Day5 午前/正午/午後
毒花の蜜を喜び喰らう
Day5午前 乾坤一擲
嫌だ。朱里に人殺しをさせたくない。
そんな理由で二重人格の治療に反対した。家族ではない、部外者の意見だ。でも、家族以上に一人の人間として真摯に未月に接した部外者(俺)だからこそ言える意見だ。それを理解していないわけでもないのだろう。優菜さんは困惑した表情を浮かべる。ただ、おじさんだけは俺から目を離さなかった。
「朱里に人殺しをさせたくない、か。それが朱里を苦しめることになってもか?」
おじさんは全てを理解した上で、二重人格の治療を提案したのだろう。俺が優先したのは朱里に人殺しをさせたくない。言い換えれば、未月にいなくなって欲しくないである。つまり、ただの情に負けた意見だ。客観的視点で見れば、おじさんの意見が最も正しいのだろう。感情的に見ても、おじさんは朱里を優先したのだ。未月はおじさんの娘ではないのだから。だが、
「俺は未月に昔の朱里の姿を見ました。誰かに怯えることもなく、ただ純粋に生きていたあの時の朱里の姿を。」
おそらくだが、未月は昔の朱里を元にして構築された人格なのだと思う。サク君と俺を呼んだのは昔の朱里ともう一人だけだった。どちらも今はいない。
おじさんと優菜さんも気づいていたはずだ。朱里の二重人格の治療が指し示すことは昔の朱里をコロスことになるのだと。あの頃、無邪気に笑っていた思い出(アカリ)を忘れ去ることになるのだと。本当に大事なものは朱里だ。だが、朱里は今の朱里だけではない。今まで過ごした日々を全てひっくるめて朱里という少女なのだ。どこにも捨てても良い箇所はないはずだ。
「俺は・・俺はっ!それでも、今生きている朱里を守らねばならないと思う。今の俺が、父親として守らねばならないのは昔の朱里じゃない。今の朱里自身なんだ。」
おじさんは決意表明をした。朱里の父親としてのあり方を。思い出ではなく、現在を懸命に生きる彼女を守るのだと。おじさんの何の感情さえ感じさせない表情は彼の覚悟を物語っていた。
俺はもう無理なのか、おじさんの家族を守る決意には勝てないのかと心の底で諦めかけた。
「だが、別人格が昔の朱里だというのなら。どうしても彼女を捨てきれないのなら。」
おじさんは続けて言葉を紡ぐ。おじさんは目を閉じ、深呼吸をする。
「時間を3日間やる。朱里に別人格と共に生きることを認めさせたら、二重人格の治療は考える。」
おじさんの要求は無理難題な代物だった。人の身体は家とは違う。そんなあっさりと認められるものではない。しかし、この要求は別人格と共存するにせよ、治療するにせよ、避けては通れない道である。それに加え、二重人格を治したいかどうかは結局のところ本人次第なのだ。おじさんの意図を汲み取り、俺はその提案を受け入れる。彼女を守るための毒花を喜んで受け入れる。その毒花を手に入れるまでの道は荊棘そのものだった。しかし、この毒花は荊棘に慈悲深さを感じるものだった。
階段を昇り、借りた部屋に行く。先程のインパクトが大きくて忘れていたが、俺は鍵を失くしていたんだった。結局、自宅の鍵が今どこにあるのか分かっていない。というかどうやって鍵がカバンから出ていったのだろう。出した覚えもないから、鍵が自発的に出たとしか思えないのだが・・・。
「いや、そんなこと考えている場合じゃなかった。どうやって伝えるか考えないと・・って?」
部屋のドアを開けると、そこには幼なじみの姿をしたそれがいた。
「あ、やっと戻ってきた。やっほー。」
「なんでいるんだ?というかいつの間に朱里と変わったんだよ。」
いつの間にか朱里と入れ替わった未月が部屋の中にいた。
「私がサク君の元に行くのはいつものことじゃない?後、朱里といつの間に変わったのかと言われても正直わからないんだけど。」
二重人格はコントロールできるものでは無いだろうし、いつの間にか変わったということも、まぁありはするか。むしろ、今までが規則的すぎたのだが。
「それで?話聞いていたんだろう?」
朱里の両親と話している時、階段から誰かが覗き込んでいるのが見えた。言わずもがな、未月だったわけだが。未月ではなかったら、泥棒か幽霊の存在を俺は疑って、夜眠れなくなるわけで。
「うん。聞いてたよ。朱里に言うんでしょ?私のことを。」
その言葉に頷く。既に進むべき道は決めた。だが、
