中野あかねの回想

幼い頃から目立たない存在だった。

苦手なことはない。運動も芸術も勉強も別に苦手なことはない。

でも得意なことも無い。

小学校の頃、陸上部に入って100mでそこそこのタイムを出せたことがるがそれが人生のピークだったと思う。第二次性徴で身体に変化が起こり学年が上がったにもかかわらず前よりずっと遅いタイムしかでなくなった。


せめて高校はいい所に行こうと思い一生懸命に勉強した。

だが秋口に少し早いインフルエンザに罹ってしまい、しかも合併症の肺炎にまでなってしまった。結局入院までして治ったころには一か月以上周りに差を付けられてしまった。


「まだ間に合うよ、頑張ろう」

そういった担任の教師は真っ先に志望校のランクを落とすよう私に指導した。今思い出すと落ちるにしてももっと努力するべきだったのかなと思う。結局頑張ることを辞める理由を探していたのかもしれない。

そう自覚したところで今いる高校を辞めてもう一度受験する勇気は自分にはない。大学受験を目指すにもさすがにまだ遠く実感がわかない。運動部に入ったところでこの高校では県大会の3回戦まで行けば大金星といったところだ。


諦観以上絶望以下の気怠い気持ちのまま高校最初の夏休みに入った。

生徒の私もそうなら高校側までやる気がない。課題こそあるものの、近隣の高校は夏期講習で登校しているところもある。チラッと校庭を覗いてみても部活動をしている様子はない。


父は証券マン、母は私が幼い頃は働いていなかったが私が小学校高学年になったころに以前していたデザイナーの仕事を再開した。

二人とも仕事が楽しいらしく私にそこまでの関心はない。ただ「愛されていない」だの「邪険にされている」とまではいかない。これも悲劇と呼ぶには他人からすると軽く映ると思う。現に私ですらそう思う。


無趣味で怠惰な私はこの長期休暇で見事なまでに生活リズムが狂ってしまった。

ただこの狂いが私に趣味(そう呼べるかわからない)を与えてくれた。

深夜徘徊。とは言っても本当に真夜中ではない。明け方午前4時頃に家の近くを散歩したのが始まりだった。

毎日見ている風景が全くの異国のように見えて新鮮だった。

繰り返すうちに少しずつ足を遠くへと伸ばすようになった。民家、橋、警察署、駅、学校。普段見慣れた建築物が全く違う姿でそこにたたずんでいる。


その日ももはや日課と化した深夜徘徊をしていた。東西南北、家から徒歩で行ける場所はあらかた見てしまった。もう少し歩けば山がちな土地や賑わってる町にも行くことが出来る。

しかしさすがに暗い時間に山がちなところに行くのは不安だし、繁華街では深夜徘徊の醍醐味がない。


どうしようか悩みながら歩ていると向こうから人が歩いてくる。「珍しい」今まで車はあるが人とすれ違ったことは一度もなかった。

急に恐怖で背中に鳥肌が立った。思いがけず通り魔のことを主出してしまったのだ。

念のためにポーチからスマホを取り出し右手でしっかり握る。

相手を刺激しないように忘れものに気が付いたふりをして踵を返す。

振り返ってすぐに後悔した。視界から外れ足音だけが聞こえる状況はより恐怖をかき立てた。


コツコツっという音が急に間隔が短くなり左腕を強く掴まれた。痛みと恐怖で悲鳴が喉まで出かかったが声にはならなかった。

目をつぶりがむしゃらに自由な右手を振り回すと「ぐっ」とくぐもった声が聞こえた。恐る恐る目を開けると中年の男が喉を押さえて膝をついている。右手を見ると先ほど握っていたスマホがあった。これがちょうど急所に当たったのだろう。


すぐさまスマホで警察に通報しようとしたが混乱して番号がわからない。懸命に思い出そうとすればするほど焦りだけが頭いっぱいに広がり思考力が失われていく。落ち着くために深呼吸をして自分の足元を見る。

「あっ」足元に何かが落ちている。スマホの明かりで照らしてみると、鋭く光を反射した。

「ナイフ」

詳しくはないため名前はわからないが刃が短く背がギザギザしている。そっと拾上げると見た目よりは重く刃は美しく見えた。「これで二人の人間を殺したのか」とてもそうは見えなかった。


「ひっ」

男はいつの間にか呼吸を整えこちらを窺っていた。父親よりずっと年上、どちらかというと祖父に近い年齢の男性。

「ごめんなさいごめんなさい」

最初殺そうとしたことを謝罪しているのか思ったが違った。

命乞いしているのだ。私が拾い上げたナイフで逆に殺そうとしていると勘違いしたのだ。


この時、この時初めて私に邪な考えが浮かんだのだ。

もし私が男を通報して連続殺人犯が捕まればしばらく私は有名人だ。今日までの人生など信じられないほどに脚光を浴びるだろう。

でもそれはいつまで続く? あなたは歴代の凶悪犯を捕まえた人間の名前を一人でも言えるだろうか? 逆に凶悪犯の名前であれば一人くらいは言えるのではないか?

目の前のこんな情けのない男が歴史に名前を残すよりは幾分かマシではないか?

私はゆっくりとナイフを握りしめた。

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嘘つき 杠明 @akira-yuzuriha

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