危うく前科1犯にされるところだった。

 私の必死の説明と相川の必死の説明で何とか事情は察してくれたが、最後まで警察官の目は終始、疑り深いもので会ったことは確かだ。当たり前だろう、片方は婦女暴行容疑の現行犯に近く、もう片方は殺人という犯罪歴を持った者だ。互いに違いますそんなことしてません、と言ったところで容易に、「はい、そうですか」なんて引き下がってくれることはない。ちょっとカフェポリスに行こうぜ!お茶ぐらい出してやるし、金属の輪っかを2つプレゼントするよ!って事情聴取中は終始言ってるような気分になってしまった。

 相川が店長に頼み込んで、イートインの監視カメラ映像を警察官に見てもらってからようやく嫌疑は晴れた。密告者の叔父である店長に頼み込むとは見上げた根性である。

 

 だが、それがなければ危うく別のところへイートインされてしまうところであったことは確かだろう。


「先輩、すみません、私が頭で拭くのに応じなかったばかりに」


 車の助手席で申し訳なさそうな作り顔をして相川が謝る。


「てめぇ、反省してねぇな」


 珈琲で汚れたスラックス、上着は涙と鼻水でカピカピとなっている服のまま、私はハンドルを握って相川の実家へ向かっていた。親戚の店長が事の顛末を相川の実家に連絡したらしく、在学中は交流があったこともあってか相川の母親は顔見知りだった。その母親から着替えの用意と洗濯をさせてほしいと申し込みがあったので、私は吊られるままホイホイと車を出している。

 だが、よく考えてみれば、このガソリン代が高い時に何もそこまでする必要があったのかと問われると、正直、必要はないだろう。


「でも、本当に反省してます。ごめんなさい」


 作り物でない真顔で相川が申し訳なさそうに詫びる。


「まったく、まぁ、洗ってもらえるし、こちらとしてはありがたいけど」


「あんな話聞いても、先輩は先輩なんですね」


 嬉しそうに綻ばせた顔に思わずドキリとした。こんなに女らしい顔のできる奴だっただろうか。


「あ?ああ、お前、私を舐めてない?」

 

「汚いから舐めません、でも、言わんとしてることは分かります」


 汚いものを一瞬見るような顔をして、再び綻ばせると相川は意味を理解したようで深く頷いた。


 高校生の頃の話だ。いじめにあった相川を私が助けたことがあって、それがそもそもの始まりなのだけれど、その際に人間不信に陥っていた相川の前で私は宣言したことがある。

 

「どんなことがあってもお前を受け入れる」

 

 と、相川はもちろん、悍ましいモノを見るような顔をしてこう言い返した。


「ドン引きです、私は受け入れません、無理です、ごめんなさい」


「違う、そうじゃない!」


 滾々と今の意味を説明に説明を重ねて、納得してもらう頃にはこの空のように綺麗な夕焼けが見えていたような気がしたのを、信号停車中の車内でフロントガラス越しに空を見ていると小声で相川がぼそりと言った。


「こんなので良ければ、使い捨ててもらっても構わないですよ」


「お前ね、つまらない女になるなって言っただろ。そんなことは金輪際言うな」


 それを聞いて思わず頭に血が上る。

 相川は確かに犯罪者なのかもしれない、でも、それ以上の大切なものを失っているのだ。それは取り返すことができないほどに大切なものをだ。


「はい…。ごめんなさい、やっぱり汚そうなんで止めておきます」


「お前!」


 右手でハンドルを握ったまま左手を相川に向けようとして、相川の助手席窓越しにこちらを見つめる4つの目があることに気づく、そして背中に冷や汗が伝わっていく。


「なに固まって…、あ…」


 先ほどお世話になった岐阜県警のパトカーが隣の車線で同じように止まっており、中には大変ご迷惑をお掛けした警察官様がお二人でこちらをじっと冷ややかな目で見つめていた。


