Day4午前/午後


夜に咲く華は影を孕む


Day4午前 咲いた花の名前


 自宅の鍵を失くした俺は今、幼馴染の家の食卓を幼馴染家族と囲んでいる。鍵をいくら探しても見つからず、日も暮れてしまったため、幼馴染の提案に甘えさせてもらったというわけである。いや、幼馴染の姿をしたそれに甘えさせられた。

 目の前に広がる大皿に盛られた料理は俺が作る料理よりも美味そうなものであった。その大皿料理を作った優菜さんは久々に来たのにこんな粗末な料理でごめんなさねと頬に手を当て、微笑んでいた。一片たりとも申し訳なさそうではなかった。いやまぁ、押し掛けている側である俺にそこまで気を使う必要はないのだが。そんな大皿料理がある食卓は俺とその隣には幼馴染の姿をしたそれが着席ている。対面には優菜さんとその夫である光陽(こうよう)さんが座っている。おじさんは父と昔からの友人であり、家族ぐるみでの付き合いがある。母が亡くなり、俺が一人暮らしを始めてからは、より一層俺のことをまるで実の息子のように気にしてくれている。なお、おじさんは朱里のことを異常に可愛がっており、幼い頃は朱里が擦り傷をつくって帰ってきただけでブチギレて、俺の家に来て俺に事情聴取しに来やがった。しかし、カツ丼を一緒に持ってきた点に関しては笑ってしまった。刑事ドラマ好きには困ったものだ。

「朔人が我が家に来るのは久しぶりだな。最近の調子はどうだ!?」

「鍵を失くしてからは気分が落ち込んでマース。」

「・・それは数十分前の出来事じゃない・・。」

幼馴染のふりをしたそれは質問の意図から逸れた俺の答えにツッコミを入れる。少し呆れ気味に。

「最近の調子はそうですね、可もなく不可もなしといったところですかね。」

「そうか。それはなによりだ!俺も安心してお前の父親に良い報告ができる。」

なんと。おじさんは俺の父と連絡を取り合っていたのか。友人関係だから連絡を取り合っていて不思議はないが、そんなマメなことをこのおじさんがしているとは驚きだ。

「それにしては目のクマがひどいわよ。ちゃんと寝ているの?元から怖い顔つきなのに目のクマのせいでより人が近寄って来なくなるわ。」

「ええと、夜は勉強が捗りますからね。きっとそのせいでしょう。」

優菜さんがはっきりと痛いところを突いてくる。優菜さんもおじさん同様、俺のことを家族の一員として見てくれている。俺の分の食事も作ると提案してくれたこともある。その提案は流石に申し訳なくて俺が断らせてもらったが。

 そんな他愛もない話をしていくうちに、食事が終わり、食器を片付ける。幼馴染の姿をしたそれは部屋に戻った。俺も今日借りた部屋に戻ろうかと思ったが、おじさんに話があると言われて、居間にとどまった。どうもいつもの冗談めいた感じではなく、真剣な話のようだった。

これから咲く話は棘を孕んだ美しい薔薇なのだと確信に近いものを感じた。

「お前は・・朱里の身に起きていることを知っているか?」

おじさんの目には先ほどまであった親愛といった温かい感情の色ではなく、まるで敵対者を見るかのような雪や雨のような冷たさではなく、ナイフのような人を殺すことができる物体が持つ冷たさだった。おじさんの職業は警察だ。職業柄、このような目を人に向けることもあるのだろうが、俺や朱里に向けるような目ではない。少なくとも俺はこんなおじさんの目を見たことがない。それとおじさんの言葉。おそらくその言葉は未月の存在、二重人格について言っているのだろう。俺に思い当たるのはこれぐらいしかない。

「たとえば、二重人格……とか。」おじさんの言葉を聞いた瞬間、悪寒が身体中に走った。これで確信した。おじさんは朱里の二重人格に気づいている、もしくは疑っているのだろう。おじさんのナイフのような冷たさを孕んだ目は未だに俺を捉えている。俺が答えあぐねているのを見て確信したのだろう。おじさんは少し悲しそうに語り始めた。

「やはりか。確かあれはお前らが中学3年生の頃だったか。お前が引きこもり始めてからだ。朱里の様子がおかしくなった。日が落ちたら君のことをサク君と呼んだり、夜中になると窓を開けてお前の部屋に行こうとしたりと、まるで昔の朱里に戻ったかのようだった。俺たちは気づいていないふりをしていた。いや、気づきたくなかったのかもしれない。」

おじさんは悲痛な表情を浮かべる。優菜さんもいつもの温和な表情ではなく、悲しい表情を浮かべていた。おじさんの言葉に続くように、優菜さんが言葉を紡ぐ。

「でもね、朔人君。私達も気づかないわけにはいけない事態が起きたの。朔人君が朱里は二重人格であることに気づいていたことよ。先日、朔人君の部屋に朱里が行くのを見かけたの。それで心配になって朔人君のお家を尋ねたの。そしたら朔人君、朱里が来ていること隠していたじゃない?朔人君ずっと前から気づいてきたんでしょ。今までは家の中だったからよかったけど、家の外にまで影響が出ているのなら話は別。」

