Day6 午前/午後

鍵は閉まる、二人は分かつ


Day6午前 別離


翌日、俺は知るはずもない天井を目にして目覚める。いつも通り朱里に起こされたわけでもないが、自然と目が覚めた。身体は朱里に起こされないことがわかっていたのかもしれない。        

部屋を出て、居間に向かう。昨晩、おじさんからメールが来て明日には帰宅する旨を伝えられた。つまり、今日明日は朱里と未月それぞれと二人きりなのである。未月はまだ大丈夫なのだが、朱里とは昨日の出来事があった以上、正直きまずい。全面的に俺が悪いのだが、気まずいのである。

「おはよう‥。」

 扉を少しだけ開き、頭を突っ込んで居間の中を覗き込む。居間の中には、ソファに身体を埋め込み、テレビをだらだらと眺めている朱里がいた。自分の家だとしても、朱里はもう少しキッチリしているはずだ。現に昨日の朱里は身だしなみを整え、いい姿勢でホラー映画鑑賞をしていた。それが今日は寝癖を直さずにソファに背を預けて、甘ったるい砂糖100%のラブコメ映画を見ていた。

 朱里は俺に気づいていないのか、あえて無視しているのか、テレビから目線を外さない。俺は映画の邪魔をしないように食パンをトースターではなく、そのまま口に突っ込む。焼いてない食パンは口の中の水分を奪う。口内の食パンを牛乳で流し込み、口内を潤す。朱里は映画がいいところなのか、身体を起こしてテレビにのめり込むように見ている。俺は食事を終えると、

居間を出て、借りた部屋に戻る。部屋に戻ってもこれといってやることはないのだが、居間にいるよりはマシだった。居間を出る時、気のせいかもしれないが背中に刺さる視線を感じた。そんなことは気にせず、部屋のベッドに飛び込み横になる。食事を摂った直後に横になるのはよくないのだが、そんなことを気にしている俺ではなかった。俺はある程度膨れたお腹とふかふかのベッドによって、眠気に襲われる。ただ眠気に襲われながらも、俺の頭の中では朱里と未月のことで埋め尽くされていた。


『だって、それって朱里と私の間で揺れ動いているってことでしょ?』


昨晩の未月の言葉が俺の心に突き刺さる。まるで鋭利な針の先に引っ掛かるように返しがついているかのように俺の心に喰い込む。それは責任感か罪悪感か、それとも・・。白黒の二元論を崩壊させかねない。それを俺は認めてはいけないのに、俺の心は自然と認めている。

 眠気なんてなかったかのように、ボーっと真っ白な天井を眺める。白い壁紙はスクリーン、プロジェクターは俺。一人称視点で進む映画。主演は俺で、助演は彼女たち。その映画に色はなく、白黒で淡々と進む。観客の感情の揺れなんて気にも止めずに。映画の出来事を変えることなんて出来ないのに、変えようと足掻く観客。でも、映画の結末は撮影されていない。まだ足掻ける。足掻かないといけないのだ。

 視界が滲む。なんでこんな事になったのか。なんでもっと普通に生きることはできなかったのか。なんで、なんで、なんで。幾度も問いつめても解答(こたえ)は出ない。解答(こたえ)が出ても事実は変わらない。そんな途方も無い現実が後悔と共に押し寄せる。少年が追い求め、手を伸ばしたのは途方も無い現実ではなく、かつての穏やかな虚実だったのに。


 どうやらいつの間にか寝てしまっていたようだ。サイドテーブルにある置き時計の針は二時過ぎを指している。気怠さが残る身体を起こす。外は曇天。低気圧で頭が軋む。昔からお天道様の機嫌が悪い日は俺の体調も悪い。長い付き合いだ。慣れというより諦めといった方が正しいだろう。諦めた頭の軋みを感じながら、部屋を出る。

 チャリと音が鳴る。どうやら足に何かが当たったようだった。軋む頭を下に向けると、そこには鍵があった。その鍵は今、俺がこのような現状に陥っている元凶であり、見慣れたものだった。つまり、俺の家の鍵だ。

