婚約破棄されて悪役になる事を思い出したので、二作目のヒロインを育ててみる事にした
へびはら
第1話
王子は産まれた時から次代の王。
比べて王妃は、努力の先に王妃となる。
王子の婚約者に選ばれたその日から、王子が取り巻きに囲まれながら庭に降り、鳥と語らい、花を愛でている合間にも、私は先生の問いかけに答を間違えれば叱られ、正しくない振る舞いをすれば叩かれた。
『いい? アルフレッド。貴方は王子に愛されるの。それだけで貴方は、この国の誰よりも幸せになれるわ』
まだ子どもだった私は「愛」どころか「好き」も分からない。だからこれは、素直な質問だった。
「母様。わたしはお家に居た時の方が幸せだったわ。これからは幸せになれる?」
『まあ、アルフレッド! 貴方は未来の王妃なのよ。今この瞬間にだって、貴方以上に幸せな人がいるものですか!』
私は幸せらしい。
コルセットで締め上げられ、必要以上に伸ばした髪を結いあげられ、そのうえ重たい髪飾りをつけられる。エスコートして貰わなければ碌に歩けないようなドレスを纏い、楽しくもないのにニコニコ笑って、頷くばかり。そんな私は年を重ねる度に「幸せですね」と言われ続けた。
「――カイニス殿下」
「ん?」
「殿下は今、幸せですか?」
「ふふっ、アルフレッドは変な事を聞くなあ。幸せに決まってるじゃないか。アルフレッドも幸せだろう?」
「…ええ、もちろん」
「君の金色の髪は、今日もとても綺麗だ。太陽の光を浴びて、まるで女神みたいに美しい君に似合っている」
「ありがとうございます、殿下」
私の人生に幸せな部分を見つけるとしたら。この、どうしようもなく優しい人の妻になれる事だろう。
そう何度も自分に言い聞かせて。
言い聞かせて。
その誰よりも優しい人はいま、私の目の前で泣き崩れている。
「すまない、アルフレッド…っ!! 僕は…っ、僕は、どうしようもなくメアリを愛してしまった!!」
「わたしが悪いんです!! 殿下の優しさに勘違いをしてしまったわたしが!!」
(すっかり出来上がっていらっしゃる)
話があるからと執務室に呼ばれてみれば、泣きじゃくる殿下とぴったり寄り添う少女に出迎えられて、突然、三文芝居の観客にされた。
「そんなメアリ、君は悪くない! 僕はずっと…本当はどこかで憧れていたんだ。一緒に鳥を見てくれて、花を愛してくれる女性に…だから君はっ」
悪くない、と続けようとして、何を口走ったかようやく気付いたらしい。伺うような瞳が向いて、ようやく私は壇上に立つ事が出来る。
「…そうですね。王妃教育では鳥の種類も、花の愛で方も教えては頂けませんでしたから」
「君は本当に………強いんだな」
(そういう貴方は、本当に王に向いていない)
手折られた花にまで寄り添って泣く人。毎度殿下の為に忍ばせるハンカチを差し出すより先に、メアリがドレスの袖で涙を拭っていた。
「ありがとう、メアリ」
「ありがとうだなんて、そんな」
「メアリさん。これから先、そういう事をなさるのは止しなさい。貴方が着るドレスは一着一着、国の物になるんですよ。自分から汚しにいくなんて言語道断です」
「汚しにいくなんて!」
メアリは責めるような目を向けてきた。
「――殿下は貴方の婚約者じゃないんですか? そんな言い方、あんまりです!」
(婚約者が私だと理解しているのならば、なぜ恥じらう様子もなく殿下の隣にいるのか聞きたいけれど……この様子じゃ、まともな答えは返って来なさそうね)
「殿下の涙だろうと、そこら辺で泣いている子どもの涙だろうと、拭けば染みになるのは同じです。ドレスは民が収めた税によって作られた物。染みを抜くとなれば、民の税で人を雇わねばなりません。拭って差し上げたいのならハンカチを差し出しなさい」
まるで頬を打たれたような顔で、俯くと、ぐずぐずと泣く声が聞こえてくる。
(泣いた、だと)
「アルフレッド…!」
今度はカイニス殿下が面を上げた。涙を拭って睨み据えてくる様は――
(まるで敵を前にしたようね)
