごめん。答えを写すのに借りてた真央の参考書、私の机の中に入れたままなの。明日、小テストあるでしょ?」

「そうだった?」

「そうよ? 最後のテストだって、先生、言ってたもの」


 あらら~と私は肩をすくめた。

 英語の先生は、自分のお勧めの参考書の中から問題を作ることが多い。

 テスト対策はおかげで簡単だけど、参考書がないとさっぱりわからなくなる。

 そういうことなら学校からそれほど離れていないし、教室まで取りに帰ればいいだけだ。


「平気、学校まですぐだし。気にしないで」

 ごめんね、と苦笑いをした美紀ちゃんは、ポンとジンジャーエールを私に投げた。

「お詫びにもらって! また明日ね」


 受取った冷たい缶は、水滴でしっとりとぬれていた。

 炭酸飲料は苦手なのでまったく飲めないから戸惑ったけれど、せっかくだから貰うことにする。

 スポーツ飲料とは缶の手触りも違って、ピンと張りつめた感じが夏らしかった。


「ありがと、またね」


 手を振って私たちは別れた。

 よく考えたら終業式前なのだ。

 夏休みに入るまで部活はないし、掃除が終わったら早々と校内から人が消える。

 日直の戸締りが終わると、忘れ物を取りに行くだけなのに、不審者みたいになってしまうだろう。


 なんだかそれは嫌だった。

 急いで学校に駆けもどる私を見送りながら、美紀ちゃんはペロッと舌を出して笑った、らしい。

 振り向かなかったので、私はそれに気がつかなかった。


 息を切らせながら学校に戻ると、やっぱりだった。

 校内にはほとんど人の気配がなくて、げた箱の中身もほとんどが上履きに変わっていた。

 学校に残っている人なんてごく少数みたいで、同じクラスの人たちの靴も消えていた。

 

 シンとした教室って気持ちが悪いと思いながら、階段を駆け上がる。

 別にそこまで急ぐ必要はないのだけど、やっぱり少しでも早く参考書を持って、学校から離れたかった。

 グルグルと回っている階段を、三階まで一気に駆け上がる。


 運動は得意じゃないから、さすがに息が苦しい。

 やっと三階に辿り着いたけど、汗で前髪が額に張り付いた。

 心臓が激しく脈打って、ドクドクと壊れそうだ。


 ハンカチで流れ落ちる汗をふいていると、夏なのに何をやってるのかしらと、少しおかしくなった。

 でも、一人きりの校内は昼間でも気味が悪い。

 ホラーもスプラッタもオカルトもだめで、とにかく怖いのは苦手だから、こんなシンとした状態は本当にビクビクしてしまう。

 はずむ息を整えて、教室の扉を開けた。


 その瞬間。

 サァッと風が勢いよく通りぬけて、ふわりとスカートの裾を膨らませた。


 怖いぐらい強い風だったから、一瞬息が止まる。

 夏とは思えないほど涼しくて、圧倒的な質量で迫ってきた。

 そして、足がすくんでしまった。


 風のせいだけじゃなかった。

 誰もいないと思っていたのに。


 窓枠にもたれるようにして背中を向けたまま、小暮君が空を見ていた。


 まるで、絵画みたいだ。

 真っ青な空に、白いシャツが鮮やかに浮き上がっていた。

 扉を開ける音には気がついているはずなのに、振りかえりもしない。

 ひたすらぼんやりとして、そのまま溶けて消えそうの様子で、空を見ていた。


 こんなことは、本当に珍しい。

 いつも冷静だし自分が確立して、ピンと筋の通った印象がある。

 少し神経質で冷淡だと言われるのも、愛嬌がある顔をして朗らかな印象の赤岩君と仲がいいせいだと思う。

 だって、並ぶとものすごく対比して見えるから。

 でも、視聴覚室から大きな地図を運んでいる時に「貸して」と日直でもないのに横からさらっていったり、先生から頼まれた配布物を配っていたらサッと半分取って手伝ってくれたり、目立たないけど細やかな気配りができる人だった。


