第3話「持つものは持たざるものを食い物にするんですか?」
ハッと目が覚めた。俺は立ち上がろうとする。しかしがんじがらめのロープがそれを阻んだ。
「うっ……」っと思わず呻き声をあげる。
辺りを見渡す。どうやらここは、丸太小屋らしい。外は土砂降りなのか、ザァザァと雨音がする。
隣では気を失ったヴァースキが俺と同じように、椅子に座りロープで括り付けられていた。
「おいっ起きろ!ヴァースキ!」
めいいっぱいの声を張り上げる。
「せっ……先輩……」
今にもこと切れそうな声でヴァースキが、意識を取り戻す。
「ここはどこなんですか?」
先程の俺がしたように、ヴァースキも辺りを見渡しながら言った。
「俺にも分かんねぇ。でもこれだけは分かる。俺たちはアイツに監禁されちまったらしい」
「そうみたいっすね……僕のせいで先輩までもが、こんな目に遭うなんてすいません」
「お前は悪くねぇよ。それより、なんとかして脱出する方法を考えないとな」
その時だった。丸太小屋の扉がギギィと鈍い音で開いた。高級そうな真っ白いシルクハットとスーツの男、ダドゥンがそこにはいた。
そうだ思い出した。俺はこいつにここまで連れて行かれたんだ。
「このやろー!俺たちをこんな目にあわせやがって!」
「そうだそうだ!今すぐ解放しろ!」
俺とヴァースキは、ダドゥンをこれでもかと睨みつけながら大声を張り上げた。
「へんっ!貴様らは自分の立場が分かってないようだな」
しかしダドゥンは動じない。それどころか、ゆっくりした動作でタバコをくわえると、うまそうに煙を吐いた。
「貴様らはこの俺様に借金をしていることをお忘れのようだ」
「違うっ!そんなのデタラメだ!」
「そんなこと言ってもその証拠がバッチリ、カメカメに映し出されている。自分の罪を認めたらどうだい?」
懐からダドゥンは一枚の紙を出す。そこには、俺たちが「ナンデモカンデモ」を営業していた頃の姿があった。
「何でも屋はヴァースキのアイディアで、俺たちがそれを形にした。お前のものじゃない!」
俺は捲し立てるように言った。
ダドゥンはそれに腹が立ったのだろう。ツカツカと歩み寄り、高級ブーツを履いた足で俺の膝を思いっきり蹴り上げた。
「うわぁぁっ!!」
鈍い痛みが俺の右膝を襲うと共に、バタンと椅子が倒れる。身体を打ちつけ、俺の痛みは全身に広がった。
「先輩!!」
ヴァースキが心配そうに声をかけるが、俺は「大丈夫だ」と強がってみせる。後輩の手前、カッコ悪い姿は見せられない。
「まだそんなことを言ってるのか!オリジン登録をしたのはこの俺様だ!これ以上痛い目にあいたくなければ、なんでも屋の使用料10万カツオブシ払え」
憤慨したダドゥンはこれでもかと言わんばかりに騒ぎ立てる。
オリジン登録。商品や役務を提供される需要者が、商品や役務の提供者を認知するための文字、図形、記号、立体的形状、色彩、音などの標識のことだ。
そのオリジン登録によって、今の俺たちがこんなに苦しめられることになるとは、あの時の俺たちは知るよしもなかった。
カツオブシ・ユートピア
第三章「持つものは持たざるものを食い物にするんですか?」
話は数時間前までに遡ることとなる。「ナンデモカンデモ」が元の野菜屋に再び改装された一週間後、俺たち六人の仲間たちが互いの絆を確かめあった日のことだ。
客の来ない店でやることもない俺たちは、たわいもない雑談をしていた。
そんな中、ヴァースキが俺の首元を指差しながら尋ねた。
「そういえばずっと気になってたんですけど、グミ先輩が首からぶら下げてる板って何なんですか?」
この言葉を聞いた時、ついにきたかと俺は思った。今までゴッドボードのことに触れられなかったことが、不自然だったくらいだ。
絆は深まったとはいえ、まだ彼らのことを俺は信頼しきってはいない。その流れで、俺の密かな夢であるムーピーのことを話さなければいけなくなるかもしれない。もし笑われたりでもしたらと思うと、気が気じゃなかった。
「あぁ……これは……」と重たい口調で俺が言いかけた時、テンバがこちらに目配せしてきた。どうやらゴッドボードのことは周りに言いふらすなと言わんばかりだ。
言われなくてもそうするさ。俺は思いつきで嘘をついた。
「これはディスコドンの丘で拾ったんだ。多分ディスコドンの欠けた歯じゃないかな?」
