エピローグ

 目の前の光景が七色に染まり、その色が綯い交ぜになる。

 今まで、幾度も見て来た現象だった。


 記憶の再生が終わる合図であると共に、視界が元に戻る時の光景だ。

 そして、ケルス姫の言う事が正しいのであれば、記憶の再生と思っていたものは、脳へ直接記憶を転写させていたものであったらしい。


 ――では、今まで見ていたものは……?


 視界は次第に安定してきて、七色が治まると同時に現実の光景を映してくる。

 そうすると、目の前には二人の女性が立っていると分かった。


 こちらを熱心に見て来る二人の女性からは、強い眼差しを向けられている。

 それは期待に満ちているようであり、そして、何かを乞い願うものでもあった。


 一人の女性が近付くと、手を自分の頭付近へと差し出して、何かを持ち上げる仕草をした。

 されるがままに目で追うと、彼女の両手には、逆さにした金魚鉢が抱えられている。


 金魚鉢に見える……、ヘルメット……。

 記憶を、転写する為の……。


「――成功だ」


 目の前の女性が――ヘルメットを外した女性が、確信に満ちた声音で言う。

 言っている単語は理解できても、朦朧とした頭では、言っている意味まで理解できない。

 困惑と混乱だけが、思考を支配していた。


 ヘルメットを別の場所に置いた女性は、再び近付いて来ると、顔を覗き込んでくる。

 瞼を強制的に持ち上げられ、眼球に光を当てては外すを繰り返された。

 反射的に抵抗しようとしたのに、何かが邪魔して動けない。


 直後に、拘束されているのだ、と気付いた。

 椅子の上に座らされ、四肢を拘束されている。


 振り解こうと暴れたかったが、力が入らず抵抗らしいものすら出来なかった。

 結局されるがままになるしかなく、納得して元の位置へ戻るまで、恨みがましい目でその女性を目で追っていた。


 二人が横並びに揃って立ち、互いに頷いてこちらを向く。

 そうしている間に視界も思考もハッキリして来ると、彼女ら二人に見覚えがあると気付いた。


 記憶と細かな違いはある。

 だが、単に似ているだけの別人には見えない。

 右目にアイパッチを付けた所と、着ている服が別物である事を除けば、一人はケルス姫に違いなかった。


「ケル、ス……」


「えぇ、愛しいマコト……。わたくしです」


 幾度となく聞いた台詞なのに、その愛しいという単語には親しみが全く含まれていない。

 あくまで仕方なく口にした、常套句としか聞こえなかった。


 ケルス姫が一応の挨拶を交わした次には、隣に立った女性が語り掛けてくる。

 よく見ればこちらも知った顔で、幾度か助けた召喚士のエルサで間違いない。


 目の下には隈もあって、顔色も青白い。

 多大な疲労も窺えて、着ている服も草臥れている。

 だが、それは間違いなくエルサだった。


かい? 君が最後に何をしようとしていたか」


「あ、うぅ……! 女王と、魔物の群れを……相手に……。相手に……?」


 確か、そうだった筈だ。

 重症を負ったケルス姫をエルサに預け、そして女王と戦う決意をした。

 残った僅かな臣民を、魔物の暴虐に晒さない為、そして地獄を終わらせる一歩として、踏み出し挑んだ筈だった。


「そう、最後まで気高く、立ち向かおうとしていた。行き違いはあった。それを促進しようとしていたスパイの暗躍もあった。だが、君は成し遂げようと立ち向かった」


「あぁ、そうだ……。そうだった、筈だ……」


 そう思えるのに、違和感が拭えない。

 第一、自分の声はここまで低かっただろうか。

 もっと別の、中性的な声だった筈で――。


「あなたは戦いを挑み、そして女王を下した……。いえ、相討ちだった、というべきでしょう。傷付き、倒れはしたものの、命は繋いだ……。でも、戦闘後の発見が遅れた為、そして受けていた毒の影響で……、戦えない身体となったのです」


「じゃあ、身体が動かないのは……」


「いえ……。それはまた、別の理由です。右手の枷を外しましょう」


 ケルス姫が視線で指示すると、エルサが傍にやって来て、言われたとおりに拘束を外した。

 自由になった右手を軽く動かしてみると、だるくはあるものの、引き攣ったり、痛みで動かないという感じもない。


 それは例えば、寝起き直後の倦怠感の様な、身体がまだ目覚めていないから感じる現象に近かった。

 少し身体を動かせば、すぐ元通りに動かせそうな実感がある。


「確かに、身体は……痛まない。今のところは……」


 まだ右手しか開放されていないので、他に動かせるのは、首程度のものだ。

 そうして改めて見回してみると、自分たちが狭い部屋の中に居るとだけ分かった。

 幾つかの実験器具が周囲に溢れる窓のない部屋で、天井は低く、まるで隠し部屋の様な印象を受ける。

 

