第2話
リリィナを連れ出してから三か月。
隣国ウェルダムの外れ、モヤイにある孤児院で私は――子どもたち相手に、なぜか勉強を教えている。
「アルフレッド、辛い事は……わ」
「分かりますが、ね、カトル」
「わかりますがあなたのためなのです。この方は…えぇっと…とても良い方です」
「上手よ。最後はリリィナ」
「いつまでも知らない子どもの…面倒? …面倒をみるのは止めて、あなた自身の幸せをかんがえなさい」
「そう。じゃあ次はこの手紙をウェルダムの言葉に書き直してみるわよ。みんな、ペンを持って」
アルフレッド・ウェイバーは祖国レアルの隣にあるここ、ウェルダムで兵を挙げた。ウェルダムで唯一ウェイバーと関わりを持つのはモヤイだから、闇雲にモヤイを避けるより、いっそ同じ轍を踏んでみようと思った訳だが。
三か月前、私たちを出迎えたモヤイの領主は、四日間馬車に揺られた私たちよりゆっくり階段を下りて来た。
「やあやあよく来てくださいました、アルフレッド様! 大変な目にあわれたそうですなあ」
歩く度に、装飾がジャラジャラ音を鳴らしている。
(なるほどウェイバーが好きそうだわ)
「お初にお目にかかりますわ、ギルバート様。この度は突然訪問してしまい申し訳ありません」
「よいのです。よいのですよ、アルフレッド様! 我が家を頼っていただき光栄です! ところで」
ギルバートは床に足を付けるよりも先にリリィナを見た――「こちらのレディは?」
「リリィナ、ご挨拶を」
こくん、と頷いて、リリィナはスカートの両端を摘まむ。
「リリィナ・ウェイバーと申します。初めまして、ギルバート・モヤイ様」
四日間、これだけをひたすら練習した甲斐があった。
(……髪の毛はだけはどうしようもなかったけど)
ジグザグ短髪とはいえ振る舞いはレディそのもの。この四日間の軌跡を噛み締めている私に、領主は目を配らせた。
「…もしやカイニス殿下との…?」
「ちっ、ち、ちちち違います!!」
十八歳でこんな大きな子どもが居てたまるものか。この男、着飾り過ぎて頭まで飾りになっているのかもしれない。
とは言え。
(こういう反応が返ってくるのは当たり前よね)
貴族社会は何より血を重んじる。
(彼らからしたら孤児を連れている方が想像の範疇を超えているんだわ。ちょっと考えれば気付いたでしょうに)
――もしかして。
もしかすれば。
本当にもしかしたら――。
(殿下から婚約破棄をされて、意外と気が動転してたんじゃ……)
いや、今のは忘れよう。今後一切思い出すのを止めよう。
正直に孤児だと話したとして、反応は予想が出来る。
(だけど私の子どもとして連れてきてしまった)
この先一生、アルフレッド・ウェイバーの名前はリリィナに付きまとって行く。
(今日明日誤魔化した所でどうしようもないわね)
「彼女は孤児ですわ。サルバの町から連れて来ましたの」
「孤児!? ウェイバーの血筋に何て事をっ!! そんなにショックで…気でも触れたのですか!?」
リリィナは俯いていた。
そりゃそうだろうと思う。
けれど丸くなっている背中を撫でてあげると、伺うような視線がこちらを見た。とびきり背筋を伸ばしてみせる。
すると思い出したように、小さな背中は真っ直ぐなった。