「それでいいのか?未月は。」
だが、未月にとっては生死を左右する選択肢を他人に委ねることになる。今会うのが最後になるかもしれない。
「いいよ。今日が最後の日になるわけではないし。」
未月は確信したかのように言い切る。同じ身体を共有して、経験を夢という形で共有する者同士、未月は朱里の気持ちをある程度推し測れているのかもしれない。しかし、経験を夢で共有するという彼女の二重人格特有の症状には未だに謎がある。経験を夢で共有する条件である。そして、それを仄めかす未月にも謎がある。
「俺は・・俺は未月に生きてほしいが、未月を信用していいのか?」
俺はとうとう未月に突きつけた。未月と出会ってからずっと思っていたこと。未月は本当に朱里から分かれて誕生した人格なのか。最初、俺は朱里がふざけて別の人物を演じているのだと思っていた。だが、いつの間にか未月という人格を朱里の別人格として認めていた。その最たる要因が朱里の変化だった。昔から朱里は俺を呼ぶ時はサク君と呼んでいたのが、未月が現れてからは朔人君と呼ぶようになった。また、俺のことをサク君と呼ぶのは未月になった。だが、俺はここで次のように考えなければいけなかった。未月が主人格、つまり、本来の朱里であるのではないかということを。
「私は私だよ、サク君。信用に値するかどうかはサク君が決めればいいよ。」
未月の返答はいつも通りの未月が言いそうなことだった。でも、その声音はどこか悲しそうな雰囲気を感じさせた。俺でも字面通り受け取ったらいけないことはわかった。俺はベッドに腰掛けている未月の前に立ち、真っ直ぐに見据える。
「俺は未月のことを信じたい。」
未月は俺の言葉を聞いた瞬間、嬉しそうな表情を浮かべる。きっと俺が未月のために未月に掛けてあげられる言葉はこれしかなかった。
これで後顧の憂いは断たれた。俺が進むべき道はこの茨の道で合っている。
陽光は茨に沈み泥々に進路は閉ざす
Day5正午 対面告白
いつも通り・・ではないが、朱里に起こされる。言われるがまま、身支度を整える。朱里の両親は用事があると言って外出した。つまり、朱里と二人きりなのである。おじさんが昨晩の約束を守ってくれたのだろう。朱里はどこか落ち着かない様子でこちらをしきりと見てくる。朱里にどうやって話そうか考えてはいたが、いざ当人を目の前にすると頭の中が真っ白になってきた。朱里は何かの決意が固まったかのように言葉を紡ぎ始める。
「あのさ・・朔人君なにか話したいことがあるんじゃない?」
その言葉は核心を突く。朱里の言う通り、俺には彼女に話さないといけないことがある。俺は改めて覚悟を決めて、朱里に語るべき言葉を考えて、言葉を発する。
「朱里、よく聞いてほしい。」
朱里は俺の言葉を聞いた瞬間、表情を変え、こちらの方に向き直した。彼女の目付きは普段のモノと異なり、真剣そのものであった。血は争えないというのか、その眼はおじさんに似ていた。その眼を見た際、昨晩おじさんと交わした約束や未月との会話を思い出した。心は平静を取り戻す。
「朱里、信じられないかもしれないがお前は二重人格なんだ。」
とうとうその事実を彼女に突きつける。彼女は驚愕に満ちた表情で俺の顔を見る。俺は真剣な表情で彼女を見返す。彼女は俺の表情から真実(ほんとう)の事実を述べていると察したのだろう、驚愕に満ちた表情は再び真剣な表情に戻った。
「本当に?」
彼女は言葉で確認を取る。真実かどうかの察しはついているのだろうが、やはり言葉で確認をしたいのだろう。不安の感情が少しだけ彼女の声音に染み付いているのが感じられた。
「本当だ。」
俺はそのように述べる。彼女は表情一つ変えずにその言葉を受け止める。
「そうなんだ。」
まるで先ほどの不安な声音が嘘だったかのように彼女はそう述べた。そして次のように述べた。
「薄々気づいてはいたの。私が二重人格だって。」
その言葉は衝撃そのものだった。俺は彼女が二重人格に気づいている可能性すら考えていなかった。それほどまでに彼女の身体に宿る二つの人格は隔絶されているものだったのだ。
「私が最近になって見る夢は本当に起きている出来事なのかもしれないって。」
朔人君と呼ぶ彼女とサク君と呼ぶ彼女はお互い干渉することなんて不可能である透明な同居人だった。しかし、それは俺の思い違いだった。彼女たちの二重人格は夢という形でお互い干渉するモノだった。