「はろー…」


 相川がバカのように振ってみると、警察官2人も冷ややかな目で振り返してくれる。


「お前ぇ!」


 怒鳴ると同時に信号が青になる。

 アクセル全開などという愚かなことはせず、粛々と交通ルールに従って車を進めるが、しばらくするとパトカーが後ろへと割り込んできた。

 もう、何も怖いモノはない。なぜなら、真後ろに居るのだから。

 きっと、1つでも交通ルールを破ろうものなら、赤いランプがピカピカ光って、ウゥーって死人みたいなうめき声を上げて、拳銃を抜いたお巡りさんが、「ハーイお2人さん、私の車で目的地のあるドライブしない?」って誘ってくれるに決まっている。

 むろん、そんなことある訳ないが、途中のトンネル近くまでパトカーが着かず離れずをして、ずっとくっついてきてくださるのには大変辟易した。


「ようやく行きましたよ。マッポの奴ら」


 振り返って曲がっていったパトカーを確認しながら小物感溢れる言い回しを相川がする。


「お前ね、よくこんな状況でそんなこと言えるな」


「意外と小さいんですね」


「どこ見て言ってんの?お前?、そろそろ高校生のノリ控えようか」


 気が高ぶって少しハイになっているような気がするので注意すると、相川も理解は示したらしくそのまま小さく頷いた。


「で、小さいんですか?」


 言った直後から、クスクスと馬鹿にしたような笑いを漏らした。


「お前!」


「嘘ですよ、でも、先輩に出会えてよかったです、ここのところ、まともに誰とも話してなかったから…」


「俺も嬉しいよ、ほんとにな」


「え?」


「だってよ、卒業してから音信不通状態だっただろ。このノリも久しぶりだし」


 トンネルを抜けて明知鉄道の沿線沿いを走り抜けていく、山々の陰に闇が差し込んでいたけれど、綺麗な夕焼け空は稜線からまだ見えていた。


「私もです…。本当に馬鹿な先輩、レジでほっとけばこんな目に合わなかったのに…」

 

 グスッと鼻を鳴らして相川が再び涙を落とした。

 それからしばらく無言が続く。高校の頃の相川ならこんな簡単に涙を見せることは無かったはずだ。だが、それを言い直せば、きっと今まできちんと泣いたことがなかったのかもしれない。

 夕焼けが消える頃まで、上着のポケットから取り出した小さなタオルで涙を拭いながらずっと小さな声で泣いていた。

 かける言葉などある訳がない、先ほどのように泣くときはしっかり泣くのがいいのだ。

 

 その涙が心を柔らかくして、再びの一歩を踏み出す勇気を出してくれるのだから。


 実は相川の事件は知っていた。

 当たり前だ。学校の先輩だし嫌でも噂は入ってくる。

 もちろん、私も何を馬鹿なことをしたんだ、と呆れ果てたこともあった。同窓会で酒の席で噂話にもなっているのを聞いたし、同じようなことを私も同窓生と話していた折り、参加していた恩師が私の会話を聞いていたようで、少ししてから手招きをした。

 相川の恩師でもある老齢の先生は、酒の席から遠く離れたところに呼びつけてくる、卒業しても教師に呼びつけられるとは何を言われるのだろうかと心配しながら先生の元へ行くと、ビールジョッキを持ったままで先生が口を開いた。


「私がね、このジョッキで君を殴り殺すとしよう。その場合、罪はどうだね?」


「は?」


 何を言っているのか分からなかった。だが、ふと相川の話が思い浮かんだ。


「それは相川の…」


「私は今の仮定の話をしているんだよ、どうだね」


「殺人罪です。人殺しですよ」


「うん、その通りだ。では、私がこのジョッキで襲われている女性を助けるために犯人を殴り殺したとしよう。その場合、罪はどうだね?」


「それは…、殺人罪です」


「うん、その通りだ。君は相川君と親しかっただろう。それだけ知っておいてくれればいい」


「先生、それは…」


「私の最後の授業だよ。いいかね、すべてを同じに考えるなら、それは、最低災厄で愚かなことだ。罪は罪だ。償うのは当たり前だ。だが、その罪の内情を見極めることすらできないなら、人間は獣と同じだよ。むろん、救いようのない奴は沢山いるがね。だが、相川君は君にとってそう思えるほどの人物だったかい?」

 