(そう。それでいいのよ、リリィナ)
おまけににっこり笑顔。
「突然二人になってしまって申し訳ないのだけれど、お世話をよろしくお願いしますね」
ギルバートは後退るようにして階段につまづき、尻もちをついた。
(この三か月で、アルフレッドが辿った道筋は想像がついた)
王太子殿下の元婚約者。ケチが付いてしまったとはいえ、私自身に非のある婚約破棄ではない。
領主は私をもてなし、頃合いを見計らって結婚相手を見つける。そうすれば彼はウェルダムで私の親代わり。加えてウェイバー家へ恩も売れる。まさに一世一代の大仕事だったはずだ。
そしてそれは、アルフレッドにとっても都合が良かったはず。
カイニス殿下とメアリに復讐できそうなとびきりの一枚を、座して待てばいい。
(今は改めて、私の使い道を思案中ってところでしょうね)
リリィナも年が近い子がいた方が良いでしょう、と、本音か嫌味か、孤児院に建つ離れをあてがわれた。それでも内装は新品に、お手伝いさんまで付いた好待遇なのだが、リリィナは自分が原因だという事を正しく理解している。当初はひどく落ち込んでいた。
が、あっと言う間に仲の良い友達ができて、今は元気に過ごしている。
(私もリリィナだけに勉強を教えるつもりがどんどん子どもたちが来るようになって、暇つぶしも兼ねて先生を引き受けてみる事にしたけれど。……あのジャラジャラ親父、案外見る目があったのかしらね)
「アルフレッドちゃん、今いい? ちょっとお願いしたい事があるのだけれど、勉強が終わったら院長室に来て欲しいの。あたし一人じゃ手が回らなくて」
「構いませんよ。じゃ、明日までにこの手紙をウェルダムの言葉に書き直しておくこと」
はーい、と子どもたちが元気になっていく。途端にガヤガヤし始める中にはリリィナもいて、無意識にホッとした事に気が付いた。
(まあ連れて来ちゃった以上、味方になって貰わないと困るしね)
まずは嫌われないようにする、これが第一だ。
院長室へ向かう道すがら、そんな事を考えていると、窓の外からニョキッと生えた腕が進行方向を妨げた。
(こんな子どもみたいな真似をする人)
――この孤児院に一人しかいない。
「よう嬢ちゃん」
「………その嬢ちゃんって呼び方止めません?」
「だってアルフレッドだろ? 嬢ちゃんの方がまだ可愛いって」
この孤児院に居る人はみんな、彼の事を白狼と呼ぶ。
(白狼はこの世界で唯一、黒い髪に黒い目を持つ種族……初代ウェルダム王に侵略された人たち)
今や陰に住む一族がどうしてこんな辺境の、しかも孤児院に居るのか。
じぃっと見ていると、白狼は頬をかいた。
「え、もしかしてまだおじさんの事を怪しんでる?」
「貴方はいつ会ったって怪しいわ」
「おじさんは庭師だって。自己紹介もしただろー」
「庭師っていったって……」
右目は眼帯。右手もない。どう見ても堅気の風貌をしていない。しかも働いている所を見た事がない。
「……庭師っていったって……」
「二回も言うほど!? …まあ疑うのは大事だよ。賢い女の子は好きだしね。賢い振りして本当は聞き分けがいいだけの子とか、昔惚れた女に似てて手助けしたくなっちゃうんだよなあ。まあ手は一本しかないけど」
(いや笑い辛い!)