「唯一の干渉方法が夢だったのか・・。」
俺がそう呟くと、彼女は首を横に振る。
「私が見る夢は朔人君に関する夢だけだった。」
俺はその言葉を聞いた時、以前未月が俺に言ったことを思い出した。
『でも、まぁ、サク君に関することなら見ているんじゃない?』
彼女はそう言った。その時理由ははぐらかされたが、今になって思えばその理由に注目し過ぎていた。本当に重要だったのは俺に関する経験を共有していたことだった。
つまり、本当の彼女たちの干渉方法は俺、両城朔人だった。正確にいえば俺に関する経験だけを夢という形で共有しているのである。でも何故俺なのか。それだけがわからない。
「でもなんで俺なんだ?」
俺は以前、未月にも聞いた疑問を彼女にも投げかける。未月に聞いた時ははぐらかされた。その時は俺も特別興味があるわけでもなかったため、それ以上踏み込まなかった。いや、踏み込めなかった。これ以上、踏み込んでしまったら何かが変わってしまいそうな気がしたから。
でも、今回は違う。あの時と覚悟の度合いが、失うものの大きさが、そして想いが。
「それは……。」
彼女は言い淀む。言っていいのか迷っているのだろうか。彼女は俯きながらも、チラチラと俺を見る。
「頼む。教えてくれ……。」
俺は彼女にダメ押しで頼み込む。彼女は躊躇う。俺と彼女の間には強大な隔たりがあった。その隔たりはテレビの液晶みたいに映ったり、映らなかったりした。しかも、その液晶は俺にとって都合が良い情報を映すことはなかった。それはチャンネル(じんかく)が変わってもそうだった。俺が欲しい情報を流すことはなかった。
彼女はなにか話そうと閉じた唇を開く。しかし、すぐに閉ざしてしまう。それを何回か繰り返した後に、液晶に映像が映る(ことばをつむぐ)。
「−――――――――――――――――――――――――――――――――――――」
液晶に映る映像は淡々とした事実。俺はその言葉を聞いて、頭の中を真っ白にした。
だって
その言葉は
俺に聞かせるべき言葉ではなかった。
『私達(・・)は貴方が好きだから。』
その映像は今の俺にとって、硝煙と火薬の匂いがする映像よりも残酷的で、障害を乗り越えんとする映像よりも感動的で、俺を殺すには十分な告白の映像。
俺は液晶に映った映像(かのじょのことば)の感想を口にする。
行方不明の恋は愛すべき罪悪
Day5午後 咎人
昼から外へ自宅の鍵を探しに出たが見つからなかった。日も落ち始め、辺りも暗くなってきたため、俺は素直に朱里の家に戻る。おそらく時間帯を考えるとアイツがいると思われる…。
「えっと…ただいま?お邪魔します?」
俺はどちらとも取れるような言動をする。こういう時どう言えばいいのかわからなくなる。俺の声に反応して、リビングから俺がいる玄関に向かってアイツがやってくる。
「サク君おかえり!」
いつにも増して、元気な未月が俺の腹に突っ込んできた。どうやら人格が変わると人間から猪女に変わるようだ。
「いや、猪女じゃないんですけど。」
おっと声に出てしまっていたようだ。俺は腹に向かって頭をグリグリする彼女を宥めすかして、リビングに向かう。猪女あらため、未月が麦茶を注いだコップを持ってきてくれた。鍵を探しに方々を歩き回った俺に気を使ってくれたのだろう。ありがたくそれを受け取り、喉に流し込む。未月は身体を俺が座っているソファに預けるようにして床に座り込んだ。
「あの返事は予想外だったよ、サク君」
未月が言う。きっと夢で見たのだろう。今朝の告白の結末を。
「そうか。案外予想通りだったんじゃないか?」
俺はコップに注がれた麦茶を飲み干し、そう答える。未月は不敵な笑みを浮かべる。
「まぁね。サク君らしい答えだったよ。」
未月はそう言うと、麦茶を口に含む。未月は口に含んだ麦茶を喉に流し込む。
ゴクッ
その音が静まった部屋に響いた。朱里が驚いた表情で固唾を吞んだ音だった。
「え?」
彼女は想定外の返事に動揺していた。その時彼女にとって俺はそこまで大きな存在になっていたのかと実感する。だが、あの日の俺の誓いは揺るがなかった。
「教えてくれてありがとう。俺もお前たちのことは好きだ。その想いには応えたい。だけど、両思いだからといって正直になっていいワケじゃないんだ。」
「な、なんで?」