 しばらく私は、その空に溶けてしまいそうな背中を見つめていた。

 どうしようと少し戸惑ったけれど、私は普通に教室に入って、美紀ちゃんの机から参考書を取り出した。

 その間も小暮君はずっと窓の外を見つめたままで、私が教室にいることなんてまるで気にしていなかった。

 ボーっとしているので、本当に気がついてないのかもしれない。

 このまま挨拶もせずに帰ろうかなと思ったけれど、ふと、美紀ちゃんにもらったジンジャーエールのことを思い出した。


 小暮君は炭酸飲料が好きみたいで、昼休みによく飲んでいる。

 カバンの中から缶を取り出して触ってみた。


 まだ、冷たい。

 水滴がついた缶をハンカチでぬぐって、勇気を出して小暮君に近寄った。


「まだ、帰らないの?」

 チラリと小暮君は、私に視線を向けた。

 ついさっきまでぼんやりしていたのが嘘のように、いつもの理知的な表情だった。

「南こそ、どうしたの?」


 少しハスキーな声が、スルリと鼓膜から忍びこむ。

 やわらかな響きは、その穏やかな口調によく似合っていたけれど、南、と名前をそのまま呼ばれてドキリとした。

 いつもは優等生っぽく、南さん、と呼ばれていた気がするのに。


 あれ? いつも、南、だったかな?

 なんだかドギマギして、声が裏返った。


「参考書、忘れちゃって」

「ああ、小テスト?」

 うんそう、と私がうなずくと、眼鏡越しに少しひんやりとした瞳が、不思議そうにまばたいている。


「走った?」

「やっぱり、わかる?」

「普通に見て、わかる」


 そうなんだ、と私が笑うと、そうだよ、と小暮君も笑った。

 なんだかまっすぐに見るのが気恥かしくて視線を落とし、手の中にあるジンジャーエールを思い出した。

 さっきぬぐったはずなのに、また水滴が汗のように缶の表面を伝っている。


「これ、あげる。さっき、美紀ちゃんにもらったけど、私、別の買っちゃったから。えっと、お見舞い……?」

 オズオズと差し出すと、少しためらいながら、それでも小暮君は受取ってくれた。


「ありがと」

 渡す時、小暮君に軽く触れた指先が、ピリッと熱を帯びた気がした。


「なんでお見舞い?」

「えっと、なんとなく」


 赤岩君や美紀ちゃんが失恋したって広めているなんて、ちょっと言いにくい。

 変なことを言ってしまったとうつむいていたら、苦笑じみた声がそっと響いた。


「それ、本当だから」

「え?」

 顔をあげると、小暮君はまた窓の外を見ていた。


「三つ上のお隣さんだったけど、就職の中途採用が決まったからって、あっさり。飛行機使っても簡単に行けないとこで、一から始めるんだってさ。まぁ、あんまり近すぎて付き合ってる実感はなかったって、サヨナラと一緒に言われたけど」

「そうなの?」

「そうだよ」

「もうこっちには帰ってこないつもりだからって。勝手に決めて、まともに話もせず、遠くに行った。まぁ、もとからそういうふうに、自分だけで動く人なんだけど」


 ずっと一緒だったのにと、やりきれない感じで小暮君はポツンと言った。

 付き合ってないならなんだったんだろう? と、答えなんて求めていない調子で小暮君はつぶやいた。


 その突き放した口調が、小暮君と彼女の間に横たわっている時間の全部みたいだった。

 私は少しだけ考えたけど、彼女が本当に言いたかったことは、もっと違うことではないのかなと感じた。


 考えていると、そのサヨナラがズンと重く響いてくる。

 空気みたいよりそっていたならなおさらだろう。

 当たり前に側にいた人が突然いなくなるとか、きっと再会してももう二度と同じ関係に戻れないとか、果たされるあてのない約束は棘のついた枷みたいなものだからとか、そういった痛みをズルズル引きずりたくなかったのかもしれない。

 上手く言えないけど、決意みたいなものが含まれていると思った。


「男前な人だね」

「そうかな?」

 ちょっと驚いたように、小暮君は私を見た。


「うん、そうだと思う。気持ちを残していたら、きっと頑張れない。背水の陣、みたいな感じ? 応援してよ、私もあなたを応援してるから、これからも前を向いけるって。多分、そういう人」