「ふーむ。欠けた歯にしては、綺麗な四角、それにリンゴの刻印まである。グミ本当にこれはディスコドンの歯なの?」
付け焼き刃の嘘では無理があったのだろう。ちったんが怪しそうな目で、板に手を触れながら言った。
「たっ!多分って言ってるだろ!」
俺は毛を逆立てながら言った。
「本当か?その顔はオレっちたちに、何か隠してるって顔だぞ」
そんな俺に対し、とぅーたんがさらに追求するように畳み掛ける。
「何か隠してる顔ってなんだよ!な……なぁテンバ……」
俺はテンバの方に顔を向け、助けを求めた。するとテンバは気が動転したのか、真っ赤な顔をしながらこんなとんでもないことをいいだした。
「グッ……グミは何も隠してないわ!もしかしたらクチョマンのウンチかもしれないわ!」
「そうだ!これはクチョマンのウンチだったんだ!」
えぇい。こうなればヤケクソだ。俺もテンバの暴論に乗っかることにした。
「あはははそうだったのか。先輩もウンチを持ち歩くなんて、ぶっ飛んでますね」
野菜が置かれた漆塗りの板をバンバン叩きながら、笑うヴァースキ。
「首にウンチぶら下げてるって!ひぃーひぃー!」
ちったんも釣られて笑っている。真実を追求することなど、もうどうでも良くなっているようだ。
「もー!僕はそんなとこれ、ウンチしないのら!!」
舌ったらずの口調で反論するクチョマン。そんな彼の可愛さに、一同はさらにどっと大爆笑が起きる。
「そんな噛み噛みで言われてもなー」
「もークチョマンたらー」
と俺たちはにやけ顔でツッコんだ。
初めて会った時から薄々感じていたが、クチョマンにはいじられキャラの素質があるようだ。
その時だった。
「君たち随分と楽しそうじゃないか」
俺たちが全方に顔を向けると、男がそこにはいた。白のシルクハットとスーツに鋭い眼光、まるでヤクザのような出立ちだ。
俺たちの笑い顔は一瞬で怯え顔に変わる。
隣にいるテンバ、クチョマン、ちったん、とぅーたんは怯えて口も利けない、といった風情だ。
ヴァースキに至っては、俺の後ろにサッと隠れている始末だ。
「お客さんよ、ここは野菜屋だ。物騒な顔は良してくれよ」
ここは俺がなんとかするしかない。出来るだけ平静さを取り繕って、俺は言った。
「黙れ庶民。こんな貧相な野菜に興味があって、俺様はここに来たんじゃないぜ」
男は商品のトマトを掴むと、地面に叩きつける。ペシャリと音がしたかと思うと、ぐしゃぐしゃになったトマトは見るも無残な姿へと変わってしまった。
それに痺れを切らしたのだろう。さっきまで後ろに隠れていたヴァースキが前に出て、男に突っかかった。
「酷い!このトマトは農家の猫人たちが、雨の日も風の日も何日も頑張って育ててやっと出来たものなんですよ!それをこんなにするなんて……」
「分かった分かった、弁償する。これでいいだろ?」
男は懐からカツオブシを取り出し、ヴァースキに渡す。カツオブシさえ渡せば、なんでも解決すると思ってるらしい。
すると男はヴァースキの顔に見覚えがあったのか、びっくりした顔で言った。
「おや?誰かと思えばヴァースキじゃねぇか。お前こんなダッサイ奴らとつるんでたのか?」
「悪いかよ。ダドゥンには関係ないだろ」
ヴァースキはダドゥンなる男に怪訝な顔でそう叫んだ。
「ヴァースキ、お前はこいつと知り合いなのか?」
俺はヴァースキに問いかける。
「えぇ。彼は僕の従兄弟でいつも意地悪をしてくるやつなんですよ」
「マジかよ……」
人当たりの良いヴァースキに、こんな悪どそうな従兄弟がいたなんて。俺には信じられなかった。
「意地悪なんて人聞きが悪いなぁ。これでも血の繋がりがあるもん同士じゃないか」
悪びれた様子はないのかダドゥンは、ヴァースキの肩を組んで親しげな雰囲気を醸し出す。
しかしヴァースキはその手を払い除け、こう言った。
「ふん誰がお前なんか。それより今日は何の用で来たんだ?」
「話によればお前さんたち、何でも屋とやらをやってたらしいな」
「あぁそれがどうした?」
「俺様は何でも屋ってアイディアをオリジン登録させてもらった。つまり、お前たちは使用料として10万カツオブシを払わなければならないってわけだ。さぁ今すぐ払え!」
10万カツオブシだと?とんでも無い請求額に、俺は思わず言葉を失ってしまう。10万カツオブシあれば、俺の大好物のチュールが何本買えるってんだ。
