第26話(第一部 最終話)

 叔父の起訴は五日後、一回目の裁判はその三日後に始まった。噂に違わぬ速さだ。


「ああ、オリナ、ドルス」


 兄とともに裁判所に辿り着いた私を、ソファから腰を上げたネストルが迎える。ネストルは解放されたあと少し体調を崩していたから、会うのは久し振りだ。


「大公殿下にご挨拶申し上げます。お体の調子はいかがですか? お呼びいただければ祈りに参りましたのに」

「いいんだ、オリナを独り占めするのは良くないからな」


 ネストルはいつものように手の甲にキスをしたあと、腕を広げる。応えた私を固く抱き締めて、噛み締めるように礼を言った。結局ウルミナを殺害しようとした理由は話されないままだったが、今聞くべきではない。


「アルチョムは黙秘しているようだな」

「ええ。それでも私が自白を聞きましたし、証拠は揃っています。裁判で認めてくれることを願っています」


 ネストルは溜め息交じりに答えた私に頷き、兄も抱き締めてから開始を待つ群れの中へと戻って行く。


 オリナ、と呼ぶ声に振り向くと、エメリヤだった。


「いよいよですね。あまり待った感じはしませんが」

「相変わらず、仕事が早すぎる。おかげでこっちは休む暇もない」


 フードの前を少しもたげて、いつも以上にきっちりと官服を着こなしたエメリヤを眺める。エメリヤにとっても、気合いの入る裁判だろう。


「最後まで、叔父は黙秘を?」

「ああ。まだ揃っていない証拠もあるが、問題ない。必ず認めさせる」


 エメリヤは自信ありげに答え、行き交う人達と軽く挨拶を交わす。

 叔父の逮捕後カリュニシンだらけの法務省には激震が走り、私と兄も親族としてきっちり取り調べを受けた。とはいえ、教皇派の身分に関わらずかなり「お手柔らか」だったのは確かだ。教皇派への取り調べは通常、投獄の上で拷問に近いものだと聞く。おそらくはエメリヤと、共に捜査したイワン達が口添えをしてくれたのだろう。私だけでなく兄も無傷で解放されたことには、感謝しかない。


「裁判には、全て来るのか」

「いいえ。ひとまずは今日の裁判を拝見したら、あとは法廷に呼ばれた時だけ参るつもりです。聖女が内政に干渉していると思われるのは、良くありませんから」

「そうか。うちの連中が寂しがるな」


 苦笑に頷くと、沈黙が流れる。何か言葉をと思うが、適したものが探せない。これが最後かもしれないのに、何を言うべきなのかまるで浮かばなかった。ただ胸だけが、締め上げられるように痛む。こんな気持ちになるのも、胸が痛むのも初めてだ。どんな表情をすればいいのかさえも、聖女のくせに分からない。


「その……教会の外で会うのは、無理なのか? 食事とか」


 ぎこちなく切り出したエメリヤを、じっと見上げる。居た堪れなさそうに逸れた視線にまた、胸が騒がしくなる。会いたいと、思ってくれているのか。


「相談ごとや祈りのために呼んでくださるのなら、できますが」


 言いたい言葉はちゃんとあったが、それはオリナのものだ。聖女としては、こう答えるしかない。私の枕詞は、生涯消えることがないのだから。


「相談ごとは、なんでもいいのか? 眠る前に読む本が選べない、とかでも?」


 沈みゆく胸を救う言葉に、小さく笑う。見上げると、目元が柔らかく緩んだ。ああ、きっと私はこの人のことが。


「ええ。あなたが、私を必要としてくださるのなら」


 返した言葉を噛み締めるように、エメリヤは数度頷く。じゃあ、と短い言葉を残して去って行った。


「俺がいないことになっていたな」

「そっ、んなことは」


 ぼそりと呟く隣の兄に、慌てて言い返す。忘れていたわけではないが……忘れていた。


「いいんだ、オリナ。俺はお前に幸せになって欲しい。俺の願いはそれだけだ」


 顔を寄せる兄を抱き締め、小さく頷く。幸せか。でも私にそれは、許されるのだろうか。


 ドアを開く声に兄を手放し、胸を整える。掠めたいやな予感は眠らせて、人の波に逆らわず中へ向かった。



 第一回目の裁判は、「ひとまず」神の御前で真実を述べる宣言をし、検察側が事件の経緯や被告の罪状を詳しく伝える。最後に、それに対して被告が意見を述べる時間が準備されていた。叔父は黙秘していたらしいから、今回も黙秘で通すつもりかもしれない。


「では、被告は意見を述べなさい。黙秘権を行使する場合は、その宣言を」


 裁判長の声に、皆の視線は被告席の叔父に注がれる。数日ぶりに見た叔父は、数日ぶりに関わらず痩せて、窶れて見えた。白髪交じりの髪を整えた形跡もなく、年齢よりずっと老けて見える。傍聴席には、憔悴しきったキリムの姿もあった。私達は接触しないよう厳重に遠ざけられていたから、会うのは久し振りだ。


 家を出た私や兄と違い、キリムはずっと叔父と共に暮らしていた。私達とは比べものにならない厳しい取り調べを受けたはずだ。半ば跡継ぎ扱いされているのもあって、家門の連中にも責められていただろう。法務省の中は、右を見ても左を見てもカリュニシンだ。


 ずっと俯いていた叔父がようやく顔をもたげ、隣の弁護士を一瞥する。腰を上げて、じっと裁判長を見据えた。


「私がこれまで黙秘していたのには、理由があります。訴えを握り潰されないために、どうしてもこの場を待つ必要があった」


 予想外の言葉を並べ始めた叔父に、検事席のエメリヤを見る。エメリヤは睨みつけるように、まっすぐ叔父を見据えていた。


 叔父は大きく深呼吸をして、傍聴席へと視線を移す。何を、と戸惑う私を見つけた途端、迷うことなく指さした。


「私はここに、ウルミナ様殺害の真犯人として、聖女オリナ・カリュニシンを告発いたします!」


 高らかに放たれた告発に、一瞬静まり返った法廷内が大きくどよめく。静粛を呼び掛ける裁判長の声と喧騒を背後に見据えた叔父が、一瞬にやりと笑んだ。


 ……はめられた。


 滑らせた視線はすぐに、エメリヤと結びつく。揺れたように見えた瞳と戸惑いの表情はやがて引き締まり、然りと頷いた。


 小さく頷き返し、寄り添う兄を抱き締める。


「罰、なのかな」

「違う、そんなことはない。大丈夫だ、必ず真実は明かされる」


 宥める兄の声に目を閉じ、回した腕に力を込めた。神が、罰をお与えになったのかもしれない。私が、恋をした罰を。


 怖い、と呟く私を宥めるように兄は顔を擦りつける。温かいのにこのまま地獄へと滑り落ちていくような気がして、慌てて目を開いた。


 休廷を告げる裁判長の声に、周囲は忙しなく動き始める。ただエメリヤはそれでもずっと、私を見つめていた。



                          (第一部 終)

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聖女は謎と恋に揺れる【第一部】 魚崎 依知子 @uosakiichiko

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