俺は嫌な予感を感じ取る。おじさんが辛そうな表情を浮かべて、口に手を当てる。そして、次のように告げた。

「朱里に二重人格であることを教えて、二重人格の治療をしようと思う。」

二重人格の治療。今まで俺が目を背けていたことだった。確かに朱里にとってはそれが一番なのだろう。以前の俺ならその提案に喜んで乗ったことだろう。でも、朱里の別人格『未月』と長いこと関わってきた今、その提案は了承しかねるのだ。

「俺は反対です。いや、反対というか、嫌です。」

「それは・・お前のためか、朱里のためか、それとも朱里の別人格のためか?」

これは紛れもない、俺の自己中心的な意見だ。それが朱里のためにならないことも俺のためにならないこともわかっている。そんなのわかっているんだ。でも俺は嫌だった。二重人格を治療するということは朱里の別人格『未月』を殺すこと(・・・・・・・)を意味するのだから。

「朱里のためです。」

優菜さんは驚いたかのような表情を見せる。この答えは想定外だったのだろう。

「確かに朱里の別人格に情は湧いています。彼女に消えてほしくないとは思っています。でも一番は朱里に人殺しをさせたくない。」

別に実際に存在する誰かが死ぬわけでもない。でも、確実に誰かは死ぬのだ。朱里は責任感が強い。それこそ、自分のせいで俺が学校に来なくなったのではないかと思い込むほどに。





君という水がなくなった日常


Day4午後  枯山水


中学3年生の秋、サク君が学校に来なくなった。サク君のお母さんが亡くなってから、無理をしているようだった。そんな状態でサク君は1年間も独りだった。サク君のお父さんとお兄さんはサク君を心配していた。

「俺は大丈夫だから、父さんと兄ちゃんは仕事に行ってきていいよ。」

サク君はそう言って二人を送り出した。

サク君は自分の手で自分を守ってくれる人を手放した。これ以上、心配させないように。これ以上、お母さんのことを思い出さないように。サク君は楽しい思い出(かぞくとのひび)を手放した。これ以上、自分の気持ちを出さないように。これ以上、迷惑をかけないように。

「朱里、俺は大丈夫だから。自分の心配をしろよ。ただでさえ、人の目を引くのに。何も考えずに行動したら、変なやっかみ買うことになるぞ。」

サク君はそう言って、微笑んだ。その笑顔は今までのものは違った。自身と他人との間に壁を作っている。そう感じさせる微笑みだった。それがサク君が引きこもる前の最後の言葉だった。

 翌日から、彼は学校に来なくなった。本人から聞いた話ではゲームをしていたそうだ。特にソロでプレイできるゲームが好きだったようだ。誰にも迷惑をかけないからだそうだ。

「玉梓さんってさ、媚を売るのだが上手だよね。両城くんも玉梓さんに愛想を尽かして学校来なくなったんじゃないの?」

そんな心無い言葉が本人の耳に入るまで、時間は掛からなかった。今までは彼がそんな言葉から守ってくれたがそのとき彼はいなかった。凛ちゃんやゴエモン君が気にかけてくれた。しかし、彼が堰き止めていた悪意の本流は一度溢れてしまえば、そう簡単に止められる代物ではなかった。毎日のように悪意にさらされた。何もしていないのに。何もしていないのに、彼女は悪意に傷つけられた。


「-------------------------------------------------------------------------------------------------------」


アレ?ダレダッケ。ワタシッテ。私は、わたしは、ワタシハ、watashiha。いつの間にか学校から帰ってきたら、何をするわけでもなくただ寝ているだけだった。


私は朱里?あかり?アカリ?Akari?


夜、食事を摂ることも家族と談笑することもなく、目覚めたら学校の日々。


私は未月。


ただ悪意に晒されて、心をコロス日々。


日が暮れてから目覚めて、朝食という名の夕食を摂り、親切な人たちと談笑する。


唯一の楽しみは休日、優しい人たちと過ごす時間。


唯一の楽しみは夜中、引きこもり君と過ごす時間。


誰か


ねえ


私を


私を


『オシエテ』


「大丈夫、大丈夫だから。私はサク君のそばから急にいなくなったりしないからね。」

「大丈夫、大丈夫だから。せめて、私を朔人君の側にいさせてね。」


俺はその言葉を聞いて、学校に再び通い始めた。朱里を悪意から助け出した。ゴエモンや藤原おかげで朱里は徐々に立ち直った。朱里は俺に迷惑をかけてしまったと思い詰めたのか、俺のことを朔人君と呼ぶようになった。あまり気にしなくてもいいと言っても、呼び方が戻ることはなかった。

 いつも通り、朱里と下校し帰宅する。家には誰もいないため、自分で夕食の準備をする。夕食の準備の合間に、仏壇に線香をあげる。夕食を終えると、風呂に入る。風呂からあがり、自分の部屋に入る。課題を適当に済ませて、ゲームに没頭する。引きこもり期にハマった趣味だ。ゲームをしている内に眠くなる。俺がベッド入ろうとした時、俺の部屋の窓からノック音が鳴る。俺は窓を開ける。そこには幼馴染の姿があった。幼馴染の姿をしたそれは窓を開けた途端、俺の部屋に入り込む。

「サク君、今日学校行ったんだ。どうだった?」

「可もなく不可もなく。」

「いいな〜。」

「何が?」

「朱里は昼間も朔人君に会えるなんて。」

この朱里の姿をして、朱里に羨ましい宣言をしちゃった子は別にイタい思考の持ち主ではない。こいつは朱里の中にある朱里とは別の人格の『未月(みつき)』だ。朱里はどうやら二重人格らしい。

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