そんな俺を見かねてか、テンバも怯えてる場合じゃないと思ったのだろう。ツカツカと歩み寄り、威勢よく反論する。
「ちょっとアンタ何言ってんの?何でも屋はヴァースキが一番最初に考えたアイディアなのよ。それなのに、カツオブシ払えだなんて横暴にも程があるわ!」
「黙れ小娘。文句があるなら、先にオリジン登録をしなかったこいつらに言うんだな」
あぁ言えばこう言うダドゥンに、テンバは「ぐぬぬ」と言うしかない。
テンバは俺にしか聞こえない声で、耳打ちしてきた。
「アンタ、何でオリジン登録しておかなかったのよ?」
「そりゃあ……何でも屋が色んな場所に出来て、オメガが繁栄して欲しかったからだ」
言い訳するような調子で俺は言った。
「アンタねぇ……お人好しもいいけど、そのせいでこんな酷い目に遭ってどうすんのよ……」
テンバはちょっと呆れたように「まぁグミらしいわね」と溜息をついた。
「そういう訳だから10万カツオブシ払ってもらおうか」
ダドゥンは観念しろとばかりに、再び催促する。
「払えったって、そんなにカツオブシ持ってるわけがないだろ!」
「じゃあ10万カツオブシ払うまで、誰か一人を人質にさせてもらおうか」
「人質だって!!」
一斉に俺たちは口を合わせ、その言葉に驚愕した。そして互いの顔を見合わせ、この中の誰かが人質になるのかと思うとゾッとした。
ダドゥンはにやにやと俺たちを眺める。こちらの困った顔を見るのが嬉しいのだ、と俺は思った。
そんな中、ヴァースキがサッと手を挙げた。
「何でも屋を考えたのは、この僕です。僕が人質になります」
その横顔は恐怖で引き攣っていた。だが仲間を庇いたいという思いが、それに勝っていた。
「ヴァースキ……」
俺はヴァースキの男気に感服した。
「決まりだな。可愛い従兄弟を人質にするのは、忍びないがこれも仕事だからな」
このダドゥンの口ぶりからだと、始めからヴァースキ狙いだったのが明白だ。
ダドゥンは、ピューイと口笛を吹く。そしたら、どこから共なく鎧を被った猫人二人が現れる。
彼らは数秒も経たない内に、ヴァースキの前に来ると、懐から剣を取り出し彼に突き立てた。
これにはさすがのヴァースキも、「ひぃぃ!」と叫び声をあげ怖がってしまう。
その時、俺の心に迷いが生じた。このまま俺はヴァースキが連れて行かれるのを、指を咥えて見てるのか?1人ぼっちで怖い目にあわされるなんて、可哀想じゃないか。いや自分の身を守るには、これがベストな選択じゃないか。今までだって、そう強かにずる賢く生きてきたじゃないか。
ヴァースキは俺のことを「性格が悪い」と言ってた。それについこの間まで、彼のことを面倒なやつだと思っていた。わざわざ助ける必要もない。
そんなことを考えながら、俺はもう一度仲間たちの顔を見た。何も言わないが、みんな絶望的な顔をしている。
そしてヴァースキの顔を最後に見た。その顔を見て、俺の答えは決まった。
「おいダドゥン。俺も連れて行け」
「何っ?」とダドゥンが目を見開く。
「先輩……!どうして……?」
俺は声を発さずに、「俺とお前の二人なら、なんとかなる」と口をパクパクさせた。
困惑しつつも、ヴァースキはそれに頷いた。
「ひゃはははは!コイツ自分から必要のない人質になろうって言ってる!キチガイにでもなったのか?」
気づいてないダドゥンはこれは傑作だと言わんばかりに爆笑した。
それに対し俺は、「そうだ俺はキチガイなんだよ!分かったら連れてけ!」と乱暴に返した。
「両膝をつけ!手は頭の後ろだ!」
俺とヴァースキは言われた通りに、その場にしゃがみ両手を頭の後ろに回した。
鎧の猫人は俺の首元に、剣を突き立てながら言った。
「いいかお前たち。変な真似をしたら、このムーンメタリウムブレーカーが火を吹くぞ」
ダドゥンはテンバたちを睨みつけると、「コイツらを返して欲しけりゃ、出来るだけ早く10万カツオブシを持ってくるんだな」と勝ち誇った笑みを浮かべた。
テンバたちは悔しそうに黙ることしか出来なかった。こうしてヴァースキと俺の二人は、ダドゥンによって連行されてしまった。
こうした経緯で今に至るというわけだ。現在俺たちは縄に縛られたまま、犬食いでシチューをガツガツと食べている。不味くはないが、冷めきっている。多分ダドゥンたちの残飯だろう。