 別の鍵の可能性もあったが、俺の家の鍵に付いている白い棒人間の人形のストラップがそこにあった。どう考えても俺の家の鍵だった。俺は鍵が見つかった安堵を覚えるよりも見つかってしまった綿雲のように曖昧な不安を覚えた。その不安の正体は言うまでもないだろう。この鍵は今までどこにあって、何故今になって見つかったのか。この問題に名探偵は必要では無かった。俺はこの疑問に対して即答して、部分点ではなく満点を得ることができる。しかし、その答えに俺は納得できなかった。納得したくなかった。

 俺はいやに冷たい鍵を摘みとり、無意識のうちに握りしめる。鍵の凹凸が手の肉に食い込むが、そんなことを気にする余裕はなかった。

 俺は階段を一段一段踏み締めて、下の階に向かう。一段一段下に向かっていく足は鉛のように重く、まるで俺とは別の意思を持っているかのように思うように動かなかった。やっとのことで下の階にたどり着く。ドアノブに手を掛ける。鉛のように重い身体に空気を吹き込み、気持ちを強固にする。ドアノブを捻って、ドアを押す。室内には映画を鑑賞していた朱里がいた。

 朱里はこちらを気にする素振りも見せず、ただ茫然とテレビに流れている映像を眺めていた。道端にある苔生した地蔵のようにずっとずっと前からそこに居座っているかのようだった。朱里の元に歩を進める。

 朱里の視界に入るように鍵を見せつける。朱里は何も見えていないかのように表情を微塵も変えることなく、その場で茫然としているだけだった。


「これ、俺の家の鍵、朱里が持っていたんだな。」


俺はまとまっていない言葉をそのまま朱里にぶつける。朱里は彫像のように眉ひとつ動かすこともなかった。肯定も否定もせず、ただただ意気消沈を体現し続けている。

俺は今、どんな表情をしているのだろう。こんな状況にしてしまった誰かに怒っているのだろうか、それとも哀しんでいるのだろうか。俺は鍵をポケットにしまう。チャリと金属と金属が擦れて音が鳴る。茫然自失。足が自然と動く。黒とも白ともいえない灰色の燻った情が身体を支配する。たとえ地雷地帯だろうが底なしの沼地だろうがこの情を止めることはできないだろう。

扉が閉じられ、情が閉まる。二度と開くことはないだろう。

鍵がふたりを分かつ。



人生の半分は愛している人から去ることに費やす


Day6午後 去絶(キョゼツ)


 俺は家に帰ってから、自身の部屋に直行し、ベッドに倒れ込んだ。色々な感情が涙と共にこぼれ落ち、枕に染み込んだ。そのうち、ありとあらゆる気力がなくなった。立つことも、声を出すことも、果ては考えることさえも、鬱陶しくなった。なにもしたくなかった。それならいっそのこと死んでやろうかとさえ考えた。

 そうだ、死ねばいいのか。

 死ねば全部解決するのか。

 我ながら他人のことでここまでよく思い詰めることができるなと感心すると同意に、自分自身に吐き気すら感じる。偽善者ぶるのもいい加減にしろと。誰かのためだと言って、結局は自分のためだけに、自分が好きでいられる価値を自分に見出すためにしか行動ができない、いっそのこと自己中の方が清々しいと感じられるほどの偽善者、それが俺だ。

 昔はこうではなかったはずだ。母が死んでから、自分自身を偽って家族に嘘をついた。家族にとって価値がある人間であり続けるために。彼女が泣きそうな顔で俺の部屋に来た時も、彼女にとって価値ある人間であるように、一定の距離を取って都合が良いときだけ動いた。