 光源となるのは、壁に掛かった蝋燭台ぐらいなもので、だから周囲は薄暗く、部屋の遠くまでは見渡せなかった。

 だが、魔力の中継装置など、幾つか見覚えのある物も見つかる。


「問題はない様ですね。どこにも痛みはない、との事ですが……頭痛はどうでしょう?」


「いや、鈍い感じはするけど……。痛みは……、そこまで」


 そう返事すると、ケルス姫は満足そうに頷いた。


「それはいいけど……。何が、一体なにが起きたんだ……?」


「それは、さきほど説明したとおりです。手持ちの解毒薬は効かなかった。けれど、毒を採取して薬を作成する事は出来た。お陰で、私もこうして生き延びました。あなたは……激しい戦闘で毒の回りが酷く……。でも、無事で良かった」


 ケルス姫から、作られた笑顔で優しい言葉を掛けられる。

 慈愛の籠もった言葉のつもりらしいが、その言葉に優しさは込められていない。

 その乖離が恐ろしく、目の前の人物が誰か分からなくなった。


 彼女は本当にケルス姫なのか。

 隣に立つのは、本当にエルサなのか。

 そう思えてしまう程、記憶の中にある彼女たちと雰囲気が違う。


 ――記憶。記憶の……?


「待ってくれ、違う。俺は……、オレ? 僕は……? 誰だ……マコト、じゃないのか……?」


「いいえ、あなたはマコト。マコトで間違いありません。……だって、あなたは私を覚えている。そうでしょう?」


 ケルス姫から強く念押しされ、瞳から受ける圧が強まる。

 そうであるべき、そうでなければならない――彼女の瞳はそう言っていた。


 しかし、心の片隅で違うと否定する声も上がる。

 一度その疑念が去来してしまえば、本当にそうだったか、と思わずにはいられない。


「あなたはマコトよ。東棟で目覚め、それから何があったのか、それをまざまざと思い出せる筈。マコトの意志を知っていて、そして立ち向かう意志もまた……刻まれている」


「だから、お前は間違いなく、――マコトなんだ」


「あ、あぁ……。思い出せる、まざまざと……。そう、確かに……」


 思い出そうと思えば、その細部まで情景が浮かんでくる。

 東棟で目覚め、偽シュティーナの助けを受けて外へ出て――。

 そこから更に、右往左往と混乱しながら魔物の襲撃を躱して――。


 ケルス姫の行動と妨害は、全て悪意ある陰謀と誤解して――。

 魔石から見る記憶の全ては、何が真実か分からなくて――。


 しかし、最後には女王と戦うと決意した。

 全てを吹き飛ばす新魔法に頼るのではなく、まず自分の出来る事からやってみようとした。

 生存者を助ける為にも、出来る事をやってみようと決戦に赴いた。


 ――そうだ。

 そうだった、筈だ。

 自分はマコトだった。


「女王は討ち取れました。けれど、自らが敗北する可能性を予期して、卵を巣穴に残していた……。女性の身の上では、隠伏して行く事も出来ない巣穴の奥に。……けれど、男性のあなたなら、きっとそれも可能でしょう?」


「あぁ、そうかもしれない……。危険だ……間違いなく危険だが、女性が赴くよりも可能性が……」


 男性……、自分は男性だったか……?

 マコトとは、果たして男性だったろうか?


 目覚めた直後、鎧へと着替えた時……、目を逸らしていたのは――。

 柱の裏に隠れてやり過ごしたのに、不思議と魔物に見つけられたのは――。

 ケルスとは恋仲らしい、と伝えたシュティーナから、自分をよく見ろと否定されたのは――。


 ――自分は、本当にマコトなのか?

 意識が混乱し、混濁する。

 自分が何者なのか、その確信が持てない。


 だが、その疑念を確かなものにする証拠は、左の手甲へと刻まれていた筈だ。

 目を向けた時、素早く近付いて来たケルス姫が、その柔らかな手を重ねてきた。

 その手は丁度、その傷痕を確認しようとした部分を隠してしまう。


 ケルス姫は顔を近付け、そして目を覗き込んでくる。

 どす黒く混濁した、復讐と憎悪、そして魔物の殲滅を決意する、光を感じさせない瞳だった。


「――さぁ、マコト。共に、この地獄を終わらせるのです」




                       記憶を失って勇者モドキ! 

       〜彼は如何にして、再び世界を救う意志を取り戻したのか?〜

                             終 

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記憶を失って勇者モドキ! 〜彼は如何にして、再び世界を救う意志を取り戻したのか?〜 海雀 @umesuzume

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