「懐かしいなあ……」
ヴァースキはシチューの香りをクンクンと嗅ぎながら、目を細めた。こんな非常時だというのに、呑気なやつだ。
「懐かしいって?このシチューがか?」
「えぇ。実は僕の両親は小さい頃に亡くなってて、医者をやってる叔父家族の元で暮らしてたんです。その時によく食べてたのが、この冷めたシチューだったんです」
「え?シチューって普通あったかいもんだろ?」
不思議そうな顔で俺はヴァースキに聞いた。
「いえ。僕は外様ですから、叔父家族たちが食べ終わるまで食べちゃ駄目だったんです。叔父の診察が夜遅くまで続いた時は、日付けが変わっていたこともよくあったけ」
「そんな……そんなのって差別じゃないかよ。仮にも血は繋がった親戚なのに」
「そうですよね。今になって思えばおかしいことって分かりますが、子供だった僕にはそれが当たり前のことって思っていました」
ヴァースキは軽い調子で笑ってみせた。
「他にもタダで住ましてやってるんだからと、家の掃除や洗濯やお使いなどさまざまな雑用をやらされましたよ。叔父の一人息子のダドゥンもそんな僕を見ていたからか、コイツにはどんな酷い扱いをしてもいと思ったんでしょうね。スクルーの登下校の鞄持ちに、宿題をやらされたりしました。あの頃は辛かったなぁ」
「ヴァースキ、よくそれでもめげなかったな。もし俺だったら死にたくなっただろうよ」
感心しながら俺は、汁だけになったシチューをペロペロ舐めた。
「あっははは。そりゃあ僕も死のうと思ったことは、一度や二度はありましたよ。でもその時出会ったんですよ……」
ヴァースキは敢えてもったいつけて、一呼吸置くとこう続けた。
「ファラファラさんの紙芝居に」
その言葉に思わず俺は「おぉ……」と声を漏らしていた。
ヴァースキは俺にファラファラとの出会いの日のことを話してくれた。
それは年に1度の城下町のお祭りの日のことだった。約100年前のこの日に、ディスコドンが倒された記念の日のお祝いである。
あの日のようにディスコドンが、煙を吐きながら町を蹂躙する。といっても模型で作られたハリボテで、男たちが神輿に乗せて担いでいるだけのもの。煙も王宮が支給した、無害なガスを口の中から垂れ流しているだけだった。
そんな中、「わー!ディスコドンだ!でっかーい!」と感激の声をあげる一人の少年がいた。
叔父家族に連れられ、祭りに来ていたヴァースキ少年だ。当時の彼には、ハリボテの大怪獣はかっこよさの象徴だったのだ。
「ちっ!あんな偽物に感動しやがって。あれは人が動かしてるだけじゃないか」
その隣にいたダドゥンが、ヴァースキの感動に水を刺すように悪態をつく。
「そうかなあ?偽物をどれだけ本物に見せるか、それこそロマンなんじゃないか?」
「おいおいロマンとかキザなこと言わない方がいいぞ。今どきそんなの流行らないぞ」
ダドゥンは正論ぶった口振りで、ヴァースキを小馬鹿にする。
その様子を見かねてか、彼の父がダドゥンの肩に手を置いた。
「おいダドゥン、このへんにしないか。これ以上馬鹿の相手をしても無駄だ」
「そうよダドゥン。ヴァースキはスクルーの成績も下から数えた方が早いくらいのお馬鹿さんなんだから」
ダドゥンの母も同調するように言った。
「……分かったよ」
ダドゥンは小さく舌打ちした。
そんなギスギスした空気を変えたかったのだろう。ダドゥンの父が、皆にこう言った。
「それよりご覧。珍しい出店がいっぱいだよ」
ダドゥンの父が両端にずらっと並んだ出店を指差す。
「さぁさぁ寄ってらっしゃい!見てらっしゃい!」
そこにはカツオの刺身屋やネズミアメの店、射的、輪投げなど多種多様な出店が立ち並んでいた。
「ねぇねぇママ、ぼくネズミアメ食べたい!それに輪投げも!」
「あら〜ダドゥンちゃん。それじゃあお小遣いあげなきゃね!はい!」
ダドゥンの母はカバンから財布を取り出すと、子供に持たせるには少々大きすぎる額のカツオブシを渡した。
元気よくダドゥンは店まで駆け出す。
そんなダドゥンを見て、ヴァースキも羨ましくなった。
「あのぅ……僕も少しだけでいいので、お小遣いをいただきたいのですが……」
遠慮がちにダドゥンの母にそう頼み、恐る恐る両手を差し出した。
ーぺちん!