 雷に打たれたように私は固まった。

 先生の優しい視線の先に微かだけれど怒りが見えたのを覚えている。

 同窓生の中で相川と親しかったのは私だけだ。その私が愚かなことを言えばそれが当たり前になってしまう。そして広がって行ってしまうのだ。


 そんなことは許されるべきことでない。


 それから私は真剣に事件を調べた。もちろん、裁判記録まで隅々まで読んだ。

 どれほど子供を愛していたか、そして、どれほど1人で頑張って子育てをしてきたか。旦那となった男がどれほど愚かだったか。

 必死に調べて調べて、そして私は事件の内幕をきちんと判断するに至った。


「先生、あの時はすみませんでした」


 すべてを調べ終えた私は大切なことを教えてくれた恩師の自宅を訪ねていた。


「ふむ、謝るべきは本来私ではないが、きちんと向き合ったかね?」


 縁側で先生は煙草を吸いながら、そう言って私をじっと見つめてくる。


「はい、きちんと向き合いました」


 視線を逸らすことなく先生の眼をしっかりと見つめて私はそう答えた。


「うん、愚か者から成長したね。それが君のいいところだ。私から1つ頼みがある」


「相川のことですね。折を見て尋ねてみようと思います」


「そう言ってくれるなら何よりだ。そして、楽しかった思い出を過ごした人が力になってくれるのは、きっと彼女のためにもなるだろうからね」


 そう言って先生は一枚の便箋を私に見せた。


「フェアではないが、これが彼女だよ、あの頃となんら変わりはないさ」


 先生は相川井とやり取りをしていて、刑務所から出されたその手紙には、あの頃の相川からは考えられないほどの内容が綴られていた。日々、罪を償いながら子供の冥福を祈っていること、すべてを失っても頑張って生きていくこと、そして、末尾に書かれていたのが、一緒に過ごした先輩がそれで酷い目に合っていないかと心配している内容だ。

 読んでいて涙が止まらなかった。

 

 同窓会での愚かなことを言った私自身をどれほど呪っただろう。

 

 あれほど親しかったのに、あれほど知っていたのに、事件だけで勝手に想像して、私が彼女を殺したようなものだ。

 

 罪は罪だ。


 だが、罪を知るということは、これほど必死にならなければならなかった。

 ただ、信じるだけではない、きちんと納得して信じる。微塵も疑いを持たない。


 これが支えるためには必要なのだ。


 先ほどの再会は本当に偶然だ。

 なぜなら今日私の向かっていたところは明智の相川の家だったのだから。

 そしてイートインで相川はきちんと話をしてくれた、それは私が知っていることとすべてが合致している。

 嘘は一言も言っていない。


 調べたんだからお前は疑っているじゃないか?と他人から言われるかもしれないが、何も知らずに無条件で信じてしまうなら、それはある意味では無責任なのだと、今の私は思う。


 罪を犯した人を支えると決めたのなら、その罪を背負うことはできなくても、その罪を知っておくことは必要なのだ。冷静に客観的に判断することも必要だ。


 気持ち悪いと言われても構わない。支えると決めたのだから。


 この話も墓場まで持って行くつもりだ。


 そんなことを考えながらふと、相川の手に持っている布に興味が沸いた。

 いや、今はその布が喫緊の課題と言えるだろう。

 

「ちょっと待て」


 泣き声が途絶えてやがてぼんやりと空を見上げている相川に話しかける。


「どうしたんです…、先輩」


「お前、その両手に持つものはなんだ?ハンカチじゃないのか?」


「いえ、ハンカチではありません、これはフェイスタオルです」


「英語の教科書やってんじゃないんだよ、それは何に使いますか?」


「顔を拭くために使います」


「さっき使ったらよかったんじゃないのか?」


「え?、目の前にもっと大きな真っ白で綺麗なタオルみたいなのあったじゃないですか?小さいのより便利でしょ」


「お前ぇ!」


「だって、久しぶりの先輩ですからね」


 そう言って笑う相川の笑顔に私は何も言うことができなかった。


 きっと久しぶりに心から笑うんだろう、ちょっとぎこちないけれど、今まで見てきた中で一番の素敵な笑顔だった。

 

 胸元に光る小さなロザリオが対向車の光を反射して輝いていた。

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真実と誠実の狭間 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki

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