「君には人の心がないのか!」
「人である以上心もあります。ただ、なるべく悟られないようにと教わっただけです」
「君が王妃教育を辛いと思っていたなら謝る。………だが、だったらもっと、ちゃんと伝えて欲しかった! 僕はもっと君と…!!」
「盛り上がっているところ申し訳ないですが、私は王妃教育を辛いと思った事はありません」
カイニス殿下が、豆鉄砲を食らったような顔になる。
「ですがこの瞬間、殿下のおかげで、王妃教育はとても辛かったものになりました」
「――ウソよ」
「嘘? 泣いていないと嘘になるの?」
つ、と目を向けると、メアリが震えた。
「これくらいで震えない。相手に機微を悟られては不利になる事があります。貴方の不利が、そのまま国の不利に繋がる可能性だってあるのです」
「そんな、王妃とか、国とか言われても」
「ならば貴方の為にも、恋をしていたいだけならば、殿下は止めておきなさい」
待ってくれ、と、殿下はメアリを庇うように抱きしめた。
「僕はメアリの純粋な心が好きなんだ! 王妃教育は、それは、後々受けて貰わなくちゃいけないだろうけど………今すぐ彼女に求めるつもりはない!!」
「貴方が求めなくても、他の者が求めるでしょう。そもそも貴方は王なのですから、他の者が求めるよりも先んじて、貴方が求めるべきなのです」
だんだん頭が痛くなってきた。
そもそも、殿下の熱に浮かされた恋心は、だいぶ早い段階で耳に入って来ていた。現王には側妃も居る事だし、気にする必要はないと周囲を宥めていたけれど、噂を耳にした王妃に突かれて、渋々偵察の真似事をしにロイヤルアカデミーへ出向いた事もある。
見て、すぐ。
殿下が本気なのは分かった。
(……ただ人目も憚らず一緒に居るから、何か策でも用意しているのかと思っていたけれど……)
まさか遠巻きに想い人の存在を伝えようとしていた――とかだったりして。
「殿下、確認ですが。今回のお話はそちらのメアリさんと婚約したい、と言う事で間違いないんですよね?」
「君には申し訳ないけれど」
「重ねて一応聞きますけれど。お二人で話し合われた際、側妃にする、と言う選択肢はなかったんですか?」
殿下はメアリと顔を見合わせている。
(……出なかったのか……)
「僕は父上みたいに、側妃を作るつもりはない」
「殿下…っ」
(いや、何が「殿下…っ」よ!! そこは、この状況でどの口が言うか! でしょうよ。斜め四十五度じゃ足りないわ。頭の天辺を叩いてツッコミを入れなくちゃ!」
ますます頭が痛くなってきた。
話があると呼び出されて、てっきり、側妃にする手筈を相談するのだと思っていた。実際すでに手を回していた。正妃を迎えるより先に側妃とは、なんて渋い顔をする老人たちを宥めすかしていた自分を今すぐ穴に埋めてやりたい。
「お二人とも、脳内までお花畑なのはよく分かりました」
この婚約に、どれだけの人の行く末が掛かっているのか。私が王妃になる為に、どれだけ時間を使って来たのか。
(この人は何も分かっていなかった。それで一緒に鳥を見てくれたから? 花を愛でてくれたから? バッカじゃないの)
「やっぱヒロインって嫌いだわー」
一瞬。
自分の口から出た言葉だと思わなかった。
きょとんとしている二人を見て、ようやく自分の口から出たのだと思い至る。
(なるほどこれは)
「そういう話でしたら、殿下は今、婚約破棄の書類をお持ちですよね?」
「いや、とりあえず今日は君に話しておこうと思っただけなんだ。……その、君にも時間が必要だろうし…」
「お気遣いありがとうございますわ。ですが時間は必要ありません。アルフレッド・ウェイバーは納得の上、本日サインをしましょう。書類がないようでしたら、紙を下さいな」
虚を突かれている殿下の横を通り過ぎて、勝手知ったる引き出しを開く。白紙の用紙に、一文一句間違えないよう婚約破棄の公文書をしたためた。
ゆっくり丁寧に自分の名前を書き記す。