その瞬間、ダドゥンの母はペチンとその手を思いっきり払い除けた。
ヴァースキは一瞬何が起こったのか分からなかった。彼がぽかーんと口を開けたままにしてると、ダドゥンの母は氷ついた目で言った。
「いい加減自覚しなさい」
「え?」
「私たちは実の息子であるダドゥンが可愛いわ。でもあなたのことは、ただの同居人としか思ってないわ。そんなあなたに、お小遣いをあげるなんて思う?答えはノーよ。ダドゥンにはね、将来誰かの上に立つような猫人になって欲しいの。そのために私たちは、自分は特別なんだって快感を、あの子に出来るだけ味合わせるように育ててきた。あなたはそのための、踏み台になってちょうだい」
「踏み台……違う、僕は踏み台なんかじゃ……」
何度も何度も首を振り、それを否定する。
受け入れないヴァースキに、ダドゥンの父は真剣な声で釘を刺した。
「世の中は、持つものと持たざるもので成り立ってる。ダドゥンは持つもの。ヴァースキ、お前は持たざるものなのだ」
「そんな……」
その時丁度買い物からダドゥンが戻ってきた。彼は両手にあるネズミアメをぺろぺろと舐め、馬鹿にするような半笑いでこちらを見ている。心底悔しかった。
「二つあるなら……一つくれたっていいじゃないか……」
押し殺したような声で呟く。
そんなヴァースキにさらに追い討ちをかけるように、ダドゥンの母がとんでもない言葉を発した。
「恨むんなら死んだ両親。いいえ……そんな運命になった自分自身を恨みなさい。今回はいいお勉強になったわね」
「うわああああ!!」
気づいたらヴァースキは走っていた。悔しさや惨めさやらで、ぼたぼたと涙が溢れてしまう。近くにいた猫人たちが何事かと振り返るが、そんなこと知ったこちゃない。こんな姿を誰にも見られたくないのだ。
どれだけ走っただろうか、気づいたら、涙も枯れていた。ヴァースキは出店の最深部にまで来ていた。辺りを見渡すと、そこには小さな紙芝居テントがあった。
「ボロっちい店だな……」
テントの中を覗くと、ヴァースキと同年代の子供たちが5、6人ほどしか集まっておらず、お世辞にも繁盛しているとはいえなかった。
どんな紙芝居があるんだろうと、ヴァースキは気になった。しかし紙芝居を見るための、水飴を買うカツオブシがない。
諦めてテントを後にしようとした時だった。
「どうしたんだい?こんなところで。君は紙芝居を見ないのかい?」
背後から一人の青年の声がした。ヴァースキが振り向くと、そこには水飴のカゴを抱えた黒猫が心配そうにこちらを見ていた。
「ごめんなさい……僕カツオブシ持ってないんです」
拳をぷるぷる震わせながら、ヴァースキは悔しそうに言った。
「そっか」とだけ呟き、青年は眉を顰めた。
「どうせカツオブシを払わないお客は出て行けってんでしょ……分かってるよ……」
怒られると思ったヴァースキは、急いで青年に背を向ける。
しかし「待ちたまえ!」と、青年はヴァースキの肩を思いっきり掴んだ。そして精一杯の笑顔をつくり、こう言った。
「じゃあお兄さんと一緒に入ろう」
「え?いいの?」と驚いた表情を見せるヴァースキに、青年は頷いた。
「私はファラファラ、ここの紙芝居屋なんだ。君の名前は?」
「ヴァースキです」
「よろしくヴァースキ、今日の紙芝居はディスコドンのお話だよ!」
ヴァースキに手を差し伸べるファラファラ。ダドゥン一家とは違う、初めて見る優しさという概念に戸惑いながらもヴァースキは無意識に彼の手を取っていた。
こうして二人は楽しげに話しながら、紙芝居屋のテントへと入っていった。
「「あぁディスコドンよ……愚かな私たちに制裁を降してるのですね……」教会で手を合わせる宣教師に、大怪獣はゴオオと紅蓮の炎を浴びせました。「ありがとうございます、ありがとうございます」と強大な厄災を前にしても、怯えるものも逃げるものも助けを乞うものも誰もいませんでした」
この日のファラファラの紙芝居は面白かった。ヴァースキの心は、最高潮にワクワクした。先ほど見たハリボテのディスコドンよりも、紙芝居の中にいるディスコドンの方がまるでそこにいるかのように臨場感があったのだ。
この時にヴァースキに大きな夢が産まれた。自分もこんな面白い話を書いて、一番の紙芝居屋になりたいと。