 少しだけ、小暮君は絶句したけど。

 プッと吹き出して、クスクスと笑った。


「そっか、そう思うとカッコいい奴だね。女だけど」


 あんまり楽しそうに笑われるので、私はカーッと頭に血がのぼってくる。

 会ったこともない彼女のことを想像して、何をあれこれと想像して語っているんだろう。

 ものすごく、恥かしい。


「ご、ごめん」

「ありがとう」

 笑いをふくんでいるお礼に、私はうつむくしかない。


「えっと、私、気が利かないから」

「利いてるよ、ありがとう」


 ゆっくりとかみしめるようにお礼が響いて、また沈黙が落ちた。

 どうしたのかな? と思ったら、再び小暮君は窓の外を見ていた。


 ちょっとだけ窓枠の方に位置がずれていたので、もう少し話してもいいってことかもしれないと、私はドキドキしながらその横に並んだ。

 何を話せばいいのかわからなくて、遠くを見ている小暮君を見上げた。


「あ、夏休み、市民プールに行こうって、赤岩君が」

 よかった、話題があった。

 暇な奴は集まろ~ぜなんて、放課後に参加者の募集をかけていた。

「言ってたね、そんなこと」


 小暮君は行くの?

 そんなふうに聞きたかったけど、ちょっと恥ずかしくて、別の問いが口からこぼれ出た。


「白いビキニが好きって、本当?」

「白いビキニ?」

「えっと、あれ?」


「水着は絶対に白いビキニだ」とか「男の夢だ」とか、ものすごく熱を込めて赤岩君が大きな声で語っていたので、ちょっと気になっただけなんだけど。

 なんだか、小暮君の表情が冷めた。


「それ、赤岩の趣味だから。真に受けないほうがいい」

「そうなの?」

「そうだよ。信じると、後で後悔すると思う」

 絶対に白はやめた方がいい、と付け足したときには、ちゃんと私を見てふわりと目元を緩めたので、うんとうなずいた。


「こうやって二人で話すのって、初めてだね」

「そうだね。いつも赤岩君や美紀ちゃんが一緒だから」

 いまさら気がついたと穏やかに笑って、小暮君はジンジャーエールのプルトップに手をかけた。


「赤岩がいつも、今度は南みたいにちゃんと話しあえる子にしろって言うのも、わかる気がする」


 え?

 驚きすぎて、私は口から心臓が飛び出るかと思った。


 今なんて言ったの?

 今度は私みたいなって、聞こえた気がする。


 別れた彼女以外の人と、付き合ってもいいって思ってるのかな?

 それどころか、私でも、いいのかな?


 気持ちが膨らみすぎて、ドキドキと心臓の音がうるさいぐらい早くなって、何か言いたかったのに声が詰まった。

 ちゃんと聞こえた言葉の意味を問い返したい。


 その時。

 プシューーッとものすごい勢いで、ジンジャーエールが噴き出した。


 私は目の前の状況が信じられず、さすがに呆然としてしまう。

 ウワッと小暮君は驚いて、勢いよく飛び出してきたジンジャーエールを左手で押さえて防いでいる。

 それでも止まらないので、小暮君はたまらずに窓の外に向けた。


 噴水みたいにあふれ出る液体が、陽の光を受けてキラキラと輝いていた。

 小さな虹を生みながら、窓の外へと勢いよく飛びだしていく。


 綺麗だった。

 美紀ちゃんが思い切り缶をふって悪戯していたんだろうなと思ったけれど、あんまり綺麗だから目を細めてしまった。

 後から後から噴き出してくるジンジャーエールは、そのまま私の気持ちみたいだ。


 淡い黄金色の液体が、シュワシュワとあふれ出る。

 サイダーよりもピリリと少し、大人の味で。

 シャンパンよりも、甘くはじけて。


 さっきの言葉、聞き間違いじゃないよね?