「あとは殿下の名前を書けば成立します。ご自分から仰られた事ですもの。王様と王妃様、そして私の両親には殿下からご説明下さいね」
「ちょ、ちょっと待ってくれ! これは僕と君の問題だろう!」
優しい殿下が途端に慌てふためく姿に、私はにっこり微笑んだ。
「私と殿下、ですか? いらないと言われた私が同席する必要はないでしょう」
「いらないなんて、僕はそんな、酷い事…一言も…」
「言葉にしなければ、ご自身がなさっている事は酷くないのでしょうか」
「それは」
「殿下、私は殿下がお優しい事は知っています」
これで最後だと言うのに、恨み言ひとつ浮かばないくらい、ただ優しい人だと知っている。
「優しすぎる王子様。貴方は、優しさが人を傷つける事もあると知っておいた方がいい」
「アルフレッド…」
「ここに殿下のサインがいります」
そう私は知っている。
この人が優しくて押しに弱い事を、メアリ以上に知っている。
半ば強引にペンを握らせると、殿下は心ここにあらずと言った風にペンを走らせた。
「私に対する謝罪は、馬車と御者を頂ければ十分です。両親を含めウェイバー家へは………だいぶ大事になった上に吹っ掛けられるでしょうけど……まあ頑張って交渉なさって下さいな」
「アルフレッド、」
「では私はこれで」
「アルフレッド…っ、僕は、僕は君の事がちゃんと好きだった!!」
(本当にこの人は)
なぜ今、と思うが、殿下の事だ。言わずに居られなかったのだろう。
「…私は…」
そうですね、と考えてみる。
「殿下を好きになる暇もなかった、と言うのが正直な所でしょうか。少なくとも殿下に恋をした事はありません」
殿下が息を飲むのを聞きながら。
私はとびきり優雅な一礼と、晴れ晴れとした笑顔を残して、そっと執務室の扉を閉めた。
「なんで今になって、降って湧いたように思い出すかなあ」
がたん、ごとん、と馬車に揺られながら、ため息をつく。
攻略対象者の筆頭なだけあって、カイニスとメアリの結婚式スチルはそれは綺麗だった。
国民に祝われながら微笑む二人。白い鳩。鳴り響くベル。
(祝福されるのを知ってるなんて、ますます腹立たしいわー)
結局は婚姻までのゴタゴタも、ヒロインスキルでこなしてしまうのだろう。
そう、思い出してしまった。
画面越しのカイニスは出会った当初から何の悪びれもなくたびたび「婚約者」の話をする。そして攻略がものすごく大変だ。
例えステータスをマックスまで上げたとして、週末デートの約束を取り付けられるまでロードを繰り返したとして、イベントスチルを全部コンプリートしたとして、最終イベントに現れないなんて事はよくあった。
(かと思えばスチル穴だらけなのに、ひょっこり現れたりもするのよね)
「ゲーム画面相手に、さてはお主、気分屋だな? なんて言ったりしちゃうくらい」
そんな彼の婚約者アルフレッド・ウェイバーは、恋愛ゲームではポピュラーな「悪役令嬢」ではなく、あくまで「婚約者」だ。流行りのざまあ、ではなく背徳感のある恋が楽しめたのだが。
「こっちこそ『ざまあ』の一つでも言っておけば良かったって気持ちよ。………まあ、だから私はやり返したんでしょうけど」
そして二作目、アルフレッドは満を持して悪役になる。
「確か隣国でアルフレッドが兵をあげて、二作目のヒロインが登場して、みたいな」
アルフレッドは、二作目のヒロインによって倒される。
「………殺されるからって言って、指をくわえて見ているのも癪なのよね」
思い出したからと言って誰かになった訳ではなく、アルフレッドの中に誰かの記憶がある。
「どうにか出来ないものかしら」
思い出す前のアルフレッドなら、カイニスとメアリが復讐の対象だっただろう。けれど、今のアルフレッドは違う。
(カイニスに、メアリ。…それに、このどうしようもない理不尽なストーリーに「ざまあみろ」と言える方法が)
「二作目のヒロインを、殺しちゃう…とか?」
アルフレッドにしか打てない手ではあるが、なんというか倫理観的にアウトな気がする。せっかく自由に生きれるのだ、どうせなら気持ちの良い方法で仕返ししたい――と思うのは、