紙芝居が終わった後、ヴァースキはファラファラにお礼を言いに行くことにした。
ファラファラは子供たちがポイ捨てした水飴の棒を屑籠に入れている。彼はヴァースキに気づくと、作業の手を止めてそちらに身体を向けた。
「あのっ!今日は本当に……」
とヴァースキは羨望の眼差しで言った。
「待った」
だがファラファラは、ヴァースキの言葉を遮るように掌を見せた。
「お礼を言うのはこっちの方だよ。今日は私の紙芝居を観てくれてありがとう」
「いえ、そんな!僕はただ……その……」
恥ずかしくて顔が真っ赤になるヴァースキを見て、ファラファラは微笑んだ。
「その気持ちだけで十分さ。もし良かったらまた遊びに来てくれないか?今度はもっと凄い話を仕入れておくよ」
「そうしたいのは山々なんですが……」
ヴァースキは少し黙ったのち続けた。
「実は僕、叔父さんのところに住んでて、家族みんな厳しい人たちでお小遣いすら貰えないんです。だからって毎回タダで観せてもらうのも申し訳ないっていうか」
「そうだったんだね……じゃあどうしようか」
と、ファラファラは右手を顎にあて、その肘を左手に支えたポーズを作る。そして何か思いついたのか、パチンと指を鳴らしながら言った。
「そうだ!君、私の弟子にならないか?」
「弟子!?」とヴァースキは驚いた。
「そうだよ」とファラファラは返す。そして意気揚々とステージに上がり、軽快なダンスを踊りながら続けた。
「君は弟子として、住み込みで働くんだよ。それなら私の紙芝居がいつでも見れるし、叔父さん家族からも逃げられる。そして将来君はファラファラチルドレンとして、私のような素晴らしいエンターティナーになるのさ!」
「で、でも僕なんかでいいんですか?」
「もちろん。君は私のように才能がある。それに私は、才能のある猫人しか弟子にしない主義なんだ。大丈夫、君の親御さんには私が上手く言っておくから。君は安心して、ここに住めばいいんだ。ほら、君もレッツダンシング!」
ファラファラはヴァースキに手を差し出す。その手を握り返したヴァースキもチグハグなダンスを踊り出した。ダンスなんか一度も踊ったことない。それでも楽しかった。
「ヴァースキ、お前のこと何の苦労もない貴族のお坊ちゃんだと誤解してた。お前もお前で相当苦労してきたんだな」
全てを聞き終えた俺は同情するように言った。
「まぁ……そうっすね。でも庶民の先輩ほどじゃないと思いますよ」と言ったヴァースキはすぐに、「これは差別とかじゃないですよ」と付け加える。
「分かってるって」
俺は言った。
「別れ際に叔父にこんなことを言われました。『紙芝居屋なんか何の役にも立たない仕事だ。それに比べて、医者の俺は周りからチヤホヤされて、これだけカツオブシを稼いでる勝ち組なんだぞ』って鼻で笑われました」
俺は何も言葉が出なかった。
「だから僕は叔父に言ってやりました。叔父さん、僕は心の医者になろうと思ってますって」
「心の医者か……」
「芸術には医者みたいに人の健康を守ることは出来ない。でも辛いこと、寂しいこと、悲しいことなど、それに寄り添ったり取除いたりする力があると思うんです。だから僕は紙芝居屋として、素晴らしいお話をみんなに聞かせることでみんなの笑顔を守りたいんです」
「お前すげーよ!ヴァースキ、お前なら立派な紙芝居屋にきっとなれるよ!」
「あははは、そうっすかー」
ヴァースキは照れ臭そうに笑った。
その時だった。開いていた床の穴から、突如黒い影がチョロチョロと俺たちの前を通り過ぎて行った。
「おいヴァースキ!今何かいなかったか?」
俺は自由の効かない身体をめいいっぱい使って、辺りを見渡す。
「せっ……先輩!頭の上!頭の上!」
怯えているのか、上擦らせた声でヴァースキは言った。
「頭の上?」
言われてみれば頭が少し重たい気がする。俺は眼球を出来るだけ上にあげると、そこにはビリネズーがちょこんと俺の頭に乗っかっていた。
「うわあああ!」
驚いた俺は椅子に座ったまま、背中から倒れこんでしまう。その拍子にビリネズーはピョンと、俺の目と鼻の先に飛び移った。ヴァースキもヒヤヒヤしながら、こちらを見ている。