 そうだよと答えるようにきらめく炭酸があふれ出るので、トン、と背中を押された気がした。


 気持ちがはじけ飛ぶ前に、伝えたい。

 ジンジャーエールは、今この瞬間に、ちょうどお似合いだった。


 やっと勢いを失った缶を片手に、赤岩の奴、と小暮君は小さく呟いていた。

 悔しげな響きだったけど、私は深呼吸を一つした。

 今なら、ちゃんと言えると思う。


 耳を貸してと、小暮君の腕を軽くひいて頼んだ。

 触れた左腕も、したたり落ちてくるジンジャーエールで濡れていた。

 離れて見ている時には、クラスの男子の中では華奢な感じがしていたけれど、触れるとやっぱり私なんかよりずっと手が大きくて、ドキリとする。


 意識しすぎて、どんどん鼓動が早くなっていく。

 私、変な顔をしていなければいいのだけど。


 右手に持ったジンジャーエルに気を取られていた小暮君は、挙動不審な私の様子には気がついてないみたいだった。

 それでも、軽く身をかがめてくれた。


 ジンジャーエールの香りが淡く立ち込めて、もう缶から吹き出しはしないけれど、それでもシュワシュワとはじけている。

 あふれる水泡に勇気を貰って、私は口を開く。

 耳元でそっと、かみしめるようにささやいた。


「小暮君。あのね、私……」


 その時、風が通り過ぎた。

 バサバサとカーテンが強く揺れて、小さくなった告白が流れた。

 いたずらな夏の風に、なけなしの勇気がかき消された気がする。


 聞こえただろうか?

 もう一度繰り返すなんて、かなり恥ずかしいけど。


 うるさいぐらい鼓動のはねる胸を押さえて見上げると、え? と驚いたように小暮君は目を見開いていた。

 よかった、聞こえたみたいだ。


 小暮君は返事を忘れたように、何度も確かめるように瞬きする。

 眼鏡越しで小暮君の瞳に映っている私が、不安げに笑っていた。

 小暮君は困ったような顔を一瞬したけれど、少し考えてふわりと笑った。


「まぁ、そういうセリフを貰えるのは悪くないけど……」


 こういう悪戯は、もう勘弁。

 私の耳元でささやくと小さく笑って、右手のジンジャーエールの缶を私に渡した。


 飲んでもいないのに、軽い。

 すっかりあふれ出て、もう中身はほとんどなかった。

 美紀ちゃんは、どれだけこの缶を振っていたのだろう?

 小暮君はビショビショになったと、たれてくる雫を右手をふりながら払っていた。


「まぁ、はめられた南に、冷たいって言っても仕方ないか。制服は体操服があるから着替えればいいけど……これ、一緒に責任取ってくれる?」


 これ? と指差された場所を見た。

 あふれたジンジャーエールは、床一面に広がってひどい有様だった。

 ハァァ~と私は間抜けなため息をついてしまった。


 掃除、しなくちゃ。

 これって、後片付けがかなり大変かもしれない。

 さすがに美紀ちゃんを恨んだ。

 後で電話をかけて、文句を言わなくては!


「ごめん。まさか、こんなことになるなんて思わなくて」

「まぁ、そうだろうね。あの二人のやりそうなことだし」

 少し茶化すように、小暮君は笑った。


「二人?」

「ああ、そうか。南は本当に気がついてなかったんだ」


 クスッと小暮君は笑いをこぼす。

 よくわかっていない私は、なんかごめんとわからないなりに謝って、オロオロするばかりだ。

 だけど小暮君はとても優しい表情をしていて、その口元からこぼれ落ちてきた声は、今まで聞いたことがないくらいやわらかかった。


「気にしなくっていい。はめられるのも、悪くないから」

 私にはよくわからないことをつぶやきながら、小暮君は中指で眼鏡を少し押し上げた。


「ほんとにごめん。先、帰って」

「いいよ、二人で片付ければ」

「だって、なんか悪い気がする」


 私の帰っていいよコールに聞こえないフリをしながら、少し乾いてきたジンジャーエールがベタベタすると、ぬれたシャツを指先でつまんでいる。なんというか、悲惨すぎてかける言葉もない。

 必死に責任を取ろうとする私に、小暮君は向き直ると今まで見たこともないぐらい優しい表情になった。


「さっきの返事も、いいよ、なんだからさ。一人で帰ったら、バカみたいだろう?」


 そんなふうに笑いながら、小暮君は窓の外に視線を向けた。

 私もつられて窓の外を見る。

 そして、声を出すのも忘れた。


 視界に飛び込んできた夏色は、鮮やかでまぶしい。

 ああ、なんて深くて青い空なんだろう。


 肩を並べる私たちの間を、夏の風が通り抜けていった。




【 Fin 】

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