朱里は声を震わせる。明らかに動揺しているのが見て取れる。俺がこの手を取りたいが、取るわけにはいかない。なぜなら…。
『俺は咎人(うわきもの)だから。』
「でも本当によかったの?彼女の手を取らなくて。」
未月は少し悲しみを含んだ声で言う。
「ああ。あれでよかったんだ。あれが最適解だった。それに。」
「それに?」
俺は少し躊躇いながらも口を開く。未月は俺が話すのを慈愛の目で見守る。
「それに俺は本当に好きだから・・・。」
俺の目に映る景色がボヤける。頬を伝い、床に落ちる。俺は俯き、そのまま流す。覚悟を決めたはずなのに、後悔や罪悪感などありとあらゆる感情がとめどなく溢れ落ちる。
未月はそんな俺に優しい笑みを浮かべたまま、俺を抱きしめた。
「しょうがないなぁ、サク君は。」
俺はその優しさに包まれることしかできなかった。
「ごめん・・。ごめんな。」
俺はその場でその言葉しか発せなかった。
「大丈夫、大丈夫だから。私はサク君のそばから急にいなくなったりしないから。」
いつか聞いたその言葉が再び俺の心に響き渡る。ただし、俺を救い出してくれたこの言葉を聞くことができるのはこれが最後なのかもしれない。そう思うと、俺から溢れ落ちる感情は止まるどころか、むしろ勢いを増した。
どれくらいの時間が経ったのだろうか、俺はいつの間にか未月の膝の上で寝ていた。頭の下から伝わる温かさが心地よかった。
「……膝枕、気持ちいい?」
未月が俺に声をかける。俺は未月が起きているとは思わず、喉からヒュッと変な音が出た。未月は俺の驚いた様子を見て、口元に手を当てて笑った。
「どうやら、答えは聞かなくてもいいようだね?」
未月は笑みを浮かべながら、俺の頭を撫でる。流石に気恥ずかしく、起きあがろうとするが、未月に押さえつけられてしまい、抵抗することも虚しく俺は頭を撫でられ続けた。
「ねぇ、サク君。」
しばらくして未月が声を掛けてきた。俺は閉じていた目を開いて、下から未月の顔を覗き込む。
「もう一つ理由があるんでしょ?」
未月は悪いことをした子どもを諭す母親のように俺の目を見ながら、そう言う。俺は図星を突かれ動揺する。咄嗟に目を背けようとするが、顔を両手でがっしりと固定されてしまい、背けることができない。未月は俺をじっと見つめる。
「……別に…。」
俺はなんとか言葉を形にして発する。苦し紛れの一言だった。流石に逃げきれず、未月と俺の目線は合ったままだった。俺はなにも言葉を発することができずに、室内に時計が時を刻む音だけが響いていた。
時計の音がいくつ鳴り響いたのだろう。未月の目から逃れることができないままだった。未月の顔は朱里の顔と同じだが、朱里とは違う雰囲気があった。俺の母を思い出させるような懐かしさがそこにはあった。昔から一緒にいる朱里には感じられない雰囲気をここ数ヶ月過ごした未月から感じたのだ。俺がもう一つの理由を言うまで逃す気はないのだろうか、全然目線が外れない。
未月の根気に負けてもう一つの理由を話すことにした。俺が話すことがわかると未月は嬉しそうに笑顔を浮かべた。
「ただ、本当に俺が恋愛的な意味で好きなのかどうか分からなくなっただけだよ。」
俺はバツが悪く、未月の顔すら見ることができず、視線を逸らす。きっと俺に呆れてしまっていると思い、ただ茫然とリビングの角に置いてある何の映像も流れていないテレビを眺める。黒い液晶画面には俺と俺に膝枕をしている未月が映っていた。
画面に映る未月はむしろ満面の笑みを浮かべて、俺の頭を再度撫で始めた。しかもさっきよりも速く。摩擦熱で禿げそう。いや、火が出る方が先だな・・、じゃなくて!
「え?なんで嬉しそうなの?俺結構シリアスな雰囲気出しながら言ったと思うんだけど。」
俺は咄嗟に起き上がって、未月の顔を直接見つめる。やはり、未月は満面の笑みを浮かべている。
「え?なんで嬉しそうなの?」
俺は困惑の表情を全面に出して、嬉しさを全面に出している未月に問いかける。
「だって、それって朱里と私の間で揺れ動いているってことでしょ?」
俺は未月に何が揺れ動いているのかとは聞かなかった。それほどまでに、俺の心は陽光と月光の間で揺れ動いている。俺は咎人、金烏玉兎の間で揺れ動く咎人だ。
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