息を切らしながら、俺は目をぱちぱちとさせる。
ビリネズーをよく見ると、毛の一部が禿げており、ゴッドボードと同じリンゴのマークになっていた。どうやら電気を送った衝撃だろう。
もしかしてと思い、俺は尋ねた。
「お前もしかして、俺の家でイタズラしたビリネズーじゃないか?」
果たしてビリネズーに猫人の言葉が分かるのかと思ったが、やるだけやってみるしかない。
するとどうだ。ビリネズーは「ビリッ!」と言いながら、頷いた。
「ビリネズーって猫人の言葉が分かるんですね!」
ヴァースキも横で感心している。
「よし!じゃあお詫びくらいしても罰が当たらないだろ?この縄を歯で噛みきぢってくれ!」
俺の命令にビリネズーは元気よく、「ビリッ」と返事をする。そしてチョロチョロと進み出した。
しかし進んだ先は縄ではなく、冷蔵庫だった。
「おいどこ行くんだよ!」
ビリネズーは、呼び止める俺を無視。数分後、俺たちの前には丸いチーズが置かれていた。
「ビリリー!」
一仕事やってやったぜとばかりに、得意げなビリネズー。両手を広げ、誉めて貰うのを今か今かと待ち構えている。
俺は呆れて溜め息を吐くと、イライラをぶつけた。
「俺は縄を切ってくれと言ったんだ!チーズを持ってこいなんて、一言も言ってないぞ!」
ビリネズーは「なんでこの人は怒ってるの?」と言わんばかりに、小首を傾げている。
「先輩……本当にビリネズーなんかに頼んで大丈夫なんですか?」
その様子を前にヴァースキは微妙な顔だ。
「次こそは大丈夫だ!ビリネズー!今度こそ縄を切ってくれ!」
もうこうなっては後には引けない。俺は気を取り直すと、再びビリネズーに指示を送った。
こうして1時間の時が流れた。俺たちの前には、虫の死骸、ぬいぐるみ、ピーナッツにひまわりの種とビリネズーが好きなものだらけが散乱していた。
「このやろおお!!いい加減縄を切りやがれええ!!」
茹で蛸のように顔を真っ赤にしながら俺はビリネズーに怒りをぶつけた。
それにはビリネズーはさすがに身の危険を感じたのだろう。
「ビリッー!!」
頬の電気袋をパチパチさせると、最大パワーで俺たち二人に電気を浴びせた。
「ぐわあああ!」
「ぎゃあああ!」
俺たちの悲鳴が、小屋中に響き渡る。
あまりの電撃の強さに、縄は黒焦げになり、晴れて俺たちは自由の身になった。全身が痺れ、着ていた服も黒焦げになっている代償付きだが。
「やればできるじゃないか」
俺は最大限の皮肉を込めて、ビリネズーに言った。
「ビリッ」
俺たちを解放したビリネズーは満足気だ。
「褒めてるんじゃない。馬鹿にしてるんだ」
俺はそう言うと、ビリネズーを思いっきり外に放り投げた。
「ビリイイィッ!!!」
空の彼方へ消えていくビリネズー。
「あいつには二度と会いたくねぇ」
そう誓った俺であった。
「先輩……これからどうしますか?」
ビリネズーを追い払い、ようやく落ち着きを取り戻した頃、ヴァースキは言った。
「それはだな......」
ニヤリと不敵な笑みを浮かべた俺はこう続けた。
「これを使って、街に帰ろうぜ」
俺は首にぶら下げたゴッドボードをヴァースキに見せる。ビリネズーの電気で、ゴッドボードが再起動したのだ。
滝のような雨が降りしきる森の中。俺とヴァースキは、ゴッドボードの「ナビ」とやらを頼りに、オメガの街への帰還を目指していた。
「ナビ」はとても便利でどちらの方角を進めばいいのか、あと何時間辺りでたどり着くのか、最短ルートはどの道なのかを教えてくれた。
「先輩、何で本当のこと教えてくれなかったんですか?」
「悪りぃな。元の持ち主だったテンバに口止めされてたんだ」
「そうですか。でもホッとしました。クチョマンのウンコじゃなくて」
「そんな訳ないだろ。真に受けんなよ」
「真に受けてないですって。それよりそのゴッドボードには、他にはどんな力があるんですか?」
「そうだなあ。動画とやらで動いてる姿を収めたり、ペイントっていう機能で絵を描いたりできるぞ」
「マジすか!それ紙芝居の完全上位互換じゃないですか」
「当たり前だろ。こんな代物が世間に知れたら、それこそ大騒ぎだ」