(記憶と一緒に植え付けられた何か、なんでしょうね)
「ねぇ」
身を乗り出して叩くと、小窓が開いた。御者は小さな頃からの顔見知りだ。
「サルバの町って、ここからどれくらい?」
「サルバですかい? 通り道ですぜ。あと半日もあれば通りやす」
「じゃあちょっと寄って欲しい所があるの」
「構いませんが」
御者は言いにくそうに口の中でまごついた。
「………あそこはお嬢様みたいな身なりの人間がいくには、ちょっと」
「なら貴方が一足先に出向いて、町で洋服を見繕ってきてよ」
御者はそばかす交じりの鼻先をかく。
「お嬢様を小さい頃から知っているとは言え、あんまり両手離しで信用されるのもなあ……俺がとんずらしたら、お嬢さん、どうするおつもりで?」
「大丈夫よ。この中には小さい頃からこの年まで、実家から送られて来たドレスが詰まっているの。これを売ればたんまりとしたお金になります。貴方にはその三分の一を渡すつもりよ。目先のはした金を持って逃げるなんて馬鹿らしい金額になるわ」
御者の目があからさまに泳いだ。
「そりゃ50ジュエリくらいで?」
「こっちに戻って来てから換金しても、150にはなります」
「はは、こりゃ参った」
御者は帽子の上から髪をかいた。
「ここまで聞いておいてなんですが、私は本当に礼なんて受け取らないつもりで……いえね、お嬢様に一筆書いて貰って、落ち着いた頃にウェイバー様をお尋ねしようくらいの事は考えてましたが…」
「当然の勘定よ。貴方、城に戻れない事も分かって付いて来ているでしょう」
一番の顔見知りだったこの御者は、事情を聞くなり馬を引いて来た。
思い出したのか、照れ臭そうに御者は笑う。
「それでも、御者ごときでも、お嬢様がされた仕打ちが許せなかったんです。お城にお連れしたあの日、気丈に手を振られていたお嬢様は城に着くまで泣いていた。お嬢様が城を出るって言うなら、俺が連れて出なきゃならねぇ。――それが俺の仕事だ! なんて思っちまって」
「馬鹿ねぇ」
ありがとう、と言ったのは声にならなかった気がする。唇を押さえると震えていた。びっくりして御者を見ると、困ったような顔と目が合う。
「あの日、お嬢様は仰いました。泣くのは城に着くまでと決めていた、と」
「そうね。………サルバまでは、半日だったかしら」
御者は頷いたあと、静かに小窓を閉めた。
がたん、ごとんと馬車が揺れる。時々馬が鳴く声が聞こえる。それ以外は本当に静かで、嘘みたいに静かで、なんだか無性に泣きたくなった。
(泣くのは、サルバまで)
(サルバについたら、笑うの)
(そして二作目のヒロイン――リリィナを見つけ出して、連れて行く)
「貴方、リリィナ?」
「そうだけど……。…………君、誰?」
「私はアルフレッド・ウェイバー。それにしても貴方、……ものすごく顔が真っ黒ね……それじゃあ男の子にしか見えないわよ」
「さっきまで煙突掃除をしていたから。それに女だってバレない方が安全って兄さんたちが…って、何してるの!? 柔っ!! その服、ボクでも良い生地だって分かるけど…!?」
遠慮なくぐりぐり拭いてやる。顔は見れるようになったけれど、代わりに煤だらけになった服を見て、リリィナは唇をひん曲げた。
「お金持ちの考える事、ボク嫌い」
「この服は私の物だもの。私がどう使おうと、私の勝手でしょ。ところで私、貴方に相談があって来たのだけれど」
「君が? ボクに? 相談?」
リリィナが慎重に目を配らせる。なるほど、王宮でも町でも警戒は処世術らしい。
「大丈夫よ。誰もいないわ」
「なんでそんな事が分かるのさ」
「私、人の気配には敏感なの」
「君がボクに嘘をついている可能性だってあるよね?」
「じゃあ好きなだけ回って確認するといいわ。そのあとゆっくり考えて頂戴。
リリィナ、貴方に私の子どもになって欲しいの」
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