詩歌賤家に人の糞
十余一
一、店賃が済んだか路地の叩きよう
江戸の町に溢れていたものを俗に“
そうした町の七割にお武家様が居を構え、残りのたった三割に町人がひしめき合っておりました。通りに面した立派な
九尺
「いやぁ、それにしても良い負けっぷりだったねぇ、
「にまにまとムカつく
満月が照らす表通りを二人の青年が歩いておりました。つい先ほどまで賭け事に興じていたのでしょう。懐が軽くなり足取りも軽く……とはいかないようで、夜も更けた往来でじゃれ合うように言い争っているのです。ひょろりとした長身に清々しい笑顔をくっつけている清八とは対照的に、隣を歩く与太郎は見下ろされながらの
「いいかい、与太郎。
「その前に銭が無くなるわ! もうお前の博打には付き合わないからな! 二度と焚きつけるんじゃねえぞ」
「つれない事を言うなよ。負けが込めば込むほどに、勝ったときの
「勝てればな、勝てれば。お前も今日は早々に文無しになって、あとはもう隣で煽り散らかしてただけじゃねえか」
自身の負け博打に対する妙な照れがあるのか、「てへへ」と言わんばかりの笑みを浮かべる清八。その爽やかでわざとらしい笑顔が乗っかっている胴に、与太郎は肘鉄でも食らわせてやらねば気が済まないのです。が、ひらりと避けられ、あとはもう駆け回る犬のような戯れ。
そうこうしているうちに長屋のある通りまでやってまいりました。
長屋へ続く小道には
さて、時刻は
「待て待て待て!」
与太郎が大慌てで止めるのです。
「まぁ待て。聞け。俺ァまだ……、
「奇遇だね、俺もだ」
神妙な顔つきで話す与太郎に、あっけらかんと返す清八。
店賃というのは、今でいう家賃のこと。広さや間取り、築年数、立地等にもよりますが、四畳半なら
「店賃も払ってねえのに堂々と戸を叩くやつがあるか。大家が化けて出るぞ」
「大家さんはピンピンしてるよ。しかし木戸を開けてもらわないことには部屋に帰れないじゃあないか」
「
「どうやって」
「そりゃあ、アレだよ……、何かこう、アレ……待て待て待て木戸を叩こうとするな」
再びの制止を振り切って尚も戸を叩こうとする清八は、「俺に妙案がある」と、したり顔で言うのです。
「まずは堂々と木戸を叩いて大家さんを呼び出す。そして与太郎が叱られている隙に、俺が無事に部屋に辿り着く。よし、これで行こう」
「嫌に決まってんだろ!」
「お前の犠牲を無駄にはしないよ。南無阿弥陀仏!」
「やめろ弔うな!」
「行ってきなよ極楽へ!」
「地獄だろが!」
「それじゃあ六文銭を供えてあげるよ! だから安心して逝ってくれ!」
「六文どころか一文無しじゃねえか、この博打狂い!
「素寒貧はそっちもだろう!」
「うるせぇ! お前が賭場になんか誘わなきゃなァ、あの銭は酒に化けてたんだよ!」
「どっちにしろ消えてたじゃあないか!」
言い争いから押し合い引き合い、そして取っ組み合いの喧嘩が始まろうかという頃、二人の目の前でガタタ……と木戸が開きました。そして提灯の薄明かりに照らされた老婆の顔がぬぅっと現れたのです。
「ゲッ! 出やがったな大家!」
「人を妖怪みたいに言うんじゃあないよ! 出やがったも何も、あたしの部屋は木戸のすぐ傍なのを忘れたのかい。こうして夜更けに帰って来る
大家の登場に先程の
「夜分遅くにどうもすみませんねぇ。それでは、おやすみなさい」
「そうだそうだ、大家も糞して寝ろ!」
が、それを大家が許すはずもなく。
「待ちな。賭け事を楽しむたぁ、随分と懐に余裕があるようだね。滞ってる店賃
引き止められたところで無い袖は振れませんから、あとはもう開き直ってふんぞり返るしかありません。仁王立ちになった与太郎はフンと鼻を鳴らして
「聞いてたんなら話は早い。こちとら
「胸張って言うんじゃあないよ!」
「まぁまぁ、二人とも落ち着いて」
「お前は何で他人事みたいに仲裁してんだ」
「清八、あんたも滞納してんだから大人しく払いな」
ずずいと言い寄る与太郎と大家に、清八は慌てる様子もなく真っ直ぐに夜空を指差すのです。
「それよりも、ほら、今夜はお月さんが綺麗だよ」
なるほど見上げた先には満月が煌々と輝いておりました。しかし与太郎と大家が視線を地上に戻すと、清八の姿はどこにもありません。向かい合って建つ長屋と
そこに清八がピシャリと自室の戸を閉める音だけが響いたのでした。
(家賃を払っているかどうかで路地木戸の叩き方も変わる)
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