グウウ

こんな時でも腹は空き、喉は乾く。

一階に降りて、食パンと水を口にぶち込む。

今も俺は俺の都合が良いときだけ、俺のためだけに動いた。あれだけ死にたいと思うほど思い詰めながら生きる努力をする。なんて矛盾していることだろう。


「つかれた」


俺はそう呟き、キッチンの下の棚から包丁を取り出す。金属の冷たさが左手首に伝わる。右手を手前に引けば苦しみながら死ねる。何の感慨もなく右手を手前に引く。鋭い痛みが伝わり、左手首が激しく熱くなる。血が指を伝って床に落ちる。液体が床に水玉模様を描く。その様子をただ茫然と眺める。何気なく血って赤だけじゃなく、赤黒いんだなと思った。そのとき、救急車の音が静かな室内に響く。その音に呼応するように脳内に思い浮かんだのは救急車で運ばれていく母の姿。よく覚えている。それがこの家での母さんとの最後の思い出。リビングのカーテンを開き、窓の外を見る。いつの間にか、日の出の時間を過ぎ、外は薄ら明るくなっていた。外では初老を迎えたであろうおじさんとおばさんが仲睦まじそうに会話しながら犬の散歩をしていた。その間も血は流れ続けていた。ポタポタと音がいやに耳に残った。


 いつの間にか、寝ていた。いや死んであの世に行ったのだろうか。あちこち痛む身体を起こすと、いつの間にかブランケットがかけられていた。周りを見渡す。周りはよく知っている家具や壁紙、俺の家のリビングだった。人がいる気配はなく、いつも通りの光景だった。

なんとなく仏壇に向かった。さっき母さんのことを思い出したからだろうか。仏壇にたどり着くと妙な違和感を感じた。2、3日留守にしていた割には妙に小綺麗な気がするのだ。それともう一つ母さんの写真が見えないように倒れていた。写真立てを立てると、埃やシミのせいか母さんが泣いているかのように思えた。そう見えるのは俺が母さんに後ろめたい気持ちがあるかだろう。


「母さん、ごめん」


俺は手を合わせてそう呟く。俺はその場で意味もなく謝ることしかできなかった。合わせた手を離す際、ふと左手首の様子が気になり、手首を見る。なんと手首には丁寧に包帯が巻かれていた。先ほどのブランケットといい包帯といい、誰かが家に入ってきたのだろうか。包帯をよく見ると何かが書かれていた。


『大丈夫。大丈夫だから。』


いつも俺のことを救ってくれた言葉がそこに書かれていた。ただこの言葉は今の俺に何の効力も発揮されない。ただ気になるのはどっち(・・・)がこの包帯を巻いたのだろうか。


 俺はその日から三日間家に閉じこもっていた。もちろん光陽おじさんとの約束の期限は過ぎた。二重人格の治療を受けることになったのかどうかわからない。おじさんもおばさんも何も言ってこない。もう全くの他人の俺には関係ない話だ。その日も夜まで一切外に出ることなく引きこもっていた。夜、腹が空いたが、外に出ていないため買い物をしておらずなにも食べるものがないため、コンビニに向かう。玄関を開けると、久々の外の空気が肺に入る。夜の空気が身体を冷やす。新鮮な酸素で脳も冷静になる。あれから何度か死のうとしたが、直前になって怖気付いてしまった。失敗した後は決まって母さんがいる仏壇の前に座り込む。母さんに懺悔するくらいなら死のうだなんて考えなければいいのに。

 そんなことを考えていると、いつの間にかコンビニに着いていた。コンビニの明かりがいやに眩しく、思いがけず目元を手で隠してしまう。店内に入ると、コンビニ店員のやる気を感じられない声がかかる。適当に商品を手に取り、さっさと支払いを済ませる。コンビニ店員のやる気ない声に送られ、コンビニを後にする。

コンビニを出て、買った缶コーヒーをビニール袋から取り出す。カシュッと小気味良い音が鳴って、コーヒー独特の香りが,鼻に抜ける。缶コーヒーをちびちび飲みながら帰路に着く。一定間隔に設置された街灯が影を射す。

 家に着くと、玄関前に誰かが座り込んでいた。


「・・・どうした?」


俺は玄関前の人物に声をかける。玄関前の人物が立ち上がり、月明かりに照らされる。そこに立っていたのは。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

誰に恋をしたのだろうか clane/鶴翼 @clane2212

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