とも言い辛い。
モヤモヤするのを飲み込んだ。
「好きだった人って、どんな人なの?」
「おっ、嬢ちゃんって意外と恋バナとかいけちゃうカンジ? お堅そうなのになあ」
「……貴方って時々、本当に失礼よね……」
「それともおじさんに興味があったりして?」
違うと即答したいところだが、素性が気になるのは興味があると言えなくもないのか。
黙っていると、自称庭師はにんまり笑った。
「おっしえなーい」
「は?」
「思い出って言うのは、口にした端から解けて消えちゃうものなの」
「いや女子か!!」
今度はちゃんとツッコミを入れる事が出来た。ニヤニヤ笑いのまま私を見る自称庭師は、
「まあおじさんの右手と、右目をあげてもいいと思えるくらいには良い女だったかなあ」
と付け加える。
(いや掘り下げ辛いぃぃ)
自称庭師のニタニタが目につく。
「さては貴方、茶化してるわね」
「ツンとお澄ましさんかと思いきや、意外とガキンチョだなあ嬢ちゃん。あんま、この孤児院に尽くし過ぎない方がいいぜ」
それはいつか裏目に出るからよ。
聞き間違ったのだと思った。
「どういう意味?」
「お嬢ちゃんがあまりに英才教育するもんだから、じぃさん毎日笑いが止まらないんだよ。顎が外れて死にもすりゃ世間は平和になるってもんだが、今回だってスキップしながら出かけちまった」
「貴方って案外、優しい所もあるのね」
私、一人っ子なの。
そう言うと、白狼は虚を突かれたように瞬いた。
「今は義理の弟がいるんだけれどね。父は跡継ぎを切望して、願掛けのつもりだったのか、私がお腹の中に居る時にはアルフレッドと名付けたそうよ」
生まれて来たのが女だと分かると興味を失くした。結局アルフレッドのまま。
婚約の話が来た時、さすがに名前を変えるべきかと父がぼやいているのを聞いた事がある。今更どうするのと、母は泣いて責めていた。
「――そういう家の伝手を頼って来たの。予想はついているわ」
「白狼ってのは一族の総称でさ。おじさんの生まれた世界も、そもそも個々の名前なんてものに頓着しない、個人の名前なんてイチとかニとかの識別番号で良いような連中の集まりなんだ」
白狼は無精に髭の生えた顎を撫ぜた。
「カッコいいと思うぜ、アルフレッド。勇ましい嬢ちゃんにピッタリだ。少なくともおじさんには似合わない」
手が差し出される。
「ちなみにおじさんの識別番号は燕青って言うんだ。嬢ちゃんに負けず劣らずの良い名前だろ」
握り返すと、やたらゴツゴツしている手に覚えがあった。どこでかしらと考えてみると、案外すぐに思い至る。「燕青、貴方」と言いかけた時、
「白狼みっけ!!」
「やっべ」
子どもの声が聞こえたかと思いきや、あっと言う間に燕青は小さな囲いにわらわらと閉じ込められていた。
「白狼、遊ぼうぜ」
「おじさんは仕事中だよー」
「白狼が葉っぱ切ってる所なんて見た事ないよ」
「ねぇ、どうやってその手でハサミを使うの?」
(いや子どもは正直!!)
もはやおしくらまんじゅうだ。
私よりよっぽど人相が悪いのに、見かけると大抵この状態になっている不思議。
(きっと動物にも好かれるっていうオチなんだわ、恨めしい)
子ども達の波に流されていく燕青に手を振っていると、老人が門をくぐるのが見えた。子ども二人の手を引いている。
「丁度良かった、ウェイバー先生が良い教育をなさると近所で評判になっているようで、サルバの孤児院に返される予定だった子たちを預けられたのですよ」
ほら、挨拶なさい。
少年たちは心底嫌そうな顔をしていた。十歳そこらに見えるし、手を繋ぐのにも抵抗があるのだろう。
三度催促されて、金髪の青年がようやく口を開いた。
「…………ラグナス」
緑色の瞳が、涼しい顔で立っているもう一人を睨む。
「おい! オレは挨拶したのに、お前は無視か!!」
「お前が勝手にした事だろ。お前がトイレを漏らしたからって、僕まで漏らせって言うのか」
「オレが漏らしてるみたいに言うのは止めろ!! おいロイ、こっち見ろ!!」
(待って、ラグナスにロイって、)
院長に手を繋がれたまま蹴りあっている少年たち。そんな彼らを、いつの間にか小さな影が見つめている。
「………お兄ちゃん?」
眩暈がした。
(まさかリリィナがモヤイにいるから!? いやでもそんな事ってある!? こんなの物語からの仕返しとしか)
「ウェイバー先生?」
「お母さん? おかあさ…!」
視界が暗転した。
婚約破棄されて悪役になる事を思い出したので、二作目のヒロインを育ててみる事にした へびはら @hiori1224
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