知っている。

 記憶をたどり終えた俺は、いまの少女と対峙する。


「なんでいまさら、僕のところに」

 久し振りに会いたくなって。私を、過去を忘れて、幸せを掴もうとしているあなたの姿を見にきた。なんだかなぁ、って思って。


「おとなになれば勝手に忘れていくんだよ。別に不思議なことじゃない。良いじゃないか。僕が幸せになったって」

 私は別にいいんだけど、ね。忘れたって。でも悲しむんじゃないかな。あなたの大好きだった小野さんが。まぁあなたにとっては、死んだ人間がどう思おうが知ったことじゃないか。


 彼女が上目遣いに、僕を見上げる。憎らしいほど、魅力的な顔をしている。


 ねぇ小野さんが死んだ時、どう思った?


「悲しかったよ。すごく。きみを許せない、って気持ちになった」

 本当に?


「本当だよ。なんでこんなことで嘘なんかつかないといけないんだ」

 そっか、あなたはおとなになっても嘘つきなままなんだね。可哀想なおとなだね。いっそあなたも小野さんみたいに、幼いうちに死んでしまったほうが、いくらかは社会のためになったんじゃないかな。


「う、嘘なんかついていない」

 そっか。じゃあなんで、あの時、『きみがやったのか』なんて言ったの。


 奥底に沈めていた記憶がある。もう二度と浮かび上がってこないように蓋をしたまま、蓋をしたことさえも忘れてしまっていた記憶だ。彼女が容赦なくこじ開けてきて、浮かび上がってきたものは、とどまることを知らない。


『好きだ』

『私、あんまりあなたのこと好きじゃない』

『なんで』

『だってちょっと気持ち悪いし、苦手なんだ。ごめんね。本当は言わないほうがいい、って分かってるけど。でも嫌なものは嫌。こんなところに呼び出されるのも変な噂が立ちそうだから、それも嫌。私、もう帰るね』

『なんで、そんなひどいこと』

『えっ、ちょっと何、近寄らないで……!』


 告白。屋上。血だまりの少女。サイレンの音。逃げる僕。震える僕。

 本当にこれは僕の記憶だろうか。彼女が僕を苦しめるために創り出した幻影ではないだろうか。創り物の彼女なのだから、そのくらいはできるだろう。なぁそうだろう。そうだ、って言ってくれよ。


 あぁ全部、思い出した、って顔をしてるね。


「違う。こんな記憶、嘘に決まってる。僕はひとを殺してなんていない。証拠はあるのか」

 証拠なんて、もちろんないよ。それにあなたが信じたくないなら、別に信じる必要もない。あなた以外の誰もが知らない記憶なんて、嘘と同じ、なんて思いながら、これからも好きに生きていけば。


「じゃあ、なんでこんなものを見せに」

 勝手に私のほうが、嘘、になってしまうのも、心外だからね。あとはそうだな。きみみたいな人間によってこれからの希望に満ちていたはずの人生を失ってしまった小野さんがあまりにも哀れだったから、かな。あぁきみが死んでしまえばよかったのに。


「でも、いまじゃなくても」

 あなたがそれ相応に惨めな人生でも送っていたなら、考えないでもなかったけど、ね。ゴミがゴミらしく生きていないで、人並みに幸せを得ようとしていて、虫唾が走っただけ。


「そんなに僕のことを憎んでいるのか」

 何を言っているの。あなたは私で、私はあなた。私があなたを憎んでいるとしたら、それはあなたがあなた自身を憎んでいるだけのことに過ぎない。分かる? ちゃんとあなた程度の脳みそでも理解できてる?


「消えろ」

 あぁまたそういうことを。


「にせものにせものにせものにせもの。きみがにせものだ。きえろきえろきえろしねしねしねしねしね」

 すぐおかしくなる。それがあなたのよくないところだ。きっと奥さんもいつの日か殺しちゃうんじゃ――――。


「あなた!」

 突然、背後から声が聞こえた。振り返ると、そこには妻が立っている。心配そうに僕の肩に手を置いて、「大丈夫」と繰り返す。


「あ、あぁ。うん」

「帰ってきたら、うずくまって震えてたから」

「ちょっと嫌なことを思い出したら、頭が痛くなって。大丈夫。本当に大丈夫だから」

「そう、それならいいけど……」

 周囲に目を向けると、すでに彼女の姿はどこにもなかった。


「うん。夢だよ。ちょっと夢を見てしまったんだ。ただの悪い夢。どうせすぐに忘れるさ」


 あれから七年の月日が流れ、僕たちの間に娘が生まれた。

 最近、娘がひとりで誰かにしゃべっている。


 その姿を見ていると、ふいに言葉がよみがえってきた。


『うん。いいよ。でも、ずっと友達だよ。途中で、私の前からいなくならないで、ね』

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空想上のきみだけが サトウ・レン @ryose

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