「そうだ!ゴッドボードを使って、新しいことやりませんか?例えば動画ってやつで、動く紙芝居をやるんですよ。10万カツオブシなんてすぐ稼げますって!」
「それは俺も考えた。動く紙芝居……名付けて「ムーピー」は、俺の夢だったからな」
「それじゃあ!」と期待に胸を躍らせるヴァースキに対して、俺は言いにくそうに口を開いた。
「だが問題が一つある」
「何です?」とヴァースキは俺に問う。
「一定時間使うと、ゴッドボードはただの板に戻ってしまうんだ」
「そんなぁ。じゃあ今使ってるのもマズイんじゃないですか?借金返済のために、温存しないと……」
「何馬鹿なこと言ってんだ。まずは生きて帰り着くこと、それ以上に大切なことなんかねぇ」
「それもそうですね。みんな心配してるだろうし、早く帰りましょう!」
丁度その時「間もなく目的地です」とナビが俺たちに告げた。
「ここが森の出口だ!」
俺たちの目の前に、眩しい光が差し込む。
「やった!これでやっと帰れる!」
喜び勇む俺たちの前には、懐かしいオメガの城下町が広がっていた。ゴッドボードは力尽きたのか再び板に戻ったが、この景色を見れたのならそれに変えられるものなどなかった。
「せっかく逃げてきたのにそりゃあないぜ……」
テンバの野菜屋の前に来た俺たちは愕然とした。
ダドゥンとその子分である鎧を被った猫人が、店の前で俺たちが来るのを今か今かと待ち構えていたのだ。どうやらポニポニを使って、先回りされていたらしい。
「これじゃあテンバたちと合流は諦めた方が良さそうだな」
「ですね……この問題は僕たち二人で解決するしかなさそうですね」
俺たちは二人にしか聞こえない声でそう話した。
いつまでもここにいちゃまずい。とりあえず体制を立て直そうと、野菜屋を後にしようとした時だった。
信じられないことが起きた。
「あの二人が逃げたって本当ですか?」
肩で息を切らしている、ファラファラがダドゥンたちの前に駆けつけたのだ。
ダドゥンとファラファラ、この二人が繋がっているとは思わなかった俺たちは放心状態になった。
ヴァースキなんかは小さな声で「嘘だ。嘘だ。嘘だ。これは何かの間違いだ」と世迷言を呟いている。
俺だってこれは何かの間違いだと信じたい。ヴァースキの話で聞いたファラファラは、こんな悪人とは縁のない優しい人だったはずだ。
「申し訳ありません!ご主人さま、ですが必ず奴らを再び捕まえますので、ご安心を」
俺たちには絶対にしないような、ヘコヘコした態度でダドゥンはファラファラに頭を下げた。
「クソがっ!」
その報告を聞き、悔しそうにファラファラは地面を蹴り上げた。雨で地面がぬかるんでるのか、泥が鎧猫の足元にかかる。だが彼らは慣れているのか、表情一つ崩さない。
「まぁまぁ気分直しにこれをどうぞ」とダドゥンはチュールが大量に入った箱を開けた。ファラファラはその中から、2本のチュールを取り出した。
ファラファラはそれを慣れた手つきで、チューチュー吸う。さっきまで俺たちは冷めたシチューを食べてたんだ。一つくらい分けてくれたっていいじゃないか。
ご機嫌にチュールを食べているファラファラに、ダドゥンはこんな意地悪なことを聞いた。
「ご主人さまも鬼ですよね。グミはともかく、ヴァースキはあなたの弟子であり、息子のような存在だったんでしょ?それをこんな目に合わせるなんて」
「だって仕方ないじゃないですか」
「ほう。仕方ないとは?」
「ヴァースキは私を超えるくらいに、有名になろうとしたんです。許せるわけないでしょ」
悪びれずに言うファラファラに対し、俺は怒りで拳を震わせギリギリと奥歯を噛み締めた。逃亡中じゃなければ、今すぐ物陰から出て、奴のことをぶん殴っていただろう。
隣では、ヴァースキが声を押し殺しておいおい泣いている。自分の父親のような存在が大嫌いな従兄弟とグルだったと知れば、こうなるのも無理もない。
そんな俺たちを知らずに、ファラファラはこう続けた。
「最近あの子たちは調子に乗りすぎだった。私より上の存在なんていてはならないのです」
to be continued……
カツオブシ・ユートピア 光佑助 @roxas_1313
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