魔法使いのいない物語
藤咲 沙久
グラスにはさくらんぼを添えて
「君にとっての魔法はファンタジーを構成するパーツではなく、現実をなだめる嘘まやかしなんだな」
「お待たせいたしました~、メロンクリームソーダになります~」
ウエイトレスが来たことで、私たちの会話は一時中断した。テーブルをメモ用紙で埋め尽くしてしまっていた為、二人分のグラスが置かれるまで少し時間を要した。早坂が続きを口にしたのはソーダを一口飲んだあとだった。
「自覚がなかったのかい? これも、これも、これだって。彼ら彼女らが魔法だと感じて勇気をもらうのは実際、現実とは違う嘘だろ」
「嘘だけど、現実を乗り越えるきっかけにしたり、いい意味で自分を騙して前進するの」
「そう。この“楽しくないなら笑えばいい”のとこだって、笑えば楽しいなんて嘘だ。正確には願い。でも自分の下手くそな笑顔が可笑しくて、主人公は吹き出してしまうね」
つまりそういうことだよ
「何を書いていいかわからなくなったと言うから、僕は河野へお題を出した。それが魔法。ここまではいいね?」
「でも、みんな研磨不足の話ばっかり。このままじゃどこにも出せない」
「せっかちめ、最後まで聞きなよ。今回見えたのは君が書きたい核だ。これは大きな収穫だ」
ただの素人、たかがサイト投稿者にすぎない私のファン兼マネージャーを自称する早坂は、とても得意気な顔をして見せた。そしてついでのようにアイスを二口食べた。
「収穫、かな」
「もちろんとも。書きたいものを見つければ、あとは肉付けのみ。君風に言うなら研磨か。安心しろ河野、この先も長いが、君はその長い道を一歩踏み出したぞ」
この先も長い、本当にそうだ。どれだけ事前に筋道を立てても本文を書くと逸れたり、添えなかったり、そもそも書くことが難しかったり。どんなに短い話だって推敲は欠かせないし、それでも後から見つかる矛盾もある。書き手はいつも、そうやって体力と気力をすり減らしている。
(でも、早坂は笑顔だ)
早坂が大丈夫だと笑った。安心しろと言った。そこにまともな根拠なんてないはずなのに、不思議と彼の鼓舞は力を与えてくれる。いつもそうだった。そして今も、私は自然と安堵していた。
「……やっぱり早坂の言葉は心強いな。相談して良かった」
「そうかい? んふ、そうかい」
お互いに、ちょっと照れくさくなったみたいにしばらくストローをかき回す。グラスをつたって落ちた水滴が、退けきれていなかった紙に染み込んだ。
君の、と早坂が口を開く。顔を上げたが、炭酸の泡を優しく見つめる早坂とは目が合わなかった。
「君の書く嘘には願いが、希望がある。絶望しそうだった主人公に光を残す。そういう意味ではパンドラの箱みたいなものなのかな? とにかく最後が幸福なんだ」
どことなく嬉しそうな表情だった。早坂の瞳が輝いて見えるのは、そこにソーダのきらめきが反射しているからなのだろうか。
グラスからは店内を包むBGMよりも大きく、しゅわりと弾ける音が聞こえた気がした。
「最後が、幸福」
「そう。そんな君の嘘まやかしがね、僕は好きだよ。……嫌だな、僕は言い回しが下手でいけない。だから君に憧れるんだが」
「……そっか、うん、幸福。わかるよ。パンドラほどの
「僕がすごいだって? 河野、それは嘘だ。君は大作家になる人だろ、僕を持ち上げようったって信じないぞ。でもお礼に奢ってもらえるのだとしたら満更でもないな、どうだい」
照れ隠しなのか、不自然に肩を揺らしながら茶化す早坂こそ嘘つきだ。私はそんな器じゃない。だけど彼はそうなってほしいと願いを込めて嘘をつく。私を勇気づける。
(そうか。物語に魔法使いはいなかったけど)
私に原動力を与える
「私、書くよ早坂。このネタを下地に新しくまとめられそう」
「それは何よりだ。ところで、フルーツあんみつも頼んで構わないかい?」
「そっちは自腹でお願いね」
そうして笑い合ううち、グラスの中ではアイスとメロンソーダが混ざっていく。過ごす時間が溶けるように早いのも、彼の魔法かもしれなかった。
魔法使いのいない物語 藤咲 沙久 @saku_fujisaki
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